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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第3節「賀川豊彦の部落問題認識」1「『貧民心理の研究』の部落問題理解」

今回の箇所に関連してたものは、同時進行の他のブログでたびたび触れていますので、ここでは、本書の賀川豊彦の「自序」(プリンストンにて著者 1915年1月6日」をUPして置きます。


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では、以下本文を掲載します。


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(次回は、この頁より掲載します。)

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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」付記2「賀川豊彦と岡本弥・三好伊平次との関係及び高橋貞樹の賀川への批判」

まず、今回の付記2に取り上げている文献のうち3冊を掲載しておきます。


はじめに、高橋貞樹著『部落解放史』(大正13年、更生閣)、そして賀川の著作ふたつ。『人類への宣言』(昭和3年、警醒社書店)、『農村更生叢書 農村社会事業』(昭和8年、日本評論社)です。



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(次回は、この頁より掲載します。)


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」付記1「小説『石の枕を立てて』の賀川の記述について」

今回の付記1で取り上げている賀川の自伝小説『石の枕を立てて』は、昭和14年3月に実業之日本社より出版されました。


ここには、小説の表紙と扉、そして冒頭に収められている賀川の写真を掲載してから、本文に進みます。



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(次回は、この頁から掲載します。)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」5「水国争闘事件とそれ以降のこと」

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今回の箇所で「荊冠の友」のことに言及しています。これは大切な証言集ともなっていますが、昭和42年5月の第11号の冒頭の記事を、ここに掲載して置きます。


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それでは早速、今回の本文を掲載します。



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(次回は、この頁より掲載します。)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」4「全国水平社創立のあと」

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今回もすぐに、本文「4 全国水平社創立のあと」を掲載します。

どうも毎回、スキャンが下手で、上下・左右が欠けてしまいます。文字も拡大してお読み頂けば、少しは読みやすくなるかも知れませんが、判読の可能なところだけでもお目透しいただければ、うれしいのです。



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  (次回、この頁から掲載します。)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」3「全国水平社創立と賀川豊彦」

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今回の「全国水平社の創立と賀川豊彦」については、他のブログでも既にたびたび取り上げて、関連資料も掲載してきましたので、ここでは直ぐに、本文をUPして置きます。



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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」2「燕会の中心メンバーたちと賀川豊彦」

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今回の箇所は、後に「全国水平社」の創立へと立ち上がる奈良県柏原の「燕会」の消費組合の取り組みに言及しています。この中でも中心的な働きをした阪本清一郎や西光万吉などは、次回に取り上げるように、賀川いる神戸新川を訪ねてきた青年たちでした。


次の写真は、当時の青年たちですが、前列の左が阪本清一郎、右が西光万吉です。西光氏とは生前一度もあうことはできませんでしたが、阪本氏とは幾度かお会いする機会がありました。


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早速、本文を掲載します。



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次回は、この頁より掲載します。


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第2節「賀川豊彦と部落解放運動」1「部落改善運動・融和運動」

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数日前より、このブログの「リンク」のところに、同時進行で書き込んでいる他の四つのブログを検索できるようにしました。全体が「番町出合いの家・TORIGAI」のHPのようなものですが、分量がおおくなってきましたので、自分でもすぐに検索して探し出せるように、全体の目次のようなものもつくってみました。


さて、早速今回の箇所を掲載します。うまく収まっていない箇所もありますが、悪しからず。



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次回は、この頁から掲載します。

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第1節「神戸の被差別部落と賀川豊彦」付記2「実態把握の基礎作業の草分け」


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今回の「付記」で短く指摘した「実態把握の基礎作業の草分け」としての賀川豊彦ということに関しては、特に神戸における部落問題の解決のあゆみの中で、際立った貢献のひとつでした。


なかでもそのことに注目し、神戸を拠点として自ら部落問題の実証的研究に打ち込んでこられた「杉之原寿一」という突出した研究者の貢献を目の当たりにして、私も早くからそのことを確認してきました。


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この著作は、2003年4月に兵庫人権問題研究所で出版した杉之原先生の労作です。年表などの入った600頁近い大著です。2005年には、先生とご一緒に研究所を退任させてもらいましたが、私にとって研究所勤務の実質的な最後の仕事でもありました。


先生は、惜しくも2009年7月に、その生涯を終えられました。あれから早くも2年以上がすぎました。
お亡くなりになった後に、「杉之原寿一先生の人と業績への回想」を纏める機会もいただきました。この論考は別のブログ http://d.hatena.ne.jp/keiyousan/ 「対話の時代 宗教・人権・部落問題」の2011年7月19日ほかに掲載していますので、参照頂ければありがたく存じます。



では、今回の短い箇所をUPします。



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(次回は、この頁から掲載します。)


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第1節「神戸の「被差別部落」と賀川豊彦」付記1「住宅を中心とする環境改善の課題」

ブログの冒頭に山田豊先生の切り絵を飾らせて頂いていましたが、暫く休んでいました。研究所時代に大変お世話になった先生を想起しつつ、感謝をこめて再びここで、飾らせていただきます。


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今回は、付記1 住宅を中心とする環境改善の課題 の箇所です。関連の資料や写真は数多くありますが、ここでは、賀川の大正4年の学術書『貧民心理の研究』の扉に収められている、当時の写真をUPします。
劣悪な環境の中で結核に罹患する家族の写真もありますが、私たちのまちでも、結核をはじめとする健康被害の問題は、環境改善事業が本格化するまで、重要な課題となって取り組まれてきました。


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では、今回の箇所を掲載します。


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(次回は、この頁から掲載します。)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」第1節「神戸の「被差別部落」と賀川豊彦」

今回は、第1節「神戸の被差別部落と賀川豊彦」という大切な箇所ですが、ここでは初期の段階から賀川と活動をともにしてきた武内勝の講演記録をUPしておきます。


上のものは、1973年出版のもの、下は2009年に「新版」として神戸新聞総合出版センターで刊行されたものです。


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早速、本文を掲載します。

今回からは、どうも大きな文字で掲載されているようですので、画面にポイントを置いて頂けば、別画面に読みやすい紙面がでるようですので、よろしくお願いします。これまでよりは、確かに読みやすくはなっていますが、どうでしょうか。


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次回は、この頁よりUPします。


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」はじめに

本書の中核となるものは今回から掲載する第2章「部落問題の解決と賀川豊彦」です。分量の上からもそうですが、私にとって「賀川豊彦と部落問題」に関する結論的な総括論文といってよいものです。


注記にも記していますが、これの元になる草稿は、2005年7月の明治学院での公開講座のために書き上げたもので、同年12月に発行された『賀川豊彦学会論叢』第14号に収められました。その後、いくらかの補正を加えて2006年10月発行の部落問題研究所の研究紀要『部落問題研究』第177号に発表したものです。


そして本書に収めるに当たっては、さらに大幅に付録なども加えて、一応の総括的草稿として纏めることができました。分量が多くなりますが、少しずつコメントをくわえながら掲載していきます。ここではまず、二つの掲載紀要を挙げて置きます。


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今回は「はじめに」の箇所です。



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次回は、この頁より掲載します。




『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」おわりに・注記

今回で漸く第1章が終わります。末尾にあげているように、この論攷はいろいろなところで掲載されてきたもので、没後の「受難の賀川」を、私たちの個人的なあゆみと重ねて記録したものでした。「賀川豊彦」にしても、また「部落問題」ということにしても、ほとんど初耳のような方々にも、すこしは理解が届き安かったようで、その意味でも、本書のはじめに置いて見たものです。


ところで今回も、「おわりに」で取り上げている著書のいくつかをUPして置きます。機会がありましたら、直接手にとってご一読頂ければありがたく存じます。


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今回の本文を掲載します。



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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第3節「21世紀に生きる賀川豊彦」3「新しい自己の発見」

第1章の結論部分ともなるこの箇所は、賀川理解にとって最も肝心要となるところです。端的に「いのちの発見」といってもいいのでしょう。ここで取り上げている賀川豊彦の作品のうち、第一書房刊『宗教読本』と大日本雄弁会刊『賀川豊彦氏大講演集』を掲載して置きます。


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以下に、今回の箇所をUPします。



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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第3節「12世紀に生きる賀川豊彦」2「地域の再生ー出合い・友愛・協同」

1980年代の半ば以降、神戸における部落問題の解決の到達段階を踏まえて新たな展開を始めたのがワーカーズコープの取り組みでした。すでに早くから世界的な流れとなっていた運動が、自覚的に労働者協同組合運動として日本で展開して流れに呼応するもので、スペイン・モンドラゴンなどへの派遣などあり、旧来の部落解放といった枠組みを超えた、地域の再生の運動が進んでいきました。


当時、大いに刺激となった書物を三つだけ取り出して置きます。ひとつは、今日では古典的な著書『アリスメンディアリエタの協同組合哲学』、そいえてICA東京大会のS・A・ベークの基調報告『変革期の世界のおける協同組合の価値』、そして三つ目に日本労協連の『21世紀への序曲・労働者協同組合の新たな挑戦』です。



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今回の本文を掲載します。



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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第3節「21世紀に生きる賀川豊彦」1「地球時代の平和と対話」

愈々第1章も終わりに近づきました。この箇所の冒頭に「賀川生誕百年」の時に神戸新聞が大きな見出しの社説を掲げていたことに触れていますので、先ずその社説をUPして置きます。


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そして、この項ばかりでなくたびたび触れている延原時行さんのバイリンガル本『地球時代の良寛』を挙げていますので、その表紙だけですが、収めて置きます。新潟の老舗「考古堂」から出ています。


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さて、以下に本日の本文を掲げます。


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(次回は、この頁から掲載します。)



『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第2節「賀川豊彦生誕百年記念ー80年代~90年代」5「賀川豊彦研究」

賀川豊彦の没後20年を経過して「賀川豊彦研究」が本格化していきました。そこで最も大きな基礎作業となったのが「賀川豊彦記念・松沢資料館」の建設運動でした。ここでは、1981年4月に(財)雲柱社の「建設募金趣意書」の表紙と建設された資料館の発行した「雲の柱復刊1号」とされている『雲の柱』第1号:1983年秋号をUPします。



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これより早く、(財)本所賀川記念館では『賀川豊彦研究』の第1号が発行され、研究的な刺激をかきたてると共に、「賀川豊彦学会」も1985年4月に発足して同年11月には『賀川豊彦学会論叢』の創刊号が産まれていきました。こうした地道な働きを重ねながら1988年の「賀川豊彦生誕百年」の記念の年を迎えていったのです。



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こうした幅広い先行研究なしには、生誕百年に書き下ろした拙著『賀川豊彦と現代』もありませんでした。


ところで昨夜は、各方面からひとつの朗報がメール送信されてまいりました。それは、本日(10月14日)発売の図書で、隅谷三喜男著『賀川豊彦』が「岩波現代文庫」として再刊されるという、嬉しい知らせでした。


本書は、賀川の没後、1966年4月に「人と思想シリーズ」のひとつとして日本基督教団出版局より出て版を重ねた後、暫く絶版となっていましたが、1995年11月に岩波書店「同時代ライブラリー」(245)に収められておりました。


隅谷先生は、私にとっても1960年代草々の学生時代から『ともしびをかかげてー人物日本社会運動史』(1960年)、『近代日本の形成とキリスト教』(1961年)、『現代日本とキリスト教』(1962年)などに導かれながら学問的な刺激を受けてきた先達です。


NHKテレビの教育番組「賀川豊彦って知っていますか」を賀川生誕百年記念として製作される時は『賀川豊彦と現代』を書き下ろした後でもあり、少し協力させて頂いた折りには、隅谷先生は大江健三郎氏と対話を進めるかたちで登場されました。


隅谷先生はまた、『賀川豊彦』を「岩波書店:同時代ライブラリー」に再録される際は、わざわざ巻末の「参考文献」に拙著をコメントを付して加えていただいたり、新たな「あとがき 追記」にも言及いただき「賀川豊彦と部落問題」に触れてくださいました。


先生は惜しくも、2003年2月に86歳のご生涯を終えられました。この度の「岩波現代文庫」版は、まだ手にしていませんが、新しい解説も入って、いっそう手軽に手にすることができるようです。楽しみなことです。


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今回の本文を掲載します。



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(次回は、この頁から掲載します。)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第2節「賀川豊彦生誕百年ー80年代~90年代」4「賀川豊彦生誕百年記念」

キリスト教界に見られた「賀川問題」への粗雑な過熱とは別に、国内外で繰り広げられた「賀川豊彦生誕百年記念事業」は、予想以上の広がりを見せました。山田典吾監督作品の映画『死線を越えて』や『賀川豊彦写真集』なども完成しました。ここには「行事プログラム」やコープ資料、もう一歩のところで実現しなかった映画『エキサイティング』準備稿、そして同志社・新島会主催の「京都の集い」の案内葉書を、ここにUPして置きます。


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では、以下に今回の本文を掲載します。



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 (つづく)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第2節「賀川豊彦生誕百年ー80年代~90年代」3「解決に向けた小さな試み」

1960年代から70年代の部落問題をめぐる激動の時代の中で貧しい思索を続けたノートを纏めた『部落解放の基調ー宗教と部落問題』は、私にとっての初めての論文集でした。絶版になっている本書は、別のブログ「滝沢克己 新しい対話的世界」ですべてUP済みですが、これらの下敷きがなければ、恐らく『賀川豊彦と現代』の書き下ろしは困難だったろうと思われます。


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ともあれ、生来怒ることの少ない・おとなしい(?)私が、どうしても公然と語り始めなければならない時がきて、所属する日本基督教団総会議長・後宮俊夫氏宛に「質問と希望・意見」を認めることになりました。当時の関連する膨大な資料はまだ手元に残されていますが、印刷して後宮議長に提出する前の5枚分の下書きが出てきましたので、ここに最初の頁を、記念(?)にUPしておきます。


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では、「解決に向けた小さな試み」の箇所を掲載します。



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(つづく)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第2節「賀川豊彦生誕百年ー80年代~90年代」2「『全集』第3版刊行問題」

1960年に波乱の生涯を終えた賀川豊彦の著作の中から、没後まもなくして、全24巻に選んで出版した『賀川豊彦全集』は、広く読書界に受け入れられて初版を売り切り、さらに2版をも品切れとなり、第3版を刊行する段階で、版元のキリスト新聞社は、問題として指摘されていた箇所の削除措置を行って出版するという事態を迎えました。


特に全集の第8巻は「差別図書」と断じられ、このことを巡って延々と「話し合い」がほぼ10年にわたって継続されていました。そして、キリスト新聞社としての反省・総括文を収めた『資料集「賀川豊彦全集」と部落差別』を1991年に出版するという直前になって、初稿ゲラを拝見しました。


一部分、削除されて刊行された第3版の第8巻と、『資料集』の初稿ゲラをUPして置きます。
私の目からみますと、『賀川豊彦と現代』『賀川豊彦再発見』その他で詳しく省察してきましたように、これらの資料は、キリスト教界に見られた「部落問題の傷跡の記録」としてキリスト新聞社と当時のキリスト教界の姿を後世に残したという価値はあるものの、どれほどの積極的意味がここから汲み取ることができるのか、疑い無きを得ません。


そしてこの問題は、単にその時だけの事ではなく、現在にまで持ち越しているものでもありますので、本書『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』も、専らこの問題の対話的解決のためのひとつの試論であるわけです。


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では、以下に今回の本文を掲載して置きます。



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   (つづく)

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第2節「賀川豊彦生誕百年ー80年代~90年代」1「『賀川豊彦と現代教会』問題の討議」

今回から第2節「賀川豊彦生誕百年」の記念事業が展開された1980年代から90年代のことに進みます。これまでにも、他の三つのブログなどでも詳しく言及してきましたように、部落問題の解決のあゆみでは、1960年代から80年代のはじめにかけての法的措置のもとで集中的に改善措置に大きな節目をつけたのが1982年でした。


ところが、日本の宗教界は私たちのキリスト教界も含めて、部落解放同盟の糾弾行為に突き動かされて、遅まきながら、特定の部落解放運動に連帯するかたちでの対応が始まっていきました。


日本基督教団の場合、本文に書いているような、教団常議員会の作成する「『賀川豊彦と現代教会』問題に関する討議資料」などが、2度にわたって準備されて議論が薦められていきました。最初は、1986年2月に、そして2度目は賀川生誕百年記念の1988年3月に、「教会・教区での討議のために」として作成されました。


これが余りに杜撰な内容であったために、私のようなものも黙っておることができずに、このブログで改めて開陳してきましたような著書を書き下ろして、「対話的解決」を求めてきたのでした。



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それでは、今回から第2節に進みます。



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  (つづく)


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第1節「賀川豊彦を受け継ぐー60年代~70年代」5「ひとつの実験『番町出合いの家』の創設」

前回までは、私たちの新しい実験を始める前の段階のことに触れてきましたが、いよいよ今回からは標題のことに進みます。


同時進行の別のブログ「対話の時代 宗教・人権・部落問題」において長期連載のかたちとなっている『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』では、ちょうどこの当時のドキュメントの幾つかを公開中です。これらの記録の整理は、全く個人的な作業ですが、若き日のあれこれを想起しなながら、短いコメントを加えたり、写真などを添えたりして、楽しんでいます。


今回収める写真は、多分はじめてUPするものですが、番町出合いの家を創設してまだ1年も経たない頃のものです。


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早速、本文を収めます。



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次回は、この頁から掲載します。

『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第3節「賀川豊彦全集の刊行」第4節「賀川記念館の開館」

今回の箇所では、賀川豊彦全集の刊行と神戸の賀川記念館の開館に触れています。本文に書きましたように、全集の初版本は、問題とされた箇所は削除されることなく、予定通り出版され、幅広い読者を獲得しました。第2版も同様に出されたのですが、後でのべるように第3版で削除措置が行われてしまいます。従って、研究資料的価値は初版の全集本が今日では高くなっています。


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賀川豊彦の没後3年、1963年4月に神戸の賀川記念館は開館しますが、当時もまだ同和対策事業の本格化する前でした。賀川記念館の建つ場所は「吾妻通り」で、同和対策事業の対象地域から外れていましたので、1967(昭和42)年4月に「葺合区吾妻通4・5・6丁目生活環境基本調査」を『現代都市の谷間』として纏めています。



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そして、戦前に建設された共同住宅も、同和対策事業によって全面クリアランスとなり現在を迎えていますが、1969年6月に発行された賀川記念館の機関紙「ボランティア」の「同和問題」特集号で、この当時の共同住宅の写真が載っています。そこでの写真説明には「都市計画対象の新川アパート」と書かれています。



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以下、今回の本文です。



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『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第1節「賀川豊彦を受け継ぐー六〇年代~七〇年代」2「キリスト者部落対策協議会のこと」

賀川豊彦が波乱の生涯を終えた1960年という年は、あの「60年アンポ」で日本中が沸き立った年であり、部落問題の解決の歴史でも、幅広い世論に押されて国も重い腰をあげて「同和対策審議会」を設置した年として記憶されています。


ここに挙げる写真家・藤川清の写真集『部落』や『同和教育』が1960年に、『部落―差別は生きている』はその2年前(1958年)に、日本基督教団の宣教研究所が纏めた『部落問題とキリスト教』は少し遅れて1963年に出版されて、大きく前進をみせる時代です。



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さて、今回は標記のように、「2 キリスト者部落対策協議会のこと」に進みます。



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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦没後四〇余年」第1節「賀川豊彦を受け継いでー六〇年代~七〇年代」1『百三人の賀川伝』など

今回の第1節で触れている関連資料をあげて置きます。


先ず、賀川の最晩年、関係者の間で文集を寄せて賀川への謝意を現わそうという企画が持ち上がり、百三人から原稿が集まり、賀川没後に上下2冊の普及版が完成した作品をUPします。上巻は「ぼくは待っている」、下巻は「無言賦」と副題が付けられて、それぞれに武藤富男氏の序文を入れて、昭和35年8月にキリスト新聞社より刊行されました。また、同時に合本の上製本も作られて版を重ねました。


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次は、賀川の生前に出た横山春一著『隣人愛の闘士 賀川豊彦先生』(昭和27年、新教出版社)と、賀川没後の追悼集『神はわが牧者ー賀川豊彦の生涯と其の事業』をUPします。前者は写真の入ったカバーが欠けていますが、本文にも記しましたように、私にとってこれを高校生時代に読んで、大変啓発された著作です。後者の特に版を重ねて、関係者の間で長く読まれ続けました。


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では、以下に今回の本文を掲載します。



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次回は、この頁より掲載します。



『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』第1章「賀川豊彦 没後の四〇余年」(はじめに)

今回からUPする第1章は、兵庫県人啓発協会の研究紀要に掲載の後、『人権の確立に尽くした兵庫の先覚者たち』にも公開されたものですが、「はじめに」に挙げている最晩年の著作2冊と便利な『人物書誌体系25・賀川豊彦』と林啓介著『賀川豊彦』の表紙をUPして置きます。


第1章を書き上げたのは「賀川没後40余年」ですが、現在は早くも「没後50余年」となりました。歴史から学び、先達から学び、古典から学ぶ、その中のお一人ですね。


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では、今回の箇所を掲載します。



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次回は、この頁から掲載します。


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』(目次)

ただいま「番町出合いの家(TORIGAI)」のブログで、村島帰之の隠れた名品『預言詩人・賀川豊彦』の連載をはじめていますが、丁度今回で賀川の処女詩集『涙の二等分』の箇所が終るところでもあり、今朝その詩集の初版本をUPしました。


そこでも書きましたが、この初版本は、大正8年11月に発行されているのですが、箱も本体も美しいもので、びっくりいたしました。昨日ひょっこり、あるところから、私の手元に届いたのです。


これまで手元にあるのは、再版のもので、何度も触っているうちに、ボロボロになっていました。
やはり、ここでも、皆さんにおめにかけたく存じます。



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今回は、本書の「目次」のみUPいたします。私にとっては、「賀川豊彦と部落問題」に関連する省察は、これで一応の総括編のような位置づけとなります。若い研究者の方々の批評を受けて、またしばらくしてから次に進みたいと考えています。


なお、私のライフワークとなってきた「宗教と部落問題」に関する省察については、別のブログ「対話の時代 宗教・人権・部落問題」「滝沢克己 新しい対話的世界」そして「番町出会いの家」のところで、少しずつ公開していますので、全体を閲読いただければ、嬉しく存じます。この機会に、歩んできた過去を想起しつつ、より確かな一歩を踏み出すことが出来れば、と願っております。



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(次回から第1章に進みます。)



『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』(はじめに)

先ほどまで、神戸市中央区にある神戸栄光教会で「第8回『ラクーア伝道』関係連絡会に出向いていました。初めて参加しましたが、若き日通訳の奉仕を担当された6人の方々のお話をお聴きすることが中心の、愉快な集まりでした。このことについてはまた、改めて記すことにして、その会議に出席された吉田摂氏から、過日神戸の賀川ミュージアムの閲読室で撮っていただいた写真をもらいました。


吉田摂氏が宝塚にあるご自宅から、父・吉田源治郎先生の蔵書の多くを自動車で運び込まれて、その整理に当たっている時のものです。撮影は吉田摂氏ですので、ここには写っていません。



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ところで、今回の「はしがき」にある、賀川が書いた365日の『日々の瞑想:神と歩む一日』を、昭和5年12月発行のポケット版(日曜世界社)と、版を改めて戦後昭和24年7月に作られた大版(キリスト新聞社)をUPしておきます。「日々の糧」として、大変よいものです。


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「はしがき」は、以下にあげる数頁でおわります。



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(次回は、本書の目次を収めます)


『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』(はじめに)

前回より「賀川豊彦生誕100年記念」(2009年)の少し前に刊行した『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』を、少しずつ掲載しています。


今回はその2回目ですが、ここで触れている私たちの「番町出合いの家」については、ちょうど今、別のブログ「対話の時代 宗教・人権・部落問題」で、『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』を連載中です。学生時代の頃からの試行錯誤の記録ですが、こうして記録できることは、とても不思議な想いがいたします。


それには、若き日の写真も探し出して掲載していますが、そこにも収めた1枚の写真を、はじめにここにも収めて置きます。「番町出合いの家」の自称「労働牧師」として、ゴム工場の雑役として働き始めた時のものです。



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以下、「はじめに」の第2回目です。毎回短い掲載になりますが、これがブログなんですね。また、文字をも少し大きくしたいのですが、どうもまだ私の手には負えないようで、読みにくいままです。くわえて、斜めになったり、欠けた部分もあったりして、みっともないことですが、しばらくはこのままで進めます。あしからず。



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次回は、この頁から掲載します。




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このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

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