新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第120回『北斗星の招宴』)

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ぶらり散歩:百耕資料館再訪(同時進行の本日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第120回


北斗星の招宴


  昭和24年4月10日 若芽書店 179頁


本書『北斗星の招宴』は、「戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後」書き綴られたもので、賀川ならではの名品です。

ここでも表紙と賀川の「序」、そして巻末に「戦後発行の賀川豊彦著作目録」がありますので、それもスキャンして置きます。また、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」も添えて置きます。




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『北斗星の招宴』




 明星は、まだ消えない。空は紺色に、山は紫だ。河は銀色に、個体と、個体は紺碧につながれ、太陽は、まだ、昇らない。

 清朗の気は四界を包み、昨日の塵埃は、深く地上に沈み、倦み疲れた世界が元気を回復して、太陽と共に、目醒めるのを待つてゐる。

 鶏は、もう、さめた。然し、大衆は、まだ睡つてゐる。「私」だけは、黎明の近づく前に、目をさまし、永遠の朝を迎へる準備をしてゐる。雀も、鳩も、まだ、目醒めない。だが、神さまだけは、夜寝ずに、我らを、うち見守つてゐて下さる。

 東雲も、まだ瞬かない。アオロラも、ささないので、物質に影も無い。あま♭の空気の透明に、萬物が、みな透明に考へられる。静かに、静かに、「あした」が、私を迎へてくれる。いつまでも太陽が、出なければ、よいのにと思ふ。太陽が出ると、敗惨の醜さと、人間の醜悪が、まざまざと書き出されることに、私は恥しくなる。もう少し長く、かうした瞬間が続けば善いに――。晩秋の夜明け前、歌もなくひとり、天空を静視する。驚異の瞬間――太陽がなくとも、神に感謝出来る。いや、太陽を、もう少し長く、地平線の彼辺に、隠しておきたい。自然に溶けて行く私は、特の慈愛にも、溶けて解く。

過くる日、日本を荒した颱風も、今は去って、静かな、明星が、東に輝く。紫の雲は、地平線を飾り、闇黒の夜は逃げて行く。北斗星だけは、かすかに、私を相変らず見守ってゐる。北斗星よ、おまへだけは、昼になっても、同じ位置に坐ってゐるのだね。よく辛抱してゐるね。太陽が、出たり、はいったりしてゐる中に、おまへだけは静かに、地球を見守って怪我がないように気をつけてくれるのだね。私も人生の航路難に、おまへを見失はないようにしようね。太陽が出て、世間が、騒がしくなりおまへの姿が見えなくなっても、心の底に、おまへの位置を据えておかうよ――永遠にね。

 そして、日本も、おまへと縁を切らねようにしてくれると、よいね――永遠にね!

 附 記
 この書は大平洋戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後、私が書き綴ったものを、ひとまとめにしたものである。まだ、この中に入れないものも数多くあるが、私自ら興奮を咸じるものだけにした。人に読んで貰ふ前に、自分が読みたい心持で、こんなに綴ってみた。

 これらの散文詩は、わざと書いたのでは無く、ひとりで湧いたように思ふ。自分の今尚生きてゐることが、不思議に思はれるままに、ただ、天父への感謝にひたりつつこの散文詩を編集した。

  一九四七・一一・一九
                      賀  川  豊  彦




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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』346頁

  『北斗星の招宴』について


 『北斗星の招宴』は、その序文にも示されている通り、太平洋戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後書きつづったものをまとめた詩集であり、『わざと書いたのではなく、ひとりでに湧いた』詩歌である。しかしこれは詩というよりは随筆である。むしろ随筆と詩との中間に位する詩形であり、典型的な散文詩である。そしてこの詩形が賀川にはもっとも適していたと見え、賀川の胸中にはこうした詩が次から次へととめどなく湧き出たものらしい。『尽きざる油壷』にはこのような散文詩がおぴただしく収められている。

 そこには自然への讃美があり、神への感謝があり、苦難への礼讃があり、人間性への洞察があり、霊的瞑想と内省がある。こうした散文詩だけ集めて、これを類別大成するならば、賀川経典が成立する。散文詩こそは賀川その人であり、文学であり、生活であり、体験の記録であったといえよう。










新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第119回『東洋思想の再吟味』)

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住宅の花壇に咲くクレマチス(今日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第119回


東洋思想の再吟味


  昭和24年2月15日 一灯書房 234頁


 本書『東洋思想の再吟味』は、その多くが戦前に執筆されたものですが、標題のもとに「宗教的道徳心理よりの精神分析」という副題が付けられています。

 1947年11月22日付けの「序」がありますので、此処では本書の表紙と共に賀川の「序」と武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部も取り出して置きます。



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                  東洋思想の再吟味

                     


 狼が犬となり、虎が描と化し、毛虫が蝶々になれるならば、戦争の好きな二足動物も天の使になれない事もあるまい。ましてや、はじめから神の胤をもつてゐたとするなら、その遺伝と成長は各種の屈曲をもつてゐるにしても、決して無視は出来ない。印度、支那、日本に数千年間生え茂った思想の森の中には、絶対至愛の接木するにふさわしい良樹もある。環境と時相の紛乱に災されて、少からず昏迷を続けてゐた霊の世界にも、深く味つて見ると、宇宙連帯責任の意識にまで伸び上がりたいと悶えてゐた美しい努力の跡もあつた。熱帯の印度に、熱帯の支那と日本に、戦争は幾千年か続き、霊魂の砂漠は自由を待つ事久しかった。東洋の聖典を読むと、人間文化が必ずしも自己の贖罪を完成しないといふ事をを強く教えられる。毛虫はひとりでに蝶々になったのではない。天の力がさうさせたのである。天を見失った日、尚天が人間の心に覗き込んでくれて、天の方に引上げんとする神聖の秘儀を示してくれる。それは決して人間の力ではない。それは勿論人間を無視するものではないが、人間を内側から高めてくれる超越的根本実在である。その至高者が宇宙全体に対する責任意識をもってくれる為に、我々の霊魂を内側から温め、我々、有限者に対して過去の悪を贖罪愛を以て修繕し、復活の希望に満してくれる歴史的表現をとる尊い意志の持主である事も信じ得る。東洋思想を通観するに、支那は天から出発したが、その天が贖罪愛をもってくれるものとしては体験されなかった。又印度に於いては、人間に内在ずる霊性を発見したリグウェダより出発したが、解脱の道を探し廻って、救ひの幻影を幽かに見ただけで、贖罪愛の生命に辿りつく事が出来なかった。敗戦の日本は新生の道を辿らねばならない。それは人よりの至高の愛に槌る他はないが、愛に溺れる事は出来ない。天上の愛に接がれんとするならば、古株の腐つた部分は捨てなければならない。そして天上の樹液が朽ちつつある古株に廻る為に適しいだけの粘液がゐる。この粘液は生命の原理そのものでなければならない。十字架の愛はこの生命の原理であり、日本贖罪の原理であるとも考えられる。キリストの意識した宇宙意識は贖罪愛の連帯意識を日本にまで拡張してくれる。

 神が日本にまで拡張してくれる贖罪愛の連帯意識は、その意識内容として新しく抱擁すべき、東洋精神によって培われ日本の精神的遺産が如阿なる遺伝囚子を持つてゐるかを、見極めておく必要がある。神によって浄められる為には悪質遺伝を去り、世界に残しておいてもよい日本の素質だけは更に伸ばして行かねばならない。東洋思想の再吟味はかうした贖罪愛の観点からなされる必要を感じた。

 私は道徳心理学を精神分析の立場より、三十数年間に至って研究して来た。そしてその間に読み散らした書物の多くの中から、ノートして来たもの、又話して来たものをここに綴って私の同志達に読んで貰ほうと思ってこの書を編輯した。

 この書を纏めるに当って私を援助してくれた多くの友人、同志達に感謝する。特に、筆記を担当してくれた神戸章子姉、岩浅農也氏に対してここに感謝の意を表する。

  1947年11月22日
                             賀 川 豊 彦





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       武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の解説

             『東洋思想の再吟味』について


 本書は敗戦の傷がまだ癒えやらぬ昭和二十四年二月十五目の発行で、発行所は東京の一燈書房である。序文の日付は一九四七年十一月となっているので、終戦後二年目に書かれたものである。昭和二十年八月十五目の降参は日本人の傲慢を打砕くとともに、その誇りをも奪ってしまった。マッカーサー治下においては、日本的なものが蔑視され、東洋的なものが侮られる傾向が生じた。この時に賀川が、贖罪愛の見地から東洋思想及び日本思想を再吟味したのが本書である。

 第一章の『易経に学ぶ』は、賀川としては、他において未だ語らなかったことで、読者にとってはフレッシュである。易は占いが目的でなく精神修養が目的であり、逆境に処する道、変化に処する道、貧乏に処する道など示されているという。

 第二章の『孔子の論語を読む』においては、貿川が九才の時から禅寺へ漢学の稽古にやられて、大学、中庸、孟子の素読をやり、反省ということが頭から消えなかったこと、孔子の論語は聖書とともに家庭に一冊備えておくべきことなど述べた後、孔子の略伝を語り、その謙遜を讃え、彼のすぐれているところは、内部生活における反省であったという。賀川は論語にいう『仁』とキリストの『贖罪愛』とを比較し、『天』の思想においてキリストの孔子とは互に接近する、我々はキリストによって天の父の完全を学び、天の神の贖罪愛を意識して孔子の『仁』の足らないところを補い、神による精神生活を完成するように常に反省を怠ってはならぬと勧める。

 第三章「老荘学派の精神」においては、支那の民衆が孔子よりも老子荘子についており、それが道教として宗教的の力を支那民衆の間にもっている、(日本では孔子の教えが基礎となり、これを釈迦がつちかった形になっている)その理由は老荘の思想には、孔子に見当たらぬ精神的、宗教的のものがあるからであるという。老子の思想は無限絶対者への信仰であり、荘子は造物主についての考え方をもっている、老子は無用の用、無欲の欲を説き、政治の根本を無事においており、また敵を愛する精神を説いて、悪に報いるに徳を以てすべきことを教え、この点でキリストに接近している、荘子は融通自在の心持を強調し、キリストが赤ん坊を尊敬したような心持がある、老荘の欠点は本能肯定に走ったことにあり、それが仙人道に移行し、神仏の霊術と化し堕落の道を辿った、それは罪に関する意識が稀薄であったからである、こうした東洋思想の足りないところをキリストの精神によって補って行くべきであると説く。
                                      (以下略)



新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第118回『社会革命と精神革命』)

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「県民オアシス」(今日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第118回


社会革命と精神革命


  昭和23年12月31日 清流社 190頁


本書『社会革命と精神革命』は、『書誌大系・賀川豊彦』によれば、昭和21年6月から始まった「新日本建設キリスト運動」での講演記録が多く、第1章の「社会革命と精神革命」は昭和21年9月の『民の声』(新日本)を改稿して収めたもののようです。

ここでは表紙と賀川の「序」、そして武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の本書の「解説」も取り出して置きます。




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社会革命と精神革命




 地震は破壊し、春風は蕾を温める。日本は、その二つを持つ。だが、私はその後者に、信頼をおく。

 日本の没落は一瞬に来たのではない。それは、川端の朽ちた柳が大風に倒れるやうに、倒るべき運命にあったのだ。軍閥は鉄砲虫として、柳の幹を喰ひ荒してゐた。

 私らは倒れた柳の跡に、幾千年経っても絶対に朽ちない、神柏を値ゑなければならない。

 日本は再生するために、倒れたのだ。日本は、倒れたことによって、一人前になるのだ。たよりにならぬ偶像と、地獄から吹く淫蕩を焼きつくすために、日本は火によって浄められねばならなかったのだ。イスラエルは幾度かの試錬にも、猶、霊性の復活を無視したために、永遠にさすらひの民族となってしまった。そして、日本がもし唯物主義といふ新しき偶像と、唯物弁証法といふ神否定の迷路に陥るなら、もう、日本は再び救ひ得ない太平洋の孤児となってしまふであらう。

 人口の多いことを誇ってはならない。浮游動物も、人口だけは多いのだ! 過去の栄華を誇ってはならない。地下の石炭も、繁栄してゐた時代があったのだ。誇るべきは、良心と霊性に於ける、発明と発見の力だ! それ無くして、日本の再建と勇躍は絶対にあり得
ない。

 砂地に芽生える小松よ、日本に、再生の工夫を教へてやれ! 萌芽さへあれば、小松も、いつの日にか大木になるのだ。焼払ふだけで、砂地に緑土は出来ないのだ!

 火山の斜面に延び上る熊笹よ、おまへの生活力の秘密を、日本に種明してやれ! 表面は、いくら刈取られても、地下、幾尺か下に深く茎根が――人の見えぬ霊の世界に――延びてゐる間は、絶対に、再生の可能はあるといふことを!

 桜花に酔うた日本は亡びた! 娘らよ、もう、桜音頭に合せて、踊ることをやめてくれ! おまへは、花は咲いても、果実を結ばぬ、桜花に迷うて、滅亡したのだ! 私は桜の代りに梅を植ゑ、桐の代りに、胡桃を植ゑよう。

 気狂はしきまでに、私は、爆撃の猛火の中で、祈ってきた。この浄火をくぐり抜けて、日本を再建しなければ、天父に申し訳が無い!

 雲雀よ、つぐみよ! おまへ達は、野火に、幾回、巣を焼かれても、次の年には、ちゃんと、また卵をかへすために、新しへ巣を造る工夫を、神から教へられてゐる。その秘密を、日本の若者に教へてくれ!

 鰯も、さんまも、幾千万匹、大謀網に引っかかっても、また次の年には、新しい元気な群として頭を揃へてゐる。その再生力を、日本に教へてやれ! 鰯よ! さんまよ!

 この国民は、たよりにもならぬ財宝に血迷ひ、敗戦と共に、集団強盗と化し、ガードの下のパンパン・ガールになってしまった。

 秋風にも悲しむことを知らぬ野菊よ、雪と結氷をも恐れぬ山茶花よ! 日本に、秋風にも、泣かず、厳冬にも、屈せぬ精気を、吹き込んでやれ!

 黒潮に踊るまっこう鯨よ、ちよっと待て! おまへは水面下四千尺の海底にもぐり、氷点下九十度に近い北極に、温き床を楽む工夫を日本に教へてやれ!

 絶対者は、豊かに雨を、日本に与へると、日本人は、それを洪水と云ひ、地殻の下に、利用さるべき火熱のあることを示し給へば、日本人は、それを噴火と、呼ぶ! 創造主よ、この小さな浮游動物をも、見捨て給はず、いつの日にか、これに、ぼうふらの秘密を教
へ、彼らに、空中に飛び上り得る翼を授け給ヘ!

 再生は、日本を待ってゐる。今は日本の繭造りの日だ! さらば、全能者よ、永き睡りの後、日本をも、呼びさますことを忘れ給ふな!

 あけの明星は東雲の上より、日本の眼醒めを待ってゐる! さらば、日本の若き魂よ、大能者の呼びさまし給ふままに、もう、眼をさましてもよいであらう。

一九四七・一〇・一五 
武蔵野の一隅にて
            賀 川 豊 彦






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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』より

『社会革命と精神革命』


 『社会革命と精神革命』は昭和二十三年十二月三十一目、東京の清流社から出版された。この書店も出版業ブームの波に乗ってできた出版社であると推定され、原本はいわゆる仙花紙本であり、装訂もすこぶる粗末である。

 しかしその内容は昭和二十一年七月から始めた新日本建設キリスト運動の講演集であり、賀川の愛国心のほとばしりである。昭和二十三年はアメリカボ占領後三年目であり、敗戦の窮迫状態が底を突き、インフレと物資不足、食糧難、共産党の台頭、ゼネストの不安等が日本国民を脅かし、人々が将来への希望を失っていた時である。この時に当たり、日本社会の変革は、日本の心の内からなされなければならぬ、暴力による革命ではなく、精神革命により日本の再建をなさねばならぬことを説いたのが本書である。

 愛国者賀川は、日本人がキリストの贖いにより罪から救われ、道徳的にすぐれた民族となり、これにより経済的にも豊かな国民となることを戦前、戦中、戦後を通じ一貫して祈りつつあった。賀川のこの祈りは軍国主義者から誤解されたため、彼はしばしば迫害を受けた。軍国主義の敗退とともに、賀川の祈りはいっそう声高く唱えられた。本書は正にその祈りである。

 第一章は敗戦と食糧不足と堕治の貧困には革命がつきものであることを述べ、フランス、ロシヤ、ドイツ、オーストリヤ、イタリヤ、ルーマニヤ、ブルガリヤ等に起こった革命の例を引き、昭和二十二年二月一口に目本の労働者八百二十万人が起こそうとしたゼネストに言及し、革命の結果起こる社会的混乱と飢餓とを述べ、革命が無効力であり、唯物共産主義者によっては日本は救われないことを主張し、ウェスレーによるイギリスの精神革命が如何にイギリスを救ったかを述べ、協同組合による社会組織に希望をつなぎ、日本の新憲法の三つの特色-主権在民、永久平和、生活権の保障に言及し、日本は精神革命によって社会の変革をすべしと唱えている。

 この章の終りには当時の物理学の発達と新物理学による宇宙論及び物質観が唯物論を超克して、物質の先験的確率性、選択性、合目的性を示していることを説き、神は愛であることを附言し、更に日本の各地にあって窮乏のうちから多くの人々を救った人物の事蹟を述べている。

 第二章は再建日本の精神的基礎を発明発見と信仰とに見出だし、戦敗国興隆の跡を尋ね、アシジのフランシスを語り、ローマの衰亡を論じ、生物社会に道徳が存在することを説きラスキンの『ヴェニスの石』を引用して、時代精神が如何に建築に現われるかを述べた後、文化は生産の形式によって決定されるものではなく、時代精神が文化を作っていることを主張し、オーストリヤ、デンマーク、スエーデソ、フィンラソドの再建と復興を論じ、精密工業で国を興しているスイスを範とせよと提唱し、日本における多くの人々がキリスト愛の実践によって国を興そうとするならば『太陽いまだ地に落ちず』であると結ぶのである。

 第三章においては社会革命と新道徳とを論ずる。第一次大戦後のロシヤ革命の直後には性道徳の楽乱が起こったが、今日では再び子が父と呼び母とよぶ道徳に帰った。生物界にも母性愛が存在する。天地には悪を救おうとする意識がある。これがキリストとなって現われた。本能による生活は無意識的、道徳的生活は半意識的、悪人をも救い、罪ある者を救わんとするのは全意識的である、我々は全意識にめざめ十字架意識をもち、道徳的基礎を確立せねばならないという。

 第四章乃至第七章は宗教講演である。自然の秩序、目的性、生命の神秘を通して神を見る、宇宙は神の衣裳である等の論述があり、昭和二十二年当時における自然科学の新知識を加えつつ語る。『歴史を通して神を見る』においては歴史を神の恩寵史と見て、世界歴史とイスラエルの歴史とを概説し、キリストの出現について語り、日本人が敗戦の苦杯を通して新生に至るべきを説く。

 第八章は『日本再建と社会事業の重要性』について語る。災害救済事業、救貧事業、協同組合の使命等につき年来の所見を開陳し、経済民主主義の実践を提唱している。

 経済民主主義とは、生産消費、信用、販売、購買、利用、救済等すべてを協同組合でやることであり、たとえば生命保険を協同組合の信用組合で経営し、その保険金で諸工場をやり、その諸工場も協同組合でやるというようなことである。ここでもマルクス主義を批判し、マルクスの資本論は『資本主義の病理学』としては実に正しいが、社会治療学としては誤っていると述べている。

 第九章は『女性解放の根本精神』について語る。新憲法により法的に解放された女性は母として『尊厳の地位』を保ち、夫に対しては争うことをやめて夫の欠点を辛棒して導く態度をとるべきである、悪質遺伝もないのに産児制限はしないほうがよい、台所から解放される工夫をなし、健全な美を創り出し、内側の霊性美、すなわち善をきずき上げ、聖なる気持をもつようにすべきであると説く。

 第十章は『民主革命における労働組合の使命』を語る。敗戦以来、日本の労働組合はちょっと変調を来したようであるが、一時的な病的な現象であるから間もなく粛正されると信ずると述べ、民主主義時代における労働の尊厳、奉仕性、労働組合の互助性、労働組合による世界平和への貢献、労働意欲の精神性の五点について述べている。

 この章の最後の句は印象的である。『私も半生を顧みて労働運動のために戦って来たことを自ら誇っている。四回も牢屋に投ぜられ、四回も罰金刑に処せられたことも私は今も誇りに思っている……私はどうしても理想の世界は労働者が労働の尊厳を自覚し、奉仕性を知り、互助性を活用して世界平和建設のため労働意欲を燃えあがらせるのでなければ実現できないと思ったので、戦いつづけて苦心してきた。そして今やその時が来た……労働組合の人々も唯物的な理論に走り、無神論的観念に捉わるることをやめて、理想の追求に努力を集中したいものである……黎明を呼び醒ます者こそ真に崇敬すべき人類の解放者である。」





新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第117回『自然美と土の宗教』)

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「相楽園のツツジ」(本日のブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩   

―作品の序文など―

      第117回


自然美と土の宗教


  昭和23年8月26日 新光社 114頁


本書『自然美と土の宗教』は、戦中を含む戦前に書かれた随筆集です。編集に当たった人のことは記されていませんが、賀川自ら編集してなったものかもしれません。

ここでは表紙と賀川の1948年7月13日付けの「序」と、これは賀川全集に収められているので、武藤富男氏の「解説」も収めて置きます。



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『自然美と土の宗教』




 どんなに自然が怒っても、私が自然の子である事は間違ひない。地震も揺れよう、颱風も日本を苦しめるであらう。しかし、私はそのすべてを通して、神の摂理を悟る。自然に偽りはない。自然の怒りはすぐ解ける。我々が罪を犯さなければ、自然を通して神の暖い手は我々の心の傷を癒して余がある。

 私は幼い頃、農家に育ち、貧民窟の仕事をしてゐる間も、貧しい子供たちを自然に帰してやりたいといふ事ばかりを考へて来た。土と自由に憧れて、農民運動を始めたけれども、日本の農民運動が唯物主義と無神論に傾く悲しさをしみじみ味っだ。この書は土の本然に帰る私の宗教的情熱を綴ったものである。貧しきものに奉仕する者ほど、自然の恩恵を受ける。

 アシジのフランシスは小島と狼の友だちであった。都會の雑音が我々を苦しめるほど、私たちは自然を通して、神の懐に復帰したい。「土を耕して、自然の美しさを知らだい農民がゐる」と、クロポトキンがこぼしてゐるが、日本の農民が物欲の迷ひより覚めて、自然と神と隣人への愛に早く復帰してくれる事を私は祈るものである。叉都會の人々も自然と良心に復帰しなければ、神を発見する事は困難である。かうした心持でこの小さい書を日本再建の同志に贈る。
                                    
一九四八年七月十三日

賀  川  豊  彦





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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の解説より

『自然美と土の宗教』について


 『自然美と土の宗教』は昭和二十三年八月二十六日東京の新光社から発行された。これは賀川の随筆集であり、自然への讃歌であり、土の宗教詩であり、自然美論である。ここには自然と産業との調和が論ぜられ、自然美と農村との関連が取りあげられ、土の心、草木の心が探究され、茶道の奥義が語られ、土質が食物の味覚に及ぼす影響が論ぜられ、小鳥のさえずりが聞かれ、美の祭壇に、肉体を油壷とし霊魂を油として、天よりの火を点ずることがすすめられる。

 第十四章と第十五章は、昭和十五年十月巣鴨の刑務所を出て瀬戸内海豊島に潜んで自然を相手として農耕に従っていた時の記録で、自叙伝の一齣をなす貴重な文献である。豊島における生活がくわしく語られ瀬戸内海の風物が美しくえがかれており、失意のうちにある賀川の姿が読む者をほほえましめるものかある。それは賀川がこの隠棲を享楽していたことを示す。




新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第116回『人生ノート』)

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「初体験・須磨アルプス」(同時進行のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第116回


人生ノート

  昭和23年6月20日 神田出版 162頁


本書『人生ノート』は、大正時代を含む戦前の作品を集めて神田出版より刊行されています。ところが、なぜか神田出版では60円の定価だったものが、4ヶ月後(堂年10月)に梧桐書院より頁は162頁のまま装幀を代えて140円に改めた同じ内容のものが出版されています。

手元にあるものは、梧桐書院の昭和27年7月のものですが、内容は同じものです。本書を編纂した人は、恐らく鑓田研一氏ではないかと推測していますが、本書には賀川の「序」は入っていません。

ここでは、本書の表紙と第1章の書き出しの箇所のみ取り出して置きます。内容的にはもちろん、14章構成どれも、読ませる内容になっています。




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『人生ノート』

人生の目的

         何のため生れて来たか


 人間が生きてゐるのは何のためでせうか。

 花火のやうに筒口から吐き出されて、ぽっと花を咲かせたかと思ふと、わづか五十年そこそこで音もなく消えてしまふのでは、折角この世に生れて来た甲斐がないのではありませんか。或人はあまりにも生活が苦しいので自暴自棄となり、人生の目的がわからないといって、虚無的となり、人生盲目論を唱へます。また或人は境遇の圧迫におぢけて宿命論に傾き、人生機械綸を唱へて、人生に何の望みもないといひます。人生け果してこれ等の運命論者や虚無主義者のいふやうな盲目的な、機械的な、望みのないものでせうか。私はそうは思ひません。人生には目的かあり、もちろん十分、望みがあるのです。

 人生盲目論は極端になると、所謂ダダイズムの傾向を帯びて来て、道徳を拒否し、人生を根本的に否定し、また善悪を顛倒してありとあらゆる罪悪をよしとさへ見るやうになり、さらに、無政府主義を唱えるなど、さまざまの気違ひじみた思想傾向に進むものなのです。

 また宿命論者は古い時代の暖かい農村の生活、太陽の光線、空気、小鳥、森のささやき、さうしたものが失れて、密閉された地下室や工場の中で長時間の労働時間を強ひられ、その鬱憤を晴らしたいといつた気持から、暴力的革命主義にまで進んで行く傾向かあるのです。そして彼等は人生を一つの運命の廻転にすぎないと見、或は目的の全くわからないのだと考へて、だから人生は盲目滅法に生きてゐればいいんだ、努力なんかする要はないと断定するのです。果して人生はそんなものでせうか。
      




プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
青春時代より賀川豊彦の魅力に惹かれ、その思想と行動に関心を抱きつつ、現在まで歩んできました。このブログのほかに同時進行の賀川関連のブログも生まれ、全体を検索できる目次だけの「okeisanのブログ」 http://ameblo.jp/taiwa123/ も作ってみました。ご隠居のひとり遊びデス。

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