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新連載「賀川豊彦」ぶらり散歩ー作品の序文など(第41回『政治小説・傾ける大地』)

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前回は「賀川豊彦生誕地」の碑をUPしましたが、ここから海を眺めました。賀川の幼年期に思いを馳せながら・・・。





              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

        第41回

              政治小説 傾ける大地


           昭和3年8日1 金尾文淵堂 411頁


 『政治小説 傾ける大地』は、雑誌『雄弁』(講談社)において昭和2年月から昭和3年5月まで連載された作品で、金尾文淵堂より初めて出版されました。

 箱入りの全布表紙の仕上げで、表紙は「トヨヒコ」の絵が入り、題字と背文字も賀川の手になるものです。また、本書の最初の題字は例の袋文字で描いでいます。


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 本書はのちに、昭和5年11月に「改進書房より、さらに昭和7年には「春陽堂書店」より「春陽堂文庫・大衆小説篇」として刊行されています。因みに、ただいま「Think Kagawa」を検索されると、この小説をUP中ですので、パソコン上でよむことができます。


 小説ですので「序文」がありませんので、ここでは、本書小説の最終のところを少し取り出して置きます。


              *       *



          傾ける大地(410頁~411頁)最後の場面


 『あゝさうだ、地球は二十三度半傾いてゐるのであった。そして人間の慾望もまだ、それにつられて二十三度半傾いてゐる。この変成した人間の欲望が、哀れにも人類社会を、悪虐と迷妄の中に葬り去ってしまふのだ。新しい村もやがては古くなり、改造せられた社会もまた二十三度半傾いてしまふ。それだから永久の道を歩かんとする者は、傾かざる大地の領域外に安住しなければならない。それは傾かざる、恒星の世界に住むことだ。私はその永遠の道を歩く――』

 外套に深く身体を包んだ英世は、寒さも忘れて、さうした瞑想に沈んで行った。

 『俺は世界人として、世界を闊歩する。俺は捉はれざる精神を以て、太平洋を飛び越える。俺は目本の黒土に縛られない。アマソソ河畔に、第二の日本を建設しよう。否、地球は俺の五体の延長だ。この俺の五体の上に巣喰ふものは巣喰へ。小さき町高砂よ、お前は地殻の上にへばり着いて居れ。「預言者は故郷に重んぜられず」とはよく云った。「我父我母とは誰ぞや、神の言葉を聞きて之を行ふ者なり」とキリストは云はれたが、その通りだ。俺は、水遠の神の国の為に、地上の肉親を無視しなければならない』

 彼は橋の上に立ち、家の方に向いて、両手を挙て斯ういふた。

 『さよなら、お父さん! さよなら妹! 私は永遠の国の為に故郷を捨てます。さよなら、さよなら!』

 その晩彼は静かに小屋に這人って寝た。そして翌日彼は、友人の誰にも挨拶しないで、こっそり電車で高砂を立った。その日は砂埃が多かつたので、英世の履いてゐたズボンは脛まで白く埃まみれになった。独り曾根迄歩いた英世は、高いプラツトフオームの上で、ズボンに着いた埃を払ひ落しながら、独言のやうに云ふた。

 『あゝ私も、足の塵を払うて高砂の町を棄てようかな……』

 西の方、高砂の空は、一面砂埃に掩はれて、火と、硫黄と、灰で葬り去られたソドムの空のやうに見えてゐた。

 電車が来た! 英世はそれに飛び乗った。そして、彼の姿は高砂の土地から消え失せてしまった。
               
                                           ――終――


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新連載「賀川豊彦」ぶらり散歩ー作品の序文など(第40回『神による信仰ー『神による解放』姉妹編』)

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昨日の午後のぶらり散歩は、兵庫区島上町の「賀川豊彦生誕地」まで足を運びました。すぐ近くに「清盛館」があり、観光バスなど賑わっていました。





 
             賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

               第40回

              神による信仰ー『神による解放』姉妹編

             昭和3年5日10 日曜世界社 344頁


 警醒社書店が大正15年7月に『神による解放』を刊行していますが、その「姉妹編」である本書『神による信仰』は、西坂保治氏の日曜世界社より刊行しています。


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 そして昭和4年5月には、表紙と裏表紙の装丁を一新して「大衆基督教信仰叢書」の一冊とし、定価もそのまま「50銭」におさえて「普及版」を出しています。



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            *              *



 今回も、賀川の記している「序」を、短い序ですが、取り出して置きます。そして最後に原書のスキャンも。

   

                   序


 信仰は一つの尊い経験である。旧約聖書はその経験の記録である。
 それで私はアブラハムからキリストまでの敬虔の歴史を、個人を中心に考へてみた。

 其処には一脈の血が流れてゐる。我等はその信仰を現代に生かしたいと、先駆者の奮闘した足跡を相続してゐるにしか過ぎないのである。

 この書は私が、一九二〇年頃から一九二七年頃までに、神戸の貧民窟の朝の礼拝や、震災後の東京のバラックで話した説教を、村島帰之氏、今井よね子姉か主として筆記してくれたものである。そのことに就いて改めて此処に感謝の意を表する。

 私の視力はだんだん衰へて来た為に、充分校正の出来なかったことを非常に残念に思ふ。然し、私の汲んで貰ひたいことは、その精神であって形骸ではない。

 願くは神、この書を用ゐて、目本の津々浦々に神の国を愛する一大運動を起し給はんことを。

   一九二八・三・一                         賀 川 豊 彦

                                    摂津武庫川のほとりにて



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第39回『人類への宣言』)

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昨日午後の「ぶらり散歩」は、我が家から歩いて30分ほどのところにある「西山公園」でした。ちょうどここも梅の見頃で、梅の香りもヨロシク、満喫できました。




              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

          第39回

                  類への宣言


            昭和3年2日20 警醒社書店 511頁


 警醒社書店が大正15年7月に『神による解放』を刊行して以来3年ぶりに仕上げた作品が本書『人類への宣言』です。賀川の作品を早くから多くの作品を世に出した警醒社書店ですが、これ以後は賀川豊彦の著作は、ほとんどこの出版社から出ていないように思われます。


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 本書は、500頁を越えるもので、箱入りの作品に仕上げられていますが、むかしこの古書を求めたときは随分高価で、何度も何度も思案しながら、お金もないのに思い切って、これを買い求めた記憶のある書物です。もちろん、ほかの賀川作品も、ほぼ同じような思い出ばかりでありますが・・・。


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今回も、賀川の序文をUPいたします。そして最後に原書のスキャンも。



                  人類への宣言
   
                    序

 それは不思議なる宣言である。人間が、絶望の淵に沈む日にも、猶望みのあることの約束を与へてくれる宣言である。

 文明が、道徳的発狂に煩はされて、その迷妄生活に行くべき方向を見失った時に、尚も再生の希望を約束する宣言である。

 それは武力によらず、暴力によらず、黙し難き愛が、人間の気付かざる生命の内側から溢れ来つつあることを意識せしめんとする、神より人間への宣言である。

 それは、永遠に新しいが故に、新約と呼ばれる。旧き約束が、善人のみに対する約束であるに反して、新しき約束は、神を離れた迷路の小羊にまで、再生と救を約束してくれる。

 私は、この深い宇宙の秘義を考へつつ数年間の瞑想の後に、この書を物した。
 それであるから、この書を、私の信仰に対する告白であると考へてくれても、少しも差支ない。

 私は、旧き時代のある人々がしたやうに、単なる字句の註釈をしようとは試みたかった。
 私は、たゞその精神を汲みさへすれば善いのである。

 私は、新約全書全体に通じて、その宗教思想が、吾々に教へんとした所を、汲みたいと望んだ。
 そして私は、自分が味はってゐる宗教的経験を中心にして、新約全書全体を見直した。

 それであるから、私が、この書を読んでくれる人々に要求したいことは、第一巻から第廿七巻迄一気に読み通してくれることである。

 私は、祈りつつこの書を、社会に送り出す。
 願くは、父なる神、この書を用ひて、絶望の淵に沈む魂に対し、見ゆる世界の彼岸に、見えざる聖愛の力が秘められてあって、絶えず各々を、上に引上げんと努力しつつあることを、この書の読者に意識せしめ給はんことを。

 この書は、大部分、吉田源治郎氏、今井よね子姉の筆記に成ったものである。
 このことを私は改めて此処に感謝する。

 私は、この書が若しも、弘く、日本の町々村々に於て読まれ、日本に於る神の国の運動を、少しでも前に進めることが出来るなら、それで私は満足する。

 私はこの書に於て、最近私が考へてゐる、キリストに対すろ考を殆ど凡て述べたつもりである。
 それで私は、この書を出すことを非常に嬉しく感ぜられる。

 私は自らこの書の内容を、繰返し繰返し瞑想して、神の恩寵に対して、言葉で尽くせない感謝を捧げてゐる。

   一九二七・一二・一九              
                                  摂津武庫川のほとりにて

                                  賀 川 豊 彦 



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第38回小説『南風の競ふもの』)

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早春の須磨離宮公園の「鑑賞温室」にて。




             賀川豊彦」のぶらり散歩   

              ―作品の序文など―

      第38回

             小説 南風に競ふもの


           昭和3年1日25 博文館 286頁


 賀川豊彦の小説『死線を越えて』の三部作の完成した4年目に出来た本格的な小説作品が、この立志小説といわれる『南風に競ふもの』です。

 「南風」は、小説のなかでは「まぜ」とルビが付けられています。

 もともとこの作品は、博文館の発行する雑誌『中学世界』で昭和2年に連載されたあと、同館がはじめて賀川の作品を小説として刊行したものです。


 先の『死線を越えて』のような自伝的な小説と違って、武藤氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』にも、本書は「作家としての賀川の構成力、描写力、表現力がもっとも円熟した時代」のもので「小説らしい小説」であると記されている作品です。

 そして本書の「モデルは現オリジン電気株式会社社長後藤安太郎の青少年時代に求めた如くである」といわれて、そのことでも知られている作品です。

 なお、本書は戦後になって、昭和24年6月にポプラ社より、書名を『嵐にたえて』と改題し、装丁も一新して出版されました。



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 小説ですから、本書には、賀川の「序」はありませんので、手元にある初版のケースの表と本体をスキャンして置きます。

 併せてこの手元の古書には、賀川豊彦が村島帰之あてに謹呈した初版本のサインが残されていますので、そこもスキャンしてご覧に入れます。どういう経緯で、この本が手元にあるのか、不思議ですが。




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第37回『キリスト一代記の話』)

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「早春の須磨離宮公園」、最高の景色を満喫できる「花離宮」で、72歳の誕生日祝いの須磨御膳をいただきながら・・。




            賀川豊彦」のぶらり散歩   

              ―作品の序文など―

      第37回

             キリスト一代記の話

          昭和2年12日25 日曜世界社 115頁


 前著『キリスト山上の垂訓』に続いて、本書『キリスト一代記の話』も日曜世界社より出版されています。

 これは、日曜世界社より発行されていた『基督教家庭新聞』の第20巻1号(昭和2年1月)より連載されていたものを纏めたものですが、賀川は本書の「序」でこの作品が出来上がる経緯にも触れて記していますので、先ずそれを取り出して置きます。

         

                      


 ガリラヤの美しき自然と、イヱスの一生を私は離して考へることは出来ない。道徳的発狂時代と言われる、ローマの暴君政治と、イエスの十字架を、私は、切り離して考えることは出来ない。歴史の上に表現せられた、人間の行くべき道と、宇宙意志の真理を私は切り離して考へることは出来ない。イエスの出現は、あまりにも不思議な人間の可能性を、我々に教えてくれた。

 イエスが死んで後、イエスを中心として、一回転した。イエスによって人間は、新しい型に鋳換へられた。イエスによって人類は、神に就いて、すなわち宇宙意思に就いて、新しい見方をするようになった。

 彼によって、宇宙意思と人間とが、完全に接近した。我々は、イエスの中に神の表現を見ることが出来る。彼は、神の肖像を現したものである。神の意志を表現したる人間としてのイエスは、キリストと呼ばれる。

 キリストとは人間の歴史の頂点を歩く人といふ意味である。その人は、神の意志である愛を表す十字架を負ふた。そして身を棄てても尚、神の神聖と正義を地上に表現する為に、人間の屑を神の最上にまで引き上げることの努力を惜しまなかった。それを瞑想するだに光栄である。

 彼の胸をぬぐって流れる、神の愛は、今日も私の胸に溶け入る。

 私は、この厳かなる物語を、口述するに当たって一種の敬虔から非常に臆病になった。
 この一代記の話は、彼についての私の瞑想のほんの一部分にしか過ぎない。

 私はこれを労働者の為に講演した。そして、彼の生涯を、或いはかえって、彼の神聖なる生涯を俗化した怖れがあるかも知れない。然し、彼はそれを赦してくれるであろう。

 彼は天を捨てて、不浄なる肉の世界に現れた人である。この意味において私は敢えて、私の愚かなる物語を、民衆に告白する。

 この筆記もまた、吉田源治郎氏を煩し、吉本健子姉の助けによって、単行本に纏め得たことを感謝せざるをえない。私は、まだ充分私の眼を開くことは出来ない。私はまだ、キリストを私の胸の中に、堅く守って、彼に就いての瞑想を続けている。

 この瞑想が私にとっては幸福であり、その幸福を多くの人に分かちたい為に、私はこの書を口述した。私の愚かなことを赦してもらって、彼の偉大さを認識されるなら、どんなに幸福であるかも知れない。

  1927・12・14
                                      賀 川 豊 彦
                                       武庫川のほとりにて

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本書の初版には、5枚の絵が収められていますので、表紙と共にスキャンして置きます。


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そして、本書もまた「奉仕版一冊10銭」という普及版もつくり、長く版を重ねていきます。この奉仕版には前掲の5枚の絵は省かれていますが、表紙の装丁は全く変えられています。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第36回『キリスト 山上の垂訓』)

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前回に続いて「早春の須磨離宮公園」の開催中の「梅見会」。「花の広場」の梅の花です。期間中の土日は「甘酒のふるまい」があります。




賀川豊彦」のぶらり散歩   

               ―作品の序文など―

        第36回

  キリスト 山上の垂訓


           昭和2年10日1日 日曜世界社 176頁


 昭和2年に入って「愛餐叢書」として『病人慰安法』(イエスの友看護婦ミッション)や「家庭叢書」として『家庭と消費組合』、そして「家庭科学体系」の1冊で「化粧の心理・化粧医学」などが刊行されていますが、ここでは手元にある『キリスト 山上の垂訓』を取り出して置きます。

 本書は先に取り出した『残されたる刺―逆境への福音』に続いて、日曜世界社で出版された「普及版・奉仕版」とされる簡易な仕上げの著書です。

 賀川は本書の「序」の後に記しているように、本書は「1927年の夏、女子農民福音学校の学生に講演した」もので、「筆記してくれたのは、今井よね女史である」と記され、賀川がそれに加筆して出来上がった作品のようです。

 言うまでもなく、昭和2年といえば、その前年の秋には一家をあげて「兵庫県武庫郡瓦木村高木東口」に移転し、昭和2年早々には「日本農村伝道団」を組織し、自宅を開放して「第1回農民福音学校」を開校した年です。

 そして同年6月20日にこの「第1回女子農民福音学校」を開校して、本書が出来上がるということになるのです。


          *            *


 手元のものは昭和2年のものではなく、昭和5年11月に発行された「奉仕版」ですが、次にその本と賀川の「序」をスキャンして置くことにいたします。


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 本書もわかり易く語られた講義録ですが、版を重ねてその後も、昭和17年には「改定版」が、そして戦後昭和24年には版元を代えて、キリスト新聞社より『山上の垂訓』として、さらに昭和50年にも賀川事業団雲柱社によって、昭和11年の22版を復刻して読まれ続けました。

 ここではその最後の復刻版をUPしておきます。


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補記(2012年3月3日)

「序」を改めて取り出しておきます。この「序」は賀川全集の第1巻の末尾にはいっていますが、多くの部分で原書とことなる箇所があるようです。てもとの版の違いがあるのかもしれません。ここに取り出すものは、昭和5年のものです。


                キリスト 山上の垂訓

                     序

 それは晨も喜ばしき思い出である――ガリラヤの昔を偲び、その野辺にて語られし人間至上の聖訓を思い出すことは。私にとってガリラヤの自然と、イエスの山上の垂訓を切離して考えることは出来ない。神の最も不思議なる秘密が、キリストを通じて人類に話しかけられる如く、神の言葉としての大白然も、キリストの言葉の中ににじみ出てゐる。野の百合に、空の鳥に、葦に、夕空に、石地に、畠に、荊に、薊に、大麦に、燕麦に、そしてそれ等の上に、人間仕会の最も温い涙と血が、イエスの言々句々の一つ一つの上に現れてゐる。彼の言葉は至上芸術であり、珠玉であり、宝玉である。その短い言の中に、その譬えに、その教訓に、彼の涙と血がにじみ出てゐる。ヨハネ伝の著者が、神の『言葉』がキリストであるとしたことに、深い意味がなくてはならない。神の言菜はキリストである。
 永遠の言葉よ湧き上がれ。目本の野に、山に、岸辺に、炉辺に、永遠の言葉よ響き渡れ! 隠れておおわれざるはなく、おおわれて示されざるなき永遠の言葉よ、日本の泥上に浸み込んで行け! 藁葺の小屋に、貧民窟の二畳敷に、永遠の言葉が沁み入る日まで、日本に水遠の国は確立しない。野に叫ぶ声、巷にて聴かざる、その清く朗かなる言葉、それはすがすがしき碧空にかかる清き月にも似たる姿であり、永久の慰めである。私は越後の雪に、貧民窟の泥溝に、日本アルプスの峻峯に、石狩の平野に、この永遠の言葉を瞑想して、それがただにユダヤの荒野に於て慰めの言葉であるばかりでなしに、目本に於ても慰め言葉であることを深く深く信ずる。
 憂鬱なる東洋が神の光を待つことは久しい。然し光は東からでもなく西からでもなく、ただ衷なるものから発せられる。水遠の言葉が魂の内側に沁み込むことなくして、東洋の憂鬱は去らないであらう。私は印度のコロンボに、馬来半島のシンガポールに、香港に、上海に、そして日本の長崎に、そんなことを考へながら、世界を祈りつつ遍歴した。昔は魂の為に、地理的巡礼が必要とせられた。然し今、真の巡礼は、魂の内側に於て、高く昇るそれでなければならない。魂の巡礼者にとって、キリストの山上の垂訓ほどよき道しるべはない。この言葉無くして、富士もその輝きを増し、瀬戸内海も、その東雲の瞬を忘れる。私は日本の為に、さうだ、日本の最上の美の為に、イエスの言葉に更に一屑深く浸潤して行く。

  1927,9,14

                       賀 川 豊 彦
        
                       播磨鳩里村農民組合にて


 この書は、私が1927年の夏、女子農民福音学校の学生に講演したものである。それを筆記してくれたのは今井よね子女史である。私はその中で、も少しいいたりないと思ったところがあったので筆記してくれられたものに付加し加筆して行った。
 私の眼がまだ悪いものだから、私はまだ当分こうしたことを続けて行かなければならないであろう。








新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第35回『暗中隻語』)

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昨日は自転車に乗って、早春の須磨離宮公園の梅園を訪ねてきました。3月4日まで「梅見会」が開かれています。




  賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

        第35回

                  暗中隻語

           大正15年12日25日 春秋社 411頁


 さて、春秋社が賀川の作品をはじめて手がけた作品が、今回の著書『暗中隻語』です。これは箱入り総布表紙の上製本です。


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賀川は、本書の刊行に至る経緯などについて、巻頭の「序」のあとに次のように記していますので、それを先ず取り出して置きます。


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 この書は、一九二六年三月廿一日に私が眼が閉ぢてから、読売新聞の依頼を受けて、その宗教欄に、二百回続けて発表した。私の感想と、その他の雑誌に載せた、宗教的感想の断片を基礎にしたものである。

 然し感想だけでは、その生活背景がはっきり判らないから、私は、私の宗教感想が浮んだ前後の私の行動そのものを「アンペラ御殿を中心として」の中に集め、また、私かいつも最も楽しい思出の種として、今まで発表しなかつた、三河蒲郡の小屋日記を附加したものである。

 小屋日記を除いた外、八九分通りは、私の助手をして居て呉れる、山路英世君と、吉本健子嬢の筆記に依ったものである。それに就いて私は此処で深く感謝せねばならぬ。

 また校正は私の同労者であり、且つ親友である吉田源治郎氏の労に俟ったことを心から感謝する。



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 上に、賀川が記している「アンペラ御殿」というのは、既に取り上げた賀川の第2詩集『永遠の乳房』のなかに「バラック小屋」として写真が掲載されていたもの(あそこで写真はUPいたしました)と思われますが、この「アンペラ御殿を中心として」の部分は、賀川の個人誌『雲の柱』に大方が収められたものです。ここには、この頃の賀川とその仲間たちの動静が生きいきと描かれています。前回取り上げた『残されたる刺』の成立に関することもここに触れられています。

 また、本書の末尾に収められた名品「小屋日記」は、以前に賀川が『星より星への通路』に収めた「ノンキ者のノンキ話」という小品のところに「三河の蒲郡で送った生活」の「六畳の離屋敷」のスケッチも描かれていましたが、本書で初公開となったものでした。


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 では、最後になりましたが、短いもおですが今回も賀川の「序」を取り出して置きます。



                     


         『御不自由でせうね!』
         『何がですか?』
         『眼がお見えにならぬことは』
         『はァ、人間に翼が無いことも不自由ですね
         ――然し、翼が無くとも、飛行機を発明すれば、
         翼があるのと同じでせう。
         眼の場合だってさうです。
         外側の眼が見えなくなれば、
         内側の眼を発明するまでのことです。』

         私の神は光そのものです。
         外側のものは一切暗闇に属してゐても、
         私の心の内側にいつも灯る。

         神のみ光のある間、
         私は少しも失望しません。

         灯れよ、
         内側の燈よ灯れ、
         尽きせざる
         油壷の燈よ灯れ、

         私の神はいつまでも、
         その小さい燈を
         私のために
         保護してゐて下さいます。

         神は私にとつては
         光そのものです。
         私は闇に坐る日の永いことを
         少しも悲しみません。
     
           一九二六・一一・二九 

                             賀  川  豊  彦
                                武庫川のほとりにて



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補記

なお、先に挙げた本書所収の名品「小屋日記」は、「賀川豊彦『一粒の麦』を再版する会」によって、2010年7月に『賀川豊彦 蒲郡療養日記 小屋日記』という小冊子として出版されており、賀川記念館においても手に入れることが可能です。


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これの巻頭には新しく、賀川督明さんの次のような解説が付けられていますので、取り出して置きます。

なおこの解説の末尾にはしかし「差別的な言い回しがあり、削除をお願いした」と書かれ、賀川督明さんの視点が明記されています。こうした視座に関する私自身の批判的な見方は拙著『賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて』の中に、いくらか立ち入って言及していますので、ご一読頂ければ有り難く存じます。

削除された部分は明示されていませんが、賀川作品のような歴史的作品の削除処理には大きな疑問を残します。ともあれその問題も含めて、ご一読ください。


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            『小屋日記』復刻にあたり

                                  2010年7月10日
                                  賀川記念館館長 賀川督明

 1907年3月、十八歳の賀川豊彦は明治学院神学部予科を修了する。新設の神戸神学校に転入学するまでの半年間、当時、和知牧太牧師が牧会する岡崎教会、長尾巻牧師が牧会する豊橋教会の応援伝道をした。豊橋で路傍伝道中に倒れ危篤に陥るが、長尾家のあたたかい介護により一命を取り留めたのだ。長尾巻牧師の豊橋地域への取り組みは、その後の豊彦の心に通奏低音となって、一生を形づくったといっても言い過ぎではない。『小屋日記』は、その翌年1908年の夏に、蒲郡の府相海岸における療養中に書かれたとされている。豊彦十九歳。

 『小屋日記』は、はじめに書かれたときから19年後の1927年に発表された。当時は、関東大震災の4年後にあたり、さまざまな救援・復興事業やセッツルメント活動が発展した時期である。また、帝国経済会議移民部会及び住宅部会の委員や政治研究会の創設、杉山元治郎らとともに労働学校や農民福音学校を開催し、全国をまたにかけてコミュニテイづくりと人づくりに奔走していた。その分刻みのモーレツスケジュールを抱えた豊彦が、蒲郡療養中の主人公を「なんと幸せな奴だ」と羨ましく思う気持ちは、豊彦独特のものであろう。療養中で何もできない主人公は、はたから見ると優雅に暮らしているようだが、志を持ちながらも死線を越えられるかどうかの不安や焦りがないわけがない。『小屋日記』に書かれていることを文字通り受け取っていいものかどうかは、余裕で生きている今のわたしにわかるはずもない。いずれにしても、弱き者であり、人に支えられた人生を、豊彦がどのように受けとめていたのかを探る貴重な記録が、三河の人たちの努力によって復刻されることを心より感謝するものです。

 膨大な社会貢献を果たしながらも、優性思想的な主張を戦後まで持ち続け、ハンセン病患者を隔離する側に立ち、差別文章を数多く残した豊彦を継承していくモノにとって、その歴史を検証し現在における自らの思想と立場を振り返り実践していくことこそ、与えられた道と思う。

 この『小屋日記』にも、いくつかの差別的な言い回わしがあり、編者に削除をお願いした。豊彦が犯した過ちを隠そうという意図ではない。削除せずに「原文ママ」などという処理が、差別されて今を生きている人にとっては、通用しないからである。

 それでもなお、わたしはプラスの部分とマイナスの部分を合わせ持つ、豊彦の存在を素直に喜びたい。それはマイナスの部分が、痛みのシェアの存在を常に問いかけ続けてくれるからだ。







新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第34回『残されたる刺ー逆境への福音』

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前回に続いて、神戸の賀川記念館4階のステンドグラス。




              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

                 第34回

             残されたる刺―逆境への福音


 賀川の作品を日曜世界社が手がけたのは、大正11年3月に『聖書社会学の研究』以来のことですが、本書『残されたる刺―逆境への福音』は、賀川にとっては特別の意味合い含まれていたようです。

 そのことは、賀川の「初版の序」とそれに続けて収められた西阪の「再版発行について」の文章にふれられていますので、先ずそれを並べて取り出して置きます。


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                   初版の序


 この書は、吉田源治郎氏、村島帰之氏、及び今井よね姉が筆記して下さった私の宗教講演を纏めたものであります。西阪氏が多年の宿痾に苦しまれつつ尚努力しておられることを見て、私は感激の思いをもって、同氏にこの宗教講演集一冊を捧げるものであります。

 この書は、私が講演して、私の親しい友人がそれを筆記してくれ、我らの尊敬する同志である太田又七氏が手づからそれを印刷に附し、全然経済問題を離れて、西阪氏慰問の目的をもって、我々の労働を捧げたものであります。そして、西阪氏は確かに、我々のこの心持ちを受け取られるべき価値ある人だと思います。

 イエスの弟子パウロは病躯をささげつつも、それを残されたる刺として感謝しつつ奮闘した人であります。私は自らの生涯において、いつも残されたる刺を経験しております。ただ感謝して受けることによって、すべてが恩寵であることをいつも考えております。

    1926・12・7

                                    賀 川 豊 彦
                                      武庫川のほとりにて


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                 再版発行について


 本書初版二千部は賀川氏が序文の記されていますように、全く友情の結晶でありまして、小生の療養費をつぐなうためにご寄贈されたものであります。小生は、言い難き感激をもってその篤き友情を拝受いたしました。

 しかして本書の出来上がったのは、昭和二年十二月二十五日で、いよいよ売り出しましたのは昭和2年一月一日でありましたが、旬日ならずして第一版二千部を売りつくしました。しかも尚続々とご注文を受けておりますので、ここに初版の誤字を訂正し、装丁を新たにし、更に再版二千部を発行し、初版の特価をもってお求めに応ずることにいたしました。幸いに多数のご使用賜るならば小生の本懐これに過ぎませぬ。

  昭和二年一月二十五日

                                     西 阪 保 治



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また、賀川は本書について、『雲の柱』昭和2年2月号「武庫川のほとりより」で、次のような言葉を残しています。(『賀川豊彦全集』第24巻76頁)。



 △近頃西阪保治氏慰問の目的を以て出版した拙者「残されたる刺」は僅か二十銭ではあるけれども、私の会心の書物である。

 その中でも、村島帰之氏が筆記して下すつた「三つの紛失物」は、あれ程私の講演を心持ちよくユーモラスにしつくり筆記して呉れたものは無いやうに思うふ。速記でもこれだけ心持ちよく出ないのを、さすがは老練な新開記者だけあると思って、村島氏に敬服してゐる処である。是非諸兄姉が広く日本の同志諸君に頒布せられるやうに祈りたいものである。

 △私は思ひ切って今年から私のイエスに関する宗教書類を全部三十五銭で普及版にして出すことに決心した。即ち「イエスの宗教と其真理」を初めとして「イエスと人類愛の内容」、「イエスと自然の黙示」、「イエスと日常生活」、「イエスの内部生活」等は、今年中に全部三十五銭で普及版にすることに決めた。之は私か百万人伝道をする為にどうしてもさうしなければキリスト教が普及しないと思ふからである。


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 前後しましたが、手元にある本書の昭和2年3月の第3版と「奉仕版」として出されていた昭和14年11月発行の17版を並べてUPして置きます。

 そして最後に、本書の扉に描かれている賀川豊彦の作品も入れてみます。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第33回『魂の彫刻ー宗教教育の実際』)

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再建された「賀川記念館」4階にある見事なステンドグラスのひとつです。




              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

         第33回

               魂の彫刻―宗教教育の実際

          大正15年10日27日 文化生活研究会 269頁


 先に賀川の大著『愛の科学』を出版した「文化生活研究会」というところから2冊目の書物となったこの『魂の彫刻―宗教教育の実際』は、本書の「例言」にも記されているように、山路英世・吉本健子両氏の筆記によって完成された作品です。

 まず、その「例言」を挙げておきます。


                   例  言


 去年の九月九日、オートバイの顛覆で負傷してから満一年、外傷と、宿痾の眼病に、私は一年間の大部分を病床で暮した。そして私にこの書を病床の中で考へたのであつた。この書は全く私の創作であって、他り書物を參考に用ひなかつた。

 この書を書く様になった最初の動機は、アメリカの書物を読んでからである。私は、コウ教授の『宗教々育の社会学説』と、ハッチンス氏の『社会奉仕の級別組織』等の書物に剌戟せられて、この書物の内容を考へ出したのてあった。
  
 眼が見えなかった為に、私は山路英世、吉本健子の両君に全部筆記して、貰った。私は二人の援助がなければ、この書が出来なかったことを此処で感謝して置く。

 私が冥想的になればなる程、魂の彫刻に就いて考へることが多くなつた。私は出来るなら此次に自然の聖書について書いて見ようと思つてゐゐ。私はそれに就いて今、冥想を続けてゐる。

 この書に就いて私の足りなく思つてゐことは、理論的方面が多く書けなかったことである。それは別に宗教々育の原理として稿を改めて、書き起したいと思っている。既に口述したものを、親友村島帰之兄が、部分的に纏めてくれたが、なほ不満の点が多いので、今少し冥想を続けて行きたいと思っている。

 私はこの書を読まれる諸兄姉に希望したい。それは人を教える為にこの書を読まないで、私がこの書に書いたメソードは、結局は自分の魂か浄化して行くメソードでもあることを考へて、自分本位で読んで頂きたいことである。

 此の書を書いた後、米国にも遊戯を通じて愛を教えたいと思って居る人があることを知った。それをもう少し深く、研究して、第八章を先に行って訂正しよう。


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 大正15年10月に箱入りの上製本として刊行されていますが、手元のものは昭和7年10月に「復活版」として出たものです。装丁・本体ともに同じものが「復活」しているようです。



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 それでは今回も、本書の「序」を取り出して置きます。「武庫川のほとりにて」書かれたものです。
 ここでもブログ用に、改行をしてUPして、最後の原書のスキャンを収めます。



                  


 都會の輝きと、黄金の魅力とが、多くの魂を眩惑する。機械文明に引付けられた若き魂は、それが何を意 味してゐるかも深く考へないで、その日その日の労苦に喘いでゐる。

 労働者は忙しく生産に営しみ、その労苦を酒によって忘れんとし、酒で儲けた成金は女狂ひに忙しく、芸 者屋と遊廓はそれらの為に繁昌する。

 淫蕩に蝕まれた民衆は、骨まで腐らす毒素に襲はれて、足繁く病院に通ふ。医者と病院はその為に忙し  い。人の災厄によって富を積んだ医者は、贅沢品を買ふに忙しく、贅沢品を生産する労働者は、労働の永 きに、酒の魔酔力を借る。 

 斯うして、理想なき社会性の循環は、輪の廻るが如く忙しく廻る。そして何等の進歩もなく、向上もな  い、文明は悲しみの種であり、救はれない因業の輪廻である。

 斯うした文化を凝硯めてゐて、内に目醒めた人間が、黙って居れるだらうか。
 私は、人とその霊魂の運命に就いて深く考へる。
 私は生きたい。そして勝ちたい。
 病気に、無智に、醜悪に、不徳に、不虔に克って行きたい。
 私は充分目醒めたい。私の目醒めることは、人類の目醒めることであり、人類の目醒めることは、宇宙の 目醒めることである。

 宇宙は私に目的を持って居る。宇宙は私の衷に目醒め、私は宇宙の心の一機能として目醒める。

 私の衷に魂を彫刻することは、宇宙に拡がる神殿の奥の院に御開帳の扉を徐々に開いて行くことである。
 『私』を通して神が見えるのだ。『私』は、神に向って開かれる神殿の窓だ。

 魂を彫刻することは、窓を開いて室内に光線を導き入れる様なものだ。
 さうすることによって、電動力よりも不可思議な生命の力を、充分我々が吸収し、そして機械的と見える このひからびた分明に、栄光の輝きを見せしめ、それに向かって廷び上る力が輿へられるのだ。

 私は、もう四十歳に近くなった。そして、今如何にかして吾子の胸に、私が胎んだ神の姿を植ゑ付けたい と苦心して居る。

 私は自分の子供に経験したことを、他人にも及しだいと思ってゐる。
 然し結局、自分の子の胸に魂の彫刻することは、自分の魂に、新しく神の姿を彫刻することなのだ。

 魂の彫刻は人の為ではない。凡て自分の為だ。
 彫刻師が、木や石に向って精進する様に、私は生きた霊魂に向って精進する。

 彫刻家が、自分以上のものを木や石の上に、よう彫刻しないと同じ様に、私もまた、自分以上のものを生 きた霊魂の上に彫刻し得ないことを考へて、表現せられた凡ての彫刻が、自画像であることを考える時  に、厳粛にならざるを得ない。

 私は自分の手、自分の鑿を凝視めて、ゾッとする。いつまで経てばこの自分の霊魂以上に出られない、哀 れな彫刻家が、この領域を脱して、神の彫刻に乗移ることが出来るであらうか?                             
 
 幸にして私には先達がある。
 彼は御殿の扉を引ちぎって、神の姿を自分の肉体の上に鋳抜いた。
 その鋳抜かれた型は今日人間の中に最も悲惨な死刑囚の型として我々の間に授って居る。

 彼は、死を賭して、その御殿の扉を打破ったのであった。
 彼以後、我々は労せすして、神の光を身に浴びることが出来る様になった。

 恥ずかしい私も、その死刑囚の残してくれた神の鋳型によって、真正の彫刻が何を意味するかを學び得  た。

 死を蹂躙することによって、愛が死よりも強いことを我々は學んだ。
 その愛が我々の全生命の上に舞踏する時に、森と、太陽と、小鳥と、稲の穂が、神の天啓として我々に帰 って来る。

 自分乍らに棄ててしまった暗い私に、自然と良心が、内と外とから、私に迫って来る。自然は私にとっ  て、花婿の如く、良心は私にとっては花嫁の様なものである。

 神と結婚もせざるに私は、それらを通じて神を胎むことが出来る。
 それは私にとっては喜びである。
 魂の彫刻は神を胎むことである。労せざるに何時しか、私の胎内に、神の子が成長する。それは私にも  似、神の顔にも似てゐる。
 
 我が懐にある子よ、大きくなれ、神は斯うして安々と良き子を与えてくれた。
 彼に對する魂の彫刻は、この子を肥立ちよく育てて行くことにある。
 神の愛にほだされて私は、私が胎んだ神の子を、隨喜の涙に暮れつつ、育てて行かう。

 私にとっては、電燈も、ラヂオも、ガソリンエンヂンも、到底私のこの神の子の肥立ちを見る以上に悦び を輿へてくれない。
 肥立ちよく育ってくれよ、吾が子、私が私の魂の衷に胎んだ神の子よ、我が霊よ!

   一九二六・一〇・一四
                                    賀 川 豊 彦
                                     摂津武庫川のほとりにて




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第32回『神による解放』)

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賀川豊彦が若き日大きな影響を受け、自ら翻訳・紹介をかさねてきたラスキンの著書は、何度も改訳が行われ、既に5年ほど前になりますが「中公クラシックス」の一冊に入った「この最後の者にも・ごまとゆり」は書店で求めることができます。岩波文庫の「胡麻と百合」は古書で見つけることができるかもしれません。




              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

         第32回

                 神による解放

            大正15年7月25日 警醒社書店 221頁


 賀川は大正14年7月に世界一周旅行を終えて帰国し、イエスの友を中心に「百万人救霊運動」を8月より開始しました。「賀川豊彦献身100年オフィシャルサイト」で「吉田源治郎」の足跡を詳しく辿った時には、賀川のこの世界旅行の折りに米国に留学中だった吉田と意気投合して、新しく大阪で「四貫島セツルメント」を始動させる夢を抱いていった経緯に触れましたが、本書『神による解放』は、吉田源治郎が責任者となり、大正14年10月にその「セツルメント」を開始する中で、賀川が四貫島や堺などで行った講演を吉田が筆記して完成させることになった作品です。


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 既にとりあげましたが、賀川の講演記録を書物にまで仕上げて来た吉田源治郎は、再び四貫島セツルメントと農民福音学校を拠点として、次々と賀川の作品を世に出していきます。

 本書も初版は警醒社書店による箱入りの上製本として刊行されていますが、賀川の著書としてははじめて「序」の後に「著者より読者へ」という頁を設けています。


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 そして「1円50銭」のこの「特製版」とは別に「35銭」という廉価な「普及版」も揃えて、広く読者に提供しています。下はその「普及版」です。


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ここでも、本書の「序」を取り出してみます。これまでのように、勝手に改行をして、ブログようにUPしますので、原書とは違います。これのあとに、原書をスキャンして掲載います。



                 


   おゝ、私は待ちこがれて居る。神の旋風を。
   旋風よ来い。南より来い。西より起これ。
   私は、旱天の日に雲を待つ様に、私は旋風を待って居る。
   それはとても、旋風でなければ動かない、この閉じ込めた、
   混濁の世界を一気に吹き払うのでなければ、二百十の来る前に、
   多くの人達は窒息して仕舞うだろう。

   神の二百十日よ起これ、愛の旋風よ襲え! 
   我々がキリスト愛の浸潤を待っていることは余りに久しい。
   愛の焔よ、一気に日本の南から北まで吹きまくって呉れ。
   日本には、二百十日のあるものを、なぜ神の世界には二百十日がないだろうか。
   否、有る有る。それ二百十日の嵐の予報が、南から来るではないか。
   香港では、真南から、長崎では西南から、本島では西南西から、
   低気圧が進行して居ることを、測候所が報ずる。
   低気圧の足音が、軽々地上に触れた時に、水は天上に舞ひあがり、船舶は木の葉の如く揺れる。
   神の旋風もその如く来い! 
   凡ての罪悪の櫓を打こぼち、地獄の焔を吹き消して呉れ。

   五百四十箇所の遊郭を空中に巻き上げ、これを一晩の中に掃除して呉れ。
   無風帯の世界に棲む日も、あまりに永過ぎる、日本は神の旋風を待っている。
   日本の天空に、神の響を聴かして呉れ。
   日本に続く、無道徳時代があまりに永すぎる。

   黄海の水を開き、ヨルダンの真中より、エリヤの火の車を天上に吸い上げた、救いの旋風よ起これ。
   日本には二百十日のあるものを、なぜ神に旋風がないと云うか。
   大地を揺るがせ、波涛をたたせ、一日の中に日本の北より南に走り得る、旋風よ来い。

   この民は、あまりに長く無風帯に棲む為に、足を持って立つことを知らず、
   手を動かして、よじ登ることを忘れた。
   あまりに長く、美しき島に安座し、北に南に伸びることを知らない。

   台風よ起これ、旋風よ来い。
   桜花の下に惰眠を貪る、我らをゆり起こして呉れ。
   此の民は琵琶湖に満つる丈の酒を呑み干し、富士の頂きにも着くほど、
   肺結核患者の死骸を積み上げて居る。

   神の旋風よ起これ、これ等の不吉を皆吹き払って呉れ。
   夏に、二百十日のあるものを、
   なぜ魂の世界に二百十日ばないと云うのか。
   魂の二百十日が来る。それは必ず来る。
   稲の穂は出揃って、白い花が、その穂の間から覗いて居る。
   稲の実る前に、二百十日が来て呉れればよい。
   風は花粉を、南から北に吹き送り、稲の根は硬くせられ、やがて六千万石のお米が取れる。

   聖霊の二百十日よ来い。一つ大きく吹いて呉れ。
   日本の米はそれで実るだろう。
   魂にだって季節風(モンスーン)は要るよ。

   神の旋風よ来い。私の魂を天上まで巻上げて呉れ。
   否、六千万の日本人が、誠に神がある事を知る為に、その旋風を一日も早く、近づけて呉れ。
   籾殻は吹き飛ばされ、実は倉に入れられる様に、私は神の旋風を待つ。
   私が微風をきらうから、こう云うのではない。
   軟風の日が、あまりに長く続き過ぎる。

   私は旋風の来る日を待っている。
   夜更けに来るか、真昼に来るか、
   戸の揺らぐ度ごとに、私は神の旋風の動くのを待っている。

      1926・6
                                   賀 川 豊 彦
                                     武蔵野の小屋にて



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第31回『雲水遍路』)

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長尾さんのこの名作は、賀川記念館の階段に秘そと飾られていますよ。エレベータに乗らないで、歩いて4階までのぼってごらんになると、見る事ができます。そして、窓際には、美しいお花なども置かれています。



               賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

        第31回

                  雲水遍路

            大正15年4月20日 改造社 514頁


 前回の『賀川豊彦氏大講演集』の出版された同じ月に、今度は改造社がまた500頁を超える立派な総布表紙の箱入り上製本を仕上げました。


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 この旅行記は、大正13年11月26日に横浜を春洋丸で出港して、翌14年7月22日に熱田丸で神戸に帰港した時の、2回目の外遊を欧米印象記として纏めたもので、読ませる作品のひとつです。

 この8ヶ月に及ぶ外遊には、専属のカメラマンがついていたのか、本書には、口絵の外にも数多くの貴重な写真が収められています。ここにはまず、それらの写真をスキャンして置きます。そしてその後に、本書の「序」を取り出すことにいたします。


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では、今回も賀川の「序」を取り出します。賀川の文章は、どれも詩のような書き方ですので、ここでも勝手に、改行を多くして、読みやすくしてUPいたします。



                    


 雲水の心は無執着の心である。
 風に雨に、私は自ら楽しむことを知っている。

 世界の心は、私の心である。
 雲は私であり、私は雲である。
 雲水の遍歴は、一生の旅路である。
 世界を廻っただけが、私の遍路ではない。
 私の旅路は、上へ向いた旅路であらねばならぬ。

 それは、心の旅路である。
 心の遍路は、世界の旅に出なくても、貧民窟の二畳敷で、辿ることは出来る。
 いや、寧ろ、その方が、遥かに尊いものである。

 私は直径七千四百哩の球体を廻って、地理的旅行の必ずしも有意味でないことを、深く感じた。

 只私の深き望みは、此の地上に住める人類が、一日も早く、心の旅路のために、
 愛の国を作り上げてくれることである。

 私は永遠の行路病人である。
 新しきエルサレムへの旅路は、まだ長い。
 私は死ぬまで、雲水遍路を書き続けるつもりだ。

 私は世界を廻って居るうちに、ハワイでも、アメリカでも、イギリスでも、
 世界至る處で、日本の兄弟達の親切に浴した。
 殊にロス・アンゼルスとニューヨークでは、言葉で尽くされない程、同胞の御世話になった。

 そして今もなほその二ヶ所の兄弟達は、私を援けてくれてゐる。
 それに對して、私の感謝の言葉は足りないと思って居る。
 ここに更めて、その人達に心よりの敬意を捧げる。
 
 此の書は私の宿痾の眼病のために、出版が遅れて、今日漸く、日本に帰って来てから、
 八ヶ月目に稿を綴ることになった。
 そして五分の四まで書いて来て、また眼病のために寝込んでしまった。
 それで後は、病床で口述したものを、筆記して貰った。
 その為めに、意の尽せない處もあるかも知れないが、赦して貰ぴ度い、と思って居る。
 

 私は、世界を廻つてゐる中に、感想録を詩の形にして、地圖の裏や、手帳の中に書き込んで、
 日本に持って帰った。
 それを私は、昨冬、詩集「永遠の乳房」の一部分に収め、発表して置いた。
 この書と合せて読んで貰へるなら、どんなに私にとって、幸福か知れない。

   一九二六・三・廿八

                                  賀 川 豊 彦
 
                                松沢村のアンペラ小屋にて



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第31回『賀川豊彦氏大講演集』)

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一昨日、賀川記念館をお訪ねしたとき、玄関に飾られていたお花です。おひな祭りにを前に、ひな壇の飾りつけもはじまっていましたよ。



             賀川豊彦」のぶらり散歩   


                    ―作品の序文など―

               第31回


               賀川豊彦氏大講演集


          大正15年4月10 大日本雄弁会講談社 384頁


 大正15年4月に「大日本雄弁会講談社」から初めての出版となった本書『賀川豊彦氏大講演集』は、「序」にあるように、大正7年より14年夏までの講演を集めたものです。収められている18の講演のうち6つほどが神戸時代のものが選ばれています。全集にも入っていますが、重要な文献のひとつです。

 この「大日本雄弁会講談社」は、本書の刊行を手がけたあと、ベストセラーとなった賀川のあの名著『一粒の麦』などの出版でも知られています。

            *              * 

これも箱入り上製本として出版されて、手元にあるものは、大正15年4月の初版から7ヶ月後の11月発行の13版です。扉には、2葉の賀川の写真が収められています。


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 それでは、今回も本書の「序」を取り出してみます。



                    


 この講演集は、大正七年より同十四年夏までの、私の講演のあるものを集めたものである。

 私は廿一歳の時に蓄膿症の手術を受けて、鼻腔に穴を穿ち、大正十一年二月悪漢に門歯二枚を歯根まで打折られて以来、講演をするに、いつも生理的の不楡快を感じてゐる。それで、演説はどちらかと云へば嫌ひである。たヾ要求せられる儘に、やむを得ずしてして来た。

 講演と云ひ、座談と云ひ、群衆心理を加味したものであるから、普通の著作と違って、民衆の動きかたを知るには、実に善き材料である。この意味から云へば、私のつまらない講演集も、大正時代の民衆を研究する少しの資料になるかも知れない。

 私は、今日まで、民衆におもねるようなことは少しも云ふて来たことはない。私はいつも民衆の人道的精紳に訴へて来た。

 それで時には痛罵の的になったこともある。然し、私は、わが日本を愛するが故に、民衆を諌止することを敢てする場合がある。民衆は前に進めることは比較的容易であるが「止れ」を命ずることと「反省せしむること」は、実に困難である。私は今日まで主として、民衆の反省と、人道的向上を説いて来た。この点に於て、私の講演は、一種の私の良心運動の一部分をなしてゐろと云ふて善い。

 私の書物を読んでくれる人は多くあるであらう。然し、私が「良心運動」の一兵卒として、良心それ目らを叫ばしめて居る言葉を聞いてくれる人も、私に取っては善き友人である。

 この講演集の凡ては速記か、筆記によったもので、私自身が書いたものは一つも無い。私は、それが面白いと思ふてゐる。

 そのまた速記者なり、筆記者の数も二三人ぢゃない。大勢である。
 然し、そこに群成的時代精神を知るに面白い糸口があると思ふ。聴衆は永遠に生きてゐる。そして、私は日本の聴衆が日一日、良心の発芽に敏感であって欲しく思ってゐる。
 それは、それ自身、政治であり、経済であり、教育であり、科學である。
 人間は人間の為めに生きてゐるのだ。そして人間は、良心の為め生きてゐるのだ。
 良心は人間の最後の芸術であり、最後の政治である。
 私の講演集は、その為めに産れ出づるのである。

 その言葉は拙ないであらう。その響きは非芸術的であらう。然し私はどうかして、この國を、聖浄の輝く國にしたい一念より、私の魂を火にして、叫んでゐることだけを、この書の友人に知って貰ひたいのである。

 日本よ、高まれよ、叡智と、聖浄の為めに高まれよ! 
 五百五十ケ所の遊郭を葬り、十五億円の酒を断ち、百万の窮民を救ひ、
 二百四十万の労働者と二千万の小作人を解放する日よ、一日も近づけ! 
 これが、私がこの書を世に送り出す唯一つの望であり、祈りである。

  1926年1月30日

                          東京府下松澤村アンペラ小屋にて

                                   賀  川  豊  彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第30回『詩集・永遠の乳房』)

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昨日は「ぶらり散歩」ではありませんが、賀川記念館に出かける用事がありました。玄関のところから、ちょっと新しい記念館の建物の上を見上げてみました。



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   
              ―作品の序文など―

       第30回

               詩集・永遠の乳房

          大正14年12月12 福永書店 411頁


 前著『神の懐にあるもの』とほぼ同時に出版された本書『詩集・永遠の乳房』は、大正9年に『地殻を破ってー散文詩』を出した福永書店が手がけています。その前には『主観経済の原理』と賀川の処女詩集『貧民窟詩集・涙の二等分』の出版元でもあります。

 賀川のこの第二詩集は『涙の二等分』のようなポケット版とは違って、四六版総布製上製本で箱入りとなっています。そして、詩集の巻頭となかぼどには、次の2葉の写真が収められています。


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 この写真には「エジプトのスフィンクスと私」と説明書きがあります。


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同時進行の別のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ で、村島帰之著『預言詩人・賀川豊彦』を長期連載を済ませていますが、そこではこの『詩集・永遠の乳房』の作品の多くを、できるだけ完全なかたちで補充してUPしています。お時間があれば、そちらにも立ち寄っていただければ、有益と存じます。

今回も、賀川豊彦の「序」を取り出して置きます。



                   


 凡てを、私は、凡てを、神にかけた。

 恰も、博徒が、賭場でするやうに。私は、生命も、財産も、書物も、言論も、自由も、行動も、凡てを、神の賭場にはつた。そこに私の詩の全部がある。

 私は、神戸葺合新川の貧民窟で、賭博打がしてゐることを見た。
 「走り」が走る。高利貸が財布を開く。若者は袢纏を脱ぐ。彼等は最後の点まで――褌(ふんどし)一つになるまで、射利の為めに賭(は)って行く。

 あゝ、それだけの勇気が、私にも欲しい。私は、神と、真愛の為めに、凡てを拠つ勇気が欲しい。そこに、私の詩があらねばならぬ。

 真夜中に、人家に穴を穿つものがある。彼等は高塀を越え、巡査を恐れず、徹宵して、悪の為めに努力する。私にも、その勇気が欲しい。善いことの為めに。さうだ、善いことの為めに。そこに、私の詩があらねばならぬ。

 蠶(かいこ)は一眠、二眠、三眠をねむり、肉体はやがて、透明体に変る。私にもその透徹する魂の詩が欲しい。

 私の詩は、私の生活である。私の生活は、私の詩である。言葉は、私の詩のいと小さい一部分にしか過ぎたい。

 「涙の二等分」以後、私は、多くの散文詩を書いて来た。「地殻を破って」「星より星への通路」「雷鳥の目醒むる前」「地球を墳墓として」の四冊には部分的であるが、私の生活を通じて見たる散文詩が出てゐる。

 その外に、私は過去七年間に、自由詩の形のものを百数十篇書いた。今ここに一纒めになったものは、それを集めたものである。それは私の作った詩の凡てではない。然し発散したものの凡てである。中には数篇ずっと旧いものがある。

 私は、欧洲を廻って、たゞ幾十篇かの詩だけをノートに書きつけて来た。

 私は詩の外に書けない男であるかも知れぬ。私はそれが上手、下手と云ふことを離れて、私の胸の渦巻に、さうした旋律の外、感ずることが出来ないのである。

 私に取っては、科学も、哲学も、宗教も、経験も、生活も、凡てが、詩になる。内なるものは内なるものの生命の詩となり、外なるものは、表象の詩となる。

 私は、これから、もう少し多く詩を書くであらう。私の眼が悪くなると共に、「詩」がミルトンの耳朶に囁いた如く、「詩」も私に多く物語る。私はそれを待つことなくしで書き附けておけば善いのである。

 私は詩に支配せられてゐる。ただ不幸にして、私は詩をよう支配せぬ。私はただ魂と愛と真勇と十字架を歌ひたいのだ。私はその為めに、囚はれた。

 十二月の太陽が、本所のバラックの硝子障子をポカポカ照らす、一昨日秋田市から帰って来た、私には南の太陽がうれしい。保育所の子供等は足調子面白く「マーチ」につれて踊を続けてゐる。

 私は本所の「愛の集團」にこの上なき喜悦を感じて居る。そこには、輝かしい顔の持主である今井さんか居るし、律義な働き手の本立さんが居る、忠実な黒川さんが美しい顔をして、こまめに働いでくれる。

 ゲルションは泥中の蓮のように、苦海から伸び上って、私等を上に引き上げでくれる。イエスの群の幾十人か、幾百人かは、みなうれしい「魂の芸術家」として、みな輝く顔を持ち寄る。そこには勿論貧しい人々の予供等の天の使いの顔もあり、地殻を刻む創作家としでの労働者の顔もある。

 地震の為めに出て来た私は、本所で幸福な私を発見した。神戸の悲しみは、全く癒された。それで、私はまた西に帰って行く。そして、また嘆きの子とならう。それもまた、私の芸術であらねばならぬ。             ‘

  一九二五・一二・三
                                     賀  川  豊  彦
                                     本所松倉町バラックにて
  



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第29回『神の懐にあるもの』)

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前回のぶらり散歩は「能福寺」の境内にある「平清盛公墓所」です。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   
               ―作品の序文など―

            第29回

               神の懐にあるもの

             大正14年12月5日 警醒社書店 187頁


 前回取り出した『神との対座』と同じく小型ポケット版の箱入り上製本で仕上げられた本書『神の懐にあるもの』の手元にあるのは、昭和2年9月に再販されたものを、昭和50年11月に「賀川事業団雲柱社」で復刻されたものです。表紙には「賀川資料室:雲の柱No202」と書かれています。


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 そして『神との対座』と同じく、賀川は次のような短い「はしがき」をしるしています。


          *           *

              
                は し が き

 この書はイエスの弟子ヨハネの宗教思想を味ひつヽ私の宗数的経験を述べたものである。私はヨハネの宗数的雰囲気に浸ることをこの上なく光栄に思ふ。私はそこに神の姿なるキリストを偲び奉るのだ。そこに私のイエスの繋がる理由がある。

 この書は、親友村島帰之兄が、私の数回の講演を筆記してくれたものを整理したものであゐ。それに就ては、同兄に心より感謝せざるを得ない。

 私は憂鬱な東洋に、神の懐の開かれてゐることを紹介するを喜びとする。一つでも多くの魂が、そこを発見することは、私に取って大きな望みであり、喜びである。

  一九二五・一〇・二二
                                     賀  川  豊  彦
                                      ――北澤の小屋にて――



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 今回も本書の最初に収められている序章にあたる作品を取り出して置きます。
 「永遠の乳房」と題するものですが、このタイトルは、次回に取り上げる賀川の第二詩集『詩集・永遠の乳房』に採用されているものです。




                 一 永遠の乳房


                  1

 前は闇である。周囲は暗い。いつこの闇が晴れるか わからない。
 あゝ それでも 私は衷なるものゝ力を強く握って進む。

     わが行く途 何時如何に
     なる可きかは 露知らねど
     主はみ心なし給はん

 温い涙が頬を傅ふて流れる。今迄導いてきて下さったのだもの、この後、どんなことがあっても救はれないことは無い筈である。

     備へ給ふ 主の途を
     ふみて行かん、一筋に

 凡ては備へられてあるのだ。苦痛に、貧乏に、迫害に、悪罵に、凡ては備へられてある。天の父は凡てを知ってゐて下さる。ただまかし奉らふ。


                    2

 何にも苦労がない。別に努力をしてゐるわけでもない。それは恰も風のように自在に、自由に、あるが儘に 私は歩いて行く。

 東が白む、私は起きる。紫水晶のような空に、金箔をぬすくりつけたような曙が、私の前に開展する。私は静かに、今日の曙に就て神に感謝する。

 妻が私を朝飯に呼んでくれる。私は食卓の前に坐る。そして私は感謝をもで、玉葱の這入った味喰汁と、麦の這入った半白の飯を感謝する。

 急がしければ、私は走る。眼が悪ければ、考へ込む。金が無くなれば仕事を止める。金が少しあれば、仕事をする。

 夜が来れば、睡むるし、祈りたければ、森に這入る。私は風のように生きて、風のように暮してゐる。私は無理のない生活に、生命なる神の聖き交通を保つことを努力してゐる。

 一つとして、歓びで無いことがない。寝る時も、醒める時も、食う時も、走る時も、病む時も、語る時も、「私」のようで、「私」のものでない。凡てに無理のない風通しの善い心の持ち方をしていると、神は心のこの窓から入って来てくれて、心のあの窓から出て行ってくれる。

 私は、神の前に無理がない。私は神の前に、とっくの昔に落城したのである。私は、私の私ではない。私は風の私である。土の私である。本の私である。金の私である。火の私である。血の私である。私は私の分子をして、凡てに物語らしめる。私は、血の私である。情熱の私である。地震と噴火の私である。

 私の胸は噴火口である。ナザレのイエスの赤い血は、私の胸に吐け口を求め、私は、その血の為めに、胸のうづくのを覚える。それでも、私は至極平静で居れる。

 吹き披けよ、赤き血よ、人類の凡て汚れたる血を贖はんとする赤き血よ、私の胸を吹き抜けよ! 血の台風よ、私の胸に湧き立つが善い、竜巻よ、起れ、私の胸は低気圧の中心になってゐるのだ。私は、神の嘆きを胸底に感じ、神のうめきを、魂のバロメーターに読む!

 どうして、私だけが、安閑として居れようか、主、わが神が、この悲しき人類の混沌に泣き給ふ程に。

 東風は、私の魂のこの窓から入れ! 北風は次の窓から。南風よ、競へ! 西風よ咆えよ! 私の魂は、今台風の中心だ!

 私の魂の寒暖計が急激に上下する。バロメーターの水銀は漸次に高まる。高まるだけ高まれよ! それも、御計劃の一つではないか!

 私の胸底は、神が占領し給ふたのだ。神は風の如く 自在に、私の胸底に吹き廻り また鎮まる日に、鎮まり給ふ。

 『神さま、御自由に、御自由に。あなたは既に、私を捕へ給ふたのですから、私はあなたの捕縄に満足し、あなたが 私の肉体の上に踊り給ふとも、私は満足します。神さまよ、勇躍して下さい、私の肉体を踏み台として………それは、 あまりに光栄です。光栄です。』 

                
                     3

 何と言う、光栄であろう。穢れ果てたこの虫くうた魂をも、神――わが神が占領したまふとは。懺悔の日、まだ尽きざる中に、悔恨の涙まだ乾かざる中に、神は、私を踏み台としてもの言ひ給ふ。

 さらば、私の魂よ、おまへほど幸福なものはないではないか! 懺悔の日に、み神は光栄の姿をもて、おまへに近づき、わななく手を捕へて、固く握り〆め給ふ。

 そは、誠に、恋人に似ては居ないか! それは、現(うつつ)の眼では見られない光栄である。み神は新婚の新夫の如く、輝きの姿で、私を御胸近く引き寄せ給ふ。何と云ふ感激だらう。

 私は『恥かしいですから、お赦し下さい、あなたにお目に懸かるには、私は、あまりに穢れて居ります。アダムにつく、私は、とても、永生の御姿でゐられる、あなたを拝し奉ることは出来ません。どうか、私を、あなたの前より隠させて下さい』かう申上げても、わが神は、お赦しにはならない。

 『功なくして娶るその愛を恵みと云ふのだ。罪の身をも猶愛せんとするのを贖いと云ふのだ。私はおまえを罪の奴隷より贖ひ、神の子の花嫁として娶る――』

 こんな馨が、かすかに、私の魂の耳底に聞える。そして私はわななく腕を支えられ、震ひ上つてゐる五体を抱き上げられ、太陽よりも、輝しく、オリオンよりも眩ゆい光栄に移される。

 『それは、あまりに充分です。それはあまりに光栄です――この土塊に等しい私を、生きながら、その光栄に移し給うことは、私に取っては、無限の光栄です。私はこの光栄を御辞退申上げます。』

 かう云った言葉も、神はお聞き上げにならないで、神は、私をその懐に近く引き寄せ給ふ。

 神は 今迄の罪咎を忘れ、全くの感激に、云ひつくせぬ光輝に酔ふ!

 さらば、私は之から、神に出発して、肉体の旅を続けよう。然し今迄の肉体はあまりに恥かしい! 乙女マリアが孕んでゐてくれたなら、かうした間違はなかったらうが、私は娼婦の子として産れ、産れ乍らにして、罪の子である。

 再び産れかはる秘術もあらばと思ひ煩つてゐる私は、ただ感激に溢れて、すすり泣きをしながら、神の懐の中に、わななくのであつた。

 おゝ 恵みよ、溢れ出づる恵みよ、父なるみ神の懐に、暫しの程やすらうことさへ 光栄であるに、この土塊を末ながく、はゞくみ給ふ御恵みは凡ての言葉を超える。魂よ、感激と云ふことを知つたか? それなら、おまへは、新しき出発を急ぐが善い!

 前は暗い! 後は闇だ! 然し、神の懐はいつもお前を待つてゐる! 疲れたらすぐそこに帰って行くが善い。永遼の乳房がおまへを待つてゐる!

 おゝ、永遠の乳房! 永遠の乳房!



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第28回『神との対座』)

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今回のぶらり散歩は、前回の「兵庫大仏」のある「天台宗能福寺」の境内に咲く立派な梅の花です。



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   

              ―作品の序文など―

      第28回

               神との対座
         
         大正14年8月18日 警醒社書店 192頁


 『神との対座』という賀川らしいユニークな題名を付けた本書は、小型ポケット版で箱入り上製本で仕上げられていて、前著と同じく書物本体は、彼の袋文字で表紙も背文字なども書き上げています。


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そして、巻頭の短い「はしがき」には次のように記されています。



              は し が き

 この小冊子は、親友村島帰之兄の好意で出来上ったものであります。友人吉田源治郎兄は私の講演を筆記する序に、私の祈をも筆記して取って置いて下さったのです。それに習って、村島兄も私の講演後の祈を筆記して取って置いて下さったのであります。それを此度纏めて出して下さることになったのであります。
 私は人が迷信とも考へる所か絶えず続けて居るものであります。それで、此の小冊子を私の祈の友達に捧げると共に、それか信ぜざる人々の批判を充分に受けたいと思ひます。
 改めて私は此書の為めに努力して下さいました、村島帰之兄に心よりの感謝の意を表します。

  一九二五・七・二九 
                                      賀 川 豊 彦
                                       ―武蔵野の小屋にて


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 賀川の祈祷は、膨大な数にのぼる講演記録の著作のなかに数多く収められていますが、彼の祈祷のみを集めて祈祷書として仕上げたのは本書が最初です。

 この作品は『全集』に入りましたが、後に(昭和7年)に黒田四郎・吉本健子両氏によって第2の祈祷書『神に跪くーその日その日の祈り』が上梓されており、それは『全集』には省かれています。

 なお『神との対座』の巻末には「主の祈に就て」の解説が、新たに書き添えられています。ただし、本書に入っているいくつかの作品は、既刊の随筆集などで発表済みのものがあります。


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 今回は特に本書の巻頭にある「神との対座」の一文をここに取り出して置きます。



              神との對座


 尽きざる恵みの油壷に、汲めども、汲めども猶油は底から涌いて来ます。その秘術はあなただけが御存知です、父様-―
 
 もう行詰つたか、もう押し潰されたかと思ふことが幾十回であつたか知れませんでした。然しあなたは、その凡てに尽きざる恵の油壷を、私の為めにお備へ下さいました。(列王紀略下四章)

 神戸の貧民窟に、東京のバラックの軒下に、あなたは、エリシャの時代にもおとらない奇蹟をおみせ下さいました。私は、あなたのお顔を拝んだことは一度もありませぬ、然し、あなたの御手の指先はよく拝することが出来ます。何一つとして、とりえの無い私に、かくまでお恵をお注ぎ下さることは全く、私に取っては、今の世の奇蹟で御座います。

 もう凡てが奇蹟の奇蹟であります。私の生きてゐること、動くこと、食事の為めに坐ること、寝ること、山のあること、草木の生えてゐること、花の咲くこと、そして、病気のあること、それが、また治ること、………………「死」のあること、然しそれでも人間の数の減らぬこと、奇蹟です、奇蹟です、これほど不思議なことは、私には想像もつきませぬ。

 自然法というふもの、そのものが第一の奇蹟です。その自然法の組合せによって出来上った世界に、目的のある人間が別段大きな衝突もなく生きて行けると云うこと、それに良心のあること、まあ、何と云ふ大きな奇蹟でせう。その上に、祈りたい心持ちのあること。

 父なる神さま、私は、あなたに絶えす祈って居ります。そして嘗てあなたの御聲を人間の聲のような音響として聞いたことはありませぬ。
 然し、あなたが、私の祈り以上に、お答へ下さったと云ふことを信じないではおけませぬ。

 あなたの御聲は人間の聲とは違ひます。それは歴史を通じて物語って下さいます。それは良心の最高善としてお語りになります。人は私の良心の最高善を笑ひます。『そんな、ぼんやりしたものが、祈りの對象になるものか?』と云って。

 然し、その最高善に延び上りたい為めに、私は、いつも祈り続けて居ります。
 最高善にまで延び上ることは、私に對しても、喜びであり、あなたに取っても、御満足なことであると思ふからであります。

 私は、聲なきあなたの御聲を常に聞いて居ります――それは自然に、歴史に、良心に――その御聲は、常に『延び上れよ、要求せよ、最高善に進めよ、神の芸術の為めに、凡てをきよめよ』と宣ってゐられます。

 また、『おまへの途は、私の途だ、神の為めに、最高善の要求をせよ、祈れよ、祈れよ』と。

 他所から見て居ると何だか、ひとり聲を出して、對手も何にも見え無い時に、祈ることは、発狂してゐるかのようにも見えると思びます。然し、祈りの形は一つの表象であります。あなたは、その祈りの表象を必しもお咎めにはならないと思ひます。

 悲しい時に、淋しい時に、生え上らんとする時に、ひとりぼっちで居る時に、私はあなたと對座いたします。そして、今日までどんなにか、お恵みを戴いたことでせう。

 獄中に、病床に、貧民窟に、裁判廷に、示威運勁の行列の先頭に、大演説會の舞台裏に、借金で困ってゐる日に、罵○○謗の真唯中に、あなたは常に、私の前と後に立って居で下さいます。あなたこそ観音力の観音力、何人も浸す能はざる銅(あかがね)の垣で居らしやいます。

 私は小さい世界の、小さい表象を以つてあなたに話しかけます。そしてあなたは、大きな世界に、大きな仕組で、聲なくしで、聲ある不思議な開展を以って、私にお答へになります。

 私は或紳秘主義者のように、あなたから即座にお答を聞かうとは致しませぬ。
 昔の神秘主義者は、即座のお答をあなたから戴くことに速急でした。そしてあなたも亦、それらの人々に色々な不思議を通して、人間らしいお答をなさったようでした。

 然し、今日の私どもは、あなたのお聲を昔の預言者のように、人間的聲としてお聞き申さうとはして居りませぬ。あなたのお聲はあまたのお聲として、萬有の中にお聞き申したいと存じて居ります。そして、私はその萬有の進行を通じて、人間の祈りの聞かれるものなるを固く信じてゐるのであります。

 私は最高の要求(祈りの出発)と最高の努力(祈り進行)によって、あなたのお答が宇宙の各方面から響いてくることを信じて居ります――或時は友人の親切を通じ、或時は家畜の温順を通じ、更に我等を環る自然の変化を通じて、あなたのお答は完全であります。

 私は、凡てをあなたにお委せして居ります。私の計企に落度の多いことはいつものことであります。その時に於てすら、あなたは私をお救ひ下さいまして、再生の思ひに立ち到らしめて下さることをいつも乍ら感謝いたして居ります。

 私は無一物になることが少しも悲しくありませぬ。元来が無一物から出発したものでありますから、無一物の日の歓喜をよく存じて居ります。ただあなたからお預りした色々の材料や能力や人材を出来るだけ、み栄の為めに生かしたいと思ひまして苦心いたして居ります。

 星暗き闇夜に人里遠き野原を逍遥する時、どんなにか、あなたの御手の恵深い事を思ふて感激することでせう。密室に、過去のみ恵を思ひ起すと、私は感激の涙で机を蔽ふことは幾十度か存じませぬ。

 私の不覚、私のふつつか、私の生意気、私の無知、それらに対しても、あなたの御愛の至大なることを思ふて、あなたが誠に救の父であられることを、いつも考へて居ります。

 私の知人、友人の中にも隨分失敗するものが多く御座ります。然し、その罪をもあなたがお赦し下さるのだと思ふと、あなたの博大な愛に怖ろしくなります。誠に十字架を通して、お語りになりました、特赦の福音こそ私共には全く不可解な、然し、誠に有難いお覚召と存じまして、固く信じさせて頂きます。
 この千九百年前の特赦の福音、新生の福音を、私は今更ながら、新しく味び直して居ります。

 赦して頂く道理の無い時に、赦して頂くことは全く人間の進化の道程に取つては超自然的のことでござります。而もその超自然のお力が人間の良心とその努力を通じて、常に新しく加へられて居ることを知りまして、うれしくてなりませぬ。

 常に新しい父なる神様、今日も私はあなたを前にして労作を績けます。そして恵の日をまた一日加へさせて頂きます。誠に(アーメン)。誠に(アーメン)。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第27回『福音書に現れたるイエスの姿』)

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昨日のぶらり散歩は、久しぶりに「兵庫大仏」まで足を運びました。雨が降り始めてきましたが、ここも清盛人気で賑わっていました。




             賀川豊彦」のぶらり散歩
   

              ―作品の序文など―

      第27回

           福音書に現れたるイエスの姿

         大正14年1月20日 警醒社書店 99頁


『死線を越えて』三部作を完成させた翌年(大正14年)の初めに刊行したこの著作は、賀川としては珍しく100頁にも満たない小著であり、簡易なつくりになっています。

 表紙は、前回『死線を越えて』の下巻『壁の聲きく時』の資料としてUPした賀川の表紙原稿がそうでしたが、書名と著者名を得意の袋文字を手書きしたものが、そのまま用いられています。(扉をあけて目に止まる題字は表紙の題とは異なり「四福音書に現れたるイエスの姿」と活字印刷されているのもご愛嬌というところでしょうか。)


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そしていつもの「例言」で、賀川は次のように書き記しています。これを見ても、前に取り上げた『イエスの日常生活』と『イエスの内部生活』は、本書と共に村島帰之氏による筆記であることがわかります。

 『イエスの日常生活』と同様に本書も全集には収まりませんでした。


               *      *


                 例  言

    一、本書は、イエスの姿を、浮彫の如く、人々の胸の中に刻まうとして、ものしたも

      ので、既に公けにした「イエスの日常生活」及び「イエスの内部生活」と併せ読

      まるゝならば、イエスの姿はハッキリと、読者の胸に甦って来るであらう。

    二、本書は東京麹町教会において説教したのを友人村島帰之氏が筆記してくれられた

      ものである。


              *        *


 本書の巻頭の「魂の彫刻」と題される「序編」は「私の魂にイエスの姿を産み付けよ」という副題をつけたもので、おそらくこれは、賀川が自ら筆を取って書き上げたものだと思われます。

 以下に、この「序編」をスキャンして置きます。(ルビの間違いが気になりますがそのままに)。

 なお、「魂の彫刻」という表現は、のちに(翌年)完成した有名な著書『魂の彫刻』の書名となっています。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第26回『死線を越えて・下巻・壁の聲きく時』)

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現在「アートホール神戸」で開催中の「庶民の信仰:円空展」に出掛けてきました。この「大黒天」素晴らしかったですよ。27日までです。高齢者無料というのもありがたいデス。



              賀川豊彦」のぶらり散歩   


                ―作品の序文など―


                 第26回


           死線を越えて 下巻 壁の聲きく時


          大正13年12月1日 改造社 510頁


 賀川豊彦の代表作である小説『死線を越えて』は大正9年10月に改造社から出版され、大ベストセラーとなったこともあって、その続編がおよそ1年後の大正10年11月に『太陽を射るもの』と題して「中巻」として刊行されました。

 「下巻」はその2年後、大正13年12月に『壁の聲きく時』を完結させ、「賀川の神戸時代」を書き切りました。

 手元にあるものは初版本ですが、1968年春に神戸の下町で在家労働牧師を目指して新しい歩みを始めてまもないときに、ゴム工場の近くにあった長田区内の小さな古本屋さんで見つけたものでした。

 本の背や本体もずいぶん痛んでいますが、私にとっては、ゴム労働の修行中によみ通した想い出深い本でもあります。


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 本書には上巻・中巻いずれにもなかった「序」にあたる一文が入っています。

 そして、どうして私の手元にあるのか失念していますが、松沢資料館所蔵資料のコピーが3枚――『死線を越えて下巻壁の声きく時』の原稿――があります。

 大変貴重な資料ですが、ここに重要な「序」(読みやすくテキスト化しておけばよいのですが、小説をお持ちの方が多いでしょうから、このままで)と、3枚のコピーをUPして置きます。


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 なお、この「下巻」も「上巻」「中巻」とともに昭和2年に「縮刷版」が出ています。なぜかこの「縮刷版」では「下巻」にあった大切な「序」が省かれています。

 そして本書は、昭和58年には社会思想社の現代教養文庫に『壁の声きく時―続々・死線を越えて』も刊行されました。

 ふつう『死線を越えて』といえば、上巻をさすかのように最近の復刻版は出回っていますが、追って地理あげますように、『死線を越えて」は、改めて強調するまでもなく、上中下の三部作で完結した大作です。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第25回『イエスの内部生活』)

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この写真は、昨夜の神戸文化ホールで開かれた「武庫川女子大学コーラス部第44回定期演奏会」終了後の玄関ホールでのものです。素敵な演奏会でした。



             賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―


                 第25回


               イエスの内部生活


           大正13年7月5日日 警醒社書店 281頁


 本書『イエスの内部生活』は、ほぼ1年前になる賀川の神戸時代の作品『イエスの日常生活』の「例言」に「『イエスの日常生活』は『イエスの内部生活』と合わせて読んで戴きたいと思います」と書かれていました。

 ですから、この作品は『イエスの日常生活』が「神戸イエス団に於ける聖書講演を、村島帰之氏が筆記して下さったもの」ですので、本書には「例言」はありませんが、これも同時期に「神戸イエス団に於ける聖書講演」で村島の手によって仕上げられていたものであることが、考えられます。そのことを裏付けるように、本書に収められたものは、ほとんどが『雲の柱』の大正12年3月から5月の号に掲載されているのです。

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 本書を一読されるとおわかりのように、「神戸イエス団に於ける聖書講演」のどの講演をとってみても準備周到な内容であり、賀川の聖書講演は、多くの場合、謄写印刷の数枚の資料も準備されて、丁寧に行われていた事も、残されていた資料で確かめることができます。

 こうした一連の連続講演が、すぐ2冊の書物となって仕上がっていくのですから、驚きです。

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 ところで、手元にある原書は大正13年のものではなく、昭和13年4月に装丁を代えて出版されたものです。もちろん、本文は初版と全く変わらないもののようです。

 先ずその箱表紙と本体表紙をUPして置きます。


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 本書の「序」は、1924年6月12日付けで「バラックにて」記された「イエスと魂の会話」という小品です。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第24回『地球を墳墓として』)

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今日の「ぶらり散歩」は、「新川運河・キャナルプロムナード」です。この近くに、賀川豊彦生誕の地「島上町」があり先年その記念碑が建てられました。




             賀川豊彦」のぶらり散歩
   
   
               ―作品の序文など―


                 第24回

                地球を墳墓として

          大正13年6月21日 アテネ書院 446頁


 前著『愛の科学』が出版されて一ヶ月も経たない6月21日に本書は出版されています。
 大正13年の3冊目の著作として、「アテネ書院」という新たな出版社で出しています。
 『愛の科学』と同じく450頁に近い大著で、もちろんこれも箱入り上製本です。


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 手元の原書は、6月23日に出た第6版となっていますが、よく見ると三日目に6版というのは間違いではないかと思われるほどの、これまたモウレツな読まれ方です。

 また、奥付の著者印も、前回に続いて「串」印になっています。

     
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 本書の「序」の末尾には、「1924・6・11」「東京本所松倉町バラックにて」と記されていますが、本文に収められている作品の執筆の日付を見ると、半分ほどは「神戸時代」の作品が含まれています。

 特に本書の中の注目すべき論文「法華経を読むー法華経とイエスの福音」は、関東大震災の起きた当日、「1923年9月1日」に書き上げられています。

 なお、本書は前掲『雷鳥の目醒むる前』に続く「散文詩」「感想」「随筆」を収録した名品ですが、これの「改版」や「新版」の形跡はないようです。


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それでは、賀川の「序」をスキャンいたします。


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補記(2012年3月4日)

「序」の取り出しができていませんでしたので、遅ればせながら、ここに収めて置きます。




                  地殻を破って


                    序


 わたしの魂よ、強く生きよ。善と美に対して強く生きよ。春先に麦の芽が黒土の地殻を破って萌え出づる如く強く生きよ。混乱を越え、争闘と、怨恨と、暴行と、脅迫と、病弱を越えて強く生きよ。

 わたしの魂よ、正しくあれ! 常に張り詰めで居れ。雪崩れが落ちて来ても、強くあれよ。わたしの魂よ、穽に陥れられてもおそれるな。凡てを破って成長せよ。

 おまへは一人居つてはならぬ。痛める魂を労はり、傷つけるものに膏を塗れ。おまへは病児の友、敗者の助け手、盲者の手引き、白血球の仕事をせよ。強くあれ、私の魂よ、民衆は土耳古犬の様に吠えたぐつて、階級闘争を叫ぶ時に、おまへは忘れられても、傷つける霊の為めに静かこ解放を説いて来い。

 おまへは代議士になってはならぬ。おまへにもう幸にして官吏にはなれぬ……前科が二犯出来たから。牧師にも向かない。専門学校の先生にも駄目だ。おまへは新聞記者にもなれぬ。おまへは一生辻の乞食と淫売婦を女達として送れ! おまへは一生貧民窟を出てはならぬ。おまへは一生辻に立て! 路傍説教をやめるな! おまえには教会が無いから辻の石の上に立って、解放と罪のゆるしの福音を説け!

 わたしの魂よ、神戸に貧民窟が無くなつたなら大阪に移れ! 目本に貧民窟 が無くなったなら支那に移れ! おまへの魂は一生貧民窟に縛りつけられて居るのだ。

 雪崩のあつた後に空か真青に澄むやうに、私の魂の上に空か晴れる。私は地殻を破って甦る!

 魂よ、マッチ箱生活を理想とする安住の子の魂よ、おまへは落付いて内なるものの爆発する声を聞け! 神は内なるものである。

 魂よ、内なるものがおまへに力附ける。おまへは強いものだ! 人間の子の小使として充分労働にに耐え得る。ナザレの大工のやうにおまへも地上を廻っで善と労働をして来い。妥協のなき愛に生きて来い。

 私の魂は強く生きる。噴火口の烟の如く如く海洋の潮の如く、強く生きる。私の霊は自殺することが出来ない。死も棺桶も蓋をめくって廻る。死を飛び越えた私の魂は墓地を廻って棺桶の蓋をめくつて廻る!

 出て来い、凡百の魂よ、死の床より起きで来い! 地殻を踏み破って立ち上って来い! 起床の喇叭が鴫るでは無いか! 永き眠より醒めよ! 罪と憂鬱の虜より解放せられよ! 因循と、麻酔と、善に対する虚弱より醒めよ!

 私は道徳に酔ふ! 外側の道徳は振り捨てて了った。内側で発酵した善が私を酔はしてくれる。酒も飲まないのに私はほろよい機嫌だ! 神と道徳の耽溺者は墓場から、地獄にあいそう愛憎つかされて、神に酔払って此世に迷い出て来た!

 棺桶の中に安眠するものよ出て来い! 繭よ、蛹よ、墓地を噛み破れ! 発明せよ! 爆発せよ! 死の扉を打砕け!

 魂よ、白日を仰いで、昇天せよ!

 百万の太陽を浴びつつ、翼なくして空中にで踊れ!

 内なるものが爆発して居るではないか!
                                  賀 川 豊 彦
                                    神戸貧民富にて














新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第23回『愛の科学』)

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毎回1枚の写真をUPしてるのは、同時進行の別のブログ「番町出合いの家」で10枚近く掲載している写真の中の1枚です。「ぶらり散歩」の続きということで・・・。上の写真は、知るひとぞ知る「大輪田橋」の東下にある「戦災殉難者慰霊碑」です。



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―   

                 第23回

                 愛の科学

         大正13年6月1日 文化生活研究会 448頁


 本書は、賀川の大正13年の2冊目の著作で、文化生活研究会より刊行されました。この研究会は、有島武郎の『生活と文学』やヴォーリズの『吾家の設計』などを出版していたところです。

 450頁ほどの箱入りの大著です。手元にあるものは初版とはいえ、箱もカバーもなく、そして口絵写真もある筈ですが、それも切り取られている古書ですが、しっかりした上製本です。

 先ず表紙と奥付をスキャンしておきます。


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ぼやけていますが、奥付の著者印には、一般的な「賀川」の印ではなく「串」印となっています。これは「家紋」のようですね。

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今回も本書の「例言」と「序文」(「愛は私の一切であるー序に代えて」)を収めますが、最初の「例言」をみると、本書の仕上げには、前著『苦難に対する態度』に続いて、村島帰之氏が協力して出来ているようです。そして校正に当たったと記されている鑓田研一氏は、このあたりから、賀川の著作づくりに参画していることが判ります。


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ここでまず「序に代えて」をUPします。


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なお、本書は昭和6年に銀座書房より改版され、戦後にも昭和22年に警醒社書店より、賀川の「改版の序」を付して刊行されています。加えて昭和31年にも、福書房が上製版を出しています。


昭和22年の警醒社版と「改版の序」、そして昭和31年の福書房版をUPします。


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なお、ここで本書の中国語版で書かれた賀川の「序文」も入れて置きます。これは「火の柱」に収められていたものを取り出したドキュメントです。



                  作者新序

 「愛の科学」の訳本に〝はじめに″の文章を頼まれたとき、私は悲しかったです。なぜならば、我々日本人が中国に対し、愛の法則を破壊しつづけてきたからです。私は日本を愛しているのと同じように、中国を愛しています。さらに中国に平和の日が早く来るようにと祈り続けてきました。

 日本軍のあちこちでの嫌がらせで、私は異常なほどに恥じました。ところが中国の方々は、日本がどんなに凶暴だったかにもかかわらず、私の本を翻訳してくれました。私は中国の寛容さに驚かずにはいられませんでした。たとえ私が日本の替わりに百万回謝罪しても、日本の罪を謝りきれないでしょう。それで私はこの〝はじめに″の文章を書く勇気さえなくなりました。

 私は無力すぎます。私は恥じます。私は日本軍閥を感化することが出来ませんでした。
 中国の読者の方々、私を無力者と思って、私を侮辱してもかまいません。それは私が受けるべきことです。

 しかし、もし日本が悔い改めて中国と永久な友好関係を結ぼうと思ったら、それは愛の法則の力を借りる他道がないのです。いいえこれは日本と中国の関係だけではなく、もし世界中のあらゆる人種の国民がもっと先進的な文化がほしいと望むなら、それも贖罪愛の原理に頼る他に道がないです。贖罪愛の法則は宇宙の法則です。

 克魯泡特金【クロバトキン】が言った本能愛だけではたりません。本能愛は民族を超えることができません。

 民族を超えられるのはイエスの力強い贖罪愛です。それは宇宙の意識を持ち、もっとも悲しい運命の中に陥れた人類を救出するためのある種の力です。

 日本民族はこの極めて大きな贖罪愛を知らないから、私は耶利米【エレミヤ】と同じような悲しみを感じています。

 孔子や老子を生み出した国民の皆様よ、お許し下さい。

 日本民族は、鉄砲を捨て十字架の愛の上で目覚める日は、きっといつか来るのでしょう。現在私は謝罪することしか、他に何にも考えられません。もし中国の方々が、この本をめくって読んでくれたら、日本にも多くの青年の魂が私と同じように、悔やみ改めながら本気で謝罪を申しているということを忘れないで下さい。
   (一九三四年(昭和九)二月八日、於フィリピン ルソン海上にて)
                                         賀川 豊彦



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そして最後に、本書の英訳版の、そのダイジェスト版である小著も加えて置きます。


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補記(2012年3月4日)


「愛の科学」の「序に代えて」のところを、漸くとりだしましたので、ここに収めて置きます。



                    愛の科学

                  愛は私の一切である

                   ―序に代へて―

 愛の飢饉だ! それか、私を悲しましめる。都にも、鄙にも、病院にも、工場にも、店頭にも、街上にも、怖ろしい旱魃だ。

 愛の滴は何処にも見出されない。一滴も残らず蒸発して了った。それはサハラの砂漠よりも、物憂く、ゴビの大砂漠よりも物凄い。最後の愛が蒸発して了った時に、人々はみな発狂した。そして嘗て、愛に就て考へ、嘗て愛に組みしたものを虐殺し始めた。

 見よ、人々は刀剣もて武装し、鉄砲、槍、十手まで出して来て、互に憎み、互に疑ひ始めた。

 日本は、恐怖の旋風に襲はれた。日本の組織は根底から、ぐらついた。私は日本に軍隊が無いと云ふのではない。政府が無いと云ふのでは無い。目本に魂が無いと云ふのだ。

 え? 日本に魂が無い? さうだ、目本の魂は大地震と共に、ぐらついて居ることがわかった。日本人は日本人を信用して居らない。日本人は征服者としての悲哀を知った。日本人は、首都の真中に多くの反逆者の住んで居ることに気が附いた。日本人はもう自らを信じてゐない。之が、私をして悲しましめる。

 剣か社会を作ってゐた時は、もう過ぎた。刄が日本魂だなどと考へてゐる時は、もう過ぎた! 愛の外に日本の精神は有ってはならない。

 愛は最後の帝王だ。愛の外に世界を征服するものは無い。世界帝国の夢想者は凡て失敗した。秦の始皇も、アレキサンダア大王も、ハンニバルも、ジュリアスーシーザーも、ナポレオンも、カイゼルも、みな夢の如く消え失せて了った。刀剣の征服は一瞬であって、その効力は止針に価しない。

 愛は内側から社会を固める。それは楔であり、帯である。愛は殺すことが出来ない。

 日本は之を信じない。その為めに世界をよう征服しないのだ。地球の征服を祈るものは直径七千五百哩の球面を征服するに止まる。魂を征服するものは宇宙の髄までも征服する。

 東京の何処を歩いて、私は『愛』にぶつかるか? 処女も、新聞売子も、車掌も、大臣も、みな干ぬけたる顔をしてゐる。私は内閣総川大臣官邸から深川猿江裏の焼トタンの三畳敷まで見で廻る。そして私はその何処にも、日本の社会に愛の紛失したるを発見した。

 劇場に、音楽会に、宴会に、公園に、私は魂の抜け殻を発見する。歌ひ手は銀糸の刺繍の帯を紫縮緬の振袖の上にしめて出て来た。それは美しい。美しくはあるが藻抜けの殻である。焼トタンの兄弟がまだ泣いてゐる時に、彼女のこの姿は何であらうぞ!

 大川のはとりに酒屋があった。地震は酒蔵を河の中に投げ込んだ。火は岸辺に避難してゐた群衆を河に溺らせた。然し酒に狂うた多くの痴者、それらの人々の屍を取片付けようともしないで、屍の下を潜って瓶詰の酒を拾ひ集めた。酒瓶の幾百本とも知らない数が河底に横たはってゐた。貪慾な男は拾ひ貯めをしやうと瓶詰を渚に並べた。それを善いことにして、酒泥棒が水底に潜って居る中に、多くの群衆はそれを片端からかっぱらって持って行った。それが大地震
の後三日の出来事であった。

 その大きな真似を国際的にしてゐるのが戦争と貿易戦である。おお、もう再び、私に欧洲の動乱を語ってくれるな! 私の心はその為めに病む。それは人間のする仕事ではない。ドイツ人、フランス人、イギリス人のする仕事だ!

 彼等は人間では無い! あゝ彼等は入間機械だ! 魂なき野獣だ! 野獣には未だ魂がある。然し彼等は、肉慾の為めに魂を売り、貨幣の為めに、人の子を大砲の前にくくり附けた。

 思ひ出すだに悶絶の種である。何故に破壊と、貧乏と、血と、姦淫を買ふ為めに八百万の生霊を殺し、二千二百万の人を傷けねばならなかったか?

 罰だ! 天譴なのだ! 愛せざるものはそれ自らに報ゐてくる! 憎悪と、闘争を七十七年かかって教へて来たものだから、世界は彼等の祈りの通りになった。木を伐れば水源の断えるのはあたりまへだ。愛の蒸発した次の日に、大戦争が起ったのだ。

 私は、愛を拒否する凡ての学問、凡ての制度、凡ての政治、凡ての芸術、凡ての宗教に反対する。私は口に信仰を唱へて、愛せざる所謂教会を拒否する。権力のみを知って愛せざる法律製造者に反対する。

 私をかく云ふことによって縛るなら縛るが善い。私はどうせ愛の沙漠に渇死すべきものなら、刄の下に一日も早く死ぬることを要求する。

 憎む為めの共産主義を私の為めに説くな。私は愛したいのだ! 果して憎悪によつて共産主義が出来るかどうか教へてくれ! 刀剣によって支えられた共産生義! それは脅迫主義では無いか。

 革命は一日にして成る。ザア・ニコラスはクロンスタツトの砲声に驚き、ケレンスキーは戦はずして逃けた。キールの一撃はカイザル・ウヰルヘルム三世の王冠を射落した。

 然し、愛は一日にして成らない!

 愛が一日にして成らないから、民衆は容易なる剣銃の道を選ぶのだ。そして人類は永遠に剣の刄を渡らせられる。渡り損ねたものは、その儘引裂かれて倒れるのだ! 人類の手品師よ、みこよ、魔術使よ、世界の凡ての剣の刄の上を、幾箇師団が並んで通れるか計算してくれ!

 剣の刄の上に建てられた共産生義を見よ、銃丸の上に据えられたクラウンを見よ、それはあまりに醜きものである。

 されば銃剣の代りに貨幣もて、魂を買ふか? 肉を売る女、梅毒薬を売る男、路次の中の不良少年、それを取締る警官、橋の袂に立つ憲兵――これをしも国家と云ふならば、今日の国歌に地獄の隣に位する。

 私は、愛の飢饉に悶絶する。

 米国上院議員の顔を見よ、ボラーの正義とハイラム・ジョンソンの愛国心の如何に雄弁に聞こえることよ! 地獄の隣地では凡て憎悪と侮蔑が正義と愛国心に聞こえる。

 民族は民族を虐使し、種族は種族を虐殺する。地獄の隣地には、地獄より吹き込む憎悪の焔の為めに、人間が凡て眼を焼かれる。米国もその一つである。

 魂よ、愛の間伐を避けて、何地に避難せんとするか? 愛の泉は何処に湧くか?

 子よ、愛の泉は谷間を探してはならない。他人の胸中を探してもならぬ。愛の泉は―-それ、おまへ自らの胸に掘らねばならぬ。

 さうだ、さうだった! 私の喉の渇を癒す為めに、他人に愛を求めで行ったから問違つてゐたのだ。私は癒す可き愛の泉を自らの胸底に掘らねばならなかつたのだ。

 人を愛しないものを、誰れが愛してくれようぞ! 自ら造らざる彫刻が、何時になれば、人間の形に成らうぞ! 衷なる魂よ、先づ、一握の石膏を取って、そこに鼻の形を作るが善い! その次に眼を、その次に口を、そして、最後に耳をつけよ、そこに人間が出来る。愛は彫刻だ。人の魂の上に彫り付けて行く彫刻である。

 私は失望しない。地上の間伐を見て怖れない。私は更に幾尺か、幾百尺か、衷なる自己の魂を掘り下げやう。愛の泉は、地上に求むることは出来ない。それを生命の懐に尋ねねばならぬ。

 私は自己の衷に神にまで掘り下げる。そして猶、徴かに聞こえる胸底の地下水に探りあてなば、その辛うじて見出した魂のオーシスを愛護して世の渇きたるものを数人でも、そこに導き来よう。

 悲しき日よ、去れよ。剣銃の手品師よ、往け! 私は神と共に愛の王国を地上に建てねばならぬ。そこには一人の罪人も損はれず、一人の乞食も蔑しろにせられない。

 夢遊病者よ、その天国が、すぐ来ると思ふか? おまへのユートピア病にも驚かされる!

 驚くな、子よ、天国は私の魂に始まった。そして、漸次それが拡大しつつある。私はそれが犠牲なしに通れる途だとは、勿諭思はない。そこに十字架が、我等を待つ。

 さらば、十字架も、死も来るが善い。それが愛の為めならば、私は悦んで死なう。

 私には唯一つの福音、唯一つの救しか無い。それは、十字架は愛によって、蹂躙せらる可きものだと云ふことである。

 愛に、凡てのものが甦る! 愛のみ全能である。愛は産み、育て、導く。愛のみが永遠である。

 愛は世界を造った。愛は世界を保持する。愛は神の本質である。

 病まねばならぬ日に、愛に私の身をまかせる。死なねばならぬ日に、愛に私の魂を供托する。愛は私の胸の最後の征服者である。私は愛の奴隷である。光栄ある奴隷よ、私は完全に愛によって征服せられた。

 私に脆拝を受けたいものは、愛を持ってくるか善い。そのものに、私は礼賛を惜しまないであらう。それが愛の断片であつても、私に取っては啓示である、神へ行く手づるである。愛あるところに神がある。愛は私の一切である。











新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第22回『苦難に対する態度』)

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今回のぶらり散歩は、観光客でにぎわう「清盛塚」です。http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ 参照



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   
               
               ―作品の序文など―

   
                 第22回

            
               苦難に対する態度


         大正13年2月25日 警醒社書店 187頁


 本書は、大正12年9月1日に起こった関東大震災の救援活動を契機にして、賀川が東京に活動拠点を移した後、最初に出版された作品です。手元にある原書は第5版ですが、2月25日に出版されて3月10日に5版ですから、本書の読まれ方も猛烈なものです。

 この作品の成立については、村島帰之氏の貴重な証言が残されていますので、まずそれをここにUPして置きます。それは、戦後昭和27年10月5日発行の「火の柱」に寄稿した「あのころのことー歴史的賀川講演「ヨブ記」・第1回イエスの友修養会のこと」です。不正確な箇所もあるかもしれませんが、打ち込んで置きます。

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            昭和二十七年十月五日 「火の柱」

        
          あのころのこと 歴史的賀川講演「ヨブ記
       

             第1回イエスの友修養会のこと

              
                 村島帰之
 

 発足以来二年、満を持して動かなかつたイエスの友会を、街頭に押し出そうとして、神は大なまずに命じ、そのしっぽをひとふりふらしめ給うた。大正十二年九月の関東大地震がそれである。しかし当のイエスの友もまた統帥・賀川豊彦先生も、この神の遠大なる計画を知る由なく、御手に導かるゝまゝ、神の準備せられた集結地、富士の霊峰の下、風清き御殿場の東山湖畔に三々五々集合したのは、震災に先立つわすか七日の八月二十五日のことだつた。そしてこの集いにおいて、イエスの友の面々は、賀川先生の声涙共にくだる大説教を通じ、神の決死隊としての心構えを身につけたのである。顧れば茫々既に三十年前の昔語りになろうとしている。わたしは「あのころのこと」の最初にその日の感激を語りたい。

 わたしにその頃まだ基督信者となっていなかつた。ただ賀川先生からの依頼で、関西学院教授の新明正道(現東北大教授)松澤兼人(前代議士)両氏と共に、社会問題の講義をするため出席したのだが、これが自分の一生を左右する分岐点になろうとは、神ならぬ身の知るよしもなかつた。当時、わたしは三十歳、まだ独り身で、大阪毎日新聞の学芸部記者だった。

 会場の東山荘は御殿場駅から東方約二十町の高原の中にあつた。大阪から遥々来て記者から吐き出されたわたしは、駅頭で偶然邂逅した柳つる子姉らと一つ自動車で町はすれの杉並木を東山荘へ運ばれた。見ればびろうどの手触りを思わせる翠の丘の中腹に、学校のような粗末なハラックの二階建、それが東山荘だつた。
 
 自動車が止つた時、建物の中から急霰の拍手、何事かと下り立つと、それはわたしたちを歓迎する賀川先生らの拍手で、先生のほか先着の友と、春子夫人も赤ン坊の純基ちやんを抱いて出迎えてくれられているのだつた。「よく来たね」「早やかつたですね」といいつゝ、先生らの釘抜きのような堅い握手。そして幹事の面々の紹介。「これはパウロ後藤安太郎君、こちらはナタナエル馬淵康彦君、いすれも一騎当千のイエスの友です」と。パウロもナタナエルもまだ二十歳前後、パウロは鉄道省の詰襟服だが、襟章は彼がこの若さで既に判任官であることを語っていた。
 
 宿舎は建物の両翼に分れていて右翼の洋風の板問、カンバスベットのある方が私たち講師の宿舎、左翼の畳敷が会員の宿舎だという。

 会員は次々到着した。自動車の警笛が杉木立の中から聞える毎にみんなは急いで窓から顔を出して拍手で迎えた。そして開会時間までに赤穂浪士ではないが四十七名の顔が揃つた。その中には後に賀川グループの中心人物となった木立義通、杉山健一郎、菊池千歳(現在佐竹)、矢崎ぎやう(現在後藤)、浅野春子、吉本健子、今井よね、水戸晤郎、小林光雄、多田篤一、それに賀川夫人令妹芝八重、伊藤傳氏らの顔も見えた。今、五十代の老人も、まだ二十代の青年であつた。
 
 かくて二十五日午後四時、裏山のひぐらしを聞きつゝ石田友治氏司会の下にまず祈祷会が開かれた。賀川先生の祈りに次で熱のある祈りがつゞいた。九州の八幡孫一氏のごとき、天にも聞えよとばかり大聲で「自分に信仰の火をもやし下さい。それでなけれ、きれいさっばりと首をちよんぎって下さい」と祈って劈頭息づまるような雰囲気がたゞよう。
 
 夕食がすんで休憩していると、早くも講義の時間となって、第一講は「生存競争の研究」と題する先生の講義。
 宇宙の根源に自然淘汰や生存競争のあるのは事実だが、それだけが宇宙を支配するものではない。一方に神の摂理があって。内側から善の方へ導く力のあることを忘れこはならぬ。これが良心宗教となって、生存競争をすら修正する。この修正の力こそ、イエスの贖罪愛である。これこそ人類の世界が持つ使命であり、人間の菩薩であり、神の子たらんとする意識であると先生は力強く述べられた。
 
 終わって「イエスの友の時間」第一夜だというので各自が自己紹介をすることゝなつたが、私の動議で「他己紹介」をも併用することゝなつた。婦人は専門学校の学生が多く、男子は社会に出で働いている人が多かつた。
 
 翌れば二十六日、五時半から日曜礼拝をもつ。讃美と聖書朗読の後、先生は静かに祈られた。
 「腐り行く生命に新しき霊を輿え給え。生活の敬虔を輿え給え。新日本に、新精神をわれ等を通じて吹きこみ給え。凡べてに感謝し、凡べてに懺悔いたします。そして凡ベてに強くあらんことを祈ります。私どもがこうしている時も、この聖日に労働を強いられ、長屋の下、燃ゆる瓦の下に生活の煩悶に苦しむ兄弟があります。父よ、彼等を顧み給え。私どもの我儘心を取り去り、自らを十字架につける決心を輿え給え。大自然の物語がたましいに○霊と浸み入ります。この拙き霊に光を輿え給え。今もバルテマの戸をあけ、霊の窓をひらいて、あなたの御来光あらんことを祈り生す…… アーメン」 
 先生の熱祈が会衆のたましいをゆすぶる。
 
 礼拝をおえると、夜まで、引っきりなしの日課で、食事の時間を除いては講演のぶっ通しである。
 この日、朝からの日本晴で、富士の姿が会場の窓一杯に仰がれて、一同は講演を聞きながらその美しい景観をも見る特権を輿えられていたが、何としたことか、午後から急に空模様が変わって、午後四時祈祷会を開こうとした頃には、天地をくつがえさんばかりの大雷雨。電燈も消えてしまった。あすの先生の講演に預定されている「ヨブ記」の中の一節「電光をもてその両手を包み、その電光に命じて敵を撃たしめ給う」というその電光の閃めきの中に、一同は静かに祈った。特に労働者、失業者のために――。

 けれども豪雨はなかなかにやまず、電燈もつかない。そこで七時からの新明正道氏の「社会学における宗教的見解」は蟻燭の灯の中で口述された。ところが、講演もイエスの友の時間も終わって一同眠につこうとした頃、雷もおさまり、雨もやみ、あまつさえ十五夜の月がみずみずしい光を裾野の天地に投げるではないか。庭後の杉木立が風にざわめき、部屋に投ぜられた杉の梢の影が月光の中にゆらいで、まるで川の流れのように美しい。夜更けだというのに、外には青年の口笛さえ聞こえる。月にさそわれて起きでたのであろう。

 翌けて二十七日、第三日、朝五時半から先生の「ヨハネの宗教的経験」があり、八時から私が「売笑婦問題」を話す。私はわが国に今なお五萬の娼妓とそれ以上の私娼が居る事、彼女たちは家の貧しいために人肉の市に売られるのだが前借金は大部分五百圓から千圓で、これを皆済するためには長い者は十年も稼かせられていること、私娼には十六歳末満の者さえあり、前身は半数まで女工である事などを述べた。私が着席すると石田友治氏が立上った。見れば氏の頬には熱涙が伝わっている。
 
「神さま、私たちは今私たちの姉妹が非人道な苔の下に虐げられているという怖しい事実を眼前に突きつけられてじっとしてはいられないのです。どうかこの人たちを救う方法とそしてそれを敢行する力とを与えてください。」

 二三の女性も、「虐げられた同性のために、私のからだを役立たせて下さい」と祈った。この日、特に富士に面した離れの図書室に移された小さな会場には、ただ、すすり泣きの聲のみが聞こえた。多くの青年の熱烈な祈りについで、先生が立ち上がった。
 「あまりセンチメンタルになってはならない」とみんなを制した後、「私は卑怯考です。なぜもっとこうした社会悪に向かって勇敢に突進できないのしょう」
 
 短刀のような鋭い言葉だ。そして見よ! 先生の面には涙が伝わっているではないか。
 何という感激! 私は労働組合の集会には出つけているが、こうした宗教的な浄き昂奮は始めての経験である。私はいう事を知らなかった。しかし、この感激は、まだ序の口にしか過ぎなかつた。果然十時から始められた賀川先生の、「ヨブ記」の研究は、ついに感激の引火点まで、一同を引っ張って行った。

 ヨブは五つの大きな災厄をうけながら、なおその苦痛を乗り越えて神を信じた。彼は本質的悪を説く友の言葉に反対して、あくまで道徳善を主張した。神はヨブにさゝやき給うた。腰ひっからげてますらおのごとくなれよ!と。強くなることだ。神によって、強くなることだ。悪の解決も、神それ自身の中にある。

 オイッケンは「神こそほ悪に打ち克つ勝利の福音だ」といつたそうだ。悪に打ち克つには、神によって、丈夫のごとく強く緊張するより外に方法はない。悪を怖るゝな。丈夫のごとく悪に対抗せよ。瞑想的煩悶を離れ、大胆に、丈夫のごとく行動せよ。悪に勝つのは思想ではなく、行動である。世を善くするための行動の前に悪は解決する。世は暗闇であっても、善に向かって突進せよ。善は悪に打ち克つ工夫である。ヨブは神により立てられ、友のために贖いをさせられた。悪の解決はついた。我らもヨブのごとく、悪に向かって猛進撃を続けねばならぬ。怖れず、まどわず、丈夫のごとく勇ましく・・・。

 みんなの胸にほ行動の宗教ということが、しみじぐと感ぜられるのだつた。
 夕拝はひぐらしの囁く背後の丘の上で行われたが、みなの胸には、ヨブ記が烙印されていて、主題の「世界平和」を中心に、熱祷がさゝげられた。

 二十八日、第四日、朝はいつものように瞬間の雨と、ひぐらしの聲に明けた。この日は時間のすきを利用して、会員の感話がなされた。わけても伊藤傳氏の語る東京の水上生活者の子女二萬が義務教育から閑却されている事実と、氏の水上学校長としての苦心談はみなの心を惹いた。夜の送別会は隠し芸が披露され、先生の鶏の鳴き声は拍手喝采であつた。私は「弁士注意」というのをした。これは中西伊之助氏からの直伝の秘芸であった。

 ついに最終日、二十九日は来た。先生は朝の五時半から十一時半まで立ちつゞけて、ヨハネ黙示録、聖書社会学及びヨプ記の三講演をつゞけられたが、ヨブ記の最終講演にいてって一同は感激の絶頂に追い上げられた。先生は力強く叫ばれた。

 「平然として地殻の上を悪に打ち克って行け」 これがヨブ記の解決である。この自然の大宇宙の構造の大の中に、悪もその一つの機能としてその存在を許すがいゝ。神の力を得る事によって、悪は毫も怖るるに足りないからだ。われ等はこの信仰をもって、腰ひっからげて、ますらおのごとく進もうではないか! 」

 ヨブの信仰は一同に大きな衝撃を輿えずにいなかつた。ヨブのごとく、確かな信仰をもって生きよう、神の力が加われば、苦難が何だ! われ等は敢然と、十字架の大佩をかざして悪に向って抗戦しよう。そして世の中を少しでも善くしよう。行動の神だ。教会の門は街頭に向って開かれねばならぬ――こう考えると、私どもの心には早くも進軍喇叭が鳴りひゞくのであつた。

 しかし、私たちは誰一人、大震災が後三日に控えていて、友の蹶起を要求していようとは夢にも考えず、たゞ感激に胸をおどらせつつ、五日間の修養会を終り、「しっかりやろうぜ」と互に肩をたゝきながら、東に西に袂を別ったのであった。


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 本書の箱の表紙は、次のような賀川の文字と絵が踊っています。そして本体の表紙も背表紙も、さらに扉にも自筆の文字が書かれています。


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 本書も「普及版」が昭和3年2月に刊行されて広く読みつがれていきました。


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 以下に「序」をスキャンします。なお、本書には「例言」はありませんが、この「ヨブ記」の講演筆記をして著作にまで仕上げた人物は、前著『イエスの日常生活』(賀川のイエス団での説教記録)に続いて村島帰之によるものだと思われます。


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補記(2012年3月4日)

「序」をここに取り出して置きます。



                    序


 山と盛りあげられた白骨の前に立ちて、私は言葉も無く、涙ぐむ。焼け潰れた安田邸が、旧主の亡霊を偲ばしめるやうな形をして立ってゐる。

 まだ、そこここに注意して見ると人間の骨片が出てくる。三万四千人が一度に焼き殺されたと云ふその惨状を思ひ浮べて、私は云ひ現はす可き言葉も無い。

 その日に人間の身体に火がついて、消さうとしても消え無かったと、人は云ふ。倒れたものはみな口から血を吐いて倒れたと云ふ。

 三万四千の生霊か、黒板のチョーク画を拭き消す如くに地上より消え失せて了った。

 考へてみると痛ましいことである。人間は松火のやうに燃え上り、火焔の旋風に巻き上げられ、火玉となって、遠くまで飛んで行った。痛いとか、苦しいとか云ふことはもう過ぎ去った事実であった。凡てが超越的の出来事のやうに見える。

 私はそれに就てわからぬことが多くある。然し私はかく信じたい。

 神は、この苦痛を以ってしても猶、愛であると―-

 苦難は私共に取っては善き賜である。死さへ、神の御心である。神の懐にて凡てが溶解せられてゐる。私は凡ての苦難を持ってしても猶、神を疑ふことが出来ない。私は変転の凡てを甘受する。

 万能の中には苦難の出現をすら可能とする。私が神となる日、私は喜びの反対である苦痛をも造るであらう。私が神であれば、生の反対である死を創造するであらう。

 万能の意味は、苦難の創造に対しても制限が無いと云ふことである。全能の意味には生と共に死をも創り得ると云ふことが含まれてゐる。

 無から有を、苦難より喜悦を、死より生を創造し得るものは、有より無を、喜悦より苦難を、生より死をも創造し得るものでなければならぬ。

 神の為めに制限の墻壁を結び、『何故なればおまへは、悪を作り、苦難を撰び-』と問ひ得やうぞ?

 全能者に制限は無い。神の為めには、凡てを許容せねばならぬ。全能者の手に陥るものは苦難と死の賜を甘受せねばならぬ。それが創造の秘義である。悲しむものが幸福であり、餓え餌くものが幸福であり得る生活はただ全能者の手に陥り、創造の秘義より出発して、神の全能なる芸術に参与するもののみそれを味ひ得るのである。

 苦難は芸術の終点に立つ。全能者のみこの芸術を味ひ得るのである。苦難はそれのみが終点ではない。生命の芸術に於て、変転の可能性を信ずるものが、之を受取り得るのである。

 苦難を創造するものは神であることを信じ得るもののみがそれを芸術とし受取る。

 十字架の芸術はそこにある。神の芸術は苦難を蒔いて生命を苅り取ることにある。一粒の麦を地に落して万粒を苅り入ることにある。

 苦難の籤をひくものは、神の籤をひくものと考える必要がある。苦難のみを思ひつめるものはそれに打勝つことを知らない。然し、神の為めに苦難を忍ぶものは、苦痛を芸術化する。

 苦痛が美と変るのはその心持ちから出発する。誰しも十字架は悲しいこと、いやなこと、むごつけ無いことである。然し大工イエスに於ては十字架が反って法悦の輝きであったと云ふことは、苦難をすら聖化し甘受し得るものは、他に余す可き聖化が無いからである。

 苦難の聖化は、神の最後の芸術である。苦難にすら打捷つものは、他の凡ての喜悦に打捷ち得るにきまってゐる。

 見よ、苦難は最高の芸術では無いか? 世界苦を除き得るものは、他に残す可き悪が無いではないか?

 苦難は相対の世界に立つものには永遠に残る。相対よりよう脱却し得無いものは、苫難に捷つ可き道を知らない。絶対の秘義に這入り得るもののみ、それに打捷つ可き秘義を知る。絶対なるものは生命の外には無い。

 延び上り、打砕き、苦難の中に飛び込んで行く、生命は苦難に怖ぢない。苦痛は生命に取っては、実在の本質では無くして、その附録であり、装飾である。

 苦痛が生命の装飾であることに感付くものは、苦痛を怖ぢ無い。生命に対する幕間は暗黒に見えても、それで苦痛の総量を計算することは出来ない。生命は苦痛よりも強い。被服廠跡にまた青草が萌え出で、バラックの中に人間か群がる。生命は火焔より強い。

 地球が、太陽系の一角に植えられてから幾兆万年経つか私は知ら無い。火の海を冷えさまさせて、大地を海の中から生え出ださしめ、地震と、噴火と、暴風と 洪水の激しき変動を越えて、アミバーを人間にまで造り上げた宇宙の内なる神は幾百萬年の変動を貫いて、退化の道をお取りにはならなかった。

 神から云へば、折には悲観したことも有ったかも知れ無い。その中でも、神は凡ての苦難を貫いて、人間創造にまで成功したのである。或時にはあまりに打続く大爆発と大噴火の為めに炭酸瓦斯が地殻の表面を蔽ふて、高尚な動物らしいものが創れなかった時代もあったらう。大とかげが地上をのそのそと歩き廻り、有肺魚が、その醜い姿で地上を探険に出かけたこともあったのだ。その後また炭酸瓦斯が凡て水に溶けおとされ大とかげが一度に瀕死せねばならぬやうなこともあった。然しそれでも、神は失望しなかった。

 神は生物進化の道程の手をゆるめ無かった。失望するなよ、若き魂よ、神は嘗て失望したことが無いではないか? 苦難は彼に取っては完全な芸術である。

 ナザレのイエスは死を彼の芸術の一種と考へた。彼はそれに対して何等臆する処が無かった。殉教者に対して苦難は光栄の極致である。

 そうした場合に、苦痛は苦痛としての本質を全く失って了ってゐるのである。悦んで受け得る苦痛は苦痛の苦痛では無い。それは光栄の一種類である。

 光栄の苦難に参与せよ、神に忠なる若者よ、神に生くるものには、苦難の流血は宝石にも勝る。たとひそれか平凡時の平凡なる苦難であるにしても、苦難は勝利によって呑み亡ぼさるべきものである。苦味は陶酔者の口舌にはこの上なき芸術である。

 苦き杯を逃げるな、友よ、「み心の儘に」を神に告げよ! 苦杯を盛られる日に真実の芸術があり得る。強くあれ、神の如く強きものには、苦痛は北斗星の如く、良心の芸術として好愛せらるる。苦痛によって愛が密着する。之れを受難の真理と云ふ。苦難を通過せざる愛は、愛の真実を持た無い。愛が錬はれる為めには苦難の鍛練が必要である。

 神の打ち下ろす苦難の鎚にひるむな、苦難の火花は芸術の最後の至聖所である。此処に入るものは選ばれたる至高の魂である。

 受難によって、仲保者になるが善い。受難の芸術は人を神に造り換へる唯一の道である。苦痛は、神とその子等のみが負ひ得る光栄である。苦難を甘受するものは、最後の階段に登る。そこにて、神は直接その魂に囁く。

    一九二三、一二・一四 
                                   賀 川 豊 彦    
                                    本所松倉町バラックにて









新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第21回『イエスと自然の黙示』)

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これは、前回の「一遍上人御廟所」のある「真光寺」境内の「無縁如来塔」です。



           賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

   

                 第21回

             
               イエスと自然の黙示


         大正12年6月23日 警醒社書店 247頁


 前著『イエスの日常生活』とほぼ同時に警醒社書店より出版された本書は、同様の布表紙の美装箱入りのつくりで表紙も背表紙も扉のタイトルも賀川の自筆で仕上げられています。広告文を見ると「四六版総布天金箱入」と書かれています。


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 本書も前著と同じく『賀川豊彦全集』には入っていませんが、昭和7年5月には次のような「普及版」として「改版」が作られています。手持ちのものはカバーがありませんが、裏表紙には英文の題名と目次は印刷されています。


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 周知の通り、賀川はこの年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災の救援のため、10月には一家を上げて「東京市本所区松倉町」に移住することになり、神戸を離れます。したがって、賀川豊彦の神戸時代に出版した著書は、本書が最後となります。

 そして「例言」に賀川が書き記しているように、本書も6章構成のうちひとつの章を黒田四郎氏が筆記したほかはすべて吉田源治郎氏がこの本づくりに関わっているようです。

 別のところで詳しく取り上げましたが、吉田源治郎はこれらの仕事と共に、大正11年8月に主著ともいうべき『肉眼に見える星の研究』(警醒社書店)を上梓して、米国のオーボルン神学校での留学に旅だっていますので、本書の草稿は旅立つ前に完成させていたのかもしれません。


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今回の序文も長文ですので、最初の「例言」とともにスキャンでUPいたします。


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補記(2012年3月4日)


ようやく本書の「序」を取り出すことができましたので、ここに収めて置きます。全集にも入っていない作品ですので、是非一読していただければ、と思います。



                    序


 淋しい胸に、光よ 射せ! 疲れた私に黙示よ照らせ! 夢に幻に私は、神を見無くとも、自然と人間愛に私は神がみたい。

 私が疲れ果てて、戦場に打倒れる時に、私の涙の眼に映るものは、自然の黙示ではないか! そしてイエスが最も愛すべく、親しむ可きことを私に教えてくれた者は、ナザレのイエスであった。

  『野の百合は
  如何にして育つかを見よ
  務めず、紡ざるなり
  されど、ソロモンの栄華の極みの時だにも
  その装
  この百合の一つに而かぎりき
  あゝ、信仰薄きものよ
  神は
  明日炉に投入れらるゝ
  草をも
  かく装はせ給へば
  まして汝等をや
  あゝ信仰薄きものよ』

 私は、このイエスの詩を、阿波の吉野川の沿岸で読んだ時に、一もなく、二もなく、凡てを捧げて、イヱスに従ふことになつた。

 私は五つから、十一の時まで田園に育てられ、豊かな自然の恩恵と、その内容の艶嬌なのに驚異してゐた。

 然し、誰れも、自然が何者に属し、何者の創作であるかを物語ってくれるものはなかった。

 私は色々な書物を読んだけれども、誰れもそれに就て教えてくれなかった。物理學も、化學も、博物學も、私には沈獣してゐた。

 私は阿波の北部山脈の裾野に近い、車馬詰の平原に、田螺で蝦を釣ったり、壊れた瓶に自分が堀ですくふて来た鮒を飼ふて、少年時代の最も嬉しい日を贈った。

 私の最も幸福な日は、小川の岸にあった。それが、人間の醜悪に追ひ詰られて、煤姻と南京虫と悪漢の脅迫する貧民窟に伸吟するやうになって、私はこの自然の幸福を、仝部失って了った。私に何が一番貧民生活で不幸かと尋ねるものがあれば、私は直に答へるであらう、

 『小溝の流れとメダカの行列と、菱の実と樫の葉のそよ風に揺れる音だ』と

 あゝ、私はもう一度、この醜悪な人間の世界を捨てて、小溝の清流とメダカの行列に帰りたい。

 そう思ふて、屡々田舎に帰って行くこともあるが、その時に聞かされることは、小作争議と、地主の横暴に就てヾある。

 私を惘れでくれ! 私は自然を失って了った。否、醜悪なる人間の堕落が、私を自然より隔離して了った。

 自然は、私より永遠に失はれた。

 私は、再び輝く眼で、夢見た自然をみることが出来ない。土地を見れば、アベルの血が其處から叫び、小溝を見れば、その清流が灘六郷の酒の原料になって居ることを考えさせられる。

 青田の下を鑿って、石炭を堀るものがある。誰か博多湾に注ぐ遠賀川の美を讃え無いものがあらう? 誰か、その沿岸の田園に慰められ無いものがあらうか?
                        
 然し、遠賀川の下には蜘蛛の巣の如く坑道が張られて、そこには十萬の――私の友達が資本主義の桎梏に嘆いて居るのである。川底から、土地の底から、生き埋めになった。友の叫びが聞こえる!

 そんな思を抱いてどうして、私に自然が再び、私に恋人として回復されやう。中禅寺湖の深林に、私は一日彷徨して神の恩恵を感謝したが、すぐその次の瞬間に足尾の烟毒で中禅寺の裏山が赤裸になって行くことを見る。

 人間の醜悪が、自然にまで浸み人んで行く。自然は永遠に、私に失はれた。もし萬一にも自然を私に回復してくれるものがありとすれば、それは、私の視力を回復させてくれ、私の敏感性を豊かに再び成功して下さる神の力の外には無い。

 自然も、今は贖われなければならなくなった。人間が塗り潰した自然を神に再び贖って戴かねばならぬ。

 いや、それよりも大事なことは、自然を抱く心を再び私に回復して戴くことである。

 私は、自然を抱くには、あまりに傷つき過ぎた。私は魂のバセドス病に罹って、醜悪のみを見詰めた罰則として、眼球が眼窩から飛び抜けて了った。

 私の傷ついた魂よ、美までが憎悪と嫉妬の姿に映る私の眼よ! もう一度イエスに抱き付いて行って、自然の黙示を回復して貰へ。

 人間愛に、贖罪に、神の天啓が横はる。それは、あまりに平凡であっても、神は内側から黙示して下さるのだ。

 愛なくて、自然の姿も消えて了う。そうだ。自然だけが美しいのでは無いのだ。愛があるから、自然が永遠に若いのだ。

 神の愛が、自然に注がれるから自然は永遠に盛装してゐるのだ。自然は神の寵児だ! 自然は沈黙の儘神の愛を物語る。私もまたアルプスの山頂に立ち、湖邊の水際に立って、神に抱かれやう。萬人に捨でられても、自然は嘗て私を捨て無い。水底の藻草も、空飛ぶ鳥も、嘗て私を侮辱したことが無い。

 自然は、自然に近づくものを嘗て捨てたことが無い。

 自然よ、抱いてくれ! 人と民衆が私を捨てることがあるとも、おまへだけは私を捨て無いでくれ。私はおまへに行く外、逃げ場所が無い。ヨナは魚の腹で三日休むことが出来ても、私には一時間でも休ませてくれるところが無い。

 自然よ、捨て無いでくれ、野の百合よ! 撫子よ! 私を捨て無いでくれ!

 私が疲れた眼と、疲れた魂を持って、迫害と讒誣の中に逃げ場所に困って、おまえの懐に逃げ込む時に、おまえはこの放蕩児――私の逃れの邑! 神の黙示を聞くところ――永遠の沈獣に、交響楽よりも、まだ大きな響もて物語る演舞場! 私もまた自覚してみれば、結局はその大音楽の音譜の一つにしか過ぎ無いのである。

 自然よ、物語れ! 私はおまへの物語りに如何に、みみづと田螺が、私の友達であり、野の百合と、樫の葉が私の衣であることを學ばう。

 おお、自然は、神の衣だ!

 自然は、また私の衣にも適するでめらう。

   一九二三年四月

                       賀 川 豊 彦     














新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第20回『イエスの日常生活』)

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今回の「ぶらり散歩」は歩いて30分ほどのところにある「一遍上人御廟所」の「五輪塔」です。



             賀川豊彦」のぶらり散歩
   


               ―作品の序文など―

   

                 第20回

                
               イエスの日常生活

          大正12年6月4 警醒社書店 206頁


 前著『イエスと人類愛の内容』を警醒社書店より出版して一月も経たない間に、本書『イエスの日常生活』は、同書店より同様の布表紙の美装箱入りのつくりで、表紙も背表紙も扉のタイトルも、賀川の自筆で仕上げられています。


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 本書は手元に原書を持たずコピーですが、今回の序文は長文でできていますので、とりあえずスキャンでUPいたします。

 そして、序文のあとにある「例言」もスキャンして置きますが、そこに書かれていますように「この書は神戸イエス団に於ける聖書講演を、村島帰之氏が筆記して下さったもの」のようです。

 大切な作品ですが、本書は『賀川豊彦全集』のなかには入りませんでした。

 なお、この著作が出版された時点での賀川豊彦の作品が巻末に並べられていますので、参考までにそれらもすべてUPいたします。大正12年6月段階でも『貧民心理の研究』の広告はトップに収められています。

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それでは以下に「序」を掲載し、その後に「例言」と「広告」をUPいたします。


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補記(2012年3月5日)



本書の賀川の「序」を取り出すことができましたので、早速ここに収めます。賀川の「序文」の中でも、この作品は大変興味深いものです。是非御一読ねがいます。



                      序


 曙近く、鶏が鳴く、アウロラが東天を走る。野は新緑を以つて飾られる。風は梢を動かし、人は小道に歌ふ。藁小屋の所々には臼を踏みならす者がある。おかみさんが洗濯する為めに堀側に急ぐ。雀も、鳥も今日の糧の為めに急がしい。蟻も、木蜂も踊つている。祝福せられた太陽が空に昇ると、また場面は一変する。天地の色彩が一度に変る。凡てが黄なく見える。然し太陽は長き手を延ばして凡てを天上に引き上げる。麦も延び上れば、畝の間の『忘れな草』までが恥ぢらつた小さい顔を天空に向ける。

 あ百姓様は、逞しい筋肉を嗚らせて鍬を振る。喉が渇けば、透明の水がある。それはアダムの酒であり、天来の甘露である。犬も猫も、鼬(いたち)も、畑鼠もみな日向に踊る。蜘蛛までが、軒の巣の上で狂舞する。
     
 日が西に廻ると共に、錫かな疲労が凡ての生物の上に感ぜられる。それが甘い睡を誘ふ。黄昏が森の梢の先につく時に、親しみのある燈火が田圃を越えてあちら、こちらに見える。沈む夕日に、みめぐみを讃えて静かな一日が行く。ほの暗い田舎の燈火に、人の顔だけが、ぼんやり見えてその他は凡てぼかされてある。

 一日の労働に凡てが感謝として受取られ、夕餐も、會話も、そして最後に来る睡までがただ感謝である。

 日はかくして来たり日はかくして行く。それは平凡な芸術の中に育まれた生活である。神の大自然の中には、凡てが芸術として据えられる。生活それ自身が大きな芸術である。生命は勿論のこと労働も、行動も、休息も、安臥もそして、會話までが神の美しき芸術としで考へられる。

 そう考へることによつて、「自分」を通して神の芸術が遂行せられるのである。つまり神の表現は「私」の日常生活によって綾どられて行くのである。私は「私」の味を持つ。醜い自分が、創造者を出発点として考へ直すときに、自己が果して完成したる創作であるか否かを考へる。

 私は「私」の創作者であり得る。そう考へることによりて、神が私を創作して下さった理由がよく俯に落ちる。そうして私は「私」をその平凡な日常生活の中に偉大さを発見し、日常生活を神化することにより自らが、神の反射鏡であることを発見する、光が私に集められ、私はその神の光を集めたものを更に前方に投げつける。散乱した光は暗いが、集められたる光は幾百倍の力を以て輝く。之を神の栄と云ふのだ。私は神の栄である。かう考へることは、自らを神の反射鏡に自らを据えると云ふことである。

 平凡な生活に、神が乗り移る。平凡で、機械的に見える飲食の席上にも、神の生活が味はれる。曙に、白日に、黄昏に感謝と讃美の歌が胸底から湧く。

 膿み腐つた貧民窟の路次――そこには殺人と狂暴と、姦淫と、怒号と、痛罵の聲の外無いところにも、静かに、平凡な瓦屋根を冥想し、土を讃美し、格子戸の幾何學線に感謝の念慮を私に與えて下さつた神は、絶えざる恐怖と窮乏と疾患に私は猶も奮激の泉を汲むことを知って居る。

 或時は私も絶望の淵に座る。然しまたばゐ起きて私の道に突進する。日常の生活に戦争の無いことは無い。それは絶えざる魂の戦争である。それは刻々の勝利を予期せられて居る。

 別に不思議な真似もせず、山奥にも這入らず江上にも浮ばす仙人にもならず、髪も剃ら無いが、胸中梢を渡る風を聞き、五体は雲の上を飛ば無いが、胸底深く密雲の動くを知る。仙人の仙人はまだ仙人では無い。市井深く隠れて凡々たる茶番事に萬雷の轟きを聞き、風雲の巷き起る秘術を知らねばならね。

 日常生活それ自身が奇蹟であらねばならね。否、神眼に移れば、日常事凡てこれ奇蹟である。神は二羽一銭にて買らるる雀をも御許無くしては落つることを許し給は無いのである。一粒の麦一滴の泉水もみな、神の現れである。苔むす井戸側に出て、泉水を汲みあげ、それを糠のついた米の這入りた桶の中に注ぐと、糠が浮く。日が上から照る。冥想の闇に住んで居たものにはその井戸側が幻の如くに、神の実現として照り輝かされる。縁先の七輪に「焚きつけ」を盛って、それにマツチを擦つて火をつけると、火が燃え上る。火―、火―.私は火の不可思議に眼を見張る拝火教徒が、火を拝んだことを思び出す。火こそ不思議なものだ。我等があまり慣れ過ぎているためにに、それに對する奇蹟を思は無いが、それこそ奇蹟の奇蹟なのだ。昔はそれを拝んだ程のものだ。米が炊けてくると、水蒸気が立ち上って蓋が持ち上る。その水蒸気が不思議である。それは雲の一種類なのだ。人がそれを雲と思は無から不思議が無いのだ。飯が炊けた。人間がそれを食ふ。それがまた奇蹟だ。「飯と」「私」とが同一体になる。
私が咀嚼する。そして、白い米から赤い血が産れる。私が泣き、私が笑ふ。凡てが奇蹟だ。たヾ人間の受感性が鈍れてゐるだけだ。

 凡てが奇蹟では無いか、おお人間よ、エリアが天火を叫び下すだけが奇蹟では無いのだ、お台所の隅みつこで私が火を征服してゐることが奇蹟なのだ。日常生活は奇蹟の連続だ。超自然の自然化だ。私は空中の一角に立つ。それに何の不思議があらう。然しそれを創作者の眼から見れば奇蹟の奇蹟では無いか―。

 私は奇蹟に生かされてゐる。凡てが神の生活である。内の生活も、魂の生活も、食ふこと飲むこと、着ること、歌ふこと、凡てが神の芸術である。かく考へることによりて、私はイエスが神よりの受肉者であることがよく理解せられた。そして、私が日常事に超自然を発見することを教えてくれたのも、実は十字架の上で死んだナザレのイエスによったものである。イエスは飲んで食って死んだ。たとひイエスが十字架の上で死なないにしても、私はイエスを信ずる。私に取っては十字架だけがイエスの宗教の全部では無い。ただカルバリの丘だけがイエスの十字架の全部では無いのだ。イエスの十字架とは、超自然の生活を捨てて平凡な自然生活に化身し、受肉し、自己を殺したと云ふことが真の具の十字架なのだ。

 つまり、イヱスには、生きて居る時から十字架があったのだ。否、死んで了へば十字架を負ふことは軽いものだ。死人に十字架をくりつけること位のことは誰でもする。生きで居る人間が十字架を負ふところに苦痛があるのだ。イエスの十字架を「死の福音」の如くに説く人がある。それは死人の囈語だ。イエスの十字架は活人の活宗教の道である。それは魂を肉体に縛りつけ、超自然を自然に還元せよと云ふ福音であるのだ。つまり神を人間の相場に換算し、引き落すと云ふことなのだ。神が人間になると云ふことは、つまり食ふこと、睡ること、労働することに、神が參加すると云ふことである。つまり神も奇蹟ばかりをその職務としないで、日常の事務取扱を開始すると云うことである。

 十字架はそこにあるのだ―。

 思った儘をなさんとするにあらず、み心の儘になさせ給へと云ふことが真の十字架の道だ。つまり凡ての台所と事務室と機械場と田圃に十字架があるのだ。

 生れで、死んで行く、そこに少しも奇蹟が起らぬ。そこに十字架があるのだ。

 イエスが死ぬ時に天軍がイエスを十字架上から奪ひ去つたら、十字架は十字架で無くなるのだ。つまり神の子イエスの死に奇蹟が起ら無いで、死ぬ可きものとして死なねばならなかつたところに、十字架があるのだ。超自然に見捨てられて、自然の生活に甘じ、その自然を通じて超自然に勝利を得しむると云ふととろに、十字架があるのだ。

 それを敗北の歴史と云ふのだ。つまり人間が神に敗けることなのだ。人間が神に敗けた時に、神はまた人間を思った通りに改造してくれるのだ。それを神の勝利と云ふのだ。神の勝利は結局は超自然が自然に勝つと云ふことだ。自然が超自然化せられ、日常生活が、神の生活になると云ふことだ。神に敗けたイエスが『我世に勝てり』と叫び得たのはそれなのだ。

 神に委せ切つた自分には、一切が神より出ることを信ずる。

 そこが一切は神から出るのだ。自分も神から出るのだ。自分が自分を形造って居ると云ふことが既に間違いなのだ。私は神の芸術品なのだ。自分は自分の衷に「私」を創作する時から、それは神のお手傅いをしてゐるにしか過ぎないのだ。私は神のモザイックである。神の栄のモザイックの何處にか這入る可きものなのだ。

 神は今日常生活の書を書いてゐるのだ。私はその中のモルに据えられてゐるのだ。私はヂッとおとなしくして居らなければならぬ。

 神が私を見詰めていらっしやるのだ。あれ神が私を見詰めで居らしやる。私は此處でおとなしくしで居らなければならね。

   一九二三、五、一四、眼の病める日

                                      賀 川 豊  彦
                                        神戸貧民窟にて














新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第19回『イエスと人類愛の内容』)

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昨日の「ぶらり散歩」は、我が家から歩いて30分ほどの「兵庫津の道」でした。途中に出会った3匹のクロネコちゃんの一匹です。



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   

              ―作品の序文など―

   

                第19回

             
             イエスと人類愛の内容



          大正12年5月15 警醒社書店 285頁



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 前回取り上げた賀川の「感想・小説・戯曲」を集めた著作『雷鳥の目醒むる前』が改造社より刊行されてひと月後、今度は警醒社書店よりこの『イエスと人類愛の内容』が出ています。

 これは、警醒社書店が大正10年に刊行を開始した『イエスの宗教とその真理』、続いて翌大正11年の『人間として見たる使徒パウロ』と同様の布表紙の美装箱入りのつくりでなり、表紙も背表紙も、さらに今回は扉のタイトルも、賀川の自筆で仕上げられています。



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 本書は賀川の個人誌『雲の柱』に収められた講演記録を編集したものですが、7章構成のうち吉田源治郎が5章分を、村島帰之と黒田四郎両氏が1章ずつを文章化して、本書を仕上げています。

 そういうこともあってか、賀川は巻頭の「これらの書物の存在を可能ならしめた友情深き 吉田源治郎氏 村島帰之氏 にこの書を献ず」と記しています。

 賀川はこのとき眼病で校正も当たれなかったようです。


 なお本書は昭和2年9月には「普及版」のかたちで「再版」が作られています。


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                  *     *



 眼科病院入院中の賀川は本書の序文も前著と同様に口述されたものかもしれません。




                   



 愛は死よりも強い。
 そう教えてくれたのが、十字架の教えである。
 そうだ、愛は死より強いのだ。
 愛するためには死を蹂躙して前進するというのが、イエスの進路であった。

 死は、とうの昔に愛のなかに溶解してしまった。
 十字架とは愛が死を呑みほしてしまったという記号なのだ。愛するものは、死を見ない。

 死と恐怖に囲まれていた私の魂が、イエスの愛を知って、その福音に飛び込んで行った時を、今も私は忘れることが出来ない。

 それは単純な福音である。死が愛に呑まれたという福音である。
 死人を葬るに冥途に旅する装束で野辺送りをするあの淋しい阿波の教養のなかに、私はどれほど死を恐怖したか知れない。すべてが私には恐怖であった。私は生まれてきたこと、それすら疑い恐れた。

 その時―私は「神が愛だ」という福音に接した。それは福音であった。
 実際、それは福音であった。実際、それが福音でなくてなんであろう。

 『罪人を赦す』と宣言した男が磔殺された。それを笑うてはいかない。
 愛することは、危険思想なのだ!

 そうだ! そうだ! 愛することほど危険思想はないのだ! 
 官憲も、政府者もよく聞け―愛は危険思想だぞ! 
 イエスは愛を説いたために、磔殺されたのだ!

 愛によって、罪人が罪人でなくなったり、有産者が価値をなくしたり、特権階級がその地位を失ったり、強権者の地位が危うくなるのだ!

 ああ、そうだった、愛は危険思想であったのだ! 
 そして愛は永遠に危険思想として残ることであろう! 
 何と言う矛盾! 何と言う皮肉なことであろう。しかし事実はそうなのだから仕方がない。

 何故、愛は永遠に危険思想なのだ! それには道理がある。
 病者に近づくものは愛だ。革命に近づくものは愛だ! 罪人に近づくものは愛だ! 
 
 愛は永遠に危地を冒す。危険を冒さないものは愛ではない。愛とは危険を冒すということだ!
 それを十字架とこそいうのだ。

 愛は『無』から『有』を創造するとの意で、暗黒を光明に、罪人を聖人に、地球を天国に鋳造することを愛というのだ。

 それは大いに飛躍する冒険性を持っている。愛とは飛躍するということだ! 
 愛は魂の爆発だ! 愛は永遠の燃焼だ! 
 それ自身が動機で、それ自身が目的で、それ自身が手段だ! 
 愛は神の力で燃え上がっている。愛は神から出ている。
 愛あるところに必ず神がおられる。神とは愛ということだ。

 恋愛に目醒めたものは、まだ神に愛の百分の一しか知らない。否、その百十分の一をも知らぬ。
 イエスは罪人をも愛するという。それは罪人のなかに新しい魂を鋳造するのだ!
 それは神の力で臨むことだ。それが危険思想の危険思想であったのだ。
 (幸いにして、今日の教会はその愛に甘えて居眠りしている)

 愛は永遠に進行する。愛は止まることを知らない。愛は永遠に上進する。それが第二の危険性だ。
 娘は父を捨てて愛のために前進する。そこに娘の危険思想がある。
 青年は祖国を捨てて万国主義に延び上がる。そこに危険性がある。

 イエスは愛のために地上から神にまで延び上がった。
 そしてエホバとローマの皇帝のみが保持すると考えた神の位を簒奪した。
 愛するものは永遠に背のびする。

 そして神もまた、人間を愛したために、天上の位を棒に振った。それは神にとっても危険思想である。
 愛はすべてを掻きまわした。神と人間の地位までが顛倒するようになった。

 危険! 危険! これほど危険なものはない。この危険思想のために、イエスは充分十字架に該当した。 そしてイエスは永遠にそれに該当する。
 否イエスがなくとも、愛に生きんとするものは、永遠に、十字架に該当する。
 ―しかし―愛は死を知らない。
 愛はすべてを越えて、延び上がる!

 生命の世界に何か、価値あるものが残っているとすれば、それは愛のためではないか!
 神とは愛ということではないか! 神が愛なのだ!

 そこだ! 私の古傷も、あなたの古傷も、私の欠点も、うるんだ眼も、痔瘻も、肺病も、―何もかも、そんなことは問わないで、神は愛していてくださるというのだ!

 何と言うありがたいことだ! 
 神様は私のために、天には星を蒔き、地には花を植え、そして貧民窟の辻にまで、あの美しい嬰児の微笑を置いてくださった! 
 それに闇のなかには恋人の抱擁を秘め、寂しく悲しめる時には、母の涙をその眼に貯蔵してくださった!

 魂よ! 信ぜよ! 
 神が愛なのだ! 
 愛せよ! それが神なのだ! 
 一番奮発して、愛して見よ! 
 神は愛の中にいる。愛の中に飛び込め! 
 愛の噴火口は、永遠に若い! 
 ああ、神が爆発する! 神が爆発する!
 イエスの血の中に、神が爆発し給う。

 犠牲などいう悲しき聲をあげて、泣き叫ぶな! 
 死は愛の噴火によってすでに吹き飛ばされた。愛の前には犠牲の常住の茶番だ! 
 百万の犠牲をも、愛は惜しいとは思わない。
 フランスを守るために千万の霊が倒れても惜しいと、人はいわぬではないか! 
 愛は犠牲を恐れぬ。十字架も、毒杯も、惨死も、愛の前には寸毫の功績を持たぬ。
 愛は屍の上に生え上がる。

 おお、神は愛だ! 
 神は十字架を地球の上に立てた! 盲目なる民衆は、いまなお十字架を嘲る。

 しかし「神」と「愛」との計企は進行する。
 愛は永遠の暴風として世界を掻乱する。
 その翼は北斗星の、まだその先にまで延びる。
 愛は永遠に煩悶する。そしてイエスは永遠に煩悶する。
 私はそれを感じる。
 私はその、愛のために煩悶する魂に勝てないことを知って遂に負けた。

 私は泣きながら、イエスの懐に飛び込んで行った。
 そして、イエスは血の流れるその胸にしっかと、私を抱きしめてくれる。

 血だ! 血だ! 温かき愛の血が、イエスの血脈を伝うて、私の胸に流れ込む。

 十字架の遺伝! 私もまた十字架を負うて、死地に進もう。
 雷光が前に見える。西は暗い。台風が後に近づく。
 私は千百の殉教者の屍を越えて、なおも、前に進もう。
 愛はなお一つの犠牲を惜しくは思はないのだ。

  1923年4月23日

                               賀 川 豊 彦
                                   眼科病院の一室にて



以下に「序」のスキャンを収めます。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第18回『雷鳥の目醒むる前』)

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今回の「ぶらり散歩」は、この頃ではよく知られるようになった「松本せせらぎ通り」の、「水車のある風景」です。





 「賀川豊彦」のぶらり散歩
   


               ―作品の序文など―

   
                 第18回


               雷鳥の目醒むる前

   
           大正12年4月1日 改造社 392頁



追加




 前回取り上げた賀川の第3作目の小説『空中征服』に続いて、同じく改造社で出版された本書の半分は「雷鳥の目醒むる前」(感想)という小品が入り、賀川にとっては『地殻を破って』『星より星への通路』に次ぐ随筆集(賀川は「散文詩」と呼んでいました)でもありますが、後半の「見えざる御手」(小説と戯曲)では、長編の戯曲「雲の柱」も収められています。

 この中の多くの作品は、賀川の個人雑誌である『雲の柱』に登場しているもので、賀川の「神戸時代」に書き上げた著作です。


 この作品は『全集』にも入っていますが、そこでの武藤氏の解説には「戯曲『雲の柱』は、他の作品のように世にもてはやされなかったが、賀川の文学的作品の中で、第一級に位するものである。三幕五場のこの芝居は上演したならば2時間以上かかるであろう。そしてこれが翻訳されて米、英、西独において上演されたなら、必ず成功するにちがいない」という。そして「先ず感心するのは、その演劇的構成のすぐれていることである。モーセに引きいられてシナイの荒野をさまようたイスラエル民族がパレスチナの国境カデシの町に近づいた時を取り上げ、出エジプト記及びヨシュア記の一部に出てくる様々な事件を配列して、各場に劇的盛り上がりを示し、観客にサスペンスをいだかせている。会話のやり取りもなだらかであり、インシデントに適度なセックスをまじえ、音響的、色彩的な効果を随所に出している」とも。先ずはご一読あれ。


               *     *
            

賀川は「神戸時代」から、眼病に犯されて苦しみましたが、この「序」は、治療のため入院治療中に、口述されたもののようです。



                  


 太陽の日足は静かに私の病室の軒端の瓦の上を歩く。私は鈍れる視力をその方に向ける。

 おお輝く光! 瓦の上にも春の甦りが見える。雪の日に病眼を閉じて、まだその眼の癒えぬ中に、病むことを知らざる太陽は、また冬を越えて、春に帰って来た。

 太陽は病むことを知らない。その太陽の下に人の子は病む。

 太陽よ! もう一度おまえの顔を見たいものが、此処にいる。

 その輝く七色の栄と紺碧の大空に、宇宙の眼のように光るおまえ、私はもう一度、おまえを正視したい。

 いや、たとい、おまえの顔が正視できなくとも、わが独り児の顔を正視し得るために、私はこの鈍れる視力を、もう一度回復したい。

 羽二重よりも美しい赤ん坊のほっぺたに、まさにほころびんとする薔薇の蕾にもにたる赤きその唇に、ああ私は神の芸術を見たい!

 しかし、それも今は許されない。病める眼は瞼の下に痛み、嘆ける魂は、静かに内なる生命の躍動の聲をきく。

 私は太陽の嬰児に告別して、暗闇の園へ神に招ぜられる。

 闇よ、そこでも、私は神と会う。私は何も見えない。私は十日も二十日も何も見えない。
 しかし、私は暗黒の中に、私の神と会う。

 暗黒に会うた私の神は、形をもっておらなかった。暗黒に会うた私の神は黙している。
 暗黒に会うた私の神は、闇に会うた私の恋人のごとく、私に三度の抱擁と接吻を与えてくれた。

 ああ、私の魂は温められ、私は見えざる眼に神を見る。
 魂よ、闇にも神はおまえを愛していたな。
 病弱も、苦悩も、悲嘆も、私が神に会う邪魔にはならない。

 私の神は静かに、闇の中に私を抱き上げてくれる。
 私は私の神を見るに、眼を必要としない。耳も鼻も、触覚も、官能も何もいらない。
 神は私の生命の内側から覗き込んでくれる。
 そこに私の永遠の目醒めがある。

 闇の中に雷鳥が目醒める。太陽がまだ昇らざる先に、魂の小鳥は快活に羽ばたきをする。
 飛べよ、魂の雷鳥よ、谷と峻坂が汝の進路を妨げざるために高く飛べよ。
 峰より峰への最も短き道は、渓谷を無視して一直線に飛ぶことにある。
 飛べよ、魂の小鳥よ、闇と、病弱を無視して、一直線に飛べよ!

 私は闇の中にも光明を見る。光は外からくるのではない。
 蛍烏賊が神経節を振るわせて発光するごとく、私の魂は羽ばたきして発光する。
 私は神を見るために、太陽の光線を必要としない。私は自ら発光する。
 発光せよ、闇に戦わざる魂よ、神はおまえの衷に躍動し給うではないか!

 闇に尾をひいて天空を横切る彗星のように、私の魂は羽ばたきして、天空を横切る。
 それはそれ自身一個の彗星である。
 
 闇と病弱を無視する魂よ、たとい地球が暗黒の底に捨てられたるものであるとも、おまえは地球のために発光器とならねばならぬ。
 太陽がおまえの前に墜落することがあるとも、おまえは、地球のために、天空より光を投げなければならぬ。光はおまえの衷にある。

 地球を抱け! 私の魂よ、おまえの羽根を差し延べよ! 
 地球もまた一種の卵ではないか! 孵卵すべき運命に置かれたる地球は、おまえの魂の温度によって孵化されるであろう。
 地球を取り巻く空気は、あまりに冷たい。太陽の熱もまた地球を孵化せしめることはできない。
 おまえの魂の熱でなければ、それは孵化しない。しっかり地球を抱いてやれ! 
 たとい、地球面上の闇が深くとも、おまえはその魂も熱度により、それを孵化せねばならない。

 私の眼から太陽も消えるがよい。いや、私の眼にすべての美と芸術が消え失せても、私は絶望しない。
 私は魂の奥底から億兆の太陽を掴み出して、また天空に蒔こう。
 神なるものも消え失せるがよい。私は真理と最高善にために、神になり変わって永遠に泥土にまみれる。 魂の途を守護しよう。

 峰の雷鳥の目醒むる前に、私の魂は充分目醒めた。私は苦悩を越えて、固く地球を抱擁する。
 地球よ、孵化せよ! 
 闇を無視する魂には、衷なる神が最高の熱度をもって沸騰する。

 静かに、静かに、魂の中に神が目醒めて行く。
 台風も、海嘯(つなみ)も、地辷りも、すべて神の目醒めの序曲である。
 やがて、地球の霊が地殻の中より躍り出るであろう。
 衷なる神よ進行せよ。峰の雷鳥も目醒めつつあるぞ。
 雪もアルプスに溶けかかった。老いたる太陽は、はや疲れの色を見せた。
 魂よ太陽の疲れざるうちに、門出を急ぐがよい。

   1923年3月13日

                              神戸貧民窟にて

                                    賀 川 豊 彦



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第17回『空中征服』)

追加


今回の「ぶらり散歩」は「松本うめ公園」です。震災で大半が焼失したこの街につくられた小さな公園です。



              「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

   

                 第17回

                 

                 空中征服


         大正11年12月13日 改造社 380頁




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 賀川の小説の第一作はいうまでもなく大正9年の『死線を越えて』であり、その「中巻」となる『太陽を射るもの』が翌年(大正10年)に出版されました。そして本書『空中征服』はそれに続いて大正11年の年末に出ています。

 この大正11年に出版された賀川の作品は、本書の3日前に『生命宗教と生命芸術』が、その1っか月前に『生存競争の哲学』が、その他『星より星への通路』『聖書社会学の研究』などが量産されています。

 賀川の生活は『死線を越えて』以後、その生活は激変していた中、大正11年に彼は「大阪日報」に82回にわたる連載小説を執筆していたのですから驚きです。

 それがこの歳の暮れに完成して、これまた「刊行10日で11版を重ねるベストセラーとなった」といいます。手元の原書は、初版が13日に発行されて、その4日後の第5版です。


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 この小説は新聞連載のときに、自ら挿画も描いていたのでしょうか、81枚もの彼の風刺画が収められています。どれもこれも賀川の得意満面の逸品です。はじめの数枚をここにスキャンしてみます。


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現物をまだ見ていませんが、本書は昭和3年に装丁を代えて改版がつくられています。

そして「賀川生誕百年」の記念の翌年(1989年)には、日本生活協同組合連合会が「CO・OPライブラリー」の第3巻として新版を刊行しました。これには、金井新二氏の「解説」と賀川純基氏の「あとがき」がつけられています。それが次のUP分です。そしてこの年に、社会思想社の「現代教養文庫」の一冊に加えられました。


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 『賀川豊彦全集』第9巻にも本書は収められていますが、巻末の武藤富男氏の「解説」には、戦前に賀川が武藤にこういったと書かれています。

「私は絵描きを志していれば相当な画家になれた。私は描こうとする映像が、まだ描かないうちに眼前に浮かんでくる」





新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第16回『生命宗教と生命芸術』)

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雪の舞う寒い日でしたが、昨日午後は西宮の「一麦保育園」をお訪ねしました。吉田源治郎先生の記録整理で、これまで何度もお訪ねして、お世話になってきました。次から次へと新しい資料や写真を見せていただき、わくわくドキドキです。





             「賀川豊彦」のぶらり散歩
   


                ―作品の序文など―

   

                  第16回



               生命宗教と生命芸術


          大正11年12月10日 警醒社書店 362頁



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 「この書は、私の宗教論を集めたものであります」と、賀川の記すように、彼の宗教思想を鮮明にした重要な作品です。個人的には、随筆や詩集に並んで、この宗教哲学的省察を加えたこの作品は、特別の興味をもって、読み返します。

 大正11年といえば賀川は34歳、1月には個人雑誌『雲の柱』を創刊して自らそこに執筆し、各地での講演を筆記して出来た論文などを次々と掲載して、著作として仕上げられていきますが、本書はその第一号といっていいものです。

 本書の初版は、警醒社書店で既に刊行した『イエスの宗教とその真理』『人間として見たる使徒パウロ』と同じ体裁の、布表紙の箱入り美本として仕上げています。


 なお、本書は昭和2年3月に、何故か初版にあった第五章「生命芸術として見たるイエスの一生」を削除して、装丁もまったく一新して、次のような「改版」が作られています。



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そして更に本書は、昭和13年にも内容な「改版」のままですが、また装いを新たにして世に出ています。これも箱入りのようですが、良くできています。



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それでは今回も、賀川豊彦の「序」を書き写してみます。原書は最後にスキャンして収めますので、ここでは、少し読みやすく、取り出します。




                   


 「神は何処にあるか?」と私に尋ねてくれるな。神は探すべきものではない。神は生くべきものだ。神は私の生命の中に生き給うのだ。

 神を尋ねて会わなかったという人がある。神を宇宙の外側に尋ねて発見できるのであれば、神は生きておらないのだ。

 神が生きているのなら、私の衷に生きておられねばならぬのだ。

 神は探す前に、尋ねる前に、私の生命の中に、示現しておられるのだ。

 信ずるとは、生きるということだ。疑うものは疑え。私は生かされ、動かされ、有るべきものとして置かれている。

 私の生命は、私のものではない。私は生命の内側から、神の劇曲の進行を窺わせられているだけだ。

 まあ、何と言う、大きな、神の劇曲よ! 病であろうが、死であろうが、それがまた、たとい大きな飢饉であっても、私はそれを耐え忍んで見物し、神はその劇曲を展開する。私はその観客であり、また役者である。私は十全の力を尽くして、私の役割を務めねばならない。

 悪に怯えたものは、生命の力を見ずして、悪をのみ見る。

 悪は実在ではない。生命の進路に横たわる淘汰の標準である。
 悪は生命より強いものはない。生命は悪を乗り切る力を持っている。

 それを信ぜよ! 魂よ。

 今、苦難が、おまえを待っていても、苦難は生命より強いものではないのだ。
 生命のために苦難が備えられてあるだけだ! 乗り切れよ! 魂よ!

 おまえの、刻々の努力に、悪は逃げ去るのだ。

 宗教とは、悪と戦うことを、いうのだ。判ったか、魂よ。

 悪と、戦わない宗教は、かつて無いのだ。

 形は変わって行く。しかし、生命の努力もて、悪と戦うものは、常に宗教である。

 悪を讚美するものは、宗教を否定する。悪を賛美するものは、生命を呪詛する。

 神に生命がないのではない。眼の前に見ゆる悪に恐怖し過ぎるのである。

 強く悪に猛襲せよ。たとい、倒るることがあっても、神が再び立たせてくれると言うのがイエスの宗教ではないか!

 完全な神が、何故悪を創造したか、と尋ねてくれるな! 神は悪を創造したのではない。
 生命の表現にやむを得ない形式なんだ。それに敗けてしまうというのであれば、宗教はない。
 悪に敗れたものでも、再生の希望があるというのが、イエスの宗教の真髄である。

 悪と虚無を讚美する人がある。しかし、それらの人は、生命の内容を豊富にするために美ということと、悪ということとの形容詞をただ、置き換えただけである。生命の内容を豊かにするということにおいては、何の変わりもないことである。

 すべての冗言を省け! 私は強く生きねばならぬ。
 そのために、衷なる生命の神を、信ぜねばならぬ。
 たとい、私の魂が、敗死することがあるとも、再生の力もて、復活せしめてくれることを、信ぜねばならぬ。

 これを体験したのが、イエスである。

 私は、その宗教に生きる。それがすなわち、私の生命芸術であり、生命宗教である。
 私は、その神に生きる。

   1922年11月29日
                                    賀川豊彦
                                 神戸購買組合の裏二階にて




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第15回『生存競争の哲学』)

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昨日UPしました賀川記念館のすぐ近くに整備されている「生田川公園」のつづきです。公園にはいくつもの立派な「歌碑」がつくられていて、楽しむことができます。



             「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

               ―作品の序文など―

   

                 第15回


               生存競争の哲学


           大正11年11月8日 改造社 349頁



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 賀川は「此書を与謝野鉄幹氏と与謝野晶子氏に捧ぐ」と扉に記しています。賀川の処女詩集『貧民窟詩集・涙の二等分』には、賀川より10歳ほど年上で、すでに著名な歌人として大活躍の与謝野晶子の、有名な「序文」が収められていることは、、前にも書きましたが、賀川夫妻と与謝野夫妻との親密な関係を、しることができます。

 本書は、先の『星より星への通路』に続いて、改造社より刊行されました。『死線を越えて』と肩を並べて『星』も猛烈な売れ行きでしたが、この本も連日のように増刷が続いていることがわかります。

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 今回の「序」をよめば、あの「岡本太郎」が書いたのではないか、と錯覚させられるような、熱気が溢れています。主にここには『改造』や『解放』に寄稿した諸論文が収められていますが、この論集にも「生存競争」「戦争と平和」「階級・労働組合」「顔・衣裳」といった賀川の広汎な視座からの、哲学的な省察が加えられています。


            *             *



                  


 凡てが爆発である。「生」は無限の極みより無窮の際に飛び上がる爆発である。それに生存競争のあることはまたやむを得まい。噴火口の石は相摩することがある。しかし生命の現象はただ生存競争だけでは説き得ない。それは噴火の一表面現象である。生命はさらにそれより深く爆発する。生命の爆音は生存競争の聲に怖じない。生命はそれよりさらに高く爆発する。

 何人が生命の底とその行衛を見極めることが出来るか! 生命は天に沖して轟く。何と言う見事な爆発であろう。それはすべてを吹き飛ばして天空に破裂する。

 それは内側からの爆発だ! 物と物との衝突や競争だけの問題ではない。衝突も競争もその爆発の一齣だ!

 空間に塗られた鮮血の絵画はそれがどんな悲劇であろうとも、力争を厭わないプロチノスには最も勝れたる劇曲である。

 それは大きな表現であり、芸術である。生命は自ら語らんとしている。先ず自ら守り自らを形造らんがために、自己の中に宇宙を画こうと努力しているのではないか?

 私は沈黙して宇宙の語らんとする象形文字を読もう。

 宇宙よ語れ! 生命よ轟け! 私は静かにその爆音の中に新しき音譜を聞きわけよう。

 それがあまりに大きな芸術であるとも私は臆すまい。

 血と、その血塗るところは何を意味するか! 

 宇宙よ語れ! 生命よ轟け! 

 私は静かにその音譜を拾って行こう。

   1922年11月10日
                                     賀川豊彦
                                        神戸貧民窟にて



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩(第14回『人間として見たる使徒パウロ』)

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昨日の午後、賀川記念館における大切な会議の前に、「生田川公園」をぶらり散歩。




            「賀川豊彦」のぶらり散歩


              ―作品の序文など―

   
                  第14回


             人間として見たる使徒パウロ


          大正11年7月16日 警醒社書店 254頁


 本書は先の『イエスの宗教とその真理』とほぼ同じ装丁で、背文字も賀川の筆字で書かれ、箱入りの布表紙という、美しい著書として仕上げられています。

 後に本書は、大正15年5月10日に、賀川は30数頁分を補筆して改版の書物として出版され、このときに装丁も全く改めて、初版と同じように箱入り上製本がつくられています。



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 そして本書は戦後、昭和23年9月にも、大正11年の初版と同じ内容のものが刊行されています。


 賀川は、以下に取り出す「序文」のあとに、「この書もまた、伏見教会牧師の吉田源治郎氏が、私のために筆記してくださったものであります。私はそれを心より感謝しております。(中略)吉田源治郎氏の好意がなければ、到底世に出られないものであったと思うと、有り難いことだと思われます。」と、吉田への深い謝意を記しています。

 賀川の初期の研究的な作品や『涙の二等分』などの詩作品や前回の随筆・散文詩、或いは小説などは、自分で執筆しなければ出来上がらないことはいうまでもありませんが、上に書かれているように、賀川の講演や説教、或いは眼の病で口述作品になると、ほかの協力者が著作の仕上げに深く関わることになります。それらの事については追って触れることになりますが、さしあたって、吉田源治郎氏のことについては、賀川夫妻と吉田夫妻との生涯にわたる深い関係などを含めて、別の長期連載のサイトを参照頂ければ嬉しく存じます。


              *        *


それでは今回も、おめあての賀川の「序文」を取り出してみます。昨日も、賀川記念館での会議の合間に、書籍をスキャンしてパソコン上で文字化する手管を教えていただいたのですが、どうもまだ、私の手におえなくて、この度もぼちぼちと、楽しみながら、ここに打ち出して行くことにいたします。





                    序



 パウロよ、おお パウロよ!
 おまえの行く道を見守って、私は今も感激の涙にくれる。

 美と調和に溶けたギリシャ文化が、漸く末期に近づいた時に、地中海の周囲は、ゆかりもなく、肉の香りに陶酔せんと努力した。

 その時、美のためにとて、奴隷を椅子にくくりつけ、踵(きびす)からその生皮を剥いだ。それが、文化的羅馬の自由であった!

 その時におまえは、狂人のように地中海の隅から隅え、吠えたぐる狂犬として、ただひとり大工イエスの宗教と良心の目醒めの春を告げて廻った。

 そうだ、そのために、世界は今日の違った世界になった。
 それは余りに冒険に見えた。盗賊の難、異邦人の難、市中の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟の難、――それらはまだ驚くに足らぬものであった。

 労し、苦しみ、しばしば眠らず、飢え渇き、しばしば断食し、凍え、裸にせられ、しばしば獄に入れられ、鞭うたれ、死に瀕むことしばしば、――この不撓の丈夫が、五度ユダヤ人に、三十九の鞭を受け、むちに打たるること三度、絶息するまで石に打たれ、市の外に引き出され、友人の泣き悲しむ死別の涙の中、鳳凰(フェニックス)のごとく甦り、百倍の勇気もて、十字架の道を説き、安居の道を知ることなくして、不動の救いを指示し、三度び破船に遭いて暴風にそむき、一昼夜海に漂流して、なおヨナのごとく、海に愛想つかされ、天地を貫くその至誠に、死者を甦らす奇跡を持たされ、明星のごとく、新しき世紀の曙を啓示してくれた――汝、パウロは、男子でなくしてなんであろう。

 「誰か弱りて、我弱らざらん。誰か躓きて、我躓かざらんや」 丈夫よく自己の弱点を知る。「罪人の首」として自覚した魂は、善いこと、悪いこと、徳になること、徳にならぬこと、すべてを曝け出して、民衆の前に自己の批判を乞う――汝、パウロよ、男子でなくてなんであろう。

 醒めて、萬人に、神を説き、夢みては第三の天に、天使と語る。汝、パウロは秘儀を知っている。

 ダマスコ門外、光に打たれ、盲として自らを発見した汝は、更改の力を、ただイエスにのみ発見した。世界の更改は、自分から始まる。おおパウロよ、汝は遂に、自分の更改によって、世界更改の道を発見した。

 おまえは嘗て、コリント人へこう書いた。

   兄弟よ
   召を蒙れる 汝等を観よ
   内によれる智慧あるものは多からず
   能あるもの多からず
   貴きもの多からざるなり
   神は智者を辱めんとて
   世の愚かなる者を選び
   強者を辱めんとて
   世の弱者を選ぶ
   神は有るものを滅ぼさんとて
   世の賤者、藐視らるるもの
   すなわち無きが如きものを選び給へり

 愚衆の愚衆、俗人の中の俗人―その中になお捨てられた人間の屑を、神が拾い集める。その馬鹿さ加減を、おまえはよく知っている。

 しかし、神の馬鹿は、人間の智者よりも賢く、人間を鋳換えるには力が余っている。

   罵らるる時は
   祝し
   窘らるる時は
   忍び
   謗らるる時は
   勤をなす
   我は宇宙の観玩(みせもの)にして
   世の汚穢(あくた)
   また垢の如し

 何人も顧みてくれない中に、真理の把持者、無傷害愛の実行者として、塵箱の英雄、見世物の大立物として、おまえは彷徨する。

 誰も褒めてもくれないのに、おまえは労働しながら、福音の宣伝に専念し、神の如き熱心をもって、神と共働し、イエスの苦痛に参与し、おまえは、自らを奴隷だというて喜ぶ。

 血がこみあげてくる! 永遠に若いおまえの血が!
 おまえの血は、私の血だ! おまえは死んだ。そして私らは甦らされた!
 誠に、おまえの途は尊い道であった。最も人間らしい人間パウロよ! 私は、おまえのために、六千度の太陽よりも、強い熱を受ける。
 おまえは熱だ! おまえは血だ! おまえ自身が光と真理でなくとも、伝達せらるべき熱であり、血であることは確かだ。

 私の血はこみあげてくる! おまえの胸の中に湧いた贖罪の血は、また今日我らの胸の中に、湧く。
 ああ、沸騰する血!
 おおイエスのために沸騰する血は、永遠に、私を若返らせてくれる! 
 パウロよ、汝、沸騰する霊よ! 人間よ!

   1922年6月20日
                                    賀川豊彦
                                       神戸貧民窟にて




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