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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第132回『天の心 地の心』)

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「景勝・布引の滝の歌碑」(本日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第132回


天の心 地の心


  昭和30年9月7日 実業之日本社 274頁


 本書『天の心 地の心』は、前著『聖書の話』が出版されて2年半ばかりの空白の後の作品です。第一部「天の心を地の心とせよ」、第二部「天の心を地の心とせし人々」の二部構成ですが、第二部の多くは戦前の作品が多く収められています。

 「1955・7・9」付けの賀川の「序」には、本書を仕上げる支援者のことは記されていませんが、前回の『聖書の話』に協力した鑓田研一氏かもしれません。それとも村島氏か武藤氏か。

 ここでは表紙と口絵写真、そして「序」並びに「序」の前に「著者略歴」もありますので、それらも取り出して置きます。また、本書は全集に収められており、武藤氏の解説もありましので、それも加えます。




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              『天の心・地の心』


 著者略歴

 明治二十一年七月十二日神戸市に生る。同四十年明治学院神学予科卒、神戸神学校に入
学、四十四年同校卒業。神戸市葺合新川の貧民街においてキリスト教布教に往事。大正三
年奨学金を得て米国プリンストン大学及同神学校に入学。同五年同校卒業後シカゴ大学に
学ぶ。帰国後大正七年には関西労働総同盟会長となり、また神戸市細民街に隣保館設立。
その後労働組合、農民組介、協同組合等あらゆる組合運動の先鞭をつけ、関東大震災には
難民保護に当り、また帝国経済会議々員、中央職業紹介委員会委員、済生会評議員、東京
市社会事業協会評議員等を委嘱された。
 昭和二十年には、厚生省救済委員会委員、同省顧問、内開総理大臣官参与、内閣議会制
度審議会委員、日本社会党を組織し顧問となるなど、終戦後の混乱した社会に活躍し、同
二十一年には貴族院議員に勅選され、全国農民組合会長に就任す。その後も終始キリスト
教布教に従事、貧民救済事業、社会事業等の措導実践、啓蒙宣伝を行う。
 現在、都社会事業協会、中央児童福祉審議会、済生会等各役員、全国農民組合長、雲柱
社理事長、世界連邦副総裁等多くの面に活躍、また前後九回世界各地に渡航。著書は「死線を越えて」「一粒の麦」「主観観経済学の原理」等多数がある。            /


                                           
                     


 支那の聖人孔子は、時代の激しい変転期には「天」を基準として人の心を易(かえ)るようにと易経を編集した。

 キリストは『私は一人じゃない、天の父といつも一緒にいるのです』と十字架を選んだ。

 フランスが百年間もイギリスに占領せられていた時、十六才の小娘ジャン・ダ・アルクは天の声を聞いて祖国を解放した。

 デンマークがドイツに占領せられた時、二十八才の青年グルドウィヒは、天の心を国民の心に植えつけてデンマークを再興した。

 ノルウェーがスウェーデンに占領せられていた時、南ノルウェーの農村青年ハソス・ニールソン・ハウゲは、天の声を春の雪解け時、畑の中で聞いた。それが、ノルウェーの再建の礎となった。

 日本の再建は、天の心を、地の心とすることから始まる。

 それを忘れて、唯物論に迷い、汚職に没頭し、刑務所を新設し、最高裁判所に防塞を築き、ゆがめられた地の心を以って、天の心に置き換えようとしている。ここに日本の新しき悲劇がある。

 明治維新は、まだ天の声に聞かんとする熱意を持っていた。明治六年切利支丹禁断の制札は撤去せられ、迫害を怖れず、多くの青年は、救国の祈りを天に捧げた。それが死を怖れざる熊本バンド、札幌バンド、横浜バンドの結成とたった。そして、この熱意が国会の設立となり、民主々義国家の運動として発展した。

 アブラハム・リンカーンは、徹夜の祈によって「奴隷解放」の宣言文を起草し、その精神を日本に運んだ横井小楠は京都御所に殺され、森有礼文部大臣は憲法発布の日に兇漢の手に倒れた。それにもかかわらず、日本の婦女子は、白色奴隷解放の祈に燃え、婦女禁売令は、明治五年の太政官布令となり、貯妾制度の廃止は法令なくして、民衆の常識となってしまった。

 しかし、軍閥の台頭は日本を遂に敗戦に導き、日本は遂に二千六百年の輝しき独立の歴史を反古にしてしまった。

 私は嘗て、満州の首都より追放令の予告を受けたことがあった。それは、私か新京で貯妾制度反対の演説をしたことが満州政府主脳部の忌むところとなったためであった。そして、太平洋戦争によって、日本は天を見失い、敗戦と共に唯物辨証法は「天」を嘲り、倫理道徳は日本を見捨てた。日本そのものが、軍閥下に於ける満州国のようになってしまった。

 今日の日本はダンテの画いた地獄以上のあさましい悲曲の連続である。

 私は、も一度、「天」を呼び、天の心を日本の心とする為めに、この書を戦災に焼け残った、日本の若き良心への遺産とする。

   一九五五、七、九、午前四時
                          賀  川  豊  彦





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          武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』より

             『天の心、地の心』について


 『天の心、地の心』は東京の実業之日本社から昭和三十年九月七日に発行された。

 賀川が六十七歳の時、すなわち晩年の作品である。しかもこれは講演筆記でないから、文体がよく整い、内容も他の宗数的著作のように、同じことは、同じ表現の重複がなく、殊に後半は宗教的偉人の人物、事業を記述しており、読む人の興趣をそそるものがある。

 実業之日本社はこの時すでに賀川の著作として『石の枕を立てて』『処世読本』『東雲は瞬く』などを出版しており、キリスト精神をあまり表面に出さず、内に秘めながらじわじわと日本人の心に泌み通らせるような企画をもって賀川に書かせたものと推定される。本書もまたそうした型に属する著作であり、宗数的修養書とも名づくべきものである。

 本書は第一部「天の心を地の心とせよ」第二部『天の心を地の心とせし人々』に分かれており、前者は著者の見解を述べたもの、後者は人物評伝である。

 第一部の内容を紹介しよう。『天を基準とする生活』の項においては、太閤秀吉が『戦争に勝った時、勝に乗じて敵を追かけずに、一たん四辻に引返して、八方ににらみをきかせ』という四辻戦法の教訓を引き、『天に通ずる聖き野心』をもち見通しをきく目で事業をやれ、実業に従事する人は専門的知識だけでは経営ができない、寛容の気持、強い意志、その上、人の苦労を自分の苦労にして社会全体を引上げてゆく社会連帯意識の深みに徹せよ、これが宇宙精神に通ずることであると説く。(賀川はここで神といわずに天といい、キリストといわずに宇宙精神といっているのである。)

 悪につく下向きの生活をせず、天と自分とを一直線において誘惑に勝ち、一時の繁栄を目当てにしないで、天を基準とする生活をせよという。

 『日本を明るくする工夫』の項においては、日本は国土は狭いが自然に恵まれているから、生活教案を作り、樹木作物農業、有畜農業等より生ずる産物を加工することを学び、生活を豊かにせよ、『日本の青年よ、大自然に帰れ』と叫ぶ。

 『労働享楽時代の創造』の項においては、労働をいやがる国民か亡びるという実例をローマ、インド、清朝において示し、『わが父は今に至るまで働き給う』という聖句を引いて、労働神聖視による世界観の革新を説き、敗戦後の日本人が、賭博行為によって遊び暮しているのを批判し、更にこの頃から盛んになってきた労働争議による工場の休業に及び、昭和二十七年、二十八年の大工場や鉱山が、どんなに永い間争議による休業をし、そのため損失を招いたかを語っている。
 (資本家の暴威に対し労働組合の結成を促進し、自ら労働争議を指導した賀川も、戦後の労働争議のやり方に対してはよほど強い反対意見をもっていた。松岡駒吉君が、自分たちの作った労働組合がこんなものになろうとは思わなかったと嘆いていると賀川は当時私に語ったことがある。)

 労働争議に対しては争議前に労働調停裁判所を通過すべきである。さもないとロックアウトやストライキによって、完全雇用の理想が破られ、資本家も社会主義者も自らを裏切ることになり、自ら貧乏を製造することになると主張している。

 次に労働が面白くやれる方策を提唱し、経営者は、労働者の生活不安をなくし、労働過重にならないようにし、単調になる場合はリズムをつけたりラジオをかけたりして作業に変化を与え、作業工程やその目的を理解せしめ、生理的、心理的に作業の適格性を定め、労働者を人格的に尊重し、互助友愛の精神に満ちるようにし、つまらぬ作業でも宇宙目的、人生目的に合致することを教える等のことを提唱し、こうすれば、争議が起こらず、経営の不振が起らぬと結論している。

 次に日本人は男子も女子も敗戦から立上がり、世界に卒先して労働享楽の時代を創造すべきであるという。
 『激変する社会に処する道』の項においては、天を中心とする易経の教訓に従い、行き詰まったら零から再出発し、頭たらんとする者は人の僕となるべしというキリストの教えに従い奉仕の生活をすれば失業はない、大きな困難にぶつかった時は天に向かって立直れ、きれいに失敗する者こそ勝利者となる、正しい道を歩く者こそ勝利者となるという。

 『不景気を突破する精神』の項においては社会連帯性の経済を主張し、完全雇用の社会組織を協同組合によって実現し、これを世界全体に及ぼすべきことを提唱している。

 『現代にも立身出世はありうる』の項においては、労働階級から出て代議士になった大矢省三、現代の幡随院長兵衛といわれる武内勝、浪速銀行の小僧を振出しに大蔵大臣になった北村徳太郎等の実例をあげ、共産主義国においてすら『労働英雄』『技術英雄』『発明英雄』などがあって勲章をもらっている。アトリー内閣の外務大臣ベビンは炭坑夫出身であり、その他研究室の女性英雄があり、マーク・トインの如き河蒸気船のボーイが文豪になった例がある、人類社会に指導者を要する限り必ず立身出世があると結ぶ。

 『生き甲斐のある生活』の項においては、肺病院にて奉仕生活をした肺病患者の話、公正都市の建設者ジョンソンの話、カーネギー、フォード、ロックフェラーなどの話を語り、使命感に生きるようすすめ、生き甲斐のある生活とは『二度くり返したい生活』であるという。

 『割切れる理屈と割切れぬ人生』においては、理屈で割り切れても、人生には割り切れぬことが多いという主題で、左翼学生運動を批判し、礼儀と行動の美を論じ、社会風習を解剖し、マルクス、ジェームス、ランゲ等の哲学に言及し、永遠に割切れない生命の世界と信仰とがあるといい、理論を超越し、宇宙の志向性の指さすところを信じて良心生活を営むことが宗教であると結論する。

 『道徳復興なくして経済復興はない』においては、敗戦の結果起こった道徳の腐敗につき語り、ローマ衰亡史は日本への予言者であるといい、慢性インフレ下の慢性ストライキ、麻薬の流行、娠娠中絶等、日本の衰亡が露骨になったことを指摘し、公用族(社用族)資本主義の堕落を論じ、公用族の犯罪統計をあげ、道徳なくして経済の復興なく、宗教的基礎なくして国民を退廃から救うことはできないと結論する。

 『世界平和と世界危機』においては、レニンの暴力国家論の批判からはじまり、今日の解放運動には民族解放と無産者解放の二潮流のあることを指摘し、結局世界連邦制度によって世界平和を実現しなければならぬと提唱する。

 『天の心、地の心』は問いと答えの形式による解説であり、宗教とは? 宗教の四つの目的は? 新興宗教は迷信か? 神はあるか? 愛こそ神の心、生命は心を産む、科学で解けない生命の神秘、善と悪、平和と世界連邦運動、霊魂は宇宙の中にある、死は悲しからず等の諸項目に亘って賀川の見解を述べてあり、多くは『神による新生』をはじめ、その他の講演集にあらわれたものを集約したものである。

 第二部『天の心を地の心とせし人々』は宗教的偉人伝であるから一気呵成に読むことができる。

 一五四一年インドに渡って伝道し、一五五〇年日本を訪れて初めて日本にキリストをもたらしたポルトガル人ザビエル、信仰に生きた小西行長、キリスト教思想をいだいた近江聖人中江藤樹、印度の使徒靴屋のケエリー、中国への伝道者で聖書の中国語訳を完成したモリソン、中国キリスト教の開拓者ハドソソ・テーラー、奴隷解放の恩人リンカーン、日本黎明期の伝道者海老名弾正、インドの解放者マハトマ・ガンジー等九人の人物について語る。殊にケエリー、モリソン、テーラー等の伝記はくわしく記されており、ガンヂーについては一九三九年一月、賀川とガンヂーとの会見記から始まっているのが興味をそそる。


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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第131回『聖書の話』)

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「景勝・布引の滝の歌碑」(本日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第131回


聖書の話


  昭和27年3月30日 要書房 205頁


 本書『聖書の話』は、最初「要選書」のひとつとして刊行された後、昭和32年には社会思想研究会出版部より「現代教養文庫」に納められたことから、晩年の賀川の作品としては、長く人々の手に渡った好著でした。この作品も鑓田研一氏の協力で仕上げられています。

 残念ながら賀川豊彦全集には入っていませんが、先に上げた『キリスト教入門』と共に重要な作品と思われます。

 ここでは要書房版の表紙や「序」に加えて、文庫版の賀川の新たな序も取り出して置きます。




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                  『聖書の話』

                    


 古き低気圧が去って、新しき低気圧が来襲する。人間の低迷が、深度を加えると共に、新しき低気圧の頻度は激しくなる。
      。
 第二次世界大戦は過ぎて、また第三次世界大戦が準備されている。十一世紀に始まった十字軍の頻度と同じ歩調で世界戦争が来るのかも知れない。それにしても、悲しきは人間の無智と狭量である。その悲哀を貫いて、なお変わらざるは宇宙創造主の慈愛の深さである。人間が神に反逆すればするほど、その罪悪を越えて人類再生の途を開いて下さる。罪のいや増すところに恵みもいや増し、もう世界の週末かと思われる時に、また春の芽生えが、黒土の下に準備されている。

 めぐみの記録はかくして、歴史を貫く天啓となり、これが綴られてユダヤ民族の体験として、恩寵史は書かれた。これが旧約聖書である。その恩寵史を意識の上に乗せ、天父の慈愛を人間社会に生かす場合に、罪をも赦す「血肉」の運動として、他人の為めに、「血」となり「肉」とならねばならぬと贖罪愛の地上生活を書き出したのがイエスであった。彼は「神」の愛の受肉者として地上を闊歩し、神の國を地上に縫いつけたのであった。これが新約聖書である。

 人類がイエスに同化すれば、地上に神の國が来るのは必然であり、人類史は、全人類がイエスの如き意識に到達する日に、神のるを地球上に顕現させ得名のである。

 この意味において、私は聖書のあらゆる批評を歓迎する。然し、それらの低等、高等……文學的、思想的の凡てを越えて、私は、更に神と私とを如何に結びつけてくれるかという点から聖書を涜む。それで、思想の時代的発展以上に、私を天に引上げてくれるものを私は探す。で、それが年代的にどうであろうと、私が歴史の頂点に立っていると考えている以上、私は、歴史の中にこみあげてくる神の恩寵の高潮に、私が乗っていることを自覚すれば、それで、私はその聖霊のみめぐみに凡てを委ねる。

 この本は、聖害の一章一節の意味をこまかに解きあかした註解書ではない。註解書なら私の先輩や友人の書いた本がすでに何十冊、何百冊といって出ているから、それを読んでもらいたい。私は、旧約聖書と新約聖書を構成する、両方あわせて六十六巻の記録について、各巻の根本的な主題と、思想の特質と、登場人物の風貌を明かにすることを主限とした。
 
 友人鑓田研一氏の協力がなかったら、私は時間的にこの本の執筆に困難を感じたであろう。ここで同氏に心からの謝意を表する。

  一九五二年二月二十二日
                        賀  川  豊  彦





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                現代教養文庫

                文庫版への序


 原子力時代に生れあわした私たちは、あたらしい恐怖と文明の終末を予覚させられる。この文明の崩壊は創造主が宇宙と人類をつくられた目的であったろうか?

 原子力時代の悲劇は神を否定し、社会協同体をふみにじり、唯物主義と、暴力と、肉慾のみを肯定するところの神への反逆にはじまる。過去は過去に葬ればよいですまされない。良心がうずく。創造主がかくまで、宇宙を美しくつくり人類を愛し育てて下さった大愛にたいして、責務を感じる。

 新宇宙の再創造のためには、世の始まりから今日にいたるまでの建設についやされたエネルギーを弁償せねばならぬ。そう神と人との間にはさまって悶えたのがナザレの大工イエスであった。その総対的連帯意識に目ざめた贖罪愛の発展史が「聖書」全巻の記録である。

 それは階級意識ぐらいの局部的なものではない。イスラエル民族解放史のかげに天地の創造主がひそんで助けてくれた。神は解放者だというのが旧約聖書の編まれた理由である。その解放者にすまない道徳的堕落がイスラエル民族の良心をむしばんだ。それが民族興亡史の背景として『精神覚醒史』が書かれた理由であった。預言者の声を旧約聖書が集録し、その究極の完成者としてのイエスの贖罪愛の死と、その死を突破しだことを新約聖書は教えてくれる。

 新約聖書の教えるところは、天の父なる全能者は人間の罪悪と欠点にたいする協同の責任を感じ、連帯責任をとり、神のなやみを神の子としてひきうけたその自覚の悲痛なる嘆きを福音書として記録した。

 しかし、原水爆のなかった古代ローマ時代は人類の終末とならずにすんだ。だが、今はそんな生やさしい時代ではない。われらはもういちど聖書をかみくだいて味わい、あたらしい時代の贖罪愛と、あたらしい時代の再創造のために、あたらしい復活を準備せねばならぬ。

  一九五七・二・二七
                          賀 川 豊 彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第130回『続人生ノート:人生苦の解決』)

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「景勝・布引の滝の歌碑」(本日の「番町出合いの家」ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第130回


続人生ノート:人生苦の解決


  昭和27年1月25日 梧桐書院 182頁


 本書『続人生ノート 人生苦の解決』は、このとき梧桐書院で出版された一連の賀川作品のひとつで、編者の鑓田研一氏の労作といえるものでしょう。

 本書には、賀川の序文も鑓田の編者の言葉も全く添えられていませんので、ここでは、本書の第一章を取り出して、賀川の序文に代えたいと思います。愈々、賀川の著作も最後の段階に入ってまいります。




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              『続人生ノート 人生苦の解決』


                新らしき人格への飛躍

    新らしさの意味

 一体、新らしいとは何を意味するのでしようか?
標的がハッキリしていないと、どこまでが古くで、どれからが新らしいのか、サッパリわかりません。人間にとって、究極の目あて――理想とは「より人格的」ということ以外にはないのです。
 では、より人格的とは何を意味するかといえば、「より自由であること」を意味するのです。
 たぜ正月には、人が喜ぶのでしょうか。それは、平素の拘束から、少なくとも正月三が日の間は、解放の自由を味うからです。小説を読む愉快、芝居、映画を楽しむ理由も、それが何らかの自由を味わせるからです。
 『もう少しの自由を!』というのが、社会運動の原理であり、また、大きなその理想です。より人格的であるとは、だから、より多くの自由の享受を意味します
今日の時代は、あらゆる方面に、其の自由が保証せられていません。労働者はエ場にしばりつけられ、役人は官廳に、妻君は台所に、女中は流し元に、それぞれ束縛を受けで『自由を! 自由を!』と自由を求めてあえいでいるのです。
 しかし、ある者は、金を手に入れると、自由を求めると称して、放蕩無頼の生活に向っで走って行きますが、それは本とうの自由でしょうか。

   自 由 の 種 類                  、
 
 自由にもいくつかの種類がありますが、放蕩をすることを本とうの「自由」とは呼ばたいのです。
 自由には二種あります。横の自由と縦の自由です。
 第一の自由は、思うまま、気まま身ままにしたいという自由です。それは妾狂いをする自由であり、娼婦を弄ばんとする自由です。
 神戸に、某という大親分が居ました。賭博の常習者でしたが、その行為をとがめられると、『おれの金で、おれが打つのにどこが悪い』といつで、喰つてかかるのが常でした。しかし、真の自由とは、かかる横への自由ではないのです。
上の方への自由――つまり・偉くなりたい、飛躍したい、発明したい、そのために要求するのが縦の自由であり、真の自由であります。
 横幅の自由を求めることはやさしい。けれども、上の方へ飛び上りたいという自由を得ることはむつかしいのです。が、この第二の自由、真の自由こそが、われわれの望みでなくてはならぬのです。
 一人の娼妓なく、虐げに泣く一人の労働者のない社会を求めてこそ、真の自由への要求というべきでしょう。
 横幅の自由は、自由の成りそこねです。それは、自由ではなくて、放縦です。

   人格の要素としての自由と秩序

 人格の要素として二つを挙げることができます。自由と秩序です。
 一人が自由を楽しむのみでなく、自分以外の他人もまた自由になりたい要求を持つているのですから、他と共に自由を亨受しょう――というときに考えられるのが秩序の問題です。
 昔は、金持であれば、他人のことなぞは考えないで、自分の自由に振舞えました。ゴロツキの連中もほしいままに横行しました。しかし、真の自由は、秩序ある世界を要するのです。
 秩序とは、即ち、「法」という意味です。変わらざる法を指して秩序と呼ぶのです。
 われわれは、各種の「法」の裡を歩んでいます。例えば、生理的法に従って生きています。もちろん、これを破ることができます。酒飲がそれです。その意味で、酒飲は自由であるかも知れませんが、秩序よくは歩けないのです。
 人格とは自由と秩序との組合わせです。自由とは変って行くものです。移り行くものです。『今日では、フランス語も自由に読めるようにたった』というのは、不熟練から熟練へと変って来たことを意味するのです。われわれは、発明に対し、学問に対し、常に自由を保つものとならたくてはなりません。しかし、単なる変化のために自由を握るという外に、人格の成長には今一つの方面――秩序のあることを知らたくてにたりません。
 青年期の誘惑は、秩序を重んじないことです。
 自転車のベルには、たいてい、七つから二十一ぐらいの仕掛があります。ペルーつ鳴るのにもある一定の秩序があって響を出すのです。わたしは嘗である大学の心理学教室で、実験するために時計の機械を壌してみました。壊すことは容易でしたが、さで、一旦こわした二十一の部分品をもう一度、組み立てようとしても、なかたかできません。
 しかし、その次には、最初、七つの部分品から組立てられている時計を、充分注意してこわしてみて、それからそれを組立ててみると、こんどは二分間でスツカリ完全に仕上げることができました。その後でもう一度、二十一の部分品でできた精巧な時計の組立てをやつてみると、今度は五分間でできました。この一事は何を示すかというに、学習には一定の原理があるということです。即ち七つのものができるたら、次には、二十一のものが容易に組立てることができるのです。このように、やさしいものがつくれるなら、進んで、こんどは、むつかしいものでもできるというのが学習の原理です。
 人生において、もし、成功せんと思うたら、このことを先すわきまえなくてはなりません。すなわち、一足飛びにむつかしいことを試みないで、最初は容易な方をかたづける。即ち学習には順序があって、その順序を踏まぬと物事はできないのです。
 われわれは、何かのことに熟練しようと思えば、漸次に秩序を踏んで熟練の方へとのし上げで行く工夫を要するのです。

   人格の成長と刺戟

 そのために必要なのは、第一に刺戟です。これを週期的にもたなくてはなりません。雀がまだ生れで間もたい頃、二週間位、鶯のそばに置くと、鶯の真似をするようになります。しかし、その発声練習を一日ぐらい構わたいだろうと思って、棄てゝ置ぐと、もうだめです。
 われわれが人格を練磨する場合でもこれは同じことで、偉くなろうと思えば、必ず一定の刺戟を絶えず週期的に與えるようにエ夫せねばなりません。青年時代に、目的を確立せずして、二十日鼠のように、あちらを少し、こちらを少しという風に、噛じりちらしているなら、決して人格は完成しません。ある定ったものをグウツと、間断なしに乗せて行かぬ限り、成就は覚束ないのです。
 これは記憶作用でも同じことで、実験してみるとよくわかります。われわれが何かある事柄を記憶して、どれほど、覚えているか調べてみると、たいてい、最初の五分間に、約六分位は忘却するものです。しかしたびたび、繰返すならば、だんだんに忘れなくなります。だから、事物を習練するには、定まった生活をするととが必要です。七日目、七日目に、一年中、五十二回繰返して、宗教集会に欠かさす出るということも、前述した学習心理の原則にかなった所のもので、そういった週期的な宗教的刺戟がないたらば、人格が、ただれてしまう恐れがあるのです。

   新らしさと人格の成長
 
 秩序のあるところに自由があり、そして次第に三、四、五、六というようにその範囲が広くなつて行きます。これが成長です。
 代数なり英語なりが、今年は昨年に比して自由になりたということは、学習の結果、成長かあり、ある新らしい部分が加わったことを指すのです。伸び上った部分だけ、つまり新らしいのです。
 秩序のある新らしさ、より大いたる自由を持ち新らしさがそこに生じます。生長する人間は、常に新らしさを要求します。青年は急速に成長します。すべての過去を踏台にして伸び上るのです。
 新らしさとは、要するに人格の自由と秩序と成長との問題です。だから、本当の人格の外に、真に新らしいというものはないわけです。
 恋愛は人類の歴史とともにあったもので、その事自身は古いことですが、たぜ、これがあなたの経験としては、新らしい気持があるかといえば、それは、人間の大きな運動だからです。
 自由は冒険性に富みますが、秩序を失うと転覆する危険性をもちます。学問というものは、幾何にしろ、物理にしろ、必ず一定の法則に従っています。そして、メンデレーフの週期律の法則によって学習そのものも進んで行くのです。
 この変るものと、変らざるものとの二つの配合によって、進歩かあり、成長があります。古い歴史を秩序立っで研究すると共に、そこに何か新らしいものを発見して行くのです。

   優れたる人格を踏台として

 われわれが聖書を研究し、孔子、孟子を研究するのは、それを土台として、その人格の上に新たに何かを組立てて行くためでなくてはなりません。この外別に新らしいと呼ぶ道はないのです。かかる偉大たる聖人の道を外にして、新らしいといい、古いといっても、それは無意味なことです。
 われわれは、キリストという人格を踏台にして、伸び上ろうとするのです。
 人を愛し、宇宙の構造を研究し、発明をし、人を引き上げる――即ち、一つでも、二つでも、三つでも、これまであるものの上に、成長せしめて行く、そういった行動の外に、どこに新らしさがありましょう。人格の成長がありましょう。
 かっで猿類が泥酔したという事実がありますか? ゴリラが、アフリカの砂漠で酔っ払ったという新聞の報道がかつてあったでしょうか? 猿や、駝駱は酔っ払わず、彼等の間には梅毒はないというのに、人類のみ、アルコホルに中毒し、梅毒を受けて血を濁すというのであれば、どこに人間の進化があるのでしょう? われわれはかえって、アダム、エバより退化したといわなくてはならぬではありますまいか?
われわれは生命の道に自らの確立を計らなくてはなりません。
 リンコルンの道を棄てた米国は、古くなるばかりではありませんか?
 われわれも目醒めて、聖徳太子、弘法大師、の人格の上に、さらにある立派なものを加えて行くことを考えるのでなくてはなりません。
 日本の農民が二宮尊徳の美徳を全くかえりみす、たゞマルクス主義に走るならば悲しいことです。尊徳のもった謙譲の精神の如きは、優れたものです。
 日本の農民運動の精神も日本のもついいものの上に、更により善いものを加えて行くのでなくてはなりません。
 資本家は搾取のみを考へ労働者は少しでも多く取ることのみを計るというのでは、とうてい真の自由世界は来ません。憎悪のみ教えで、自由と秩序の原則を忘れては、日本の国の前途もみじめです。わたしは、新らしき時代をつくるものは、人格運動の外にないと考えて、、その方面に懸命になっているのです。     
 人格運動の外に経済学はありません。人格の平等を求め、人格の自由を求め、人格の尊厳を回復する以外に、社会主義の目的はありません。資本主義制度と称する唯物的社会制度から解放されたいというのが今日の嘆きではありませんか。
 真の革命運動とは、だから、人格運動の外にはないのです。
 人格を離れて、何がわれわれを昂奮せしむるか?
 母の愛、お互同士の奉仕、社会の愛――こういうものが、一歩一歩深まることを指して、箇性に、社会に「新らしみ」が加わるというのではありませんか。
 われわれを昂奮せしむるものは、人格です。芝居をみてなぜ感動するか? そこに演出せられた人格の断片に触れるからです。われわれは、革命主義の小説を読んでなぜ昂奮するのか、そこに人格の断片を見るからです。
 しかし、芝居や小説に見るところのものは、人格の断片であって、人格全部を握ることではないのです。

    社会運動の人格主義的動機

 人格主義とは、発明と発見とに飛躍することです。空腹である時には、飯を要求するでしょう。しかし、満腹の次にはどうするつもりでしょうか?
 社会主義の運動も、その究極は、人格の外の何ものでもないのです。人格が今日では機械の番人になっています。それで、もう一度、人格の自由を取り返そうというのが、園運動の最後の理想です。そのために、人格の成長を妨げるものを取り除こうとして、わたしたちは力をつくすのです。
 わたしは、日本の無産運動のよき生長を祈ってやみませんが、もし、無産運動というものが、人格主義的に行かぬなら、全く甲斐のないものになるでしょう。政治もそうで、政権の獲得に熱中するのみでは、真の政治は決してありえません。せめて、日本の政治界にも、ドイツに於けるくらいの人格運動が起ってほしいと思いまず。フィヒテが日本にも出なくてはなりません。しかし、わたしは絶望してはいません。
 ここ、百年も辛抱して、日本の人格の畑を耕すことに努力するなら、決して、絶望することはありません。わたしは百年を待とうと思うのです。
 ロマン・ローランは、近代の英雄は、実験室の中に居るといっています。われわれは、新らしき時代の人格としで、科学的知識の世界に、またキリスト愛の運動に、自由と秩序とを以で一層の突進を試みましよう。新時代の理想主義達成のためには、人格主義の外に向うべき路はたいのですから。




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第129回『永遠の再生力ー十字架宗教の絶対性』)

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「景勝・布引の滝の歌碑」(本日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第129回


永遠の再生力―十字架宗教の絶対性


  昭和26年9月15日 新約書房 182頁


 本書『永遠の再生力―十字架宗教の絶対性』は、米国ロサンゼルスのイエスの友会の25周年記念事業として出版されています。

 これには賀川の「序」もあり、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』での「解説」もありますので、表紙などと共にここに収めて置きます。



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             『永遠の再生力―十字架宗教の絶対性』

                     


 端折られた葦に、また若芽がふき出した。

 亡びた日本にまた再生の希望が持てることになった。しかし、この敗戦後の六年問は、あまりにも気狂はしい惨憺たるものであった。雨親殺しは培加し、パンパン・ガールぱ蝗の如く群をなして移動した。刑務所は収容力の三倍の犯罪者であふれ、日本全國が貧民窟になってしまった。中國が共産化し、北鮮と満洲が赤軍の占領地となったために、日本の海外貿易は萎縮し、糸へん、金へん、紙へんの悪性インフレは、悪質の恐慌に移行し、出版會社のつぶれるもの、織物問屋の倒産、鐡屋の破産、昨日の栄華は今日の嘆きと変らざるを得なかった。

 唯物脅迫主義は、全日本を蔽ひ、たとひ、講和條約が結ばれても、経済復興の前途が猶暗澹たるものがある。

 全能者の庇護がなければ日本の再生は不可能である。――それでゐて、私は、キリストにある大能者の再生力を信する以上、失望することができない。罪のいやますところにめぐみもいや増す。聖書の記録は恩寵の記録である。悔改めのあるところに必ず再生も保証せられる。

 この再生力を信じて日本は再び立ち上る。

 軒の燕は土をもて巣を作り、秋の初めに南に帰って行く。日本にまだ一握りの土が残り、一塊の小山さへ残って居れば、大能者は、日本の悲しき児らの為に、土もて巣を作り、やがてくる秋の日の巣立ちを待たせ給ふのである。

 國亡びて千九百年目に、イスラエルはパレスチナに婦り、イスラエル民族の独立の旗をあげた。それは、彼らに力があったのでは無い。全く聖書の約束により、全能者への信仰によったのである。

 二十六年前、私ぽ小アジアパレスチナの一角、エルサレムに残ったダビデの城壁の前に立った。散十のユダヤ娘か麻をかぶり、唇を石灰岩にすりつけて、
  「――シオンを再び興し給へ!
   ――この城壁をも一度造りなし給へ!」
と泣きながら、城壁に接吻の唾を以って洞窟をうがってゐた。彼らは千九百年間、この祈りをつゞけて遂にきかれた。 
                 ’
 日本にはこの祈りの悲願をきかなかった。しかし、大能者は再び、日本に独立を保証し、日の丸の國旗を竿の上に高く掲げることをゆるし給ふた。

 されば、大能者よ、日本の罪を赦して新しき國を造らせ給へ! 懺悔も足らず、愛も徹底しない、この高慢な日本を、も一度、みめぐみによりて囲み、みさかえの故に、歴史を貫く、至愛の世界の創設の為めに用ひさせ給へ!

 ひでりが少しつゞけば、天を呪ひ、五月雨が少し長びけば飢饉を憂ふるこの日本民族に、サハラの沙漠に逃れ出たイスラエル民族が、四十年間天よりのマナによって養われた摂理の歴史を教へ給へ!

 試練を受く可くして、あまりにもそのきたはるる日の短かりしこの六年間に、神の愛は未だ徹底せす、唯物意慾のみ國民を風靡したこの悲しみの日に、十字架の真理を心の奥ふかく刻むことを許し給へ!

 無防備、無武装――その新憲法にキリストの歌訓を、そのまま生かさんとする日本民族の理想を将来に、創造主よ、嘗て、あなたが、紅海に於てイスラエルに示し給ひし大能を現し給へ!

 カルバリの山の満月の日の悲しみを三日目に勝利の復活として、世界歴史を書き改め給ひし、再生の神よ、日本の再生を期として、世界歴史にも再生を約束し給へ!

   一九五一・八・十一

                     日本再生の感謝の涙に沈みつつ
                          賀 川  豊 彦
                                  信越高原にて


 附  記

 本書は日本敗戦後、各地で行った私の講演を同志か筆記してくれたのを編集したものである。
 また北米ロサンゼルスのイエスの友が四半世紀に渡る祈りと共に、日本再建の希望に燃え、祈りの中に二十五周年を迎えたその記念事業として、この書を出版し得ることを私は悦ぶものである。彼ら諸兄姉及び、北米全土に散在する日本人同胞の祈りの友に、此處に改めて心よりの感謝の辞を捧げるものである。




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           武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』より

              『永遠の再生力』について


 『永遠の再生力』は昭和二十六年九月十五目、東京の新約書房から発行された。これは敗戦後、各地で行なった賀川の講演筆記である。北米ロスアソゼルスのイエスの友が、その結成二十五周年を記念して、その記念事業として出版したもので、巻末には、久保田憲三、藤坂君代、釜薗兵一、国分壬午郎、桝中幸一、境弘、坂田徳一、佐藤久子、末広栄司、恒吉国治、角替美之吉、谷口顕実、横川全助各氏の賀川への感謝と証言と日本再建への祈りの文が附されている。

 この書の内容は必ずしも系統的ではない。第一には、永遠の再生力としてのイエスの堕罪愛を説く。

 次いで『イエスの受難と堕罪愛』を語る。社会共同体の原理、キリストの使命、その人類を救おうとする至誠至愛、人間再生のため、最微者の高挙のための十字架の死、人間の罪を贖うための化身、永遠の贖罪愛のための復活等が語られる。更にイエスの受難の自覚、革命を避けて受難を選び、これを目的、理想となし、神の命令として受けたことか説かれる。

 『その骨くだかれず』の項においてはヘブル書の贖罪思想が説かれている。イスラエルの律法による犠牲の儀式は形式、型、表象であり、イエスの十字架の死はこの表象を完成したものである。ヨハネ伝においては『言は肉休となって我らのうちに宿り給へり』とあり、キリストの一粒の麦としての死は、永遠の生命を与える。キリストの愛に生きたものは死の恐怖をもたない。

 『十字架宗教の絶対性』においてはイエスの受難、十字架上の七言が語られ、『人間悪とその救済』の項では道徳的標準について論ぜられ、絶対的標準と人間的標準とが示される。天から与えられた生命から出発するものは前者である。生命を物と同一視する時は後者となる。罪悪は七つに分類される。第一は神との絶縁、第二は生命への尊敬の喪失、第三は人間に与えられた力の濫用、第四は変化性の乱用、第五は天の方へと成長せず、自分の貪りに耽けること、第六は選択性を失って迷いを起こし宇宙を混乱におとし入れること、第七は宇宙の法則に反し、宇宙目的を知らずに下向きの生活をすることである。これらはいずれも生命の力、成長、変化、選択、方法、目的の七つの要素に関連する。しかし神は常にこうした罪から人間を救おうとしているのである。

 「贖罪愛の哲学」の項においては、神学としての贖罪論を概説し、贖罪要素として、神とやわらぐこと、迷える者が神にかえること、救われて世嗣になること、弱い者が力づけられること、死者が復活させられることをあげる。

 贖罪は、神が痛める部分を回復し、全体を意識し自覚した部分としての個体を、傷ける個体に犠牲として与える、回復した個体が全体に和解するという過程を経てなされる。

 次いで本体論と宇宙論と贖罪論との関係が論ぜられ、更に目的論と贖罪愛とが語られ、贖罪愛の絶対性が主張される。そして贖罪愛を具現して、苦悩の底に陥った日本の民衆に救いの愛を実践したいという。

 『人生創造と文化創造』の項においては 『古きはすでに過ぎ去り、見よ、新しくなりたり』という聖句を主題にして、キリストによる人生再創造をするとともに、伝道だけでなく、学問に、政治に、経済にキリストの精神が浸透しなければ、日本は破滅するよりほかにないと主張する。

 『ギリシャ文明は何故キリスト愛に降伏したか』の項においては、ギリシャ文化の歴史を述べ、ギリシャの宗教を説き、ギリシャ人は良心なきギリシャ本来の宗教に満足せず、結局良心宗教であるキリスト教に帰依したのであると述べる。

 『キリストの奉仕精神』の項においては、キリストの宗教が祭祀宗教でなく、意識宗教であるため、神と一つになった時、はじめて発意的奉仕ができる、キリストの愛には救貧、防貧、福利の三つが入っており、奉仕の歓喜がある。キリスト自らの生活が生きた隣保館であったともいえると説く。

 『キリストと経済生活』の項においては、天国に積む宝が強調され、『宗教はキリスト、実践は共産党』(これは当時赤岩栄が信仰はキリスト、実践はマルクスといったことから来たものであろう)という考え方をまちがいであるとし、神は生命と労働と人格を地上において神の国出現のために資材として用い給うので、人間は神の使用人として神から委託されているものを喜んで増大し、これを倍加し増殖するよう計らねばならぬ、キリストは利益を神に返すよう示していられるから我々は発明発見をし、助け合いによって神に利益を返すことができると説く。

 『キリスト精神と教育革命』の項においては、マルクスとペスタロッチを比較して論じた後、学校教育の矛盾を突き、宗教家教育家たる者は七つの点において教育を実施すればよいと提唱する。それは生命尊重の教育、自然愛の教育、勤労愛の教育、博愛の教育、組織化の教育、敬虔の教育である。

 『キリスト精神による学問と勤労の調和』の項においては、友の会(クエーカー)、メノナイト、セブンスデー・アドヴェンチスト、ユナイテッド・ブラザレンの沿革とその信徒たちの生活と勤労と奉仕とを述べ、キリスト教による勤労教育を強調している。またム―ティー神学校その他三つの大学における勤労教育を紹介している。

 『キリスト精神と民主主義』の項においては、書経と易経とを論じた後、易とは変化の哲学であり、天に従って変って行くことを説いたものであるといい、イエスは易経の教訓を完全にそなえた方であると結論する。

 次いでイエスの生活を示し、下座奉仕の道、神第一の生活、自己否定、洗足の精神について語り、戦後の民主主義はこうした精神に基づかねばならぬと論ずる。

 最後の『神の国運動よりキリストの運動へ』は一九二八年から始められた神の国運動の実績を示し、一九三二年に至り、次いで日本の政情の変化により伝道が困難となり、二二六事件以後、次第に迫害が加わり、第二次大戦勃発するや、宣教師の引揚げ、教会の閉鎖、ホーリネス教会の牧師たちの逮捕が起こり、賀川白身も東京憲兵隊に拘束され、キリスト教の講演を禁ぜられてしまい、瀬戸内海豊島に隠棲したが、戦後となって一九四六年六月九日、青山学院に全国信徒大会が開かれキリスト運動が決議され、戦後の食糧、交通の困難の中を全国に伝道しまわり、一年十ヶ月の間に九百八十七回の集会をいとなみ、五十六万四千九百三十八名の聴衆を与えられ、一九四九年末までの間に二十万名の決心者を与えられたことを述べている。

 当時共産党の勢は盛んになりつつあったがその中で賀川の運動は力強く展開された。
 賀川はこの運動において、この際奮起して日本に十字架精神が徹底するよう努力すべきを説き、神の霊火が日本に燃え上がることを祈るのであった。







新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第128回『私の人生観』)

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賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第128回


私の人生観


  昭和26年5月30日 梧桐書院 178頁


 本書『私の人生観』は、既に取り出した『宗教読本』『生活としての宗教』を底本として一部削除と新たな追加をして梧桐書院より出版されました。

 本書も著者の賀川の序文は入らず、編者の鑓田研一の「編者の言葉」が巻末に収められています。それも「1951年5月」の日付のみ変更して『宗教読本』の文章と同じですが、ここでは表紙などと「編者の言葉」を収めて置きます。



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                   『私の人生観』

                    編者の言葉


 賀川豊彦氏は。宗教界の偉材である。
 賀川氏を印度のガンジーと比較するのは、外國から起つだ事で、どこの國でも、宗教的生活者の良心と情操は、國境と人脈の別を越えて伸び上る。フラソスあたりの片田舎でも、日本人を見かけると、カガワつてどんな人かね、と訊くさうである。ジイドが日本でもてはやされても、まだそれほど一般化してはゐない。

 ところで、賀川氏とガンジーとの比較だが、宗数的気魄に於いて、瞑想的気分に於いて、正義と愛への傾倒に於いて、両者の間には著しく共通点のあることが、アメリカ人やフランス人の闊達な心の窓にはそのままに映るらしい。だが、その体験する宗教の色彩又は味覚といふ点になると、近代人は賀川氏の方にずつと魅力を感ずるであらう。

 賀川氏の宗教経験とその文學的表現は、実に多彩である。それは第一に氏の豊富な知性から来てゐる。メレジコフスキイの『神々の復活』の中に描かれてゐるダ・ヴインチは、最後には知性の破産を嘆く段取りになつてゐるが、賀川氏にはそんな事がない。それでは知性が信仰に打ち克つてゐるかといふと、さうでもない。氏は信仰に最高の王座を呉へてゐる。あらゆる知識は、全力的に、しかもその有効性の限界を越えることなしに、いはば信仰に仕へてゐる。信仰が女王なら、知識はその美しい侍女たちだ。氏が星を覗く望遠鏡を据ゑつけ、結晶体の標本を誂へ、ランゲの『唯物論史』や、ラスキンの『ヴェニスの石』や、ジーンズの『科学の新背景』を側近の者に翻訳させる時、氏の頭の中にあるものは、また、信仰と知性との問に置かれた正しい秩序である。

 賀川氏の宗教を多彩ならしめる第二の要素は、氏が文学者であり、詩人であることである。氏の百冊に近い著書の序文は大部分散文詩であるが、そこには、宗教的気醜と芸術的感動、純真な霊性と官能的感情が縦横に交錯して、高らかな交響楽を奏してゐる。ああいふ文章の書ける者はこの國にもちよつとゐない。

「生命芸術としての宗教」
「神の潮が良心の岸辺に高く渦巻く」
「聖浄は私の空気である。神の御顔ぽ拝せずとも、神の蝕指の爪先は、いっも私の眼に映る」
 かういふ表現の出来る者は、賀川氏を措いて他にない。

『聖書』は、新約、旧約を併せて、霊性の泉、生命のパンの貯蔵所だが、それと同時に、氏はそこに偉大な文學を見る。氏の小説の題は屡々『聖書』から取られる。『一粒の麦』『幻の兵車』『石の叫ぷ日』『乳と蜜の流るる郷』などがそれだ。                           ‘
 賀川氏の宗教に光彩を添へるもう一つの要因は、氏の生涯と性格が驚くほど特異なところにある。
 氏は芸者の子であり、氏の実兄にあたる人は、十六歳の頃から妾狂ひをして家産を蕩尽した。
 好色と淫乱の巷から、巌かな神の聲に呼び出されて、聖浄の生活に人つたのが賀川氏なのである。
永遠への思慕は、氏にあっては絶対感をおびてゐる。氏が肺患にかかつて長い間生と死の境を彷徨したこと、いっそ死ぬなら貧民のために尽くして、と覚悟して神戸の貧民窟に身を投じたこと、等等が、氏の宗教をどんなに香気に富んだ芳醇なものにしてゐるか知れない。

 だが、もし氏の人柄が控へ目で、もの静かで、つつましい一方だったら、これほどの結果は予定されなかったであらう。賀川氏の父は、官界に腰を据ゑてゐれば大臣にもなれる人物だったが、役人なんかつまらぬと放言して、弗相場に手を出し、企業熱に身を焦がした。冒険的と投機的――それを賀川氏も自らの性格の中にそのまま受け継いでゐる。しかし氏はそれを惜しみなくそっくり宗教の方へ持って行って、神のためにすべてを賭っだ。それを思ふ度に、私は心の愉悦を禁じ得ない。

 賀川氏は非常に瞑想的な性質で、森の中、道のほとりで、夜露に濡れそぼちながら長い間析ることの出来る人だが、さういふところだけが氏の本領ではない。氏の宗教的情熱は、深く内部に凝ると同時に、外部に向って、驟雨のやうに放射される。沈潜的であると同時に高踏的、個人的であると同時に社会的――病躯を駆使しながら、さういふ進み方をしてゐるのが氏である。神聖な冒険、神聖な投機の好愛が、この傾向に拍車をかける。後から後から社会事業を繰り拡げて、貧乏と借金に追はれながらも、氏は平然としてゐる。氏は奇蹟に期待する。氏にあっては、冒瞼と奇蹟はいつも背中合わせをしているらしい。

 氏を売名家のやうに云ふ人があるが、実を伴わない名に、さう簡軍に買ひ手がつくものではない。世の中はもっとせち辛くなってゐる。それを颯爽と切り抜けてゆくには、どうしても賀川氏のやうな性格が必要なのだ。

 氏の性格に私は歴史的意義を見る。
それでは、賀川氏の宗教は何派に属するか?
 この疑問はちよっとややこしいやうに見えるが、事実はさうでない。『聖書』一冊が氏の宗教の典拠である。氏の愛好する「生命宗教」といふ言葉にしても、イエスが「我は生命なり」と言ったのをそのまま取ったのだ。キャベツのやうに、必要な衣は幾枚かつけてゐるが、それを剥いでしまへば、中には蕊があるだけだ。もれが『聖書』である。だから、賀川氏の宗教の本質はごくごく単純であり、単純であるだけに、清く且つ美しい。氏の宗教に普遍性があり大衆的背景があるのは、そのためだと私は思ってゐる。

 古今の思想家、宗教家の中で、賀川氏に影響を及ぼした人は多い。理想主義哲学の祖プラトンなどもその一人であろう。トルストイ、ラスキンの影響も濃厚であった。とりわけ、トルストイには全部的に打ち込んだ時期がある。しかし遂には、そのトルストイをさへ訂正し得るやうな高さに氏は達したのである。

  一九五一年五月
                     編     者





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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第127回『少年平和読本』)

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―作品の序文など―

      第127回


『少年平和読本


  昭和26年1月1日 世界文学社 315頁


 本書『少年平和読本』は、村島と賀川が創立した平和学園(茅ヶ崎市)での賀川の講演や雑誌「世界国家」に連載されたものを村島が編集し、養徳社より出版されました。

 現在も賀川豊彦オフィシャルサイト http://k100.yorozubp.com/  において「世界国家」に連載されていた作品などを閲読可能です。

 ここでは表紙や賀川・村島連名の「あとがき」などを収めて置きます。





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                  『少年平和読本』

                   あ と が き


 戦争が放棄され、軍備が全く撤廃されて、いささか不安をだいているやに見える、日本人、特にこれから成長して、新生日本、平和日本をせおって立つ少年少女の頭に、生存競争のみが、真の生命の進化を促すものではなく、むしろ反對に、武装を放棄したものが永く栄えて行くという事実を、動物の進化の歴史に徴して教える必要がある。

 こういう考えをもって、わたしたちは、自分たちの経営する神奈川県茅ヶ崎海岸の平和學園で、小、中學および高等學校生徒の前に、幾度かそうした生物界の真相を語り、また自分たちの國際平和協會から発行する雑誌「世界國家」に少年向読み物として他の平和問題に関する記述といっしょに二ヵ年にわたってこれを連載したのであった。

 近ごろ、平和問題に関する日本人の関心が漸く高まって、世界平和に関する多くの著作や記事が散見するようになったことは、よろこばしい傾向である。ところがその大部分、というよりは、その全部が成年向の「平和論」であって、一ばん、必要とされる少年少女向のものはI冊もない。

 小、中學校の「社會科」の単元を見ると、六學年には『世界中の人人が仲よくするには、わたしたちはどうすればよいか』があり、また九學年(中學三年)には『われわれは世界の他國民との正常関係を再建し、これを維持するために、どのような努力をしたらよいか』があり、そしてそれぞれ、ごれに伴う學習活動の例が当局によって指示されているが、生徒たちは(いいや、ある場合には教師諸君も)どういうものを參考に読めばいいのか、きっと迷うのではないかと思う。わたしたちは、いささか學校教育に関係する者として、この点に思いをいたし、右の生物講話を主体とし、これに平和問題や戦争の害悪に関するものをあわせて、一書にまとめ、愛ずる少年少女に贈ろうと思いついたのである。

 もしこの書物が、少年少女によって読まれ、平和日本の建設、無戦世界の実現のために、勇気と確信とをもって直進するそれらの諸君に、いくらかでも役立つことができるなら、わたしたちの望みは足るのである。

   昭和二十五年十一月              
                    賀 川 豊 彦  村 島 帰 之




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第126回ルコント・デュ・ヌウイ著・賀川豊彦訳『人間の運命』)

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―作品の序文など―

      第126回


ルコント・デュ・ヌウイ著・賀川豊彦訳

人間の運命


  昭和25年12月1日 世界文学社 315頁


 本書『人間の運命』は、ヌウイの市民向けの宇宙論で、賀川豊彦の訳とされていますが、した訳が誰なのかは記されていません。巻末に著者の略歴が記されていますが、この文章は賀川によるものかどうかも確かめることができませんので、ここでは、本書の巻頭に、著者の「序」が収められていますので、それを表紙と共に収めて置きます。



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          ピエール・ルコント・デュ・ヌウイ著『人間の運命』

                     


 この本は平易を旨として書いた、そして専門語の使用は思想の正確さに影響を与えないかぎり、出来るだけ避けた。従って教養ある男女には容易に理解されると思う。

 ぞれにも拘らず本書は種々新しい思想、新しい解釈を提出すると共に、また思索に訴えるのであるから、読者諸君としては注意力を異常に集中する必要があるかも知れない。ゆっくりと読まねばならないかも知れず、或る部分は二度読まねばならないかと思う。ただし、知識人が理解し得ないようなことは何も書いてない、理解しようと心掛けさえすれば出来る程度である。
       ’
 食物は嚼み砕かなければ消化されないのと同じように、思想も反省し理解することなしには同化し難いものである。著者は明晰を期して最善を尽した。しかしある機械の使用法が如何にはっきりと書かれていても、それを通読しただけでは機械を使いこなせるものでぱない。それを実際手がけて見なければならぬ。私は諸君が親しみのない思想を批判し、分解し、また他の思想で置き換えることによって、その思想を手なづける努力を払われんことを切望するものである。

 今日の諸問題は非常に複雑になっているので、表面的な生噛じりの知識では教養ある素人に問題をすッかり把握させるには不充分であり、況んやこれを論議するなどは以てのほかである。この事実は故意に真理を曲げて、大衆を間違った方向に引きつける為に時おり悪用され来った。だが、もしも現在のキリスト教文明がなお持続すべきものならば、今や善意熱誠の士はこぞって立ち上り、自己の演じ得る役割を自覚し、生涯をかけてこれを果そうと決心すべき時代が来たのである。

 人はみな、未来に対しての責任を分担している。しかし、この責任を建設的努力にまで具体化しようとすれば、人は先ず自己の生命の意味を充分に理解し、何故に労苦し奮闘せねばならぬかをよくわきまえ、また人間の高貴なる運命に対する信仰を維持してゆかねばならぬ。

 本書の目的はこの信仰に科学的基礎を与えることによって、それを実質化することにある。読者諸君に課された努力があらゆる時代を通じての最大問題に対するより明かな展望によって報いられんことを著者は希望して已まない。

                  ピエール・ルコント・デュ・ヌウイ

                   一九四五年コロラド州ティー・ラ・ウケト農場にて
                   一九四六年カリフォルニア州アルタデナ・ラ・キンタにて 




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第125回『信仰・愛・希望』)

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―作品の序文など―

      第125回


信仰・愛・希望


  昭和25年8月15日 梧桐書院 323頁


 本書『信仰・愛・希望』は、既に取り上げた『人生読本』と同じ内容で一部を改めたものです。前回の『キリスト教入門』の仕上げに協力した鑓田研一氏の編纂した作品で、今手元にあるものは、昭和27年版のものですが、ここではその表紙と編者である鑓田氏の「はしがき」を取り出して置きます。



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                『信仰・愛・希望』

                 は し が き


 賀川氏は世界を照らす太陽か何ぞのやうに偉大な存在である。かういふ人は、一世紀に一人か二世紀に一人しかあらはれないだらうと思ふ。それほど、その生活ぶり、活動ぶり、人生の生き方、考へ方が特異性を持ってゐる。日本人の血統と日本の士壌の中から、かういふ特異な人がよくあらはれたことだと、不思議に感じられるくらゐである。

 傅道、貧民救済運動、労働運動、農民組合、消費組合、震災救護運動、医療組合、各種の社会事業、立体農業の実施、農民福音、看護婦や女子の指導、等々と、氏が過去四十十年に亙ってやって来た仕事は実に廣汎であったし、これからも氏は、あの病気がちな、しかも頑丈で実軟性に富んだ肉体が続く限り、精力的な活動を見せるであらう。

 氏の學問は驚くほど多方面に亙ってゐる。明治學院在學中は、一切教室には出ないで、図書室から、カントや、ショーぺンハウェルや、シュライェルマッヘルのものを引き出して、どんなに厖大なものでも、三四日で読破してしまひ、米国のプリンストン大學に入ってからは、神學や実験心理學や数學以外に、生物學、殊に比較解剖學、古生物學、遺傅発生學、胎生學を専攻した。氏が神戸神學校の寄宿舎で書いた、一九〇九年、氏が二十二歳の時の日記を見ると、巻末に、その年に読んだ書物の名が列記してある。その中には、ロッツェの形而上學、プルターク傅、独歩の『欺かざるの記』前後二巻、クレオパトラ傅、頼朝、菩提達磨、タロムエル傅、ヘロドトス、スピノザ、マルクスの『資本論』、クロポトキンの『パンの略取』、論語、禅學法話、菜根譚、二宮尊徳などがある。宗教、哲學、科學、経済學、社會學、歴史の諸部門の中で、氏が手を着けないものはほとんど無いと云っていい。最近は天体物理學、天文學の書を漁って、アマチュアの域を脱してゐるし、文學的素養だって、あれで氏は一人前以上のものを持ってゐるのである。氏の書いたものを理解するには、だから、本当を云へば、氏に劣らないくらゐの予備知識が必要である。だが幸ひ、氏は大衆の言葉を持ってゐる。氏の胸には大衆の血が流れてゐる。氏が言はうとする事、訴へようとする事は、犇々と誰の胸にも迫る。氏は永久に青年である。氏は永久に童心を失はない人である。それに、何より嬉しいのは、氏の言葉の一つ一つが、氏自身の生々しい体験から生れ出てゐることである。どんな言葉の切れ端にも、氏自身の心臓の鼓動が脈搏ってゐる。

 氏の著書は既に九十冊からある。その中から必要な部分を抜葦して本書を編んだのだが、この仕事は、氏の側近者の一人となって二十数年になる私にとってさへ、予想以上に困難であった。私は屡々自分の知識の浅いことを歎かざるを得たかった。従って、編輯を終え、校正の朱筆をおいた時にはほっとした。

 この書は、苦熱や貧困や病気で喘ぐ者に、魂の涼風を送るであらう。どのページを開いても、死線を越えて信仰と愛と希望に生きてゐる者の颯爽たる気魄と情熟が溢れてゐると私は信する。朝食前、又は夕食後に、一家団欒して、一人が朗読するのをみんなで聞くのも面白からう。そんな場合、朗読する方も、聞く方も、そっと顔を染めなければならたいやうな文句は、この書には絶無である。再読し三読して、この書で満足できなくなったら、直接に賀川氏の九十冊の著書を読破したまへ。

 賀川氏は生れながらの詩人である。第一詩集『涙の二等分』が、与謝野晶子女史の序文附きで上梓されたのは、一九一九年十一月のことである。私は思ひ出すが、その時氏は早速それを、当時私か席を置いてゐた大阪神學校の寄宿舎へ持って来て、あちらこちらを読んで聞かせてくれたものである。三十幾歳になっても、氏には青春のスリルがあった。氏にとっては記念すべき詩集であるから、この中からも私は数篇抜粋した。

 第二詩集は『永遠の乳房』(一九二九年一二月刊)で、これももちろん見落とすわけにゆかなかった。

 氏の出世作は自傅小説『死線を越えて』(一九二〇年十一月)である。あれが出た時、読書界に起こったセンセイションは非常なもので、おそらく五十萬部から買れたであらう。今年三十一二歳になる者が呱呱の聲を揚げた頃の事件である。それを思ふと、時が経つのが恐ろしいみたいだが、それから後も氏は十幾篇の長篇小説を書いた。とりわけ『一粒の麦』は『死線を越えで』についでの買れ行きを示した。そして二つとも、今では幾つかの外国語に翻訳されてゐる。

 この書を編むに当たって、私はしかし、小説からは一切抜粋しなかった。といふのは、賀川氏の小説は、一節、一章を抜粋して、その技巧や表現を味ふべき性質のものではなく、全体を読んで初めて意義を持つべき性質のものだからである。それほど氏の小説は全体性を持ち、その全体性は芳醇な人生的價値から成り立ってゐるのである。

 散文詩の方で氏が特異な技量を持ってゐることを知ってゐる者は、小説家としての氏、宗教家、社会運動家としての氏の存在が華やかなだけに、わりに少ないのではないかと思はれる。それで、この書には、氏の散文詩の中でも、最もすぐれた部分を取り入れた。『地殻と破って』(一九二〇年十二月刊)や、『星より星への通路』(一九二二年五月刊)や、『雷島の目醒むる前』(一九二三年三月刊)や、『地球を墳墓として』(一九二四年六月刊)からの抜粋がそれである。そこには神と共に歩む者の朗かな歓喜と魂の香気が漲ってゐる。

 珠玉のやうな短文に充ちてゐる『暗中隻語』(一九二六年十二月刊)は、この書を編むのに一番役立った。英語にも支那語にも訳されて、世界中の人々に熱読されてゐる『愛の科学』は、この書の至る所に、高らかな調べと音楽的なリズムを輿へてくれた。

 この『愛の科學』が上梓されたのは、一九二四年五月のことで、大阪毎日の村島帰之氏と私とが、本所のバラックで、震災救護運動で寸暇もない賀川氏の横顔を目のあたり見ながら、十幾日かかって編輯と校正をやったものである。さういふ思ひ出のある書物が今ここで再び使用されたことは、私にとっては二重の喜びである。

  一九五〇年七月
                               編  者




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第124回『キリスト教入門』)

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「景勝・布引の滝」(本日の「番町出合いの家」ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第124回


キリスト教入門―入門百科叢書


  昭和25年6月20日 大泉書店 344頁


 本書『キリスト教入門』は、大泉書店の企画出版「入門百科叢書」の中の一冊に入れられたもので、鑓田研一氏の協力によって完成させています。

 第一部が19章、第二部が11章の構成ですが、大変読みやすい入門書となっています。鑓田氏はこれまでも賀川の著作を編集して数冊も重要な作品を完成させていますが、本書は賀川自ら執筆したものも多いと思われます。

 この作品は25年に刊行されて26年、27年と版を重ねて読み継がれていますが、賀川全集にはおさまりませんでした。現在賀川作品の復刊の企画もありますが、是非本書もその中に含めていただくことをお薦めしたいと思います。

 ここでは再販の時のカバーと賀川の「はしがき」などを収めて置きます。



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                『キリスト教入門』

                 は し が き


 この本はキリスト教の単なる解説書ではない。さういふ種類のものなら、幾つも出てゐる。

 私が、六十一年といふ長い生涯を通じて、世界に二つとない『聖書』をどのやうに読み、どのやうに味ひ、そしてイエスの精神をどのやうに体験したか――それをわかり易い言葉で書いたのが、この本である。だから、この本は自叙伝的な性質をもおびてゐる。

 私が少年時代をすごした阿波の吉野川の流域には、奮幕時代から白壁を誇る豪家が沢山あった。そしてそれらの豪家は、大抵家と家とが血縁で結ばれてゐた。私の父の家はその中の一軒であった。

 明治の中頃から、どういふわけか、吉野川の流域に淫蕩の気風が傅染病のやうに蔓延して行った。私の村でも、豪農の大きな倉が、私の見てゐるうちにいくつも倒れた。そして子供にまで道徳的頽廃の気分が乗り移った。

 私は十一歳の時から毎日禅寺へ通って『論語』や『孟子』の読み方を教はった。しかし自分が聖人になれさうな望みは少しも湧いて来なかった。私は暗い寂しい生活をつづけた。私がクリスチャンになるには余程の決心が必要であった。私の家は破産し、三十五銭の『聖書』を買ふのに幾日も躊躇しなければならなかった。それほど私は貧乏であった。私は教会へ行くことを許されなかった。親戚のすべては私がクリスチャンになることに反對した。

 しかし、たうとうただ一度の機會が来た。私は十五歳のとき徳島でアメリカの宣教師からパプテスマを受けた。私の胸は躍った。私は宣教師とその夫人の生活を通じてイエスを見た。そしてイエスが歩んだ道の正しさがよくわかって来た。

 私の一生を通じて最も涙ぐましい徳島の空と、その下で生活してゐるアメリカ人たちの精神が、私に愛を救へてくれた。愛する心は美しい。自然の中で愛するのは善い事である。若い時代に互に愛し合ふのは、最上の喜びである。

 私は、十五歳の時から六十一歳の今日まで、廣大な神の愛に抱擁されて、その恵みの一日一日を意味深く生きて来た。貧乏が貧乏でなくなり、寂しさが寂しさでなくなり、死にかかった時でも、憲兵に拘引された時でも、神の愛は私を別人になったほど強めてくれた。

 私は、イエスが千九百年前のユダヤ人であったことをいつも忘れてゐる。イエスは今も生きてゐる。私は、イエスによって無数の友人を得た。イエスによって妻をも得た。子供も、學問も、著書も――何もかもイエスが私に與へた。
 
 私はイエスのために何もした憶えがない。しかしイエスは私にすべてを輿へた。

 私がこの本の中に書いたのは、これらの体験である。私はそれを臆さすに書いた。

 わかり易い言葉で書いたのは、キリスト教にたいして漠然とした憧憬を抱いてゐて、まだ、どこの教會にも近づく決心のつかない人々に、ぜひ読んでもらひたいと考へたからである。もっとも、求道中の人々や、すでにバプテスマを受けて、クリスチヤンとしての生活をしてゐる人々が読んでくれても、失望させないつもりである。

 第二部の各章は少し程度が高くしてあるけれど、第一部を読んだ頭で読んでもらったら、容易に理解できると思ふ。

 この本に出てくる人名には、外國人であっても日本人であっても、すべて敬称を省いた。
 最後に言っておきたいのは、この本を書くにあたって友人の鑓田研一氏に協力してもらったことである。同氏0協力がなかったら、この本は書けたかったかもしれない。

  一九四九年十二月十八日
                         賀  川  豊  彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第123回『人格社会主義の本質』)

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「景勝・布引の滝の散策」(本日の「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第123回


人格社会主義の本質


  昭和24年12月20日 清流社 371頁


 本書『人格社会主義の本質』は、賀川にとって、戦後最初の、そして生涯最後の社会思想に関するまとまった論文集で、「人格社会主義の本質」「唯物共産主義哲学の批判」「人格社会主義の運営」の三編で構成されています。

 此処では本書の表紙と賀川の「序」並びに武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部を取り出して置きます。




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                  人格社会主義の本質

                      


 どん底生活四十二年年間の苦い経験が、私にこの書をかかせた。貧民窟を救ふために出発した私は、労働組合の組織に没頭し、農民組合運動に着手し、これに平行して勤労者間の協同組合運動の畝作りに、骨を折った。そのお蔭で、裁判所で有罪の判決を四回も受け、警察の監房に二回、未決監に二回、憲兵隊の独房に一回収容せられ、資本生義経済の法律が、どんな形で運営せられてゐるかを詳かに知ることができた。

 私は明治三十七年頃から社会主義文献に親しみ、「新紀元」の思想に共鴫し、木下尚江や徳冨蘆花の演説を楽しみに開きに行ったものでふる。若い時から、マルクスや、エンゲルスを読んでゐたが、彼らの無産者解放に賛成しながらも、彼らの唯物思想に常に反撥を感じてきた。それは、どん底生活の長き経験によって、道徳生活の欠除が、如何に多くの窮迫者を作るかをあまりに眼のあたりに見せつけられたからであった。その当時の研究は大正三年(一九一四年)拙者「貧民心理の研究」に採録しておいた。その後「主観経済の原理」を著作し、唯物史観、唯物弁証法を基礎とするマルキシズム反対の社会主義を主張してきた。

 敗戦後、日本人の性癖を多少とも知ってゐた私は、左翼への転移かあることを予期して、色々と研究を進めてゐたが、敗戦後のどさくさに稿を纏め得ないでゐた。然しいつまでも捨ててをくことが出来ないので、この形にしてみた。実は「経済心理学概論」と云ったものを先に出し、その後にこの書を出したいと思ってゐたが、材料の整理が充分つかないので、この書を先に出版することにした。

 私は飽迄「経済」を「人間」の為めの「人間能力」の経済と考へてゐる。白然資源と云ふものも、人間と人間能力の補強的役割しか持ってゐないと私は考へてゐる。この人間中心に考へることが、始めから唯物弁証法的に問題を進めるマルクス的立場と異なった方向を私に指ざした。

 勿論、私はこの書で、私の云ひたいことの凡てを書きつくしてゐない。然し、私が日本と世界に向って、かくあって欲しいと云ふことを卒直にのべねぱならぬ任務を果したと思ってゐる。

 生命と、労働と、人格を連帯意識的に組立てて行く運動を社会主義と考へてゐるので、人間能力が高度に進むと共に、社会化の必要が深く、広くなると思ってゐる。

 日本の如きドン底に落ちた国を救ひ、文明の危機に立ってゐる世界を建直す方策は、私が此書に記述した方法の外に、絶対に無いことを確信するものである。「人格社会主義」と云ふ言葉を西洋ではどんな人が使用していつか、私は知らない。私は、東洋に於ける敗戦国民として、社会科学に新しき分野を開拓して、少しも差支へはないと考へてゐる。社会科学が百年前と同し方程式で行く必要はないと考える。だが、多くの叱正を待って、初めて完成し得ると思ふからら、あらゆる方面の厳正なる批判を仰ぎたく思つてゐる。

  一九四九・八・三一  颱風来襲の夕

                      賀 川 豊 彦
                               東京・松沢




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      武藤富男氏『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部(232頁)

             『人格社会主義の本質』について


 本書は昭和二十目年十二月二十日、東京清流社から発行された。昭和二十四年は、敗戦の荒廃が底を突き、ようやく復興の兆が見え始めた年である。救国の情熱に燃える六十一才の予言者は『日本の如きドソ底に落ちた田を救い、文明の危機に立っている世界を建直す方策は私かこの書に記述した方法の外に、絶対にないことを確信するものである』との信念のもとにこの書をあらわした。

 これは三つの編から成っている。第一は本書の表題をなす『人格社会主義の本質』、第二は『唯物共産生義哲学の批判』、第三は「人格社会主義の運営」である。

 四六版三百七十一頁に及ぶ本書は賀川の大著の部に属するが、内容は新しいものではなく、従来の賀川哲学、賀川経済学を、人格主義という立場から編み直したものである。本書の持色は、むしろ唯物共産主義批判にある。それも決して新しいものではなく、貧民窟時代から賀川が折にふれて書き又は論じた共産主義批判をここでまとめたものである。但し『主観経済の原理』に現われた分析の鋭さと立論の精緻さは、この書では見出ししえない。前書においては、壮年学徒賀川はマルクスの学説を咀嚼し解明した後、唯心史観の立場から鋭くこれを批判しているが、本書においてはその鋭鋒が鈍っている。そこには生涯をかけて資本主義と闘い、唯物共産主義と戦い抜いた老学者の疲労の色がうかがわれる。

 賀川が本書の一篇を共産主義批判に向けたのは、本書著作当時の政治情勢に影響されたところがあると思われる。新憲法による第二回衆議院総選挙は昭和二十四年一月に行なわれ、日本共産党は衆議院において三四名、参議院において四名の議席を得た。この現象は人心に不安を与え、日本は共産党に支配されるのではないかという危惧をいだく者もあった。この情勢に対処して賀川に人格社会生義によって日本を救おうと志し、本書をあらわし、その百頁を共産主義批判に向けたのであろう。



新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第122回『嵐にたえて』)

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「神戸<景勝・布引の滝>」(本日の「番町出合いの家」ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




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―作品の序文など―

      第122回


嵐にたえて


  昭和24年6月15日 ポプラ社 236頁


 本書『嵐にたえて』は、戦後ポプラ社が「少年少女小説」として火野葦平・北条誠・吉屋信子などの作品を出版していたなかに、かつて賀川が『南風に競う者』として書き上げた作品を改題して、それに加えられたものです。

 賀川は本書の巻頭に新しく「作者のことば」を添えています。ここでは、少年少女向けに書かれた松本昌美の装幀と渡辺郁子の挿絵を収めて置きます。




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                 『嵐にたえて』

                 作者のことぱ


 雪を犯して寒紅梅が咲く。何という勇ましい姿であろう。梅が去って、梢の先に木蓮が開く。その大きな花辨は、青い大空に美しい模様を染め出し、明朗な春のおとずれを傅えてくれる。環境ばかり気にしているなら、花は盛夏に、すべて同時に咲くはずだ。だが山茶花は霜と争って咲き出で、桐は五月雨を無視して開花する。苦境を押して美しく吠きいでる、そこに花の使命がある。花は新しい時代を創り出す運命をになっているのだ。唯物主義の逆風に敢然として、反撃し、梢の木蓮として、寒風に反抗するところに、花の面目
があるのだ。

 花粉よ、花の花粉よ、風に散れよ。そうして新しい生命をつくり出せ。日本の若き魂たちよ、悲しむことはない、嵐にたえて美しく大きく咲き出でよ。

 附記 なお本書は出版書肆の希望により、『南風に競う者』を改題せるものである。

  一九四九・三・二三
                  賀  川  豊  彦
                              武蔵野の森にて




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第121回『歌集・銀色の泥濘』)

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「旧ハッサム住宅」の震災で転落した煙突(本日の「番町出合いの家」のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )



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―作品の序文など―

      第121回


歌集・銀色の泥濘


  昭和24年5月1日 桜美林学園出版部 220頁


 本書『歌集・銀色の泥濘』は、作者の賀川がその「序」で「過去四十年間、私は泥濘の道を歩いて来た」という書き出しの「歌集」です。「泥濘」は、本書216頁の「泥濘」のルビを「ぬかるみ」とされていますので、本書の署名はそのように読むのがよいかもしれません。

 岩波文庫のような体裁の仕上がりですが、賀川は「この歌集を関東平野の男女青年・特に南多摩桜美林学園に学ぶ農村出身の男女青年諸君い捧げる」と記しています。

 此処には表紙と口絵の賀川の写真、そして「序」と共に武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の短い「解説」を掲載して置きます。



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                  歌集・銀色の泥濘

                     


 過去四十年間、私は泥濘の道を歩いて来た。然し、それはめぐみの光に守られた銀色の泥濘であった。泥濘の深みにふみ込んで、抜きさしのならぬ無駄な日を送ったことも多かった。然し、私はその泥濘の中に立ちすくみつつ大能者に感謝して来た。そして、日本は今、泥田の中に足をつき込み、ぬきさしならぬ状態になってゐる。だが、私を救ひ給ふた全能者が必ず日本を救ひ給ふことを堅く信じてゐる。

 この拙ない短歌は発表する為めに書かれたものでは無かった。この歌集は地方の同志に、何か書けと短冊をつきつけられ恥かしくも無く、即興的に書きなぐったものが大部分である。それを同志黒田四郎氏が、刻銘に一々、ノートせられて編集してくれたものである。黒田氏はまた、漏れてゐるものを、各方面にわざわざ問ひ合せて拾集してくれた。黒田四郎氏の親切と、努力が無ければ、この歌集は産れなかつたと思ふ。此処に改めて同氏に心より感謝する次第である。

 即興的に書いただけに、庭先で書いたもの出発の際の混乱中に書きなぐつたもの等が多く、推敲は全くしてない。だから、また、その日その目の『感情の日記』に成つてゐるかも知れぬ。私はその点から、この歌集に一種の執着を持つ。下手、上手が問題で無く、私が、全能者の手に守られて来た「歌日記」として新しい宗数的感謝の念に燃えさせられるからである。

 まだ各地で書き残したものも多くあると思ふ。然し、黒田四郎氏の親切に感謝しつつ、一とまづ、この形で発表することにする。

   一九四八・一二・二六 
                           賀 川 豊 彦
                                   東京・松沢






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             武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』346頁

 

             『銀色の泥濘』について


 この著は昭和二四年五月一日東京の桜美林学園出版部から出されたものであり、賀川が戦争直後から力を入れていた桜美林学園を助けようとの意図をもって清水安三氏に協力したものであろう。献呈の辞にはこう記してある――この詩集を関東平野の男女青年、特に南多摩桜美林学園に学ぶ農村出身の男女青年諸君に捧げる。

 
 『銀色の泥濘』は三十一文字の短歌集であり、『一枚の最後に残ったこの衣神のためには猶悦がんとぞ思ふ』の名歌を冒頭に『監房に一杯の水うくるとき人のなさけのありかたくもあるか』というような賀川ファンの吟誦に堪える歌が一千首収めてある。

 一九〇九年新川に入ってから四十年間に亙る作品が集められている故に、これは和歌による賀川の自叙伝と呼ばるべきである。三十一文字の歌人としては、賀川は自分白身の贖罪愛的生活を歌った作品においてもっともすぐれている。





新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第120回『北斗星の招宴』)

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ぶらり散歩:百耕資料館再訪(同時進行の本日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




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―作品の序文など―

      第120回


北斗星の招宴


  昭和24年4月10日 若芽書店 179頁


本書『北斗星の招宴』は、「戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後」書き綴られたもので、賀川ならではの名品です。

ここでも表紙と賀川の「序」、そして巻末に「戦後発行の賀川豊彦著作目録」がありますので、それもスキャンして置きます。また、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」も添えて置きます。




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『北斗星の招宴』




 明星は、まだ消えない。空は紺色に、山は紫だ。河は銀色に、個体と、個体は紺碧につながれ、太陽は、まだ、昇らない。

 清朗の気は四界を包み、昨日の塵埃は、深く地上に沈み、倦み疲れた世界が元気を回復して、太陽と共に、目醒めるのを待つてゐる。

 鶏は、もう、さめた。然し、大衆は、まだ睡つてゐる。「私」だけは、黎明の近づく前に、目をさまし、永遠の朝を迎へる準備をしてゐる。雀も、鳩も、まだ、目醒めない。だが、神さまだけは、夜寝ずに、我らを、うち見守つてゐて下さる。

 東雲も、まだ瞬かない。アオロラも、ささないので、物質に影も無い。あま♭の空気の透明に、萬物が、みな透明に考へられる。静かに、静かに、「あした」が、私を迎へてくれる。いつまでも太陽が、出なければ、よいのにと思ふ。太陽が出ると、敗惨の醜さと、人間の醜悪が、まざまざと書き出されることに、私は恥しくなる。もう少し長く、かうした瞬間が続けば善いに――。晩秋の夜明け前、歌もなくひとり、天空を静視する。驚異の瞬間――太陽がなくとも、神に感謝出来る。いや、太陽を、もう少し長く、地平線の彼辺に、隠しておきたい。自然に溶けて行く私は、特の慈愛にも、溶けて解く。

過くる日、日本を荒した颱風も、今は去って、静かな、明星が、東に輝く。紫の雲は、地平線を飾り、闇黒の夜は逃げて行く。北斗星だけは、かすかに、私を相変らず見守ってゐる。北斗星よ、おまへだけは、昼になっても、同じ位置に坐ってゐるのだね。よく辛抱してゐるね。太陽が、出たり、はいったりしてゐる中に、おまへだけは静かに、地球を見守って怪我がないように気をつけてくれるのだね。私も人生の航路難に、おまへを見失はないようにしようね。太陽が出て、世間が、騒がしくなりおまへの姿が見えなくなっても、心の底に、おまへの位置を据えておかうよ――永遠にね。

 そして、日本も、おまへと縁を切らねようにしてくれると、よいね――永遠にね!

 附 記
 この書は大平洋戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後、私が書き綴ったものを、ひとまとめにしたものである。まだ、この中に入れないものも数多くあるが、私自ら興奮を咸じるものだけにした。人に読んで貰ふ前に、自分が読みたい心持で、こんなに綴ってみた。

 これらの散文詩は、わざと書いたのでは無く、ひとりで湧いたように思ふ。自分の今尚生きてゐることが、不思議に思はれるままに、ただ、天父への感謝にひたりつつこの散文詩を編集した。

  一九四七・一一・一九
                      賀  川  豊  彦




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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』346頁

  『北斗星の招宴』について


 『北斗星の招宴』は、その序文にも示されている通り、太平洋戦争前後の散文詩を中心に関東大震災後書きつづったものをまとめた詩集であり、『わざと書いたのではなく、ひとりでに湧いた』詩歌である。しかしこれは詩というよりは随筆である。むしろ随筆と詩との中間に位する詩形であり、典型的な散文詩である。そしてこの詩形が賀川にはもっとも適していたと見え、賀川の胸中にはこうした詩が次から次へととめどなく湧き出たものらしい。『尽きざる油壷』にはこのような散文詩がおぴただしく収められている。

 そこには自然への讃美があり、神への感謝があり、苦難への礼讃があり、人間性への洞察があり、霊的瞑想と内省がある。こうした散文詩だけ集めて、これを類別大成するならば、賀川経典が成立する。散文詩こそは賀川その人であり、文学であり、生活であり、体験の記録であったといえよう。










新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第119回『東洋思想の再吟味』)

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住宅の花壇に咲くクレマチス(今日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第119回


東洋思想の再吟味


  昭和24年2月15日 一灯書房 234頁


 本書『東洋思想の再吟味』は、その多くが戦前に執筆されたものですが、標題のもとに「宗教的道徳心理よりの精神分析」という副題が付けられています。

 1947年11月22日付けの「序」がありますので、此処では本書の表紙と共に賀川の「序」と武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部も取り出して置きます。



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                  東洋思想の再吟味

                     


 狼が犬となり、虎が描と化し、毛虫が蝶々になれるならば、戦争の好きな二足動物も天の使になれない事もあるまい。ましてや、はじめから神の胤をもつてゐたとするなら、その遺伝と成長は各種の屈曲をもつてゐるにしても、決して無視は出来ない。印度、支那、日本に数千年間生え茂った思想の森の中には、絶対至愛の接木するにふさわしい良樹もある。環境と時相の紛乱に災されて、少からず昏迷を続けてゐた霊の世界にも、深く味つて見ると、宇宙連帯責任の意識にまで伸び上がりたいと悶えてゐた美しい努力の跡もあつた。熱帯の印度に、熱帯の支那と日本に、戦争は幾千年か続き、霊魂の砂漠は自由を待つ事久しかった。東洋の聖典を読むと、人間文化が必ずしも自己の贖罪を完成しないといふ事をを強く教えられる。毛虫はひとりでに蝶々になったのではない。天の力がさうさせたのである。天を見失った日、尚天が人間の心に覗き込んでくれて、天の方に引上げんとする神聖の秘儀を示してくれる。それは決して人間の力ではない。それは勿論人間を無視するものではないが、人間を内側から高めてくれる超越的根本実在である。その至高者が宇宙全体に対する責任意識をもってくれる為に、我々の霊魂を内側から温め、我々、有限者に対して過去の悪を贖罪愛を以て修繕し、復活の希望に満してくれる歴史的表現をとる尊い意志の持主である事も信じ得る。東洋思想を通観するに、支那は天から出発したが、その天が贖罪愛をもってくれるものとしては体験されなかった。又印度に於いては、人間に内在ずる霊性を発見したリグウェダより出発したが、解脱の道を探し廻って、救ひの幻影を幽かに見ただけで、贖罪愛の生命に辿りつく事が出来なかった。敗戦の日本は新生の道を辿らねばならない。それは人よりの至高の愛に槌る他はないが、愛に溺れる事は出来ない。天上の愛に接がれんとするならば、古株の腐つた部分は捨てなければならない。そして天上の樹液が朽ちつつある古株に廻る為に適しいだけの粘液がゐる。この粘液は生命の原理そのものでなければならない。十字架の愛はこの生命の原理であり、日本贖罪の原理であるとも考えられる。キリストの意識した宇宙意識は贖罪愛の連帯意識を日本にまで拡張してくれる。

 神が日本にまで拡張してくれる贖罪愛の連帯意識は、その意識内容として新しく抱擁すべき、東洋精神によって培われ日本の精神的遺産が如阿なる遺伝囚子を持つてゐるかを、見極めておく必要がある。神によって浄められる為には悪質遺伝を去り、世界に残しておいてもよい日本の素質だけは更に伸ばして行かねばならない。東洋思想の再吟味はかうした贖罪愛の観点からなされる必要を感じた。

 私は道徳心理学を精神分析の立場より、三十数年間に至って研究して来た。そしてその間に読み散らした書物の多くの中から、ノートして来たもの、又話して来たものをここに綴って私の同志達に読んで貰ほうと思ってこの書を編輯した。

 この書を纏めるに当って私を援助してくれた多くの友人、同志達に感謝する。特に、筆記を担当してくれた神戸章子姉、岩浅農也氏に対してここに感謝の意を表する。

  1947年11月22日
                             賀 川 豊 彦





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       武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の解説

             『東洋思想の再吟味』について


 本書は敗戦の傷がまだ癒えやらぬ昭和二十四年二月十五目の発行で、発行所は東京の一燈書房である。序文の日付は一九四七年十一月となっているので、終戦後二年目に書かれたものである。昭和二十年八月十五目の降参は日本人の傲慢を打砕くとともに、その誇りをも奪ってしまった。マッカーサー治下においては、日本的なものが蔑視され、東洋的なものが侮られる傾向が生じた。この時に賀川が、贖罪愛の見地から東洋思想及び日本思想を再吟味したのが本書である。

 第一章の『易経に学ぶ』は、賀川としては、他において未だ語らなかったことで、読者にとってはフレッシュである。易は占いが目的でなく精神修養が目的であり、逆境に処する道、変化に処する道、貧乏に処する道など示されているという。

 第二章の『孔子の論語を読む』においては、貿川が九才の時から禅寺へ漢学の稽古にやられて、大学、中庸、孟子の素読をやり、反省ということが頭から消えなかったこと、孔子の論語は聖書とともに家庭に一冊備えておくべきことなど述べた後、孔子の略伝を語り、その謙遜を讃え、彼のすぐれているところは、内部生活における反省であったという。賀川は論語にいう『仁』とキリストの『贖罪愛』とを比較し、『天』の思想においてキリストの孔子とは互に接近する、我々はキリストによって天の父の完全を学び、天の神の贖罪愛を意識して孔子の『仁』の足らないところを補い、神による精神生活を完成するように常に反省を怠ってはならぬと勧める。

 第三章「老荘学派の精神」においては、支那の民衆が孔子よりも老子荘子についており、それが道教として宗教的の力を支那民衆の間にもっている、(日本では孔子の教えが基礎となり、これを釈迦がつちかった形になっている)その理由は老荘の思想には、孔子に見当たらぬ精神的、宗教的のものがあるからであるという。老子の思想は無限絶対者への信仰であり、荘子は造物主についての考え方をもっている、老子は無用の用、無欲の欲を説き、政治の根本を無事においており、また敵を愛する精神を説いて、悪に報いるに徳を以てすべきことを教え、この点でキリストに接近している、荘子は融通自在の心持を強調し、キリストが赤ん坊を尊敬したような心持がある、老荘の欠点は本能肯定に走ったことにあり、それが仙人道に移行し、神仏の霊術と化し堕落の道を辿った、それは罪に関する意識が稀薄であったからである、こうした東洋思想の足りないところをキリストの精神によって補って行くべきであると説く。
                                      (以下略)



新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第118回『社会革命と精神革命』)

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賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第118回


社会革命と精神革命


  昭和23年12月31日 清流社 190頁


本書『社会革命と精神革命』は、『書誌大系・賀川豊彦』によれば、昭和21年6月から始まった「新日本建設キリスト運動」での講演記録が多く、第1章の「社会革命と精神革命」は昭和21年9月の『民の声』(新日本)を改稿して収めたもののようです。

ここでは表紙と賀川の「序」、そして武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の本書の「解説」も取り出して置きます。




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社会革命と精神革命




 地震は破壊し、春風は蕾を温める。日本は、その二つを持つ。だが、私はその後者に、信頼をおく。

 日本の没落は一瞬に来たのではない。それは、川端の朽ちた柳が大風に倒れるやうに、倒るべき運命にあったのだ。軍閥は鉄砲虫として、柳の幹を喰ひ荒してゐた。

 私らは倒れた柳の跡に、幾千年経っても絶対に朽ちない、神柏を値ゑなければならない。

 日本は再生するために、倒れたのだ。日本は、倒れたことによって、一人前になるのだ。たよりにならぬ偶像と、地獄から吹く淫蕩を焼きつくすために、日本は火によって浄められねばならなかったのだ。イスラエルは幾度かの試錬にも、猶、霊性の復活を無視したために、永遠にさすらひの民族となってしまった。そして、日本がもし唯物主義といふ新しき偶像と、唯物弁証法といふ神否定の迷路に陥るなら、もう、日本は再び救ひ得ない太平洋の孤児となってしまふであらう。

 人口の多いことを誇ってはならない。浮游動物も、人口だけは多いのだ! 過去の栄華を誇ってはならない。地下の石炭も、繁栄してゐた時代があったのだ。誇るべきは、良心と霊性に於ける、発明と発見の力だ! それ無くして、日本の再建と勇躍は絶対にあり得
ない。

 砂地に芽生える小松よ、日本に、再生の工夫を教へてやれ! 萌芽さへあれば、小松も、いつの日にか大木になるのだ。焼払ふだけで、砂地に緑土は出来ないのだ!

 火山の斜面に延び上る熊笹よ、おまへの生活力の秘密を、日本に種明してやれ! 表面は、いくら刈取られても、地下、幾尺か下に深く茎根が――人の見えぬ霊の世界に――延びてゐる間は、絶対に、再生の可能はあるといふことを!

 桜花に酔うた日本は亡びた! 娘らよ、もう、桜音頭に合せて、踊ることをやめてくれ! おまへは、花は咲いても、果実を結ばぬ、桜花に迷うて、滅亡したのだ! 私は桜の代りに梅を植ゑ、桐の代りに、胡桃を植ゑよう。

 気狂はしきまでに、私は、爆撃の猛火の中で、祈ってきた。この浄火をくぐり抜けて、日本を再建しなければ、天父に申し訳が無い!

 雲雀よ、つぐみよ! おまへ達は、野火に、幾回、巣を焼かれても、次の年には、ちゃんと、また卵をかへすために、新しへ巣を造る工夫を、神から教へられてゐる。その秘密を、日本の若者に教へてくれ!

 鰯も、さんまも、幾千万匹、大謀網に引っかかっても、また次の年には、新しい元気な群として頭を揃へてゐる。その再生力を、日本に教へてやれ! 鰯よ! さんまよ!

 この国民は、たよりにもならぬ財宝に血迷ひ、敗戦と共に、集団強盗と化し、ガードの下のパンパン・ガールになってしまった。

 秋風にも悲しむことを知らぬ野菊よ、雪と結氷をも恐れぬ山茶花よ! 日本に、秋風にも、泣かず、厳冬にも、屈せぬ精気を、吹き込んでやれ!

 黒潮に踊るまっこう鯨よ、ちよっと待て! おまへは水面下四千尺の海底にもぐり、氷点下九十度に近い北極に、温き床を楽む工夫を日本に教へてやれ!

 絶対者は、豊かに雨を、日本に与へると、日本人は、それを洪水と云ひ、地殻の下に、利用さるべき火熱のあることを示し給へば、日本人は、それを噴火と、呼ぶ! 創造主よ、この小さな浮游動物をも、見捨て給はず、いつの日にか、これに、ぼうふらの秘密を教
へ、彼らに、空中に飛び上り得る翼を授け給ヘ!

 再生は、日本を待ってゐる。今は日本の繭造りの日だ! さらば、全能者よ、永き睡りの後、日本をも、呼びさますことを忘れ給ふな!

 あけの明星は東雲の上より、日本の眼醒めを待ってゐる! さらば、日本の若き魂よ、大能者の呼びさまし給ふままに、もう、眼をさましてもよいであらう。

一九四七・一〇・一五 
武蔵野の一隅にて
            賀 川 豊 彦






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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』より

『社会革命と精神革命』


 『社会革命と精神革命』は昭和二十三年十二月三十一目、東京の清流社から出版された。この書店も出版業ブームの波に乗ってできた出版社であると推定され、原本はいわゆる仙花紙本であり、装訂もすこぶる粗末である。

 しかしその内容は昭和二十一年七月から始めた新日本建設キリスト運動の講演集であり、賀川の愛国心のほとばしりである。昭和二十三年はアメリカボ占領後三年目であり、敗戦の窮迫状態が底を突き、インフレと物資不足、食糧難、共産党の台頭、ゼネストの不安等が日本国民を脅かし、人々が将来への希望を失っていた時である。この時に当たり、日本社会の変革は、日本の心の内からなされなければならぬ、暴力による革命ではなく、精神革命により日本の再建をなさねばならぬことを説いたのが本書である。

 愛国者賀川は、日本人がキリストの贖いにより罪から救われ、道徳的にすぐれた民族となり、これにより経済的にも豊かな国民となることを戦前、戦中、戦後を通じ一貫して祈りつつあった。賀川のこの祈りは軍国主義者から誤解されたため、彼はしばしば迫害を受けた。軍国主義の敗退とともに、賀川の祈りはいっそう声高く唱えられた。本書は正にその祈りである。

 第一章は敗戦と食糧不足と堕治の貧困には革命がつきものであることを述べ、フランス、ロシヤ、ドイツ、オーストリヤ、イタリヤ、ルーマニヤ、ブルガリヤ等に起こった革命の例を引き、昭和二十二年二月一口に目本の労働者八百二十万人が起こそうとしたゼネストに言及し、革命の結果起こる社会的混乱と飢餓とを述べ、革命が無効力であり、唯物共産主義者によっては日本は救われないことを主張し、ウェスレーによるイギリスの精神革命が如何にイギリスを救ったかを述べ、協同組合による社会組織に希望をつなぎ、日本の新憲法の三つの特色-主権在民、永久平和、生活権の保障に言及し、日本は精神革命によって社会の変革をすべしと唱えている。

 この章の終りには当時の物理学の発達と新物理学による宇宙論及び物質観が唯物論を超克して、物質の先験的確率性、選択性、合目的性を示していることを説き、神は愛であることを附言し、更に日本の各地にあって窮乏のうちから多くの人々を救った人物の事蹟を述べている。

 第二章は再建日本の精神的基礎を発明発見と信仰とに見出だし、戦敗国興隆の跡を尋ね、アシジのフランシスを語り、ローマの衰亡を論じ、生物社会に道徳が存在することを説きラスキンの『ヴェニスの石』を引用して、時代精神が如何に建築に現われるかを述べた後、文化は生産の形式によって決定されるものではなく、時代精神が文化を作っていることを主張し、オーストリヤ、デンマーク、スエーデソ、フィンラソドの再建と復興を論じ、精密工業で国を興しているスイスを範とせよと提唱し、日本における多くの人々がキリスト愛の実践によって国を興そうとするならば『太陽いまだ地に落ちず』であると結ぶのである。

 第三章においては社会革命と新道徳とを論ずる。第一次大戦後のロシヤ革命の直後には性道徳の楽乱が起こったが、今日では再び子が父と呼び母とよぶ道徳に帰った。生物界にも母性愛が存在する。天地には悪を救おうとする意識がある。これがキリストとなって現われた。本能による生活は無意識的、道徳的生活は半意識的、悪人をも救い、罪ある者を救わんとするのは全意識的である、我々は全意識にめざめ十字架意識をもち、道徳的基礎を確立せねばならないという。

 第四章乃至第七章は宗教講演である。自然の秩序、目的性、生命の神秘を通して神を見る、宇宙は神の衣裳である等の論述があり、昭和二十二年当時における自然科学の新知識を加えつつ語る。『歴史を通して神を見る』においては歴史を神の恩寵史と見て、世界歴史とイスラエルの歴史とを概説し、キリストの出現について語り、日本人が敗戦の苦杯を通して新生に至るべきを説く。

 第八章は『日本再建と社会事業の重要性』について語る。災害救済事業、救貧事業、協同組合の使命等につき年来の所見を開陳し、経済民主主義の実践を提唱している。

 経済民主主義とは、生産消費、信用、販売、購買、利用、救済等すべてを協同組合でやることであり、たとえば生命保険を協同組合の信用組合で経営し、その保険金で諸工場をやり、その諸工場も協同組合でやるというようなことである。ここでもマルクス主義を批判し、マルクスの資本論は『資本主義の病理学』としては実に正しいが、社会治療学としては誤っていると述べている。

 第九章は『女性解放の根本精神』について語る。新憲法により法的に解放された女性は母として『尊厳の地位』を保ち、夫に対しては争うことをやめて夫の欠点を辛棒して導く態度をとるべきである、悪質遺伝もないのに産児制限はしないほうがよい、台所から解放される工夫をなし、健全な美を創り出し、内側の霊性美、すなわち善をきずき上げ、聖なる気持をもつようにすべきであると説く。

 第十章は『民主革命における労働組合の使命』を語る。敗戦以来、日本の労働組合はちょっと変調を来したようであるが、一時的な病的な現象であるから間もなく粛正されると信ずると述べ、民主主義時代における労働の尊厳、奉仕性、労働組合の互助性、労働組合による世界平和への貢献、労働意欲の精神性の五点について述べている。

 この章の最後の句は印象的である。『私も半生を顧みて労働運動のために戦って来たことを自ら誇っている。四回も牢屋に投ぜられ、四回も罰金刑に処せられたことも私は今も誇りに思っている……私はどうしても理想の世界は労働者が労働の尊厳を自覚し、奉仕性を知り、互助性を活用して世界平和建設のため労働意欲を燃えあがらせるのでなければ実現できないと思ったので、戦いつづけて苦心してきた。そして今やその時が来た……労働組合の人々も唯物的な理論に走り、無神論的観念に捉わるることをやめて、理想の追求に努力を集中したいものである……黎明を呼び醒ます者こそ真に崇敬すべき人類の解放者である。」





新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第117回『自然美と土の宗教』)

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賀川豊彦」のぶらり散歩   

―作品の序文など―

      第117回


自然美と土の宗教


  昭和23年8月26日 新光社 114頁


本書『自然美と土の宗教』は、戦中を含む戦前に書かれた随筆集です。編集に当たった人のことは記されていませんが、賀川自ら編集してなったものかもしれません。

ここでは表紙と賀川の1948年7月13日付けの「序」と、これは賀川全集に収められているので、武藤富男氏の「解説」も収めて置きます。



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『自然美と土の宗教』




 どんなに自然が怒っても、私が自然の子である事は間違ひない。地震も揺れよう、颱風も日本を苦しめるであらう。しかし、私はそのすべてを通して、神の摂理を悟る。自然に偽りはない。自然の怒りはすぐ解ける。我々が罪を犯さなければ、自然を通して神の暖い手は我々の心の傷を癒して余がある。

 私は幼い頃、農家に育ち、貧民窟の仕事をしてゐる間も、貧しい子供たちを自然に帰してやりたいといふ事ばかりを考へて来た。土と自由に憧れて、農民運動を始めたけれども、日本の農民運動が唯物主義と無神論に傾く悲しさをしみじみ味っだ。この書は土の本然に帰る私の宗教的情熱を綴ったものである。貧しきものに奉仕する者ほど、自然の恩恵を受ける。

 アシジのフランシスは小島と狼の友だちであった。都會の雑音が我々を苦しめるほど、私たちは自然を通して、神の懐に復帰したい。「土を耕して、自然の美しさを知らだい農民がゐる」と、クロポトキンがこぼしてゐるが、日本の農民が物欲の迷ひより覚めて、自然と神と隣人への愛に早く復帰してくれる事を私は祈るものである。叉都會の人々も自然と良心に復帰しなければ、神を発見する事は困難である。かうした心持でこの小さい書を日本再建の同志に贈る。
                                    
一九四八年七月十三日

賀  川  豊  彦





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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の解説より

『自然美と土の宗教』について


 『自然美と土の宗教』は昭和二十三年八月二十六日東京の新光社から発行された。これは賀川の随筆集であり、自然への讃歌であり、土の宗教詩であり、自然美論である。ここには自然と産業との調和が論ぜられ、自然美と農村との関連が取りあげられ、土の心、草木の心が探究され、茶道の奥義が語られ、土質が食物の味覚に及ぼす影響が論ぜられ、小鳥のさえずりが聞かれ、美の祭壇に、肉体を油壷とし霊魂を油として、天よりの火を点ずることがすすめられる。

 第十四章と第十五章は、昭和十五年十月巣鴨の刑務所を出て瀬戸内海豊島に潜んで自然を相手として農耕に従っていた時の記録で、自叙伝の一齣をなす貴重な文献である。豊島における生活がくわしく語られ瀬戸内海の風物が美しくえがかれており、失意のうちにある賀川の姿が読む者をほほえましめるものかある。それは賀川がこの隠棲を享楽していたことを示す。




新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第116回『人生ノート』)

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―作品の序文など―

      第116回


人生ノート

  昭和23年6月20日 神田出版 162頁


本書『人生ノート』は、大正時代を含む戦前の作品を集めて神田出版より刊行されています。ところが、なぜか神田出版では60円の定価だったものが、4ヶ月後(堂年10月)に梧桐書院より頁は162頁のまま装幀を代えて140円に改めた同じ内容のものが出版されています。

手元にあるものは、梧桐書院の昭和27年7月のものですが、内容は同じものです。本書を編纂した人は、恐らく鑓田研一氏ではないかと推測していますが、本書には賀川の「序」は入っていません。

ここでは、本書の表紙と第1章の書き出しの箇所のみ取り出して置きます。内容的にはもちろん、14章構成どれも、読ませる内容になっています。




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『人生ノート』

人生の目的

         何のため生れて来たか


 人間が生きてゐるのは何のためでせうか。

 花火のやうに筒口から吐き出されて、ぽっと花を咲かせたかと思ふと、わづか五十年そこそこで音もなく消えてしまふのでは、折角この世に生れて来た甲斐がないのではありませんか。或人はあまりにも生活が苦しいので自暴自棄となり、人生の目的がわからないといって、虚無的となり、人生盲目論を唱へます。また或人は境遇の圧迫におぢけて宿命論に傾き、人生機械綸を唱へて、人生に何の望みもないといひます。人生け果してこれ等の運命論者や虚無主義者のいふやうな盲目的な、機械的な、望みのないものでせうか。私はそうは思ひません。人生には目的かあり、もちろん十分、望みがあるのです。

 人生盲目論は極端になると、所謂ダダイズムの傾向を帯びて来て、道徳を拒否し、人生を根本的に否定し、また善悪を顛倒してありとあらゆる罪悪をよしとさへ見るやうになり、さらに、無政府主義を唱えるなど、さまざまの気違ひじみた思想傾向に進むものなのです。

 また宿命論者は古い時代の暖かい農村の生活、太陽の光線、空気、小鳥、森のささやき、さうしたものが失れて、密閉された地下室や工場の中で長時間の労働時間を強ひられ、その鬱憤を晴らしたいといつた気持から、暴力的革命主義にまで進んで行く傾向かあるのです。そして彼等は人生を一つの運命の廻転にすぎないと見、或は目的の全くわからないのだと考へて、だから人生は盲目滅法に生きてゐればいいんだ、努力なんかする要はないと断定するのです。果して人生はそんなものでせうか。
      




新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第115回『新協同組合要論』)

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―作品の序文など―

      第115回


新協同組合要論


  昭和22年11月25日 日本協同組合同盟 132頁


 本書『新協同組合要論』は、戦後昭和21年6月に出版した『協同組合の理論と実際』(ラッキー文庫)につぐ賀川の重要な協同組合論です。後に昭和43年10月に、明治学院生活協同組合より、賀川の論攷「家庭と消費組合」を併せて『賀川豊彦協同組合論集』として刊行されました。それには、畑井義隆・金井信一郎の一文と市瀬幸平の「賀川豊彦の協同組合論」という解説が収められています。

 ここでは、本書の表紙と賀川の「序」、そして明治学院版の表紙を収めて置きます。




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                 『新協同組合要論』

                     


 人間だけが協同社会を組織するのではない。鳥も、獣も、昆虫も、その本能に応じて協同社会を組織する。干鳥はシべリアを出発して赤道を南に越え、オーストラリアの南端、タスマニアのバス海峡で産卵する。彼等が組織する集団は、おどろくべき市街地の形を備え、街路をつくり、区画をとり、丸石を置き、一つの画に夫婦が一番づつはいって、おどろくべき社会組織を形成する。そこには暴力もなければ、武力も無用である。幾十万年間、彼等はその本能を変えない。シベリアを立つ時には、雄と雌とが別々の集団をなして南に飛ぶが、赤道を越えても決して乱婚はなく、そこには道義と秩序が人間の想像以上に完全に守られている。

 私は千鳥のことを思うと、人間であることを恥しく思う。「空の鳥を見よ」とキリストは烏を指さしたが、私は小鳥から学ぶことが多い。干鳥には、敗戦もなければ革命もない。幾十万年間、赤道を北に南に人類の興亡を下にみて悠々と転地する。もし、干鳥類があのうるはしい道義世界をつくり得るとすれば、人類に協同組合社会をつくり得ないという理由がない。人類は、いまや進化の過程にある。おそらく、近いうちに干鳥のごとく高度に進んだ協同組合社会を創造し得るだろう。私はその日のために、あらゆる努力を惜しまない。三十年近く、私は目本の協同組合運動のためにたたかって来た。左翼からも右翼からも烈しい圧迫を受け、愚者のごとく組合運動のために努力してきた。そして、私はアメリカ政府の要求に応じて、一九三六年には、アメリカ合衆国四十七州協同組合運動の組織をお手伝いした。終戦後、日本を再建する唯一の道が協同組合運動にあることを信じて、同志とともに力闘した。

 この書は、古くから私か抱いている協同組合思想を要約したものである。友人、斎藤潔、黒田四郎、岩浅農也、神戸章子の諸氏が私の講演を筆記し、さらにこれを編集してくれたものである。

 「米国華府消費組合条例」は、米国でも標準的な消費組合法として広く知られているものなので、日本協同組合同盟中央委員竹内愛二氏の訳出されたものを、特に巻末に付録として掲げたものである。
 ここに改めて諸氏に感謝する。

  一九四七年大月九日
                             賀 川 豊 彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第114回『生命の宗教と死の芸術』)

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―作品の序文など―

      第114回


生命の宗教と死の芸術


  昭和22年9月5日 福音書房 36頁


 本書『生命の宗教と死の芸術』は、上巻として昭和22年6月23日に、下巻として同年8月5日に、福音書房より出版されたものを、合冊して仕上げたものです。

 いずれも戦前の「火の柱」に掲載されたものですが、賀川の「序」は、「1947・4・30」の日付のあるものです。ここでは、本書の表紙とその「序」を取り出して置きます。



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              『生命の宗教と死の芸術』

                   


 人生には二つの極がある。始めについているのは生であり、終わりについているのは死である。東洋の宗教は死を起点として始まり、西洋の宗教は、生をもって始まった。一を零にまで分割すると、その距離は無限である。この無限の縮小のうちに、消極的な無限性を見たのが印度思想である。西洋はそれと反対に

 「生」の上に発展する創造的無限の生命を宗教の内容とした。
 我々日本人は、進行する「無」は意識の上に浮かぶ「無」限の「無」であって、限りを「無」にした「無」であることにも注意する必要がある。かく見れば、印度思想の「無」の引き算に於いて、加え算の西洋思想と一致点を発見する。然しその一致点は二つの軸の合致する意識の世界であり、心の焦点である。

 刻々に死ぬものにとっては、刻々に創造主の霊力にふれることが出来る。大空襲に遇って死んでいた筈の私が、今尚生きているのだから、死んだと思って居れば不平も何もないはずだ。名誉も地位も財産も死んでしまった自分にも必要はない。不滅の財産は智慧であり、善であり、聖である。私はその不滅のものを探して、他の一切のものを捨てる。

 生命の世界に於いては、死もまた芸術として完全に利用せられている。そこに死を通しての生物の進歩があり、発展がある。母親は、子供のために死んでいく。そして全能力は彼の愛を死をとおしてすら表白する。歴史が愛の発展史だとすれば、愛が死をすら吸収して人類の罪悪を自己の死によって一身に引き受け、自己の死によりて神への謝罪が完成出来ると信じ得る位まで心の領域が広くなれば、神も人類の失敗を許してくれるであろう。世界の精神史に於けるキリストの愛はこの結節に当たる。イエス・キリストの死は完全なる死の芸術であり、生命の宗教であった。自己に死んで、神に生きその生命芸術に於いて、我々は神の生活と同化することが出来る。

 ここに大自然は心の芸術と変化し、自然を神と人との両面から互いにのぞき込むことが出来る。神から見た自然は人間への発言(ロゴス)であり、人間よりの自然は神が彼に着せてくれた最も美しい衣である。小さき自己に死んで、大きな神に生きることは人間の特権であり、歓喜の泉でもある。自己に死んだ日、黒土も若芽も小溝のめだかもみんな私の新しい衣として神への讃歌と変化する。自然は新しき神殿の新しきとばりである。厳粛な思いをもって私は自己を葬り去り、古い私の様をbちこわして、絶対者の呼びたまうままに永遠不滅の生命の世界に曙の明星を仰ごう。

   1947・4・30
                            賀 川 豊 彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第113回『戯曲・キリスト』)

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「初体験・須磨アルプス」(http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第113回


戯曲・キリスト

原作・賀川豊彦、脚色・山路英世

  昭和22年8月20日 新日本 335頁


本書『戯曲・キリスト』は、原作者である賀川の作品を山路英世が戯曲化して仕上げた作品です。本書の冒頭に「キリストと『涙』と私の問答」という、面白い賀川の文章が収められています。

ここでは、この「問答」を表紙と平沢定治の「絵画」と共に収めて置きます。



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『戯曲 キリスト』


キリストと「涙」と私の問答


私「盲目の日本の盲目の指導者、私は監房に閉ぢ込められて、日本の落ちて行く将来が心配になる。」
私がそう云つて、独言を云つてゐると、目頭の涙が小さい聲でささやいた。  

涙「実際、日本はだめですよ。すべてに行きつまつてゐる日本に希望なんて持てるもんですか。今に見てゐてごらんなさい。日本全体が涙の洪水にしたる時がありますから。」    ’  八

 涙が恐ろしい預言をするので、私は身ぶるいした。私は二昼夜、東京渋谷憲兵隊の独房に端座したまま、横にならず黙祷をつづけてゐた。するとキリストが、魂の内側から姿を現わして、私の肉体を占領し、肉体の内側から、皮ばかりになつてゐる、私と涙に呼びかけた。

キリスト「私はあなたの霊の内側に住んでゐるキリストです。あなたは救いを外側に求めてはなりません。あなたが尋ねない先に私はあなたを尋ね、あなたが愛さないうちに私はあなたを愛してゐいます。私はあなたを誤解のうちに守り、ゴロツキの襲撃に對しても、常に保護し、悪漢のピストル、貧民窟のだらく、無智な軍閥から守つて来て上げたキリストです。あなたは外側の奇跡を信じてはなりません。私は永遠のキリストです。病をいやし、罪人をなぐさめ、亡びた国を興し、背ける放蕩息子を母のもとにかえす愛の力そのものです。」

そ心澄み切つた聲に、私は股の間に突っ込んでいた首をちぢめ、一九〇〇年前、十字架の上に死んだキリストが永遠に人類の悩みを負う強き霊力であることを発見した。御光は私のうちに住むキリストよりさし出て、抜けがらのやうになった私の皮を貫いて、憲兵隊の独房を照らした。それは私にとっては生死を超越した絶対なる信仰である。神の救いの力を経験した、有難い瞬間であった。

 内側に住んでゐてくれるキリストは、真昼でも真夜中でも私の行くところは何處にでも附いて行つてくれる。それで私は如何なる因難にも、如何なる脅迫にも大胆不敵なる行動を取ることに決定した。キリストが内側に住んざゐるのだ。そう思う瞬間、歴史上のキリストは現実のキリストである。晴れに、くもりに、時雨に、暴風雨に私は少しも恐れる必要がない。一九四五年三月九日以後、東京は火の海と化した。その火の海の叫にも私は内側に住み給うキリストを信頼して疎開することを肯じなかつた。私は火の海の中に取り残された最後の悩める者の中に、十字架の愛をたてねばならぬと決心した。

 火の雨が天から降って来た。私の隣保館も皆燃えてしまった。私の軒先きにも数十尺の火柱が立った。私は火の雨をさけるために逃げ廻った。然し私は太陽が出ると、また悩めるものを尋ねて徒歩で数里道を往復した。栄養失調はつづいた。体重の四分の一を失った。然し私は内側に住み給うキリストを信頼して、少しも不安は持たなかった。

 キリストと共に十字架に死ぬのだ。そしてキリストとともに墓から甦るのだ! そんなことを云いつつ、杖にすがりつつもキリストと歩む道をふむことを決心して悩める者を探して歩いた。

 一九四五年八月十五日、日本は完全に敗退した。終戦後、私は暗殺をずるものがあると云うので、私が栃木県の森の中にかぐれた瞬間にも、又キリストは附いて来てくれた。キリストはいつも魂の内側から呼びかけてゐてくれる。キリストの眼は私の眼の内側から見、キりストのロは私のロの内側から、そしてキリストの耳は私の耳が内側から聞いてゐてくれる。キリストは内側に住んでゐてくれる。そして私に限らず、愛に飢えてゐる者に取っては、キリストは必ず、内側から魂の扉を開いて入っていてくれる。ただ魂の扉を開かぬものに取っては、いくら入りたくても、キリストは入って来られない。

 暴風に、疾風に、滅亡に、インフレーションに、人生の波頭がどんなに高くてもキリストは私の魂の内側から必ず守ってゐてくれる。そしてキリストはまた、凡ての日本人を祝せんが為に今日も涙を流して我等の為に祈ってゐてくれる。

 このキリストを紹介する為に私はキリストを小説体に書いて見た。その為、私は二度まで、パレスタインを訪問した。又、フイニキアにも、スリアにも、デカボリスにも行ってみた。そしてキリストが旅行せられたコースを、ずっと廻って来た。その「キリスト」を山路英世君が戯曲化してくれたものが、この一篇である。本当は私自身が戯曲化して、イースタ―やクリスマスの度毎に、日本の民衆に見て貰おうと思ったが、忙しくて書き下せなかったために、山路英世君がものしてくれたのであった。ロマのセントピータ―聖堂は、中世紀の無学な人々に、キリストの戯曲を通してキリストの福音を説いた。私も宗教劇をしようと思って、東京郊外、松沢につくつた教会は、皆ステージ代用の大きなテレスを南側に附けておいた。農村の青年諸君も、自然の舞台を用いて、この戯曲を読みながら、霊魂の内側に住んでくれるキリストを日本に生かしてほしい。

一九四七年五月二十一日
賀  川  豊   彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第112回『小説・二羽の雀』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第112回


小説・二羽の雀


  昭和22年6月30日 明星社 200頁


 本書『小説・二羽の雀』は、三つの短編――「二羽の雀」(昭和7年1月から12月まで「神の国新聞に50回連載」、「谷間の姫百合」(昭和8年1月から3月まで同じく「神の国新聞」に7回連載)、そして「溶岩地帯」(昭和12年刊行の小説『荒野の呼ぶ聲』所収)――を収めた作品です。

 昭和23年に、この小説の印税を活かして「小雀保育園」(長野県佐久市岩村田1158-17)が建てられたことを、HPで見たことがあります。

 本書の装幀は田村孝之介が当たり、表紙と背の文字は賀川が書いています。

 ここでは表紙と賀川の「序」を収めて置きます。



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                 『小説 二羽の雀』


                     


 地上の生活は凡て芸術である。殊に良心の芸術は至上の芸術である。この三編は生命芸術としての人生苦悩を通り抜けて行く宗数を取扱つたものである。

 私はかうした作品を通して、無限絶体者の愛に触れる同志が一人でも、多く日本に現れることを望むものである。戦争前に書いたものではあるが、宗教が永遠性を持つてゐるので、今読み直しても新しい感じがする。私は読み直したがら神の愛に自ら感激を感じてゐる。それで同志にも読んで貰ひたく思つてゐる。

     一九四七・六・一
                      賀  川  豊  彦
                                 武庫川のほとりにて



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第111回『宇宙創造と人生再創造』)

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今回はいつもの写真集のものではなく、今朝の神戸新聞に掲載された賀川記念館に於ける「賀川ハル企画展」の記事をUPしました。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

  ―作品の序文など―

      第111回


宇宙創造と人生再創造


  昭和22年4月10日 上泉書店 141頁


 本書『宇宙創造と人生再創造』は、「あとがき」にもあるように、「太平洋戦争前後の講演をまとめたもの」で、書名となっているタイトルは最終章(第12章)の東京帝国大学に於ける講演で、賀川の宇宙論を述べた貴重なものでもあります。

 ここでは表紙と冒頭の賀川の「日本再創造の途―序に代えて」並びに「あとがき」などを収めて置きます。


 そして最後に、武藤富男氏『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」も加えます。



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              『宇宙創造と人生再創造』

                日本再創造の途

                ―序に代へて―


 冬枯の後に、若芽はふき、雪崩の後に、空は澄む。

 敗戦になやむ日本は、その悲哀を通して人生再創造の道を発見すべきである。

 全然駄目だと思われた椚(くぬぎ)の根株から、若芽が、生い育つ如く、退廃の日本に、新生の日が廻り来るのだ。

 永年の病人に、再生の日が訪れる如く、どん底に泣く日本も、光明の日が再びやってくる。

 泣くな、子らよ、日本の再生の日に、おまえの神は天地創造の神であり、その名を「天の父」と呼び、人生を再創造する力を持ってゐると云ふことを學ぶべきである。

 アラビヤの沙漠は、人類に貢献することは何にも無かった。たゞその砂漠の中にも四十年間嘗ての奴隷民族であったユダヤ人の一團が、宇宙の支配者によって、生存を許されてうたという記録を世界に搬出した。
砂漠の真ん中から、光明がさして来た。文化の背景を持たない砂漠民族から、宇宙創造者は、恩寵の神であるとの福音が、伝わり始めた。

 その民族は嘗て、一君主国形成の特典を許されたことがあった。然し、間もなく、二大 民族の挟撃に合った。二回に亘って、全民族は滅亡してしまった。

 その滅亡の灰柱の中から、人類救済の福音が告示された。彼ぽ祖国建設の王統に生れ乍 ら、その王統を拒み、自ら王者たるの光栄を捨て、救はんとする魂の為には、死をも厭ざるを決意し、進んで十字架のコースを撰んだ。それがダビデの子、大工イエスであった。

 全能者は、人類の再創造の為に、血の犠牲無くして、その回復の不可能なことを、イエスに確知せしめた。「悲しみの途」を通過せずして、人類再創造の不可能なることを意識したイエスは、その「悲しみの途」を、自らが歩むことを決意した。

 宇宙創造の神を、彼の父なりと意識したイエスは、その父なる神の愛を以てしても、贖罪の工夫は輸血の外に無いことを知っていたのだ。

 宇宙修繕の原理は、大愛の犠牲に待つ外は無い。それは、神の力をもってしても、傷つける部分を修繕するのに、完全なる部分をもってするの外はないのだ。イエスは完全なる部分として、傷つける部分に、あてがわるべき職分を担うことを決意し、ここに悲壮なる死への行進とは成った。

 そして、イエスの途は、全人類の途である。

 社会連帯責任の意識無くして、人類再創造の途は無く、罪人をすら修繕し、補修せんとする悲しき大愛の外に、人類再創造の工夫は無い。かくして、宇宙創造の大愛は、人生再創造の意識として、イエスの中に働いた。

 刈り取られた岸辺の蘆に、もう一度春が訪れ、青い若芽が、切り株から再生するごとく、堕落し切った人類のどん底に、キリストの死を契機として、歴史転換の危機が與えられた。

 カルヴァリ丘の十字架より、人類再生の歴史が記載し始められた。ギリシヤも復活し、ローマも再生し、亡国の悲哀を嘗めたフランスも、イギリスも、ドイツも、否国と云う国、民族と云ふ民族、凡そ、再生と復活を要する諸国諸民族は、自国歴史を綴る前に、先づイエスを通して経験された、人生再創造の記録を記憶する工夫を考案した。

 そして、イエスの十字架を見上げた諸民諸国は、不思議と、人生再創造の恩典に浴した。そして、遂に、日本の番が廻って来た。

 宇宙創造の神を、自己の神とすることを拒否し、神話と偶像を好愛した日本民族は脆くも、敗戦のどん底に陥らざるを得なくなった。

 そして、朽ち果つべき日本の運命を救ひ得るものは、人生再創造の原動力たる神の大愛とその犠牲に侯っ外全々望み無いことが明瞭になった。

 今日程、日本と日本国民にとって、困難な危機は無い。今にして、日本再創造の途が十字架にあることを発見しなければ、日本は永遠に、太平洋の一島しょに住む野蛮人に転落するであろう。

 十字架愛だけが、この民族を統一と、再生と、文化と、學問に結びつけるであらう。

 そうだ、日本民族が、人生再創造の途の、十字架にあることを発見する日に、日本は再生し、復活する。
二百十日の颱風が通過し、秋の収穫が約束される如く、日本歴史の上に訪れた颱風は、日本民族を、悲哀のどん底へ投げ込んだが、十字架と、その血は、再び、日本を再生しめる。友よ、堅く、これを信じて、日本再創造の為に、立ち上がれ!

   キリスト紀元一九四六年八月二十六日
                          賀 川 豊 彦
                                   札 幌 に て




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           あ  と  が  き


 本書は、太平洋戦争終戦前後の講演を纏めて一冊としたものである。この書を筆記してくれたのは神戸章子姉である。最後の章は東京帝国大学に於いての講演を速記したものである。同志黒田四郎氏の努力によりこの形に纏められた。ここに改めて、黒田四郎氏、神戸章子姉に感謝する。また小樽市の上泉四郎氏は出版することに努力せられた。感謝にない。

 猶本書に関して、感想なり質問なりを寄せらるる方は、ご遠慮なく東京都世田谷区上北沢町二丁目六〇三賀川豊彦宛に御送附ありたい。多忙の為返事は遅れても、必ず、代筆によって御答へするつもりである。

                        賀  川  豊  彦



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        武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』72~74頁

           『宇宙創造と人生再創造』について


 『宇宙創造と人生再創造』は昭和二十二年四月十目小樽の上泉書店から発行された。発行者上泉四郎は賀川の弟子であり、本職は株屋である。戦争直後、多くのインテリが出版業を志し、用紙不足の最中、無理をして紙を求めて書物を発行した時代が五年ほどつづいた。その出版業ブーム時代に上泉が『宗教、思想、哲学、道徳、政治文化、経済……それらに対する叡智こそ新生日本創造の新しき眼であり、混沌たる現実を照す光である』との信念をもって上泉書店を創業し、第一回の出版として発行したのが本書である。

 その内容は『終戦前後の講演をまとめて一冊としたもの』であり、神戸章子の筆記による。最後の章は東京帝国大学における講演で黒田四郎がまとめたものである。

 この書は第一章において『神は父であり、放蕩息子の父であり、失われた霊を探しもとめる父であることを説き、第二章においては、懺悔を許し給う神を強調する。

 終戦直後東久邇内閣の参与に任ぜられた賀川は、首相宮から『国民総懺悔』ということを仰せつかった。(これは賀川のほうから提言したのかも知れない。)敗戦国民は一億総懺悔をしなければならない。懺悔について賀川は五つ要素をあげる。一、自分を反省すること、二、良心的であること、すなわち内観的であること、三、社会道徳的であること、四、内観的に且世界的に見て普遍妥当性をもつこと、五、神を標準とすることである。ここにダビデの詩、詩篇五十一篇が解説される。『視よ、われ邪悪の中に生まれ、罪にあってわが母われをはらみたりき。なんじヒソプをもて我をきよめ給へ。さらばわれ浄まらん。我を洗ひ給へ。さらばわれ雪よりも白からん』である。賀川はここで、将軍ウリヤを謀略により戦死させ、その妻バテシバを奪ったダビデの懺悔について語り、日本人の総懺悔を促し、『神よ、わが救いの神よ、血を流しし罪より我を助け出し給へ』を引用し、懺悔による更生の可能を主張するのである。

 第三章においては創世記十六章に出てくるハガルの物語を引用し、『見守り給う神』 (アタエルロイ)を説き、第四章においてヨハネ伝三章にあるニコデモヘのイエスのことは『人あらたに生まれずば神の国を見ること能わず』によって、日本人の霊的生まれかわりを教え、第五章においてはマタイ伝五章の嵐の中のキリストを説き、世界的犬動乱の後に処すべき道を教える。

 第六章においてはピリピ書四章にあるパウロのことばにより『富におる道を知り貧に処する道を知る』べきを説き、戦後の窮乏時代に霊魂の力によって融通自在の生活をすべきを力説する。第七章においては使徒行伝四章の兄弟愛による原始共産社会について述べ、兄弟主義が救済的、生産的、学問中心的、人道主義的、経済的というように次第に成長発展してきた歴史的経緯を語り『持って来い、共産主義』でなく「持って行け共産主義」でなければならぬ。『とり込み共産主義』でなく『十字架共産主義』でなければならぬと提唱する。

 第八章においては、エペソ四章にある『手づから働きて善き業をなせ』を引き、初代キリスト者の労働精神と昭和二十一年に施行された労働組合法について語り、勤労によって日本を再建しようと提言する。

第九章においては、ヨハネ伝二十章のイエスのことば『女よ何ぞ泣く、誰を尋ぬるか』を引用し、キリストの復活について語り、敗戦国日本の復活を説き、復活の精神によってのみ、政治も経済力も教育も倫理も生産も復興すると説くのである。

 第十章はマタイ伝五章の『幸福なるかな平和ならしむる者』を引用し、人の罪を己れの罪としこれを救おうとする十字架愛、贖罪愛をもって、日本を救い、世界を平和ならしめようと説く。

 第十一章においてはテトス書三章にある「聖霊による維新」を強調し、神の恩寵は歴史的因果律を無視して与えられるものであり、内観的反省、祈り、精進によって与えられる、倫理的建設運動を社会連帯意識をもって展開せよと勧めるのである。

 第十二章は東京帝国大学においてなした講演であり、従って他の章に比しより論理的学究的である。ロマ書五章の『キリストはわれらが罪人なりし時、我らのために死に給ひしにより、神は我らに対する愛をあらわし給へり』を引用し、戦争末期における道徳の退廃を述べ、宗教意識によってのみ日本の道徳生活の更生は可能となると論じ、最近の科学的宇宙観を述べ、宇宙の目的に言及し、近代物理学の合目的性や、物質界における先験的確率性を説明し、キリスト教神観と近代科学の関係に及び、キリストによる人生の再創造を説く。

 この章には、後に賀川が著した「宇宙目的論」の萌芽が散見している。




新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第110回『神よりの福音』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第110回


神よりの福音


  昭和21年8月20日 愛育社 150頁


 本書『神よりの福音』は、戦後に書き下ろされたものではなく、戦前昭和3年~4年にかけて発行されていた「信仰リーフレット」を一部改稿されたものを編集して出来た作品ですが、賀川によって、「1946・6・24」付けの「序」が入っています。

 発行元は「愛育社」で、ここからは昭和23年に『死線を越えて』の再販も出ています。

 ここには本書の表紙と「序」を収めて置きます。



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                  『神よりの福音』

                     


 うるさい事が起れば逃げ出したいのが東洋風だと考へる人もある。それを儒者と云ひ、隠居と云はれ、それをしも喜ぶ人もある。老人になれば東洋風が善いと或る人は云ふ。またニーチェは超越を説き愛と奉仕を侮辱し、十字架の道を奴隷の道徳だと罵った。
             
 然し、超越の道を説いたニーチェが脳黴毒の患者であったことを知れば、超越的自我狂は、黴毒性の麻痺性痴呆であることを知らねばならぬ。天上より地上に降る受肉化身の道は、芸術的表現と軌を一にする。人生創造は表現と受肉性の中に仝能者の意志を傅へ、絶對者の愛を有限の色相に翻訳しなければたらない。
                                       
 キリストの道は絶對より相對へ、無限より有限へ、神の愛を翻訳するごとにあった。それは穢れたもの、吐棄すべきものとされた。この誘惑多き肉体の世界にすら、神の聖なる光栄の姿を顕現させることにあった。此意味に於て預言者マホメットの途と、キリストの途は全く違っていた。キリストの途は化身顕現の超越逃避の弁償法ではなかった。キリストの道は有限の世界に人類を救ふ可らざる弱体者として見捨てるのではなく、贖罪愛によつて、有限を無限に、相對を絶對に結合せしめんとの苦闘にあつた。そこにキリストの福音による勝利が保証せられる。
    ’
 化身せよ! 十字架の上にまで救はんとする意志を持つ天父の愛を顕現せよ。人間の原罪をのみ恐怖して、原罪を滅し得る受肉化身者の愛を忘れるな! 我等も勇敢に愛による化身奉仕の道を選ばねばならぬ。

   1946・6・24

                        東京松沢にて
                              賀 川 豊 彦




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第109回『THE LECTURE 講演 日本復興の精神的基礎』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

  ―作品の序文など―

      第109回


THE LECTURE 講演 日本復興の精神的基礎


    昭和21年7月15日 東京講演会 31頁


 これは「東京講演会」というところが、「THE LECTURE 講演」という表題で、30頁ほどの小冊子を編み、この号は「644号」です。

 これには、「日本復興の精神的基礎」と題する講演のほか賀川の二つの作品―「キリスト教兄弟主義」(「火の柱会報」に掲載された松沢教会における説教)と「世界連邦制度の創造」(おなじく「火の柱会報」に掲載されて一部改稿したもの)―が収められています。

 いずれも重要なドキュメントですが、ここでは表紙と講演の冒頭のみを取り出して置きます。


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                日本復興の精神的基礎
         
                 民族滅亡の原因


 歴史めあとを顧みると、或る民族が興って倒れて行く順序は多くは内部的原因にその要素を発見致します。勿論外部的原因も数へ得るけれども、文化が進むと労働を忌避する傾向になり、労働を忌避する傾向はやがて文弱に流れて、それぼ身の破滅に陥ってしまふのであります。例へば、最も顕著な例がローマ帝國の滅亡であります。ローマ帝国はローマの市そのものが人口六十萬くらいで、奴隷がその四倍の二百四十萬くらゐあったといはれてをります。そしてローマ帝国は御承知の通りにデモクラシーを持ってはゐたけれども、それは種族的デモクラシーで、自分の国を一旦出てしまったらデモクラシーは作用せす、他民族は奴隷にするといふやうな非常に偏頗なデモクラシーを持ってをりました。それで奴隷をつれて来るといふと、市民は勤労を拒否し、奴隷に労働をさして自分等は失業保険金のやうな一日五十銭くらゐの金を貰って、朝から闘牛を観に行くといふやうな妙な風潮を帯びて参りました。それで、ドイツ民族が北方から迫って来て、ローマの内部にゐる奴隷になって来たところのドイツ人と外部のドイツ人とが一緒になって反乱を起すと、帝國ぱ瞬く間に顛覆してしまったのでありまず


              ローマ帝國滅亡前奏曲


 そのことが新約聖書に載ってをります。新約聖書ロマ書第一章の終わりには、ローマ帝國の滅亡前奏曲ともいふべき光景が書いてあるのであります。
第十八節に・・・・・       `
 
 
                   性道徳の堕落

 かういったやうに、ローマ帝国に於ける偶像礼拝といふものは、ローマ帝國の國民の内部的精神の現はれであるといふやうにとつて、宇宙の根本の神ぞのものを第一原理としないで、偶像主義的傾向にも・・・・



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第108回『LUCKY SERIES 協同組合の理論と実際』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第108回


LUCKY SERIES 協同組合の理論と実際


  昭和21年6月20日 コバルト社 58頁


 本書『協同組合の理論と実際』は、「新生活のパイロット・ラッキー文庫」の第3冊目として企画刊行された小冊子です。これの第1冊目は賀川の『新生活の道標』でした。

 本書は「世界平和と組合国家」を構想する重要な道案内となったテキストで、別の連載での取り上げた武内勝氏の神戸で手がけた「失業共済保険制度」に関しても言及されています。

 このような重要な論考は数多くあり、全集にも収められていませんが、ここではその表紙と賀川の短い 「序」を収めて置きます。



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         LUCKY SERIES『協同組合の理論と実際』

                   


 社會は意識によって繋がる。「社会は精神の衣である」と、社会學の創始者アウグスト・コントは云うた。意識の日醒めの無いところに計画経済も無ければ、統制経済もあり得ない。自然のまゝに生活するものに経済は不必要である。経済は意識と共に展開する。利己意識に資本主義は根ざし、国家主義にナチスとファシストが産まれ、階級意識と共にマルクス経済が成長する。全世界の全人類を包括し得るものは蓋し全社會連帯意識を基礎とする協同組合経済でなければならぬ。國際聯合が国際協同組合本部をサンフランシスコ会議に招待したのも故あるかなである。協同組合の目醒めの外に世界平和の道なく、侵略戦争絶滅の道は無い。全世界四分の一の人々が今や協同組合に加盟しでゐる。この為にこそ我等は奮起して、日本の協同組会化に専念すべきである。協同組合は産業民主の根本方策であり、政治的民主主義の根底をなすものである。



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第107回『小説・再建(さいこん)』)

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今回も上の写真は『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第107回


小説・再建(さいこん)』


  昭和21年5月20日 大阪新聞社 164頁


 本書『小説・再建(さいこん)』は、敗戦後に出版された賀川の小説第一作です。賀川戦前戦後一貫して目指したのは「協同組合運動」による社会形成でしたが、戦前に活躍した大阪「共益社」の中心人物「間所兼次」の働きなども取り上げて著した「協同組合小説」の一冊が本書です。

 「間所兼次」に関しては、「吉田源治郎・幸の世界」で詳しく取り上げる機会がありました。(http://ameblo.jp/taiwa123/ を経て該当箇所を検索してみてください)

 ここでは、本書の表紙と田村孝之助の挿画、そして間所兼次のこととと思われる箇所のひとつを取り出して置きます。この小説も、全集には入りませんでした。



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             『小説 再建(さいこん)』

                新日本の殉教者


 火葬場から大谷兼次の、白骨を聖隷保養農園まで持って帰った兼次の長男一郎と、小林藤吉の二人は、汽車の時間の都合で、お骨の入った白い包みを一郎と共に酉に送り、藤吉も一緒に大阪まで引返すことになった。三十年近くも、困難な商業都市で、消費組合運動の為に闘った戦友の遣骨を抱いて列車に乗ると新しい感想が胸に湧いた。

 千載一遇の社會革命期に際して果して、協同組合が勝利を得るか如何かは日本歴史を支配するとしみじみ感じられた。資本主義は、日本を敗戦に導いた。その敗北に導いた資本主義をもう一度跋扈さすならば、日本は永遠に立ち上り得る道が無い。東海道の凡ての都會は空襲で焼け野原になつてゐる。そして、焼けずにに残つてゐる人間の心までが焼野原になつてゐる。今日、これをどうして再建するか、結局帰って来る所は大谷兼次のやうな純情な協同体意識を持つ殉教的精神の他にないと藤吉ぱ考へた。養老山脈の上に夕日が没して行く濃尾の平野は日本の敗戦を知らぬかの如く、平和な空気に包まれ、春の芽生えの下準備をしてゐた。はや、麦は鳶色の土を破って、一寸位も延び、長良川も揖斐川も、水晶のやうに澄んでゐた。「國破れて山河あり」の言葉が思ひ出されてならない。然し支那の聖人孔子は、亡國の悲哀を見た殷の子孫であり、印度の聖者釈迦の王國は彼の遊行中に滅亡した。そして、世界の聖者と崇められるユダヤの國のイエス・キリストが、ローマ帝國に滅亡させられた敗北の子であった、さう考へると、日本は、敗北によって、却って世界を澗歩する神聖なる思想を生み得る好機會に恵まれてゐることを思はざるを得なかった。

 「お父さんの遺志を継いで、君は日本の協同組合運動のために一生懸命勉強しなけりやいけないよ、日本を協同組合化するには一代や二代では出来ないんだからお互ひにしっかりやらうぜ」

 さういって、大阪駅頭で、小林藤吉は、今年十八歳の青少年大谷一郎の手を握った。
 父によく似た柔和な顔をした一郎は、目に涙を浮べて、答へた。

「必すやります、私は父の遺志を継いで、一生を協同組合運動のために捧げます。そしてこの日本を救ぴます」その言葉に小林藤吉も、貰ぴ泣きをした。       ’

 終戦後、六ヶ月経った大阪には辛うじて梅田駅前に少しばかりのでバラック店が建ったばかりで、息を吹き返す気配も無かった。その晩彼は、夜遅く、自宅に帰ったが藤吉の弟照夫と、妻の妹やす子が相変わらず、仲善くして留守番をしてゐた。久し振りに兄を迎へた照夫は、學校の話をしないで、大阪の消費組合が勢よく名方面で組織されつつあることを兄に報告した、そしてやす子も面白さうに藤吉に云った。

「私の會社にも今度職域消費組合が出来ましたのよ、此の間、高い高い鰯が入りましたわ、あんな消費組合なんか、出来たって仕方がありませんね、オホ……」









新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第106回『新日本の衣食住ーかくすれば困らない』)

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今回も上の写真は『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第106回


新日本の衣食住―かくすれば困らない

 (朝日時局新輯)


  昭和20年12月30日 朝日新聞社 51頁


 本書『新日本の衣食住―かくすれば困らない』は、敗戦後に「時事選書」の一冊として31頁建ての冊子『デモクラシーー民主主義とは何か』に続いて刊行された朝日新聞社による「朝日時局新輯」の51頁の講演記録の一冊です。敗戦の年(昭和20年)は、この2冊のみです。

 この講演記録には「序」はありませんので、冒頭の短いことばと、講演の最後の箇所だけを、表紙と共に取り出して置きます。



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                 新日本の衣食住

                ―かくずれば困らない―


 (本講演の冒頭に言葉)

 昭和二十年八月十五日は、日本にとって最も悲しき日となった。しかし、武装解除による新日本の誕生は、世界に對する新しき出発点を與えることになり得る。曾ってスエ―デンは十七世紀の初頭より、いはゆる三十年戦争の指導國であったが、矛を収めて自ら武装を解除するや、文化の点においては、國こそ小さけれ、世界一の優秀國となった。斯くの如く、恐らく日本も武装解除によって、新しき文明を産み得る可能性の最もある東洋の指導國として再出発することが可能になるであらう。



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 (本講演の末尾の言葉)

                   組合都市を創れ                                                                                           

 若しも大規模、都市生産消費組合を発達させようと思へば、南ドイツ、オーストリヤ地方に於てやってゐるやうに、都市を組合化すればいいのである。ウヰーンは、公設市場等も、消費組合と市役所が半分半分に出資してゐる。税金でやる事業は非常に限られてゐる。殊に現今の日本の市役所の如きは、生産事業は出来ないことになってゐる。そんなことではこれからの市民に、食糧を十分賄ふことは出来ない。これからの市政は、最低生活を保証しなけれぼならぬ。従って牛乳や主要食糧の如きは、市自ら生産する必要がある。従って周園の農民と直結する必要がみる。その運転資金は、生産消費組合で集めればよい。そしてその本部を市役所内に置き、市長自らがこれを管理すれば良い、このくらゐの大きな組織を持たなければ市民の生活の安定は出来ない。

 ウヰーン市の百貨店も矢張りこの式でやつてゐる。日本の百貨店組合會長里見純吉氏の如きも、私にもらされた意見であるが、「百貨店自身が消費組合の使命に目覚め、百貨店の一部分を消費組合的に直し、周囲の何十町かの町會に奉仕すぺきである」を主張してゐる。ボストンで最大のデパートを経営してゐる米國で有名な百貨店組合の組合長ハアイリン氏も、同じことを私にいってゐた。

 贅沢品は何も消費組合で販売しなくてもいいが、最低生活に必要なだけの物品だけはどうしても消費組合式の方式で発達さすべきが、今日の使命であると私は考へる。

 ウヰーン市の如きは、この組合都市経営を完全にやってゐるために、一九一八年以後の欧洲大恐慌の真最中においてすら、銀行の取付けも無く、失業問題も起らす、市民の一人さへ餓死しなかった。然かもオーストリヤは、敗戦の結果、國土は七分の一に減じ、國民の半数がウヰーンの都市に集中するといふ珍らしい現象を示したのであった。このやうな悪條件のもとに、一人の失業者も出さなかつたといふことは、全く都市行政を協同組合化した結果であったと、オーストリヤの協同組合主義者は私に誇ってゐた。                   
 ウヰーン市の住宅政策は世界一であることも周知の事費である。これは住宅組合と富籤の二つの方法によつてゐる。いづれにしり、都市行政といふものを、税金のみによつて処理するやうた原始的考へをを拾て、組合経済及び組合社会政策を完全に取入れなければ、都市の良糧問題も、叉被服問題も、住宅問題も、失業問題も、庶民金融問題も絶対に解決出来ない。

 市役所を行政の一地区と考へる時代は、もう過ぎた。都市には都市社会政策がなければならぬ。都市の社会政策は市営だけではうまく行かない。市営だけでは官僚化する恐れがある。矢張りウヰーンの如く、市営の要素と、協同組合の要素を、並行して行く新しき都市行政の如きが、最も能率的であることは既に実証せられた事実である。

 日本においても、この方向に進むのでなければ、絶対に戦災にによって焼失した七十七の都市を、近代的都市として復興することは出来ない。六坪二合五勺位のバラックを建築する位の程度であれば、協同組合の力を借りなくてもいいけれども、全部に四階建ての鉄筋コンクリートの家を造ろうと思えば、どうしても協同組合式に都市行政を持って行かなければ、資金を豊富にすることは出来ない。そしてその資金も、市役所と協力する生命保険組合に資金を仰ぐ必要がある。生命保険の金は、無利子で長期に使える。そして住宅が改良せられれば、せられる程、死亡率は減退するから、生命保険会社の方も利益になる。かうした都市死亡率の減退運動と、市役所の住宅政策が一致するやうにならなけrば、真の都市行政は出来ない。

 今日のやうに、住宅政策においては貧民窟をつくり、伝染病の発生した時だけ市の術生課が走り廻るやうな低能なる都市行政では、市民の生活は安定しない。

 要するに、都市の行政といへども、市民各自が、有機的に市役所と結合し、都市生産消費組合及び都市信用組合、都市生命保瞼組合等の機構が、市役所内に入って来る時代が来なければ、理想的な都市行政といふものは不可能である。これは都市の教育、育英資金等の問題についても同じことがいへる。

 中世紀のギルド都市が、組合と取り組んでゐた如く、近代の都市も亦資主義的搾取を免れんとするならば、市自らが各種の産業を経営するのみならず、市民自らが組合員となる、都市組合事業を根幹とする各種社会経済施設及び社会事業を、組合的に市役所自身が経営する必要がある。この方法により始めて近代都市は生れるのである。



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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第105回『詩集 天空と黒土を縫合せて』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第105回


詩集 天空と黒土を縫合せて


  昭和18年5月20日 日独書院 234頁


 本書『詩集 天空と黒土を縫合せて』は、『涙の二等分』『永遠の乳房』に続く賀川の詩集作品です。ここに収録された作品は、主として海外伝道(オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・北米・インドなど)に出かけたときのものです。

 ここには、表紙と2枚の写真、そして賀川の「序」を収めます。加えて、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』にある当該箇所の「解説」も入れて置きます。



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               『天空と黒土を縫合せて』

                    


 南海の龍巻は、千萬噸の海水を、天に送る! 熱帯の太陽は、スコールの彼方に光り、永の柱は、天と地をつなぎ、天界は、沃雲に閉さる。

 不義の低気圧に、正義の火柱は立ち、民衆の血潮は、天空に向つて、龍倦の如く、たぎり立つ!

 ルーズベルトの國民のみが、自由を持ち、アジアの民族のみが奴隷にならねばならぬと云ふ不思議なる論理に、太陽も嘲ふ。

 太平洋の海鱸も、北氷洋の飛魚も、不可解な、ルーズベルトの独善主義に、迷惑をしてゐる。彼がもし、アメタカ大陸に、モンロー主義を布き、アジアをも、その領域に含まんとするならば、太平洋の海鱸と、北洋の飛魚は、何處に引越すれば善いのだ! 海鱸はルーズベルトの為めに、安眠を失ぴ、飛魚は寝床を奪はれてしまつた。太平洋の水は、永遠に青く残されたものを、アジアを保護國の如く考ヘたチャーチルとルーズベルトは、遂に血を以つて、太平洋を永遠に赤く染めた。

 血潮の龍巻は起つた! 真珠湾の勇士等の血潮に、ソロモン列島の尽忠烈士の熱血に、義憤の血潮は、天に向つてたぎり立つた。

 「---大君のへにこそ死なめ、省みはせじ―-」私心を打忘れ、生死を超越し、ただ皇國にのみ仕へんとするその赤心に、暁の明星も、黎明の近さを悟り得た。

 ただ、私慾のみで、血潮を天には送り得無い! 血潮が、天に達するには、深き理由がある。日本民族は、楠正成の血と、幡隨院長兵衛の血を持つ。

 カルフォルニアに土地問題が起り、排日運動が勃発しでも、日本人の血は、龍巻とはならなかった。移民法の制定となり、日本人が北米に移民出来ねことになつでも、まだ龍巻は起らなかった。ルーズベルトはこの忍耐深き日本國民の寛容を打忘れて、日本民族一億の民衆に煮湯を呑ませた時に、日本民族の血は沸騰した。

 あゝ、血潮は沸騰して、天に冲した。歴史を貫いて指を運び給ふ全能者は、この血潮の龍巻を通して、人類解放の新しき頁を書き給ふ。
 
 嗚呼、アジアは目醒めた! 印度は解放を叫び、中華民國は米英に向つて呪の声をあげた! 天空と黒土を縫ひ合せて、新しき歴史は綴られて行ぐ。全能者は前進し給ふ。前進し給へ、全能者よ、汝の外に、驕れる者を低くし、曲れるを直くし給ふものはないのだ!  汝は創造し、汝は修繕し給ふ! 涙もて、黒土をこね恩讐をかこつ幾年が続くとも、全能者よ、汝のみは、歴史を支配し給ふ。されば、私は、新しき詩篇を綴りて、汝を讃美し、汝のみが、新しき黎明の彼方に立ち給ふを告白しよう。
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 大和民族の血潮は龍巻として、天に冲する。されば、全能者よ、我等の血を以て新しき歴史を書き給ヘ!

 天に連るもののみ永遠を獲得する! 血潮の持主よ! 天まで上れ!

  昭和十八年一月十日
                              賀 川 豊゛彦



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       武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』344頁~346頁

          『天空と黒土を縫合せて』について


 この詩集は昭和十八年五月廿日、日独書院株式会社から発行された。二千部と記されている。昭和十八年五月はアッツ島陥落イタリー降伏の時であり、太平洋戦争の敗色が濃くなってきた頃である。政府による出版統制は強化され、当局の承認する著作でないと紙がもらえなかった時代である。

 賀川自身にとって昭和十八年は受難の時であった。この年五月十八日には、反戦思想の故をもって神戸相生讐察署に留置され、十一月三日には反戦論的行為ありとの理由で、東京憲兵隊本部の取調べを受け、以来公的な宗教運動が困難となってきたのであった。

 ところが本書の序文を読むならば、驚くべきことが書いてあることを知る。当時の時流迎合者がこれを書いたならば、別に怪しむに足りないが、賀川がこれを書いたことは驚異に値するのである。

 『不義の低気圧に正義の火柱は立ち、民衆の血潮は天空に向って竜巻の如くたぎり立つ!  ルーズベルトの国民のみが自由を持ち、アジアの民族のみが奴隷にならねばならぬという不思議なる論理に太陽も嘲ふ………「大君のへにこそ死なめ省みはせじ――」私心を打忘れ、生死を超越し、ただ皇国にのみ仕へんとするその赤心に、暁の明星も黎明の近きを悟り得た……大和民族の血潮は竜巻として天に冲する。されば全能者よ、我らの血をもって新しい歴史を書き給ヘ!』

 この序文を読む時、平和主義者賀川が太平洋戦争に加担したことは明らかである。官憲には反戦主義者として睨まれつつ、なお彼が民族主義とキリスト款とをこの序文において結びつけ、アメリカに対して挑戦的言辞を吐いたのは何故であったか? 権力者におもねったのか? 時代の風潮に押し流されたのか? アメリカの不義を憤つたのか? 然り、このいずれをも否定し得ない。しかし賀川は明治の子であり、愛国者であった。愛国とキリスト教とは、戦争のさ中においてしばしば結びつく。それは歴史の示すところである。そしてそこに人間の弱さが潜んでいることを知る。この点において賀川も亦弱き人の子であった。

 序文がこのように激越なのに、本書の内容はすこぶる穏かで、これを読む者は嵐の後の静けさを感得する。第一篇の冒頭にある『太陽の子だ、私は』には、『桜の子だ私は、日本人だ、正成、義貞、親房の血をうけついだ神の子だ!』というような民族主義的表現があるが、後に進むに従って、民族主義の色調は褪せて、信仰的になり、また国際的になる。

 本書の標題をなす『大空と黒土とを縫合せて』は一九三九年一月に作ったインド訪問の時の詩である。第一篇には、このほかにインドの詩、シャトルの詩、沖繩の詩、童謡の外に、武蔵野に住む徳富健次郎を歌ったものが収められている。

 第二編『鱗雲』は一九三四年、オーストラリヤ、ニュージラソド訪問の際作った詩を収め、第三編『大陽に接吻する』には一九三六年北米訪間の際の詩、一九四一年、平和使節として訪米し、資金凍結令により竜田丸が抑留され、船を修道院として、船室に閉じこもり雲と水との接吻する様を眺めている詩、ヨーロッパ訪問の時の詩、フィリッピンのバギオにおいて作った『蘭の咲く庭』などが収められている。

 第四篇『大空を歩む』には、一九四一年平和使節として渡米した時の詩を主とし、その前に作った歌を配してある。『大空を歩む』は『戦争の噂』『宣伝の憎しみ』を起句としており、『太陽と共に大空を歩む』心境を歌ったものである。『徹夜の祈り』は、昭和十六年十二月一目、スタソレージョンズから、日米会談がまとまって平和が訪れるよう、ワシントンの教会では一週間徹夜の祈祷会が行なわれているとの電報に接し、賀川がイエスの友会の同志とともに徹夜の祈祷会をもった時、詠んだ歌であり時は一九四一年十二月三日と記されている。この祈祷会が終った時、真珠湾攻撃の報がもたされた。

 『海のかなだ、祈の友もまた、嘆きつつ曙を待つ』

とは、スタンレー・ジョーンズとその同志を指しているのであろう。











新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第104回『改定版 復活の福音』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第104回


改定版 復活の福音


  昭和17年5月1日 日曜世界社 126頁


 本書『改定版 復活の福音』は、先に紹介した昭和4年に出版された『聖浄と歓喜』を改めて昭和17年時点で改訂を施し、二分冊とし、一冊は当初と同じ『聖浄と歓喜』の署名で、一冊はこの新しい『復活の福音』と名づけて出されました。

 戦時下にあって賀川は「瀬戸内海・豊島」における生活を強いられ、そこでの執筆活動を続けますが、とりわけ本書には、ここでの新たな「序」を書記していることで注目させられます。

 ここでは表紙と共にその「序」を取り出して置きます。なお巻末には日曜世界社で出版した賀川の著作の広告も並んでいますので、それもスキャンしていて入れてみます。




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                 『復活の福音』
         
                    


 冬枯の忍苦は新春の回帰によって祝福される。春よ、春よ、梅は綻び駒鳥は帰ってくる。然し、人間にはいっ春が帰ってくるのだ? 

 人間の胸底には幾筋かの虧裂が這入り頭脳骨の縫合せには罪悪の腐りが廻って、善を志す神経さへ麻痺してしまった。あゝ太陽は南より帰っでも、魂の新春は何處から、どう帰ってくるのだらう?

 泣くなよ、悲める子らよ! 救の太陽は霊魂の底より昇り、宇宙修繕の原則は、人類意識の更改より始められるのだ!

 罪悪の結氷は贖罪愛の熱に溶け、汚血の継承は輸血されたる義の聖潔によって、断滅するのだ!

 信ぜよJ それは可能なのだ! 可能の道は信ずる外は無い1 霊魂の復活は十字架に始まり、生命の代償は母の死によって、子供らの胸に傅はる。十字架は復活のために準備せられるのだ! イエスにとっては死は生命聖化の門出なのだ!

 苦悩もまた大能者の計書だ! 凡てが摂理なのだ、進行する宇宙は駅々の停車時間が短い! 此處が目的地かと云へばまた、発車し、此處が絡鮎かと思ふとまた、動き出す。さうだ全能者は自己の姿に似た賞在――自在性の意識者を作り出すまで、停車なさら無いのであらう。我等は彼の世嗣にせられ、彼の相続者として登記せられるのだ!

 あまりにも勿体ない光栄よ! 地上のあらゆる苦悩も、来る可き光栄に較ぶるに足り無いてあらう。何たる祝福! 何たる約束だらう!

 創造に預るさへ光栄であるに、さ迷ふ霊魂に回復と修繕の原理を告げ、血によって潔むるキリスト原則とその意識を顕現し、死を通してすら尚救はんとする大なる企圖を我等に啓示し給ふとは!

 死すら役に立つのだ! イエスに於ては、死さへ人類修繕の役割を有ってゐることが啓示されたのだ! 死は滅亡であり、破壊であり、絶望であり、断絶であると思ったのは間違いであったのだ! 「死」を代償として支払は無ければ、復活は無いのだ! 小さい自分が死ぬことによって神の子の意識を着ることが出来るのだ! 死は成長の為めに支払はれる脱皮だ!

 あゝ、もし人類に真の脱皮が許されるなら、私建は蠶(かいこ)のように四回でも五回でも脱皮して、蝶々になる準備がしたいものだ! おゝ絶望と憂鬱に閉されて居る霊に、復活の約束は與へられた! 私らは辛抱強く、その日を待たう!

  昭和十七年二月二十日
                            賀  川  豊  彦

                                   瀬戸内海・豊島にて




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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第103回『宇宙修繕と人生修繕』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第103回



 『宇宙修繕と人生修繕


  昭和16年12月20日 聖化社 43頁


 本書『宇宙修繕と人生修繕』は、「賀川豊彦述、他日本基督教団成立感謝大会祝辞」の小さな記録冊子です。岩波文庫版のような仕上がりで、初版は「京都支教区版」ですが、手元にはもう1冊昭和17年3月の第5刷で「聖化社」版となっています。

 この講演記録は、口述そのままを忠実に筆記されていて、読み物としても興味深くもあります。

 ここには初版と少し版を改めた5刷りの表紙と安田忠吉の「序」、そして当時の同志社大学総長の牧野虎次の「感謝の辞」を収めて置きます。周知のように、牧野虎次は賀川とは深い友情を結んでいました。

 なお、講演記録の最後の箇所(「私の過去と現在の告白」と見出しのある23頁から26頁)を判読が難しいかもしれませんが、スキャンだけして収めます。



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               『宇宙修繕と人生修繕』

                    


 日本基督教団成立記念の為に、感謝大会と記念講演会とを当支教区主催の下に開いた。何れも誠に恵まれた集会であった。此の喜びを永く記念し、又広く頒たんが為に霊感に溢れた賀川先生の大講演と感謝会の祝辞等を録して一小冊子を編んだ。若し是が一人でも多くの霊が神に結ばるる助けとなるならば誠に教団成立の此の上なき記念であり、感謝である。

 此の小冊子編纂の為に尤も多くの労苦を捧げられし、岸千年牧師及び谷畑佐一牧師と賀川先生の講演を速記清書せられた岩谷貞代姉の労に対し此の際厚く感謝の意を表す。

  昭和十六年十二月
                   京都支教区長
                              安  田  忠  吉




                   感謝の辞
 
                   
                   同志社大學總長    牧  野  虎  次


 基背教が日本のものなるかとの問に答へて、然り日本の基督教は出来上れりと、立派に指示し得るは、今回の日本基督教團の成立である。何となればプロテスタント数十派の大合同と云ふことは、教會史上、未曾有の盛事であって、何れの時代、執れの國にても、首唱する者は多くあったが、未だ曾て賞現することが出来なかったのである。斯かる大事件が爰に見事に出来就いて、我等は

 第一に日本の國であったればこそと、深く國恩に感謝せねばならぬ。全く我が国体と我が日本精神とが背景となって、この盛事を見るに至ったのである。八紘一宇の犬精神がここにも現はれて、我等の原動力となりしを思ふ時、我等は感激の涙禁ずる能はざるを覚ゆるのである。

 第二に昭和の御代であったればことそと、我等はこの聖代に生を享けたことを感謝せねばならぬ。明治に創め、大正に仕上げたる日本文化は、昭和に至って実を結ぶに至った。十六年前のクリスマスの朝より出発したエンライツンド・ピースの時代は不思議にも、我等の前途を照して居るではないか。

 第三に我が先輩と同志とであったればこそと、我等は同胞に對する感謝の念に溢れるのである。自給教會の主唱者であった深山牧師、愛國的良心教育の実践者であった新島先生を始め、捨て石ともなり埋め草ともなった多くの功労者あったればこそ、今日この盛事を見るに至ったのである。

 更に一言を加ふれば宣教師諸君、ことに初代に於ける有数なる宣教師諸君の公平にして識見にぜる長貢献を感謝せずには居られぬ。ことに彼等が一般文化の進運に寄与した功績は、斯道を我民心に浸潤せしむる上に、与って力ありしを認めざるを得ない。

 神学や芸文の専門的技術に属するものは暫く措き、信仰的生命は慥かに我國土に根を張り、幹を太らせ、今や亭々として空に聳えんとしつつあるを見て、我等は賞に感謝せずしては居られないのである。滾々として内より湧き出る霊泉は、慥かに我同胞の生命に宿ってあるを信ずる、他より汲み来つた水は、飲めば減り、輿ふれば無くなるにきまつてある。さらばとてこれを用ひず、徒らに貯へておけば、終には腐敗するを免れないではないか。たゞ内より湧き出る泉のみ、いかに小なりとは云へ、汲めども尽きざるのみか、盆々その清冽を加ふるのみでないか。我等は今その霊泉を各自の胸裏に感ずるのである。

 光り暗より照り出でよと宣ひし神はイエス・キリストの顔にある神の栄光を知る智識を輝かしめん為に、我等の心を照し給へるなりとは、使徒保羅の述懐であるが、同時に又我が日の本の日子、日女たる人の子等の朗かなる心事を道破せる一大名句と云ふべきでないか。

 されど我等は徒らに過去を顧み、自画自賛に陥ってはならぬ。今は一億同胞がその運命を賭すべき超非常時局に直面して居る秋である。徒に自己満足に陶酔したり、自派自宗の拡張に専念したりすぺきではない。三十萬同志よ、挙って、一人残らず悉く邦家に奉仕すべき覚悟を固むべきではないか。いかに奉仕すべきかと、日々我等の死所を求むる覚悟を忘れてはならぬのである。

 東亜共栄圏の確立と、大陸新秩序の建設とは、我等の子孫と後裔とをかけての大問題である。天父を信じ、同胞を愛し、天涯地角いづくの果て迄も、我が墳墓の地と親しみ得る者でなくては、この尊く聖き使命を達成することが出来ないのである。我等はこの大使命を思ふて胸戦くを禁じ得ないのである。我等を取り囲める奈何なる障碍をも征服し、奈何なる試錬をも突破し、この大目的に向ふて精進努力せねばならぬ。

 昔、若き牧羊者たるダビデは、艱みの日に我を護り我を導ぐ上天の加護を感謝しつつ

   今我が首は我を繞れる仇の上に高く挙げらるべし

と歌ふた。我等同志の現在の抱負も亦斯くあるべきにあらずや。夫れ信仰は望む所を確信し、見ぬものを真実とするなりとはヘプル書記者の云ふ處、願はくは我等をして現代に處する我等の鑑識を謬らざらしめよ。



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このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

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