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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』(表紙・裏表紙・はしがき)

このブログでは、ここまで『賀川豊彦と現代』と『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』を少しずつアップしてきました。既にこれらは絶版ということもありますが、主として「賀川豊彦と部落問題」に関するひとつの見方を提起してきたことから、このことについて新しく関心を示される若い人達も出てきていることから、この機会に新たな短いコメントなどを付して公開してきました。


ここからは、私にとって賀川豊彦に関する著書の3冊目・3部作の関西ともなった『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』も、同じような仕方で公開しておくことにいたします。当然のことですが、学問的にも実践的にも、相互研鑽と相互批判の対話的深化発展を期待してのものです。若い人々の斬新な視座からの、旧来のものの見方にとらわれない省察と思索を期待しての作業です。


今回は最初ですので、まず「表紙」(ご長男を背負っている賀川とハル夫人と手を握って微笑んでいるご夫妻の写真を収めました。この写真は大変小さなもので、武内勝資料の中に残されていたアルバムの中にも見出しました。)と「裏表紙」(ここには説明書きを入れているように、面白い賀川の自筆スケッチです。)、そして「はしがき」の最初の部分をアップいたします。



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今回も数カ所消えているところがあるようです。あしからず。
本書は版元の創言社には、まだ少し在庫があるかもしれません。書店に注文されると、入手可能かもしれません。


次回は、この頁より掲載します。

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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』ー創立期の水平運動と戦前の公営住宅建設」注記・あとがき・奥付

本書は、今回で完結となります。第6章以下は、既に別のブログ「滝沢克己 対話的世界」並びに「対話の時代 宗教・人権・部落問題」においてアップし終えています。


今回は本稿で言及している「戦後の公営住宅建設」に関連して、先年「武内勝関係資料」の閲読を許された際に発見した「神戸市生田川共同住宅だい1・2・3号館絵葉書」の中の2枚を取り出して置きます。


「武内勝関係資料」に関しては別に、「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシャルサイト」の「賀川豊彦のお宝発見」のところに94回にわたって連載され、現在もこのHPは閲覧可能ですので、お目透しいただければ嬉しいですね。



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では、今回の本文、「注記」「初稿掲載一覧」「あとがき」「奥付」を掲載します。




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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』ー創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」第2節「『まちづくり』の夢」

今回の「公営住宅の建設」については、多くのコメントを加えて置きたいところですが、ここには昭和7年5月19日付の「神戸又新新聞」に掲載されている大きな記事を収めるだけにします。この建設計画は、戦争の影響などあって、予定通りには完成しませんでしたが、改善事業としては画期的なできごとでした。



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以下、本文です。



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  (次回で、本書の掲載は終わりになります。)



『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』ー創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」第2節「『まちづくりの夢』

今回から第2節『「まちづくり」の夢』に進みますが、第1項の「賀川の『葺合新川』での試み」のはじめに、布川弘先生の労作『神戸における都市「下層社会」の形成と構造』(1993年、兵庫部落問題研究所)の研究成果を取り込んで書いています。


神戸の都市形成と部落問題に関連する先行研究は多くありますが、布川先生のこの労作は最も有益で、本格的な著作として評価の高い作品です。ここに、本書のはじめと目次をアップして置きます。



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なお、布川弘先生のその後の労作のひとつに『近代の社会的差別』という作品があります。


この論文は、私が兵庫部落問題研究所に在任中、雑誌『月刊部落問題』の1995年1月号(第218号)より、途中で雑誌名を『月刊人権問題』に改めて、それが終刊となる直前(2005年2月号(第338号)まで、およそ10年間に及ぶ、長期連載をしていただいたものです。


これには、「新川」の形成、「細民部落改善」と部落問題、賀川豊彦と「新川」、友愛会の歴史的意義と社会事業、などの主題をめぐる専門的な研究です。


惜しいことにこれらはまだ、著書として公刊されていないのではないかと思われます。是非、これは完成させていただいて、万一先生のお許しが得られるものならば、月刊誌に連載させて頂いたものだけでも、神戸の賀川ミュージアムの研究資料の中にアップしていただいて、先生の貴重な研究成果が活かされていけば、と願っております。


ご存知のように布川先生は現在、広島大学の教授として大活躍の御方です。
かつて先生のご講義も何度かお聴きしましたが、先生の教授法には、個人的にも大いに啓発されたものです。久しくお会いしていませんが、賀川研究の分野においても、さらなる進展を期待しております。





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では、今回の箇所を掲載いたします。



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(この節は、次回に続く)

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり」ー創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」第1節「『協同・友愛』ー水平社運動の創立期」

今回の「水平社運動の創立期」のところで登場する杉山元治郎のことについては、他でもたびたび取り上げていますが、今回は、全国水平社が創立された1922(大正11)年3月3日より1月余り遅れて、4月9日に、神戸基督教青年会館で創立大会を開催した時に挨拶する杉山元治郎の写真を収めて置きます。


これは『土地と自由のために 杉山元治郎伝』(昭和40年10月、非売品)に収められているもので、創立大会の詳しい記述が、杉山の手で書き残されています。賀川豊彦は創立大会の座長をつとめ、有名な「宣言」も賀川の手になるものでした。



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では、今回の箇所(「水平社創立の後」)を掲載します。



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次回は、この頁より掲載します。




『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦と『協同・友愛』『まちづくり」ー創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」第1節「『協同・友愛』ー水平sゃうんどの創立期」

はじめに、昨日東京の賀川豊彦記念・松沢資料館から、10月8日に開催される講演会のチラシをいただきましたので、それをアップして置きます。



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今回の「第1節 『協同・友愛』ー水平社運動の創立期」の第2項「水平社創立への準備」の箇所では、当時の朝日新聞京都付録(大正11年2月13日付)で、「総裁は賀川豊彦氏の呼声が高い」という報道をしていたことを書いています。

このことは、1988年に出版した『賀川豊彦と現代』ではじめて紹介しましたが、後にこの記事をマイクロフィルムから取り出したものをいただき、これまでも各所で紹介してきました。

賀川は水平社の創立大会にも参加していませんし、総裁などというポストもありませんでしたから、この記事の予想は外れているのですが、こうした呼び込は、全国水平社の創立への機運の盛り上がりには、一定の役割を果たしていたことは事実だと思われます。



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では、今回のところを掲載いたします。



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次回は、この頁から掲載します。



『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』ー創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」第1節「「協同・友愛」ー水平運動の創立期」

これまでに別のブログでも取り上げている鈴木良氏の大著『水平社創立の研究』(2005年、部落問題研究所)にも、今回ここで取り上げている鈴木先生の研究論文が収録されています。

賀川豊彦が直接指導して創立されていった大阪の「購買組合共益社」も神戸の購買組合も創立期は特に悪戦苦闘している中、全国水平社の創立の中核を担った奈良の青年たちの「燕会」の「協同組合」は順調な展開を示していたことが、鈴木先生の実証研究で明らかになっています。

このことについて、賀川研究の分野からの注目されたことは、まだ聞きませんが、水平社の創立と「燕会」の顛末に関しても、いくらか言及しましたが、そのあたりのことも、改めて興味を掻き立てられます。

ここでは、鈴木先生のこの大著の表紙と、おそらく判読は困難とは思いますが、「燕会」の「消費組合活動」に言及された50頁から56頁までをスキャンして、本文に進みます。



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次回は、この頁から掲載します。

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第5章「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』―創立期の水平社運動と戦後の公営住宅建設」(はじめに)

今回から第5章に進みます。この論文の初出は、これも20年近く前のもので、京都の部落問題研究所発行の研究紀要『部落問題研究』第120号(1992年11月)に掲載されました。今回から数回にわけて収めます。


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今回アップする「はじめに」において、神戸における当時の地域の取り組み触れています。すでに、同時進行の他のブログでも、いくらか立ち入って紹介していますが、神戸における部落問題解決の過程は、京都や大阪などの近畿圏の動向とは違って、一歩先を歩んできた経緯があります。


もちろん神戸においては、かつての「同和対策事業」と言われてきた特別対策は終了して久しいのですが、地域におけるまちづくりの取り組みはエンドレスですから、「部落」とか「同和」といった古い垣根をこえた新しいまちづくり運動が、日々途切れることなく継続しています。


因みに、現在も関わりを続けている神戸人権交流協議会の最新の機関誌『安心・しあわせネットワーク』第81号(2011年9月号)の表紙と、来月(10月)29日(土)、兵庫県立のじぎく会館で開催予定の「第2回地域人権シンポジウム」の案内チラシの一部を、ここにアップして置きます。



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では、第4章の「はじめに」の箇所を掲載します。



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次回は、この頁より掲載します。


『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第4章「『賀川豊彦と現代』その後ー賀川豊彦学会例会」第4節「賀川豊彦の社会的評価」「おわりに」

今回で第4章「『賀川豊彦と現代』その後ー賀川学会例会」のところは終わりになります。

この箇所で特に新たにコメントを加えることもありませんので、掲載箇所とは関係のない1枚の写真を、ひとつの記録として収めて置きます。



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この写真は、神戸文学館において「賀川豊彦と文学」という特別展示があった初日(?)ー2009年12月17日―、米国に在住の籾井梅子先生と共に撮っていただいたものです。

「賀川豊彦献身100年記念」の大きなイベントのために帰国しておられ、この日には三ノ宮で、籾井梅子先生を囲んだ懇親会が開かれていました。

その時の写真も頂いていましたので、ここに入れさせていただきます。

籾井先生は、関西学院神学部の学生の頃(ですから「賀川梅子さん」の頃デスね)、私たちの町(長田区番町)のイエス団「天隣館」へ学生たちを引き連れて、日曜学校など続けておられ、その関係者たちを中心にお集まりになりました。



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では、今回の箇所を以下にアップいたします。どうもうまくスキャンできていませんが、あしからず。


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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第4章「『賀川豊彦と現代』その後ー賀川豊彦学会例会」第3節「『賀川豊彦全集』問題」

今回の箇所では、武藤富男氏の著作『賀川豊彦全集ダイジェスト』の英訳版の企画のことに触れています。


本書は、昭和41年にキリスト新聞社より出版された力作です。全24巻に添えられた詳しい「解説」のすべてと、50枚を越える説明付きの写真、そして「賀川豊彦年年表」が揃えられています。


金子益雄牧師の熱心な企画でもあった英訳版の準備は、その後どこまで進捗したのかは承知していませんが、当時、版元のキリスト新聞社がこれを出版できる状況ではなく、金子牧師は、そのことを大変苦慮しておられました。金子牧師のこの企画は、まだ生きていることでしょう。


ここに、本書の入ったケースの表と帯裏の河上丈太郎氏のことばを収めて置きます。



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それでは以下に、今回の「第3節 『賀川豊彦全集』問題」のところを掲載します。




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(次回は、この頁より掲載します。)



『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第4章「『賀川豊彦と現代』その後ー賀川豊彦学会例会報告」第2節「部落問題理解の問題」

今回は標記の通り「第2節 部落問題理解の問題」の箇所に進みます。

どの問題についても、ことはそう簡単ではありません。

ここで触れている「部落問題理解」といっても、その歴史的研究や問題解決の解放運動史研究や同和行政史・同和教育史研究、また欠かす事の出来ない実態調査を踏まえた実証的な現状研究等々、学際的な共同研究が不可欠です。

しかもそれは一律に云々できることではなく、地方地方の個別の把握が地道に積み重ねられて、現在の到達点が存在いたします。ですから、私の場合も、極めて限られた「神戸からの発信」という者に過ぎないものです。そのようなものとして、批判的にお読み頂ければよいわけです。

    
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ところで、今回の本文を掲載する前に、賀川豊彦の名作の1冊、『つまさきの落書きー宗教童話』(昭和9年、日曜世界社)が、昨年(2010年)3月、徳島県文化振興財団・徳島県立文学書道館の瀬戸内寂聴を発行者として、立派な文庫版『童話 爪先の落書』が上梓されていますので、それをアップして置きます。


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本書は、戦後早々にも二度ほど出版元を変えて出ていますが、今回は「ことのは文庫」のひとつとして刊行され、序文を鳴門市賀川豊彦記念館館長・田辺健二氏が、解説をNPO法人賀川豊彦記念・鳴門友愛会理事の岡田建一氏が執筆しておられます。

別のブログ(「番町出合いの家TORIGAI)」)で、阿波踊りの体験レポートを書きましたが、「ことのは文庫」の1冊に、『モラエスの日本随想記 徳島の阿波踊り』(岡村多希子訳)も刊行されています。



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さて、以下が、今回の箇所です。今回もスキャンがうまくいきませんが、あしからず。



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次回は、この頁より掲載します。





『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第4章「『賀川豊彦と現代』その後ー賀川豊彦学会例会報告」「はじめに」第1節「賀川豊彦学会」

今回から掲載する「第4章」は、1991年3月23日、東京での賀川学会例会報告ですから、20年も前の講演草稿です。

いま、別のブログ「対話の時代 宗教・人権・部落問題」の方では、もっともっと昔、1960年代半ばまでの「助走・探求の日々」の記録を、自分自身の資料整理も兼ねて、少しずつ掲載しています。

こういう作業を進めながら、改めて思うことは、これまでの試行錯誤の全てが、私のいまに繋がっていて、省察の不十分なところに気付かされながら、そのときどきに新しい一歩を踏み出して、そしてまた大事な節目を刻みながら、それらがまた明日を生きる大切な糧になっている、という不思議なダイナミズムのあることを、知らされます。不徹底と曖昧を含みながらも、何か生きている手応えを感じながら、歩んできた昔のドキュメントに接しています。

20年も前のものですから、ここで触れている先達――磯村英一先生や金子益雄先生など――は、すでにその生涯を終えておられます。しかし、ひとは常に関係的に生かされていますから、共に歩んだときばかりでなく、今もこれらの先達を想起しつつ、学びなおす機会にもなっています。


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では、第4章の「はじめに」と「第1節 賀川豊彦学会」のところを、掲載します。



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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第4節「キリスト教界の「賀川問題」その後

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』の連載を続けていますが、今回で第3章「賀川豊彦と部落問題」のところは終わります。この著作は、既に10年ほど前(2002年)のもので、第3章に収めたものは、1989年のものですから、20数年も前になります。


ところで、昨日午後は、神戸の賀川記念館において、神戸イエス団理念委員会による公開研修会が行われ、出席しました。


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このチラシのように、今回の講師は、現在日本キリスト教団部落解放センター運営委員会委員長をしておられる東谷誠さんで、「部落の歴史と課題」という題で、1時間余りのお話がありました。


ご自身の生まれ育ったまちのことからお話になりましたが、このまちは、古い歴史を刻んだ「一村一部落(3000世帯、1000人)」という珍しい「被差別部落」で、当時もまだ劣悪な厳しい生活環境が残されていて、その中で体験されたいろいろな出来事について、淡々とお話になり、当地においても1960年代から総力を上げて取り組まれてきた解放運動や同和対策事業のこと、そして法的措置が終了して久しいいまも、そのまちでは「差別ハガキ」や「結婚差別」などが残されていることなどをお話になりました。


主題が「部落の歴史と課題」というものでしたので、少し「被差別部落の起源」といったことにも言及され、かつて1970年代、いや80年代くらいまでも、広く流布していた所謂「政治起源説」といわれる定式化した理解から、今日の歴史研究は大きく前進して、それぞれの独自な地域形成の地域研究を踏まえて、個別に学び直していく必要のありことなどにも、少し触れられました。


神戸では、語られたような「差別ハガキ」とか「結婚差別」の事例が、近年ほとんど耳にしませんが、実際に、当地にあって、それらの出来事が、どのような仕方で解決されていっているのか、かつての「一村一部落」といわれたこのまちが、戦前戦後、そして同和対策事業の取り組みの中で、どのように変化していまにいたっているのか、そして現在の具体的な課題は何なのか、といったことを、是非一度実際にまず、東谷さんの暮らしておられるそのまちを、お訪ねして見たいという、思いを強くいたしました。
そしてもし、ご希望ならば、私の神戸のまちにも来ていただいて、ここに至る私たちの取り組みと現状なども、直接知っていただければ、お互いに有益ではないかと、思いました。



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では次に、今回の本文を掲載します。2頁目が一部消えていますが、あしからず。



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次回から、新しい章に進みます。








『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第4節「水平社の精神と賀川の思想」

「賀川豊彦」に関して初めて私が書き下ろした『賀川豊彦と現代』が生まれでるには、数多くの先行研究があってのことですが、特に部落問題研究の上で、とりわけ全国水平社の研究の分野で、今回の箇所でも引用している鈴木良先生のご研究がなければ、到底私の作品は書けなかったように思います。


すでに他の箇所でも触れていますように、『賀川豊彦と現代』が出版された時には、わざわざ新聞紙上で取り上げていただいたり、雑誌に詳しい書評を加えて頂いたり、さらには初版の誤記など指摘いただいて再販に訂正をすることが出来たりと、歴史研究者の目から、一介の牧師のこの小著を過分に扱って下さりました。そしてその後も折々に、鈴木先生は心にかけて下さり、いろいろと励ましていただきました。


鈴木先生は『歴史の楽しさ』などの著作でも広く知られていますが、講義に於いてもご講演においても、大変わかりやすいお話の名調子は格別のものがあります。ここには、鈴木先生のライフワークでのある「水平社の人々」の実証的な研究を纏められた大著『水平社創立の研究』(2005年、部落問題研究所)の表紙をご覧にいれます。定価8000円の上製本です。


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早速以下に、今回の「第4節 水平社の精神と賀川の思想」のところを掲載します。



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次回は、この頁から掲載します。

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第3節「水平社の創立と賀川」(後半)

今回掲載する「第3節 水平社の創立と賀川」のところで、賀川と歩みを共にした杉山元治郎の証言を取り上げています。


杉山元治郎は、昭和39年10月に78歳の生涯を終えていますが、没後1年して(昭和40年十月)『土地と自由のためにー杉山元治郎伝』が刊行会(代表・河上丈太郎)によって非売品として出版されています。


その中に数々の貴重な論文・資料と写真類が収められていますが、ここに写真を1枚(日本農民組合創立大会のあと、神戸東遊園地で写したもの)と、今回の掲載箇所で引用している全国水平社創立の中心をになった青年たちー西光万吉・阪本清一郎・米田富ーが賀川の自宅で水平社創立の相談をしていた」という箇所を掲載して置きます。



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では、以下に「水平社の創立と賀川」の後半を収めます。



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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第3節「水平社の創立と賀川」(前半)

今回は、「第3節 水平社の創立と賀川」の前半を掲載しますが、ここに触れている「有限責任購買組合共益社」のことは、この時まだ私は詳しいことは知りませんでした。


そして実際にこれまでの先行研究は、この共益社について極端に不足していたように思われます。
ところが、昨年(2010年)から今年にかけて「吉田源治郎の世界」を「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシャルサイト」で150回にわたって連載する中で、「共益社」の中心にいて働いた「間所兼次」関係の資料が数多く発見され、そのいくらかのことをこのHPで公開することができました。


ここでは、関係者の間ではよく知られている写真を1枚収めて置きます。
共益社本部の前で写されたもので、前列右から8人目が賀川豊彦でその右隣のひとが「間所兼次」です。



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では、今回の「第3節 水平社の創立と賀川」の前半を掲載します。




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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第2節「賀川豊彦再発見」

前回は、同志社の新島会館において開催された「賀川豊彦生誕百年記念京都集会」のことに触れましたが、当日の会場に、京都市右京区の岡田安弘氏がおみえになり、賀川豊彦と親交の深かったお父様(岡田正方氏)が、マヤス先生らと撮られた写真を持参しておられました。ご親切にもその後、その写真を複製して、お手紙と共にお送りくださいました。大正初年ごろの神戸の「金星台」のところではないか、と書かれていました。岡田正方氏は、中央のマヤス先生の向かって左ひとりおいて次の方のようです。記念として、ここに収めさせていただきます。



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そして、今回の第2節のところで、1988年9月24日に、当時鳴門市の市会議員をされていた田渕豊さんや鳴門教育大学の田辺健二先生などの招きで、記念の講演会が開けれて、はじめて鳴門市へ出掛けたことを書いています。


堀江町の公民館が会場でしたが、その会場に賀川先生の立派な墨書がふたつ掲げられていて、写真に残していましたので、ここに掲載して置きます。
また、翌日(25日)は、田渕さんのご案内で、賀川先生のお墓などにも参りました。その時のものも添えて置きます。



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さて、今回の箇所を掲載します。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第3章「賀川豊彦と部落問題」第1節「賀川豊彦生誕百年」

今回ははじめに、先日、日本聖書協会発行の『SOWER』(種まく人)No38(2011・9)が届き、その中に鈴木範久氏(立教大学名誉教授)の「人物と聖書」23として「雲の柱に導かれた賀川豊彦と聖書」という短いエッセーが載っていますので、それを収めて置きます。


小さくて判読は難しいかもしれませんが、鈴木先生ご自身のことと重ねて、大変興味深いものです。



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今回から掲載していく『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』の第3章「賀川豊彦と部落問題」は、雑誌『部落』(部落問題研究所)の1989年3月号に収められたものです。


「賀川生誕百年」の年に出版した拙著『賀川豊彦と現代』に一定の評価をいただいた京都在住の方々が、同志社大学の新島会館において「賀川豊彦生誕百年京都集会」という集いを企画され、同志社の田畑忍先生や嶋田啓一郎先生・深田未来生先生、そしてコープの涌井安太郎氏と私とがそれぞれお話をいたしました。


新聞など見てこられた方々もあって、大変盛り上がりました。このときの録音を残していますが、これも今では、貴重なドキュメントとなっています。特に、嶋田講演など面白いものです。


では、最初の2頁だけを、ここに掲載します。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第2章「賀川豊彦の贈りものー21世紀に受け継ぐ宝庫」第3節「「生き方」の開拓」

『神戸と聖書』に寄稿した本稿「賀川豊彦の贈りものー21世紀に受け継ぐ宝庫」は短いもので、今回の「第3節「生き方」の開拓」でおわりです。


この箇所で賀川豊彦が提唱し、私にとっても重要な「イエスの教えた非宗教的宗教の運動」に関わる立ち入ったコメントが必要ですが、それはまた別のところで行うことにして、ここでは早くから、賀川豊彦の協同組合保険に注目する本間照光教授(青山学院大学)のことに触れていますので、2009年12月22日付けの『エコノミスト』に寄稿された本間論文の最初の頁だけを掲載しておきます。


小さくて判読は難しいですね。本間教授の専門領域を踏まえた独自な賀川豊彦研究は、大変貴重なものと思われますが、あの意欲作『保険の社会学』(勁草書房)をはじめ『団体定期保険と企業社会』など、次々と注目の論考を発表して活躍しておられます。


東京・松沢資料館の学芸員・杉浦先生のブログによれば、今月(9月)21日の東京・JA共済ビルのカンファレンスホールで開催される、国際協同組合年に向けた公開フォーラム「賀川豊彦と協同組合文化」でも、本間教授の講演が予定されているようです。



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それでは、今回の箇所を掲載します。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第2章「賀川豊彦の贈りものー21世紀へ受け継ぐ宝庫」第2節「独自なコスモロジー」

ここでははじめに、今回掲載する箇所で引用している本のうち、2冊の表紙をスキャンして置きます。実際に、手にとってお読みになると有益です。


賀川豊彦の『聖書の話』は、後に現代教養文庫として長く読まれてきましたが、当社は現在亡くなっているようです。全集にも入っていませんので、古書サイトでさがすことがよいと思います。大変、有益な作品です。


また、『ホワイトヘッドの対話』は、みすず書房で出版されています。ホワイトヘッドの作品は著作集など多く出ていますが、この作品は、ホワイトヘッド入門としても有益です。



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では、今回の本文「第2節 独自のコスモロジー」のところを掲載します。



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次回は、この頁から掲載します。

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第2章「賀川豊彦の『贈りもの』ー21世紀へ受け継ぐ宝庫」第1節「賀川豊彦へのおもい」

今回から第2章「賀川豊彦の『贈りもの』ー21世紀へ受け継ぐ宝庫」に進みます。


もともと本稿は『神戸と聖書ー神戸・阪神間の450年の歩み』(2000年5月、神戸新聞総合出版センター)に原稿依頼を頂き、短いものを書き送ったもので、これも10年以上も前の作品です。


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それでは、その第1節「賀川豊彦へのおもい」の箇所を掲載します。



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次回は、この頁から掲載します。





付録


前にも別のブログで紹介したことのある「神戸・大安亭(おおやすてい)市場」ーなでしこジャパンの選手たちがよく買い物をするーの新聞記事が、今朝の「神戸新聞」の朝刊にありますので、おまけに、収めて置きます。

神戸の賀川記念館のすぐ北側にある市場で、記念館の中で暮らしていた若き日、この市場はよく買い物に出かけました。当時も人気の市場で、大変にぎわっていましたが、現在もこうして、商店主らも元気いっぱいのようです。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第1章「天の心・地の心ー賀川豊彦記念墓前集会にて」後半

今回は、前回の後半部分を掲載します。


このなかに、賀川豊彦の最後の著作となった『現代知性全集39:賀川豊彦集』のことに触れています。最近この全集の中からいくつかのものが、立派な復刻版として刊行されています。巻末に収められている14頁分の賀川豊彦の「年譜」も貴重です。


本書を編纂されたのは誰でしょうか? 鑓田研一さんでしょうか、横山春一さんでしょうか、それとも武藤富男さんでしょうか?


表紙カバーとトビラに掲げられた賀川豊彦の写真を収めて置きます。



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それでは、短い後半部分を掲載します。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』第1章「天の心・地の心―賀川豊彦記念墓前礼拝にて」前半

第1章の「天の心・地の心ー賀川豊彦記念墓前礼拝にて」は、副題にあるように、1993年4月24日の墓前集会における短い礼拝説教です。


そしてその3ヶ月後、賀川記念館の「記念館だより」第58号(1993年7月)の『ボランティア』でも、このことを書かせてもらいました。



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説教の題を、賀川豊彦の戦後の著作である『天の心 地の心』(昭和30年、実業之日本社)の書名をそのままいただいて付けました。



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このときの草稿が残っていましたので、本書の第1章に収めることにしたのでした。


それでは早速、この説教の前半部分を掲載します。



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後半は、次回に掲載します。

『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』「目次」

『賀川豊彦と現代』に続いて、前回から第2作『賀川豊彦再発見―宗教と部落問題』を掲載しています。


今回はその「目次」を収めますが、その前にひとつ珍しい本をおみせします。



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これは少々分厚い文庫本サイズで、皮製で頁の上部に金箔をかけてあります。


賀川豊彦編『CHRISTIAN DIARYー昭和4年』版というもので、東京・柳沼書房が昭和3年12月に発行しています。


これまで、武内勝氏所蔵資料や吉田源治郎関係資料を覗いていたときに、『雲の柱』や『火の柱』の広告などでちらっとみかけていたものでした。


大変便利な『人物書誌大系25:賀川豊彦』には出てきませんが、もちろん松沢資料館には所蔵されていると思われます。これはこの年だけではなく、恐らく何年か続いているのではないかと思われますが、まだ確かめていません。


ここにはトビラと本文とをアップしてみます。



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本文には頁ごとに、上部に短い珠玉のことばが置かれています。


賀川の有名な『神と共に歩む一日<日々の瞑想>』という365日分の小エッセイの作品が、この「DIARY」とほぼ同時期によく読まれたようですが、ここで紹介する「DIARY」にも賀川豊彦自身の言葉はもちろん、ラスキンやカント、ホイットマンや柳宗悦、ガンジーやタゴール、フランシスやトルストイ、「弘法大師」や「蓮如上人」といった人々の、味わい深いことばたちが埋め込まれています。

まことに賀川豊彦らしい面白いところだと思いますが、超多忙のこの頃の賀川が、これを自らやったとは思えませんが・・・。

下に、弘法大師と蓮如上人の頁を収めます。小さくて読めませんが。



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さて、本文の「目次」を掲載します。このブログでは、第1章から第5章までを順次アップしてまいります。第6章と7章並びに第9章から第11章までは、すでに別のブログ「対話の時代ー宗教・人権・部落問題」で掲載いたしました。そして第8章は「滝沢克己ー新しい対話的世界」のブログで、追って掲載いたします。



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『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』「はしがき」

「賀川豊彦と魅力」というこのブログをスタートしてずっと、最初から前回まで、賀川豊彦に関する初めての書き下ろし作品である『賀川豊彦と現代』を、14回もの紹介記事も含めて、延々と掲載して来ました。


「賀川生誕百年記念」の年でしたから、もう20数年も前の作品で、現在では手にとって読むことの出来ない事情もあり、また自分自身の資料整理の必要性もあって、まずこの作業を、ゆっくりと楽しみながら進めております。


そこで今回からは、標記の通り、賀川に関する第2の著作となった『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』(2002年、創言社)を、これまでと同じように、少しずつアップしてまいります。この本も既に、10年近くもまえのものですから、絶版となっています。



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この本の表紙に収めた賀川豊彦の墨絵と、裏表紙に入れた阿修羅の像について、短い説明をカバーの折込に記していますので、それもここに収めて置きます。



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さて、今回の第1回目は、本書の「はしがき」です。
早速、ご笑覧いただきましょう。


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付記

ひとつ嬉しいお知らせですが、数日前にもこのブログで紹介しました新しい復刻版ー賀川豊彦の初期作品で注目されてきた『イエスの宗教とその真理』の復刻版ーが、予定通り刊行されました。

それも、版元のミルトス社から、この復刻版を昨日寄贈していただいたのでした。とてもよい復刻版に仕上げられています。なぜ私が、この復刻版の刊行を喜びのかは、本日の別のブログ「番町出合いの家(TIRIGAI)」の方で、少々のことは記しておきましたので、そちらのブログにも是非よりみちして頂ければ有り難いデス。



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拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌(14)

ここまで延々と、拙著『賀川豊彦と現代」を紹介して頂いた新聞と雑誌を、記録資料として掲載してきました。
今回は、三つ収めて、これで打ち止めとします。拙著を手にして読んでいただいた方々から、数多くの個人的な書簡が送り届けられましたが、紹介しておきたいものもありますが、それらは此処では掲載いたしません。


さて、はじめは、1988年7月10日付けの「北海タイムス」の「この人」欄です。



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次の写真は、このたび資料を整理していて、ポロリと出てきたものです。

この出来上がり具合を見ると、どうもこれはプロの方が撮されたものです。だとすれば、これは共同通信社の村井記者からいただいていたものかもしれません。

毎日新聞の津田編集員は、我が家にまでこられて取材され、新聞にはそのときの写真を掲載されましたが、仕事場にもこられて取材を受けました。ですから津田さんから頂いたのかもしれません。とにかく、こんな写真があったことも忘れていました。



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最後に、これは東京にいる兄がコピーをして送ってくれたもので、「山梨日日新聞」(1988年7月11日)の「この人」欄の記事です。



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拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌(13)

拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌を、ひとつの資料として収めていますが、今回は13回目です。ここにもふたつ、一つは、私たちが神戸で生活を始めた当初より現在まで御交誼を頂いている緒方彰氏が、田中芳三氏の主宰される「クリスチャン・ジャーナル」紙に寄稿された書評と、もうひとつは、共同通信社の配信による「長崎新聞」の「時の顔」欄です。


「クリスチャン・ジャーナル」」498号 1988年8月1日




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「長崎新聞」1988年7月10日「時の顔」欄。



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『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌(12)

拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌の第12回目は、日本共産党中央委宗教委員会責任者の日隈威徳氏が、赤旗(日曜版)「文化」欄の「宗教者は語る」において、拙著出版のあと仕事場にこられて対談をしたものが、1988年7月24日付けで掲載されました。


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そしてこれは後に(1992年4月)、日隈威徳編著『いま、宗教者と語るー日隈威徳対話集』(白石書店)の中に収録されました。ここでは、その著書に掲載されたものを収めます。


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拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌(11)

拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌を収めていますが、11回目となる今回は、神戸並びに兵庫県下で共に部落問題の解決のために歩んできた畏友・前田武さんが、本書を機関紙「解放の道」で紹介されたものをアップします。1988年の掲載日は不詳です。


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そして今回ももうひとつ、共同通信社の配信による「中日新聞」1988年7月10日付「この人」欄を掲載しておきます。


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拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌(10)

拙著『賀川豊彦と現代』を紹介して頂いた新聞や雑誌を掲載していますが、今回は第10回目で、ひとつは前回「上」を収めた土山学長の書評「下」と、もうひとつは、信濃毎日新聞の「時の顔」欄に入れられた記事です。

早速、ひとつ目の記事です。今回は「下」です。


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ふたつ目の「信濃毎日新聞」の1988年7月12日付けの記事です。



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このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

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