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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第49回)

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「実習帆船<日本丸>神戸港出港」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など
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        第49回
           

    世界大衆文学全集第33巻

   ジョージ・エリオット著『ロモラ』の翻訳書

              昭和4年11月3日 改造社 512頁

 イギリスの女性作家ジョージ・エリオットのことなどこの作品については、賀川豊彦の「訳者序」に記されていますので、早速UPいたします。



          訳 者 序

 性格描寫の小説家として、英国のジョ-ヂ・ヱリオット女史は、女流作家の中卓越した地位を占めてゐる。時代の変転期に現れて来る二重人格の持主を、エリオット程上手に抜き出した人はまた少いであらう。

 此處に訳出したロモラの夫チトウの如きは、性格描寫に於いて、世界的な傑作である。大なれ小なれ、我々の良心のうちには、チトウに似た何分の一か或ひは何十分の一かを持つてゐるのである。それで、この小説はただ単に面白いばかりでなく、宗教的な深い或る内省を與えて呉れた点に於いて、最も優れた文學の一に数へられる。

 時は、今より約五世紀前、ヨーロッパに文芸復興があった資本主義文化の正に始まりかかつてゐた頃、一種のモダーンな匂のする時代に於いて、良心と芸術が衝突し、宗教と文學が衝突したその頃ほひの、各種の格闘を最も面白く取扱つたのがこの小説である。人も知るサボナロラは、宗敬改革の創始者の一人として、歴史上に偉大な地位を占めた人物である。その大人物を中心として、斯うした恋愛小説を最も神聖な気持で読ましてくれるのは、誠に珍しい小説であると言わねばならぬ。

 ただ不幸にして私は非常に忙しかったのと、視力が弱いために思ったやうに文章の推敲が出来ず、友人青芳勝久氏に手伝って頂き、此処に、つとめて原文に近い翻訳を愛読者諸君に提供することになった。本文は、ここに訳出した約二倍近くあるが、私は、必要のないものを、どしどし切り捨てて、必要なものだけを殆ど原文通りに翻訳した。然し、大体の精神を汲む上に於いて、何等差障はないと思ふ。

 (一九二九・一〇・三〇)

             賀 川 豊 彦
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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第48回)

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「中谷宇吉郎:雪の結晶」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作―序文など

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         第48回
           
        神による新生

         昭和4年8月25日 下関福音書館 188頁

 賀川豊彦は、本書『神による新生』の「序」の後に記されている「著者より読者へ」の頁で、「この書は、『神による解放』の姉妹編で、日本に神の国運動を徹底させるために綴られたもの」であること、そして「私が、満州と北九州で話した講演を、黒田四郎氏と吉本健子姉が、筆記されたもの」であること、さらに「この書は、下関の福音書館が全く営利を離れ、殆ど労力を無視して出版の犠牲を払われたもの」であることをしるしています。


      神による新生

        序

 新しい日が来た、新しい日が。若芽は膨らみ、新緑は萌え出づる。黒土は青芽を吹き出し、雲雀は新しい巣を造る。雛は卵を破って這ひ出で、新しい翼を持って雛達は、空中に飛上る日を待つ。

 新しい日が来た、新しい日が! 東雲は白み、アウロラは天空に黄金の色を漂はす。さうだ! 神の日が来たのだ、神の日が! 我々が予期しなかった神の日が近づきつつある。国際聯盟も不戦条約も、その日には輝きを失ひ、愛と高潔のみが栄誉を荷ふ。跛足は歩み、盲目者は見、沙漠にも葦葭が、茂り出づるであらう。ラジオの波長を発見した者が、電線を引張らなくとも、何千哩離れて相語り合ふ神秘を持つ如く、神の新しき日に会ったものは、労せずして相愛し、苦しまずして神の姿を拝し得るだらう。

 おお! 毛虫も、いつの日にか、蝶々に早変りをする。醜き私の魂の毛虫よ、神の新しき力によって、蝶々に作り変へて貰へ! 資本主義の毛虫よ、暴力的共産主義の糞虫よ、神に贖って貰へ。そして神の無限の愛と、宇宙芸術に溶かして貰ひ、新装の歓喜をもって、花婿なるキリストを迎へるがいい

 何故にうなだるゝか。あゝ淋しい魂よ! 眼を上げて見よ! 神は新しき姿をもて出御し給ふ。神の潮は良心の岸辺に、高く渦巻いてゐるではないか。良心の水門を広く押し開いて、神の高潮を魂の奥深く溢れ入らせよ! 神は新しい力であり、新しき蕾であり、新しい光明である。我々はもう、唯物的な盲目の世界に飽き飽きした。神と永遠が、我々を目醒さなければ、人生の浪費にもう飽き飽きした。東洋と云はず、西洋と云はず、罪悪は人類を縛り、限り無き、輪廻に我々は、生命の徒浪を嘗めてゐる。

 その日にも、神はキリストを出現せしめて、愛の奥義を教へ、神の思召しを黙示し給ふた。その黙示は絶ゆることなく今日に迄及んでゐる。宇宙の底流れは矢張り愛なのだ。我儘な表面張力は醜い闘争と、発狂と、泥酔にあっても、神は猶もそれを越えて、我々の罪を贖ひ給ふ。

 来る年々に蕾が開き、青芽は吹き出で、冬枯れの姿は忘れられる。それにも似て、魂の新春は今や近づきつつある。神の出現し給ふ日、罪悪は逃げ去り、我執はその立場を失ふ。おお神よ! 旋風の中に、微風の中に、地震に、地辻りに、新しき日の近づきつつあることを示し給へ。世界はもう疲れてゐる。罪悪に真の快楽はない。私は、至高の快楽を求める為に、神の完全を慕ふ。最高の快楽は十字架の苫痛に一致する。神の快楽に酔へよ、日本の若き光の子よ!神に酔ふ者は、十字架の上にも舞踏する。凡ての富に勝って、神の貧乏は私に幸福を約束する。明日食ふべき食物が無くとも、神は鳥の嘴にパンをくわへさせて、ケリテの辺りに迄それを運び給ふ。永遠の奇蹟よ! 愛よ! 魂の噴火口に新生が爆発する。その爆発に旋風は捲き起り、雷は閃く。あゝ私は感ずる。神の跫音は、富士の山に触れ、日本アルプスの彼方に聞える。神は日本に近づき給ふ! 眼を醒せ! 日本の若人よ、血生臭き、革命の噂の前に、神聖なる神の出現を謹んで拝ぜよ!

 あゝ、東雲は白み、雲雀は曙を告げる! 待あぐんだ、第三の黎明は我々に近づきつつある。機械文明を後にして、我々は宇宙の大殿堂に宇宙の神を拝する日が来だ。そこには階級の憎悪を離れ、民族の皮膚の色を忘れ、貧しきも、醜きも、不具者も、死者も、みな同じ愛の神を拝する時を待つ。

 最微者に現れ給ふ神は、土くれの中に生命を秘め、野辺の雑草に新生の喜びの歌を歌はしめ給ふ。

 神の出御だ、出御だ! 私は頭をうなだれ、黎明とともに、アウロラの閃光をもって、出御し給ふ慈愛の神を黙礼の中に迎へる。民衆よ、踊り出して神の出御を拝さうではないか。然し、その日に至聖者は我々の父であり、我々はその子であることを発見しよう。福音を信せよ。それは暴力によらざる革命であり、愛と慈愛による新社会の出現を意味する。私はこの新しき超越力が日本の上に役げかけられてゐることを深く信ずる。高圧線に触れた者は、衝動を感ぜねばならぬ。神の高圧線が、日本の上にぶら下ってゐる。世界は日本から目醒めるのだ。さらば、日本の魂よ! まづ目を醒まして、世界の民衆を呼び醒ます為に顔を洗って来い!

 神の出御だ! 出御だ!

  一九二九・六・二六・一年の放浪の後

               賀 川 豊 彦 

                  摂津武庫川のほとりにて




 本書は、賀川豊彦の没年(昭和35年)の10月に、教文館より「日本宣教選書8」として「ダイジェスト版」が出ています。

 そこには武藤富男氏によって短い「賀川豊彦評伝」「賀川豊彦年譜」が収められて、この「ダイジェスト版」がつくられる経緯が「解説」に書かれています。最後にその「解説」を取り出して置きます。



        武藤富男氏の「神による新生」「解説」

 昭和三十三年の秋、賀川先生は私に向かって「“神による新生”を書直してキリスト新聞社から出版して下さい、袖助金を二十万円出します、そのかわり定価を一部五十円として下さい」と言われました。しかし補助金を二十万円いただいても、定価五十円では、売れれば売れるほど損をしますので、「考えてみましょう」と返事しただけで手をつけませんでした。昭和三十四年の暮、教文館から日本宣教選言として出そうとの議が起こりましたので、賀川先生宅を訪れ、病床にある先生に令夫人を通してこの旨伝えていただき、書き直して出版することの承諾を得ました。

 「神による新生」は昭和四年八月二十五日に出版され、その年の十二月十八日までに二十版が発行されました。一版が各一万部ですから、四ヵ月月に二十万部を売もつくしだわけです。

 この書は賀川先生の令名が全日本にとどろき渡った時代に、その講演を先生の弟子たちが筆記し、これを編集したもので、壇上において熱弁をふるう先生のことばが、そのまま書き写されております。ところが一面講演筆記としての欠点をもっておりました。それは筆記者の誤りによって、まちがった表現がなされ、二十回版を重ねているのに一度も訂正されずにきたことです。例えば原本三十七頁には「皮膚は痛いが、筋肉は痛まない・・普通は特別の使命をもっている。実に苦痛も天の恵みである」とありますが、この「普通」は明かに苦痛の誤記です。

 また前後の文章と無関係な一文が挿人されているところがあります。(原本四〇頁四行五行)これは先生の頭脳のひらめきが早すぎて、つづきを言い落としてしまったのか、それとも筆記者の書きまちがえかと推定されます。さらに同じことがくり返されたり、語法がひどくちがったり、意味がとりにくかったり、論旨があいまいだったりするところがあり、多分に整理を要するものがありました。

 私は以上の点を訂正し、できるだけ先生の言おうとなさるところを生かし、先生の関西弁も成るべくそのままとし、四六版百八十頁の本をこのような形にダイゼストしました。

 この本が先生の著作として以上のような欠点があったにもかかわらず、四ヵ月問に二十万部売れたということは、驚異すべきことで、その内容がいかに霊的なものに満たされ、またどんなに多くの人々を信仰に導いたかを証しています。

 これは、先生が四十一才の時の講演ですから、いわゆる賀川神学の大筋がこのうちに語られ、また先生の学識と生活とがにしみ出ており、先生の人生体験、殊に贖罪愛の実践がまざまざと描かれております。何よりもこれを読むと、先生が壇上に立って、数千の聴衆に語りかけている姿が見えるようで、読む者がその聴衆のI人となったかのような感をおぼえます。

 先生の著作は百四十六種ありますが、この本は先生の宗教的著作として代表的なものといえましょう。


連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第47回)

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「片山津温泉の中谷宇吉郎・雪の科学館」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作―序文など

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                第47回


       『春秋文庫15:宗教教育の本質』

          昭和4年6月20日 春秋社 200頁

 賀川豊彦は当時、既に『イエス伝の教え方』を皮切りに『魂の彫刻』そのほか「宗教教育」に関する労作を発表してきていますが、『宗教教育の本質』という硬い書名をもって出版した本書は、春秋社の当時としては斬新な「春秋文庫」として企画された一冊に依頼され、超多忙の中を自ら書き下ろした意欲作です。内容の上でも本書は、「賀川思想」を学ぶ上では必読の一冊と思われます。

 手元にあるものは昭和8年5月発行の第5版ですが、昭和9年2月には、大東出版社より「宗教生活叢書第12巻」として書名を『宗教教育の実際』と改めて刊行されています。内容は全く同様で、後に『賀川豊彦全集』第6巻にも収められました。



            序

 本書は宗教教育に関する著者の見解を纏めたもので、その意義、方法を実際に即して考察し、従来の諸傾向を批判して新しき宗牧教育の依って立つべき根拠を與へんとしたものである。

 本書は著者が極めて繁忙なる伝道の間に執筆したものであって、著者の懐抱する見解を詳しく披瀝し得なかったとともに、材料の蒐集其他にも相当の不満なきを得ないのであるが、宗教教育が比較的閑却され、これに開する文献の極めて貧弱なる我國に於いて尚多少の貢献するところあるべきを信じ、敢て之を公刊する次第である。

   昭和四年六月
             著   者



付録

 賀川豊彦の著作ではありませんが、1988年の賀川豊彦生誕百年記念プロジェクト作品の映画の台本「準備稿」として「エキサイティング」が手元にあります。

 スタッフの方々が私の仕事場にこられて、制作の打ち合わせの場に立ち会った折に頂いたものですが、惜しくもこの作品は未完のままとなりました。岩間芳樹さんの脚本で、監督は人気アニメでも知られる吉田憲二さんでした。吉田監督は先年お亡くなりになりましたが、ここに監督の「創作ノート」を掲載させていただき、監督への哀悼の意を現したく存じます。


           「創作ノート」

 賀川豊彦生誕一〇〇年記念として企画されたこの映画を、どのような視点で、どのように作るべきか……我々スタッフの討議はそこから始まりました。そして賀川豊彦の業績や人物像を調べていくうちに、彼が生きたどの局面にも登場する民衆たちの姿が、実に生き生きと浮びあがって来ることに興奮を覚えずにはいられません。

 「エキサイティング!」その題名が示すように、この映画は、まさに怒濤のように時代を押し進めて行った民衆の熱気とエネルギーを、賀川の闘いの歴史にからめて描こうとするものです。

 賀川の理念は、「愛と協同」そして「平和」でした。日本は今、繁栄と飽食の時代を迎えたと言われています。でも一人一人の生活が本当に豊かで平和であると言えるでしょうか? 福祉国家たるよりは、軍事大国への道をひた走っているとさえ思われる現実――。この映画は何よりもその事を考える現代通史でありたいと頻っています。

 そして、この映画のもうひとつの主人公は、その時代時代の子ども達であると言う事です。彼等は無条件でその時代の荒波を乗り切り、たくましいエネルギーで生命を謳いあげて行きます。そこには未来に託す人類の夢が生き生きと息づいています。それがこの映画の大きなテーマのひとつである事を附記して――。

                  監督 吉 田 憲 二


連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第46回)

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「雪の片山津」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作―序文など

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                第46回


      「現代長編小説全集21」

       『偶像の支配するところ』

           昭和4年6月1日 新潮社 792頁

 本書『偶像の支配するところ』は、雑誌『婦人の友』の大正15年4月より昭和2年2月まで連載された作品で、賀川豊彦が熱心に取り組んだ「廃娼運動」を扱った社会小説です。

 新潮社の刊行する「現代長編小説全集」の第21巻に「賀川豊彦・沖野岩三郎篇」として収められました。792頁に及ぶ文字通り長編小説集です。

 なぜか奥付には「非売品」となっています。何か事情があったのでしょうか。
 この小説は全集には入っていません。
 小説ですから「序」はありませんので、このブログで既に取り出した個所には、本書の箱表紙と本体表紙、そして口絵写真・吉邨二郎絵・7枚の太田三郎の挿画を収めています。


連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第45回)

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「片山津温泉:浮御堂」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

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                 第45回

        ジョン・ウェスレー著・賀川豊彦・黒田四郎共訳
        『ジョン・ウェスレー信仰日誌』

         昭和4年5日28日 教文館出版部 575頁

 このすぐあとで取り出します賀川豊彦の本書の「序」に書かれているように、賀川にとって「最も深い感化を受けた書物のひとつは、ウェスレーの信仰日誌」でした。

 賀川は「まだ二十歳過ぎて間もなく、ウェスレーの信仰日誌を手にした」といわれます。そして彼は「幾日かかかって、省略せられたる彼の信仰日誌を読み了へた。そして私は、新しい自分を発見したやうな気がした」というのです。

 本書は575頁にものぼる大著ですが、賀川が最初に手にして読んだというこの「省略せられたる信仰日誌」を、賀川は黒田四郎氏に翻訳を頼んだようです。

 黒田氏の『私の賀川豊彦研究』には「私が先生のグループに参加した時、先生は直ちにジョン・ウェスレーの『信仰日誌』の翻訳を勧めた。ウェスレーは八十八歳で世を去るまで毎日丹念に日誌を夏期続けたので、その量は膨大なものである。ベーツという人がその一部を編集したものを私は二ヶ月かかって訳し、翌1929(昭和4)年に賀川先生との共訳で出版した」(129頁~130頁)と書き残されています。

 本書には、訳された原著の記載はありませんが、この記述でベーツ編集のものであることだけは判ります。
ここでは、賀川豊彦の重要な「序」を取り出して置きます。



           序

 私が最も深い感化を受けた書物の一つは、ウェスレーの信仰日誌である。私はまだ二十歳過ぎで間もなく。ウェスレーの信仰日誌を手にした。そして幾日かかかって、省略せられたる彼の信仰日誌を読み了へた。そして私は、新しい自分を発見しやうな気がした。

 ウェスレーがモレヴィアの兄弟達と太西洋を渡る不思議なる精進の記録、彼がまた、ジョウジヤ州の傅道旅行に雲の上で寝た話、彼の朝起、彼の規則だった生活振り、撓まざる努力、馬を友とする傅道族行、一日三度の聖書研究、孤児失業者の保護、馬上の読書、強烈なる傅道心、迫害に直面するその意圖、数へれば数限りもないが、十八世紀末の廃れきった宗教界に、祈と奉仕と、精進と聖潔と完成の福音をひっさげて、しびれ切った欧洲の宗教界に、一大波紋を投げ輿へた彼の貢献は、彼の日誌を見ることによっで、手に取るやうに頷かされる。 

 アッシシのフランシスが、十三世紀に捲起した宗教運動のそれにも似て、クェスレーの宗敬運動は世界に波及した。フラソシスカンは中世紀的であったけれども、ウェスレーの運動は近世的であった。彼の運動は、中産以下の生活を改造した。自給傅道者の無数の群は、クェスレーの体験した福音を、工場に、農村に、さては貧民窟の裏長屋にまで、それを運び込んだ。英國で労働組合らしいものを作った最初の一因は、クェスレーに導かれた人達の群であった。農民組合を最初に組織したラグレス、労働党を最初に組織したケァハーディ、奴隷解放の先駆をなしたウィルヴァフォースは、みなウェスレーの感化を受けたものと私は記憶する。トーマス・カーライルが云ふた如く、クェスレーの精神運動は英國を暴力革命より救ふた。

 今に至るも、ウェスレーの感化は社会運動の裡に残ってゐる。欧洲大戦中の無任所大臣アーサー・ヘンデルソンもウェスレーの弟子であった。労働内閣の大蔵大臣でフィリップ・スノーデソもメソヂスト派の自給傅道者であったと私は聞かされてゐる。商工大臣に擬せられたランズベリーも同じ仲間であった。ブース大将が貧民窟に石炭箱を運んで行き、其處で説教する覚悟を起したのはウェスレーの感化に基づくことが多かった。

 実にウェスレーの運動は個人の魂を救ふたのみならず、社会の組織を救ふ力を持ってゐた。彼が宗教に對する熱愛と神學的決定論に反對して道徳的自由を高唱したことと、妥協なき規則的な生活と、愛と、精励と、絶えざる祈は、彼の秀れたる経営的手腕と相侯って、近代英國の産業革命を宗教的に救ふ一つの力となった。

 社會組織が人間の全部ではない。個人の精霊が高挙せられずして。社會の改造は不可能である。ウェスレーの執った道は、永久への道である。私は、彼の生涯を繰返し繰返し瞑想して、日本に於ける産業革命が、同じ方法を以て救はれねばならぬことを確信する。

 ウェスレーの周園を無数の信者が同志として取捲いてゐた。彼がその後を司らしめんとした田舎伝道師ジョン・フレッチャーは使徒ヨハネ以来、彼の如く愛に富める人は無いと尊敬せられた程の人であった。私は彼の静かなる信仰日誌に読み耽って、感激の涙を押へることが出来なかった。

 英國に着いたその翌日の午後、私はビショップス・ゲートに近きクェスレーの母教會を訪問し。その教会堂の入口に作られたるウェスレーの母スザンナの墓に敬意を表し、教會の裏に廻って、百敷十名の初代メンヂストの有志等の永遠の墓碑銘に額づいた。それらは教会の礎や。其處に建てられたる幾多の石の上に粗雑に刻み付けられてあった。ウェスレーの蓮動は一人の運動ではなかった。それは一團の同志の運動であった、そこにメソヂスト運動の面臼さがある。然しウェスレーの神による聖潔と、愛と情熱なくして、これ等の一團の青年等が一塊にはならなかったらう。

 前進せんとする者は、まづ過去の傾向を見究めなければならない。我々は、日本の産業革命に直面して、之を救はんが為に、最も新しき意味に於てウェスレーの生涯を省る必要がある。

 ウェスレーを恵み給いし神、今日も彼の信仰日誌を読む者を祝福し、神の國樹立の祈願を彼の魂の衷に起し給はんことを。

 時は悪い。逆風は我々の破れたる帆と打つ。退潮だ! 早く船をやらなければ死に乗り上げる惧がある。あゝ日本の舟子よ。潮が凡て退かぬうちに、福音の大船を速かに前に進めよう! 日本にウェスレーの群は居らぬか? 田園は悩み、工場は煉ぶる。聖霊は我々の為に悶え。キりストは日本のために、今猶悲しみ給ふ。

 私は日本のために、さうだ日本の為に、もう一度ウェスレーの信仰日誌を読み直し、英國の産業革命を救ふたその精神が今日の日本の産業革命をも救び得んことを、ひたすらに祈るのである。

   一九二九・二・一九

           摂津武庫川のほとりにて

                   賀 川 豊 彦

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第44回)

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「片山津温泉<加賀之井>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

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                第44回


        殉教の血を承継ぐもの

          昭和4年5日1日 日曜世界社 172頁

 前回取り出した『聖浄と歓喜』に続いてこれも、賀川豊彦の講演筆記を個人誌『雲の柱』に掲載されたものが殆どです。今井よね・吉田源治郎・吉本健子の筆記をもとに仕上げられています。



           序

     聖パウロは云った。
     『其身を活ける供物として神に捧げよ』と。

     五尺の鯉を、神に祀ることは最も愉快なことである。
     我々の生活の凡てが、神への供物であり祭りであるのだ。

     祭りだ! 祭りだ! 
     あれ、花火が上がり、楽隊が聞こえるではないか。

     我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭りだ! 
     表に五色の旗が翻らなくとも、魂の奥には、永遠の薫香が立ち昇る!

     神への燔祭は我らの赤き血そのものである。
     若き小羊を捕えて神に捧げよ。

     神への捧伽は、我々の生命そのものであらねばならない。
     我々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。

     完全に我々の全生命を神に祀らうではないか。
     我々の肉体、我々の生活、我々の精紳、我々の學問、我々の芸術、
     そして我々のあらゆる道徳を、神への捧げ物として、
     八足台に捧げようではないか。

     永久の祭りだ、永久の歓楽だ! 
     不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌は、永劫に尽くべくもない。

     私に両国の花火はなくとも、私の心臓のうちには、
     不滅の血が、花火以上に赤く爆発する。

     凡てが神への装飾であり、七五三飾りであり、
     凡てが神への芸術である。私の一生はお正月の連続である。

     お祭り気分の私は、無声の聲の音楽に、地球の表面を踊り続ける。
     おめでたう! おめでたう! 永遠におめでたう。

     私はおめでたうを九度繰り返して、キリスト山上の垂訓の九福を回想し、
     十度おめでたうを繰り返した。

     私は万物に勝った、神の福祉に浸って居ることを、直感する。
     『新郎と共に居る間、我々は悲しむことが出来ない』と
     イエスは云はれたが、歓楽の声は魂の内側に充ちて居る。

     カルバリーの最後がどれ程暗黒に見えても、
     神への道は永久に開かれてゐる。

     花火を上けるものは、煙硝を惜んではならない。
     十字架上で流す血は、例へば、
     天に打ち上けられる花火の火薬のやうなものだ。

     その量が多ければ多い程、天に飛び上る爆発力が強い。
     花火を打ち上けよ。

     今日は生命の祭の日だ! 光栄よ、光栄よ、
     萬物は皆歓呼を上けて神の栄光をたゝへ、
     物として神の稜威(みいつ)を賞めないものはない。

     野辺の鳥も、竈(かまど)の下の火も、押入の砂糖の塊も、
     火鉢も、鐡瓶も、原稿用紙も、水苔も、
     人間の垢までが神の栄光を拝してゐる。

     捧げてしまへよ、友よ、私の魂よ、
     君の持てる凡ての物を神に祭ってしまへ。

     その昔イエスが凡てを十字架を通してまつられし如く、
     凡てをまつってしまへ! 

     金銭も、財実も、地位も、名誉も、生命も、魂も、
     惜しげなく神の前にまつれ! 

     今日は、本祭りの日だ! 
     あれ太鼓が聞こえ、笛の音が聞こえる。
     神への祭りは、地上のあらゆる情欲にも勝って感激に満ち、
     生命の神楽は人間のあらゆる快楽に勝って、我々を昂奮せしめる。

     神の甘酒を呑み始めて以来、私は地上のあらゆるものに
     神の御姿を拝するやうになった。

     凡ては神の思し召しに依ってなり、
     凡ては神の恩寵に依って歓呼する。

     有り難い、ありがたい、私は神の前に捧げられた子羊として
     黙々と祭壇の前に屠られる。

     おお、屠り給へ主よ、
     このみすぼらしい子羊が
     あなたの祭壇の芳しき香りとなって
     天にまで送らるる喜びとなるなら、
     私は今日の屠らるる日を一生の光栄の日として
     あなたを讃美します。

     あゝ、永遠の祭り、永劫の饗宴、
     神の最も嬉しき祝典、無限の歓喜よ、
     私は自らを神に捧げることに依って、
     神そのものに帰り行く光栄を担ふ。

     昇れよ燔祭の煙、血ぬれよ祭壇の四隅の角を、
     人類は凡て神のものだ。我々の血は凡て神に帰すべきものだ。
     神は永久の祭りとして我々の生命と憐れみを要求し給ふ。

      一九二九、二、二〇
 
              賀  川  豊  彦

                  摂津武庫川のほとりにて



連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第43回)

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「小旅行の往路:琵琶湖・湖西線」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など

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                   第43回


         聖浄と歓喜

          昭和4年3日25日 日曜世界社 271頁

 本書『聖浄と歓喜』は全集に入っていませんが、これもその多くが賀川豊彦の講演筆記を個人誌『雲の柱』に毎月掲載されていた作品ですが、当時の『雲の柱』の宣伝広告には『献身のすすめ』という書名がつけられていました。

 本書は「魂の捧供(まつり)―聖浄憧憬篇」と「弱きものの誇りー悪戦苦闘篇」の2部構成でできていますが、後にそれらが二分冊にされ、昭和17年に「改定版」として、前半は本書の書名のままとし、後半は『復活の福音』という新しい題名で、それぞれ同じ日曜世界社より出版されています。

 『復活の福音』の方には、賀川の当時の新たな序文がつけられていますので、改めて昭和17年の著作を取り出す段階で触れることにいたします。
それでは今回も、本書の「序」を読んでみます。



            序

 私は聖浄(きよ)くなりたい。
 私は罪と穢れから離れて、天の使いのやうな聖浄潔白のやうなものになりたい。

 私一人だけがさうなりたいのではない。
 私は、私の隣人をも、私の民族をも、私の國家をも、私の住んでゐる教会をもさうあらせたい。

 然し私は、仙人の真似をしたくない。
 私は「黄金律ナッシュ」のやうに、全工場をあげて、キリストの生活に即した職業の潔めを持ちたい。

 人一人が潔まればよいのではない。
 文物、制度、職業、法律、教育、経済、すべてが潔められなければならない。

 求むることによって奥へられ、尋ねることによって會ひ、門を叩くことによって開かれる。
 浄められたいと思へば、浄められ得るものである。

 しかし私は、聖浄といふことを聖愛といふことから分離して考へられない。
 聖浄とは聖愛に充たされたものを云ふのである。

 神によって愛を意識した場合に、神聖が彼の胸に宿ったのである。
 聖浄の道を困難な道と考へてはならない。

 神によって孕まれたるものはすべて、愛につき、聖浄に属く。
 聖浄は人間最後の完成の姿であり、生命芸術の最後の階段である。

 私は凡ゆるものを超えて、この聖浄の世界に帰ってきたい。

 この書は、いろんな機會で私が話した聖浄についての瞑想を、
 私の友人達が筆記してくれられたものである。
 今これを一冊の小冊子に纒める場合に、改めてそれらの友人達に感謝する。

  一九二九、二、二〇
 
             賀  川  豊  彦

               摂津武庫川のほとりにて



連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第42回)

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「昨夜大阪で再会した延原時行先生」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など

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                   第42回

         政治小説 傾ける大地

           昭和3年8日1 金尾文淵堂 411頁

 『政治小説 傾ける大地』は、雑誌『雄弁』(講談社)において昭和2年月から昭和3年5月まで連載された作品で、金尾文淵堂より初めて出版されました。

 箱入りの全布表紙の仕上げで、表紙は「トヨヒコ」の絵が入り、題字と背文字も賀川の手になるものです。また、本書の最初の題字は例の袋文字で描いています。

 本書はのちに、昭和5年11月に「改進書房」より、さらに昭和7年には「春陽堂書店」より「春陽堂文庫・大衆小説篇」として刊行されています。因みに、ただいま「Think Kagawa」を検索されると、この小説をUP中ですので、パソコン上でよむことができます。

 小説ですので「序文」がありませんので、ここでは、本書小説の最終のところを少し取り出して置きます。

              *       *




        傾ける大地(410頁~411頁)最後の場面

 『あゝさうだ、地球は二十三度半傾いてゐるのであった。そして人間の慾望もまだ、それにつられて二十三度半傾いてゐる。この変成した人間の欲望が、哀れにも人類社会を、悪虐と迷妄の中に葬り去ってしまふのだ。新しい村もやがては古くなり、改造せられた社会もまた二十三度半傾いてしまふ。それだから永久の道を歩かんとする者は、傾かざる大地の領域外に安住しなければならない。それは傾かざる、恒星の世界に住むことだ。私はその永遠の道を歩く――』

 外套に深く身体を包んだ英世は、寒さも忘れて、さうした瞑想に沈んで行った。

 『俺は世界人として、世界を闊歩する。俺は捉はれざる精神を以て、太平洋を飛び越える。俺は目本の黒土に縛られない。アマソソ河畔に、第二の日本を建設しよう。否、地球は俺の五体の延長だ。この俺の五体の上に巣喰ふものは巣喰へ。小さき町高砂よ、お前は地殻の上にへばり着いて居れ。「預言者は故郷に重んぜられず」とはよく云った。「我父我母とは誰ぞや、神の言葉を聞きて之を行ふ者なり」とキリストは云はれたが、その通りだ。俺は、水遠の神の国の為に、地上の肉親を無視しなければならない』

 彼は橋の上に立ち、家の方に向いて、両手を挙て斯ういふた。

 『さよなら、お父さん! さよなら妹! 私は永遠の国の為に故郷を捨てます。さよなら、さよなら!』

 その晩彼は静かに小屋に這人って寝た。そして翌日彼は、友人の誰にも挨拶しないで、こっそり電車で高砂を立った。その日は砂埃が多かつたので、英世の履いてゐたズボンは脛まで白く埃まみれになった。独り曾根迄歩いた英世は、高いプラツトフオームの上で、ズボンに着いた埃を払ひ落しながら、独言のやうに云ふた。

 『あゝ私も、足の塵を払うて高砂の町を棄てようかな……』

 西の方、高砂の空は、一面砂埃に掩はれて、火と、硫黄と、灰で葬り去られたソドムの空のやうに見えてゐた。

 電車が来た! 英世はそれに飛び乗った。そして、彼の姿は高砂の土地から消え失せてしまった。

                            ――終――

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第41回)

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「王子動物園のかば<出目太くん>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作―序文など

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                  第41回

      神による信仰ー『神による解放』姉妹編

             昭和3年5日10 日曜世界社 344頁

 警醒社書店が大正15年7月に『神による解放』を刊行していますが、その「姉妹編」である本書『神による信仰』は、西坂保治氏の日曜世界社より刊行しています。

 そして昭和4年5月には、表紙と裏表紙の装丁を一新して「大衆基督教信仰叢書」の一冊とし、定価もそのまま「50銭」におさえて「普及版」を出しています。



              序

 信仰は一つの尊い経験である。旧約聖書はその経験の記録である。

 それで私はアブラハムからキリストまでの敬虔の歴史を、個人を中心に考へてみた。

 其処には一脈の血が流れてゐる。我等はその信仰を現代に生かしたいと、先駆者の奮闘した足跡を相続してゐるにしか過ぎないのである。

 この書は私が、一九二〇年頃から一九二七年頃までに、神戸の貧民窟の朝の礼拝や、震災後の東京のバラックで話した説教を、村島帰之氏、今井よね子姉か主として筆記してくれたものである。そのことに就いて改めて此処に感謝の意を表する。

 私の視力はだんだん衰へて来た為に、充分校正の出来なかったことを非常に残念に思ふ。然し、私の汲んで貰ひたいことは、その精神であって形骸ではない。

 願くは神、この書を用ゐて、目本の津々浦々に神の国を愛する一大運動を起し給はんことを。

   一九二八・三・一

              賀 川 豊 彦

                摂津武庫川のほとりにて


連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第40回)

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「春めいて・・・」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaz.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など

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                第40回

       人類への宣言

            昭和3年2日20 警醒社書店 511頁

 警醒社書店が大正15年7月に『神による解放』を刊行して以来3年ぶりに仕上げた作品が本書『人類への宣言』です。賀川の作品を早くから多くの作品を世に出した警醒社書店ですが、これ以後は賀川豊彦の著作は、ほとんどこの出版社から出ていないように思われます。

 本書は、500頁を越えるもので、箱入りの作品に仕上げられていますが、むかしこの古書を求めたときは随分高価で、何度も何度も思案しながらこれを買い求めた記憶のある書物です。もちろん、ほかの賀川作品も、ほぼ同じような思い出ばかりでありますが・・・。


          *                    *



        人類への宣言

           序

 それは不思議なる宣言である。人間が、絶望の淵に沈む日にも、猶望みのあることの約束を与へてくれる宣言である。

 文明が、道徳的発狂に煩はされて、その迷妄生活に行くべき方向を見失った時に、尚も再生の希望を約束する宣言である。

 それは武力によらず、暴力によらず、黙し難き愛が、人間の気付かざる生命の内側から溢れ来つつあることを意識せしめんとする、神より人間への宣言である。

 それは、永遠に新しいが故に、新約と呼ばれる。旧き約束が、善人のみに対する約束であるに反して、新しき約束は、神を離れた迷路の小羊にまで、再生と救を約束してくれる。

 私は、この深い宇宙の秘義を考へつつ数年間の瞑想の後に、この書を物した。

 それであるから、この書を、私の信仰に対する告白であると考へてくれても、少しも差支ない。

 私は、旧き時代のある人々がしたやうに、単なる字句の註釈をしようとは試みたかった。

 私は、たゞその精神を汲みさへすれば善いのである。

 私は、新約全書全体に通じて、その宗教思想が、吾々に教へんとした所を、汲みたいと望んだ。

 そして私は、自分が味はってゐる宗教的経験を中心にして、新約全書全体を見直した。

 それであるから、私が、この書を読んでくれる人々に要求したいことは、第一巻から第廿七巻迄一気に読み通してくれることである。

 私は、祈りつつこの書を、社会に送り出す。

 願くは、父なる神、この書を用ひて、絶望の淵に沈む魂に対し、見ゆる世界の彼岸に、見えざる聖愛の力が秘められてあって、絶えず各々を、上に引上げんと努力しつつあることを、この書の読者に意識せしめ給はんことを。

 この書は、大部分、吉田源治郎氏、今井よね子姉の筆記に成ったものである。

 このことを私は改めて此処に感謝する。

 私は、この書が若しも、弘く、日本の町々村々に於て読まれ、日本に於る神の国の運動を、少しでも前に進めることが出来るなら、それで私は満足する。

 私はこの書に於て、最近私が考へてゐる、キリストに対すろ考を殆ど凡て述べたつもりである。

 それで私は、この書を出すことを非常に嬉しく感ぜられる。

 私は自らこの書の内容を、繰返し繰返し瞑想して、神の恩寵に対して、言葉で尽くせない感謝を捧げてゐる。

   一九二七・一二・一九              

             摂津武庫川のほとりにて

                    賀 川 豊 彦 

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第39回)

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「猫のひなたボコ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作―序文など

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               第39回


       小説 南風に競ふもの

           昭和3年1日25 博文館 286頁

 賀川豊彦の小説『死線を越えて』の三部作の完成した4年目に出来た本格的な小説作品が、この立志小説といわれる『南風に競ふもの』です。

 「南風」は、小説のなかでは「まぜ」とルビが付けられています。

 もともとこの作品は、博文館の発行する雑誌『中学世界』で昭和2年に連載されたあと、同館がはじめて賀川の作品を小説として刊行したものです。

 先の『死線を越えて』のような自伝的な小説と違って、武藤氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』にも、本書は「作家としての賀川の構成力、描写力、表現力がもっとも円熟した時代」のもので「小説らしい小説」であると記されている作品です。

 そして本書の「モデルは現オリジン電気株式会社社長後藤安太郎の青少年時代に求めた如くである」といわれて、そのことでも知られている作品です。

 なお、本書は戦後になって、昭和24年6月にポプラ社より、書名を『嵐にたえて』と改題し、装丁も一新して出版されました。

           *              *

 小説ですから、本書には、賀川の「序」はありませんので、今回はUPするものがありません。既にこのブログでは、手元にある初版のケースの表と本体をスキャンして置きました。併せてこの手元の古書には、賀川豊彦が村島帰之あてに謹呈した初版本のサインが残されていますので、そこもスキャンしてご覧に入れました。どういう経緯で、この本が手元にあるのか、不思議ですが。



連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第38回)

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「ぶらり散歩<長田神社>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




     賀川豊彦の著作―序文など

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             第38回


           キリスト一代記の話

          昭和2年12日25 日曜世界社 115頁

 前著『キリスト山上の垂訓』に続いて、本書『キリスト一代記の話』も日曜世界社より出版されています。

 これは、日曜世界社より発行されていた『基督教家庭新聞』の第20巻1号(昭和2年1月)より連載されていたものを纏めたものですが、賀川は本書の「序」でこの作品が出来上がる経緯にも触れて記していますので、先ずそれを取り出して置きます。



            序    

 ガリラヤの美しき自然と、イヱスの一生を私は離して考へることは出来ない。道徳的発狂時代と言われる、ローマの暴君政治と、イエスの十字架を、私は、切り離して考えることは出来ない。歴史の上に表現せられた、人間の行くべき道と、宇宙意志の真理を私は切り離して考へることは出来ない。イエスの出現は、あまりにも不思議な人間の可能性を、我々に教えてくれた。

 イエスが死んで後、イエスを中心として、一回転した。イエスによって人間は、新しい型に鋳換へられた。イエスによって人類は、神に就いて、すなわち宇宙意思に就いて、新しい見方をするようになった。

 彼によって、宇宙意思と人間とが、完全に接近した。我々は、イエスの中に神の表現を見ることが出来る。彼は、神の肖像を現したものである。神の意志を表現したる人間としてのイエスは、キリストと呼ばれる。

 キリストとは人間の歴史の頂点を歩く人といふ意味である。その人は、神の意志である愛を表す十字架を負ふた。そして身を棄てても尚、神の神聖と正義を地上に表現する為に、人間の屑を神の最上にまで引き上げることの努力を惜しまなかった。それを瞑想するだに光栄である。

 彼の胸をぬぐって流れる、神の愛は、今日も私の胸に溶け入る。

 私は、この厳かなる物語を、口述するに当たって一種の敬虔から非常に臆病になった。

 この一代記の話は、彼についての私の瞑想のほんの一部分にしか過ぎない。

 私はこれを労働者の為に講演した。そして、彼の生涯を、或いはかえって、彼の神聖なる生涯を俗化した怖れがあるかも知れない。然し、彼はそれを赦してくれるであろう。

 彼は天を捨てて、不浄なる肉の世界に現れた人である。この意味において私は敢えて、私の愚かなる物語を、民衆に告白する。

 この筆記もまた、吉田源治郎氏を煩し、吉本健子姉の助けによって、単行本に纏め得たことを感謝せざるをえない。私は、まだ充分私の眼を開くことは出来ない。私はまだ、キリストを私の胸の中に、堅く守って、彼に就いての瞑想を続けている。

 この瞑想が私にとっては幸福であり、その幸福を多くの人に分かちたい為に、私はこの書を口述した。私の愚かなことを赦してもらって、彼の偉大さを認識されるなら、どんなに幸福であるかも知れない。

  1927・12・14

               賀 川 豊 彦

                武庫川のほとりにて



 本書の初版には、5枚の絵が収められています。そして、本書もまた「奉仕版一冊10銭」という普及版もつくり、長く版を重ねていきます。この奉仕版には5枚の絵は省かれていますが、表紙の装丁は全く変えられています。




連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第37回)

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「長田神社」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など

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                     第37回

         キリスト 山上の垂訓

           昭和2年10日1日 日曜世界社 176頁

 昭和2年に入って「愛餐叢書」として『病人慰安法』(イエスの友看護婦ミッション)や「家庭叢書」として『家庭と消費組合』、そして「家庭科学体系」の1冊で「化粧の心理・化粧医学」などが刊行されていますが、ここでは手元にある『キリスト 山上の垂訓』を取り出して置きます。

 本書は先の『残されたる刺―逆境への福音』に続いて、日曜世界社で出版された「普及版・奉仕版」とされる簡易な仕上げの著書です。

 賀川は「序」の後に記しているように、本書は「1927年の夏、女子農民福音学校の学生に講演した」もので、「筆記してくれたのは、今井よね女史である」と記され、賀川がそれに加筆して出来上がった作品のようです。

 言うまでもなく、昭和2年といえば、その前年の秋には一家をあげて「兵庫県武庫郡瓦木村高木東口」に移転して、昭和2年早々には「日本農村伝道団」を組織し、自宅を開放して「第1回農民福音学校」を開校した年です。

 そして同年6月20日にこの「第1回女子農民福音学校」を開校して、本書が出来上がるということになるのです。

          *            *

 手元のものは昭和2年のものではなく、昭和5年11月に発行された「奉仕版」ですが、 本書もわかり易く語られた講義録です。版を重ねてその後も、昭和17年には「改定版」が、そして戦後昭和24年には版元を代えて、キリスト新聞社より、さらに昭和50年にも賀川事業団雲柱社によって、昭和11年の22版を復刻して読まれ続けました。

 この「序」は賀川全集の第1巻の末尾にはいっていますが、多くの部分で原書とことなる箇所があるようです。ここに取り出すものは、昭和5年のものです。




        キリスト 山上の垂訓

            序

 それは晨も喜ばしき思い出である――ガリラヤの昔を偲び、その野辺にて語られし人間至上の聖訓を思い出すことは。私にとってガリラヤの自然と、イエスの山上の垂訓を切離して考えることは出来ない。神の最も不思議なる秘密が、キリストを通じて人類に話しかけられる如く、神の言葉としての大白然も、キリストの言葉の中ににじみ出てゐる。野の百合に、空の鳥に、葦に、夕空に、石地に、畠に、荊に、薊に、大麦に、燕麦に、そしてそれ等の上に、人間仕会の最も温い涙と血が、イエスの言々句々の一つ一つの上に現れてゐる。彼の言葉は至上芸術であり、珠玉であり、宝玉である。その短い言の中に、その譬えに、その教訓に、彼の涙と血がにじみ出てゐる。ヨハネ伝の著者が、神の『言葉』がキリストであるとしたことに、深い意味がなくてはならない。神の言菜はキリストである。

 永遠の言葉よ湧き上がれ。目本の野に、山に、岸辺に、炉辺に、永遠の言葉よ響き渡れ! 隠れておおわれざるはなく、おおわれて示されざるなき永遠の言葉よ、日本の泥上に浸み込んで行け! 藁葺の小屋に、貧民窟の二畳敷に、永遠の言葉が沁み入る日まで、日本に水遠の国は確立しない。野に叫ぶ声、巷にて聴かざる、その清く朗かなる言葉、それはすがすがしき碧空にかかる清き月にも似たる姿であり、永久の慰めである。私は越後の雪に、貧民窟の泥溝に、日本アルプスの峻峯に、石狩の平野に、この永遠の言葉を瞑想して、それがただにユダヤの荒野に於て慰めの言葉であるばかりでなしに、目本に於ても慰め言葉であることを深く深く信ずる。

 憂鬱なる東洋が神の光を待つことは久しい。然し光は東からでもなく西からでもなく、ただ衷なるものから発せられる。水遠の言葉が魂の内側に沁み込むことなくして、東洋の憂鬱は去らないであらう。私は印度のコロンボに、馬来半島のシンガポールに、香港に、上海に、そして日本の長崎に、そんなことを考へながら、世界を祈りつつ遍歴した。昔は魂の為に、地理的巡礼が必要とせられた。然し今、真の巡礼は、魂の内側に於て、高く昇るそれでなければならない。魂の巡礼者にとって、キリストの山上の垂訓ほどよき道しるべはない。この言葉無くして、富士もその輝きを増し、瀬戸内海も、その東雲の瞬を忘れる。私は日本の為に、さうだ、日本の最上の美の為に、イエスの言葉に更に一屑深く浸潤して行く。

  1927,9,14

              賀 川 豊 彦

                播磨鳩里村農民組合にて



 この書は、私が1927年の夏、女子農民福音学校の学生に講演したものである。それを筆記してくれたのは今井よね子女史である。私はその中で、も少しいいたりないと思ったところがあったので筆記してくれられたものに付加し加筆して行った。

 私の眼がまだ悪いものだから、私はまだ当分こうしたことを続けて行かなければならないであろう。



連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第36回)

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「菅原いこい花壇」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




     賀川豊彦の著作―序文など

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                    第36回

         暗中隻語

           大正15年12日25日 春秋社 411頁

 さて、春秋社が賀川の作品をはじめて手がけた作品が、今回の著書『暗中隻語』です。これは箱入り総布表紙の上製本です。

 賀川は、本書の刊行に至る経緯などについて、巻頭の「序」のあとに次のように記していますので、それを先ず取り出して置きます。


         *               *


 この書は、一九二六年三月廿一日に私が眼が閉ぢてから、読売新聞の依頼を受けて、その宗教欄に、二百回続けて発表した。私の感想と、その他の雑誌に載せた、宗教的感想の断片を基礎にしたものである。
 然し感想だけでは、その生活背景がはっきり判らないから、私は、私の宗教感想が浮んだ前後の私の行動そのものを「アンペラ御殿を中心として」の中に集め、また、私かいつも最も楽しい思出の種として、今まで発表しなかつた、三河蒲郡の小屋日記を附加したものである。

 小屋日記を除いた外、八九分通りは、私の助手をして居て呉れる、山路英世君と、吉本健子嬢の筆記に依ったものである。それに就いて私は此処で深く感謝せねばならぬ。

 また校正は私の同労者であり、且つ親友である吉田源治郎氏の労に俟ったことを心から感謝する。





 上に、賀川が記している「アンペラ御殿」というのは、既に取り上げた賀川の第2詩集『永遠の乳房』のなかに「バラック小屋」として写真が掲載されていたもの(あそこで写真はUPいたしました)と思われますが、この「アンペラ御殿を中心として」の部分は、賀川の個人誌『雲の柱』に大方が収められたものです。ここには、この頃の賀川とその仲間たちの動静が生きいきと描かれています。前回取り上げた『残されたる刺』の成立に関することもここに触れられています。

 また、本書の末尾に収められた名品「小屋日記」は、以前に賀川が『星より星への通路』に収めた「ノンキ者のノンキ話」という小品のところに「三河の蒲郡で送った生活」の「六畳の離屋敷」のスケッチも描かれていましたが、本書で初公開となったものでした。

             *           *

 では、最後になりましたが、短いものですが今回も賀川の「序」を取り出して置きます。




             序

         『御不自由でせうね!』
         『何がですか?』
         『眼がお見えにならぬことは』
         『はァ、人間に翼が無いことも不自由ですね
         ――然し、翼が無くとも、飛行機を発明すれば、
         翼があるのと同じでせう。
         眼の場合だってさうです。
         外側の眼が見えなくなれば、
         内側の眼を発明するまでのことです。』

         私の神は光そのものです。
         外側のものは一切暗闇に属してゐても、
         私の心の内側にいつも灯る。

         神のみ光のある間、
         私は少しも失望しません。

         灯れよ、
         内側の燈よ灯れ、
         尽きせざる
         油壷の燈よ灯れ、

         私の神はいつまでも、
         その小さい燈を
         私のために
         保護してゐて下さいます。

         神は私にとつては
         光そのものです。
         私は闇に坐る日の永いことを
         少しも悲しみません。
     
           一九二六・一一・二九 
          
               賀  川  豊  彦
              
                 武庫川のほとりにて






補記

 なお、先に挙げた本書所収の名品「小屋日記」は、「賀川豊彦『一粒の麦』を再版する会」によって、2010年7月に『賀川豊彦 蒲郡療養日記 小屋日記』という小冊子として出版されており、賀川記念館においても手に入れることが可能です。

 これの巻頭には新しく、賀川督明さんの次のような解説が付けられていますので、取り出して置きます。なおこの解説の末尾にはしかし「差別的な言い回しがあり、削除をお願いした」と書かれ、賀川督明さんの視点が明記されています。こうした視座に関する私自身の批判的な見方は拙著『賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて』の中に、いくらか立ち入って言及していますので、ご一読頂ければ有り難く存じます。削除された部分は明示されていませんが、賀川作品のような歴史的作品の削除処理には大きな疑問を残します。ともあれその問題も含めて、ご一読ください。


           *         *


         『小屋日記』復刻にあたり

                         2010年7月10日

                        賀川記念館館長 賀川督明

 1907年3月、十八歳の賀川豊彦は明治学院神学部予科を修了する。新設の神戸神学校に転入学するまでの半年間、当時、和知牧太牧師が牧会する岡崎教会、長尾巻牧師が牧会する豊橋教会の応援伝道をした。豊橋で路傍伝道中に倒れ危篤に陥るが、長尾家のあたたかい介護により一命を取り留めたのだ。長尾巻牧師の豊橋地域への取り組みは、その後の豊彦の心に通奏低音となって、一生を形づくったといっても言い過ぎではない。『小屋日記』は、その翌年1908年の夏に、蒲郡の府相海岸における療養中に書かれたとされている。豊彦十九歳。

 『小屋日記』は、はじめに書かれたときから19年後の1927年に発表された。当時は、関東大震災の4年後にあたり、さまざまな救援・復興事業やセッツルメント活動が発展した時期である。また、帝国経済会議移民部会及び住宅部会の委員や政治研究会の創設、杉山元治郎らとともに労働学校や農民福音学校を開催し、全国をまたにかけてコミュニテイづくりと人づくりに奔走していた。その分刻みのモーレツスケジュールを抱えた豊彦が、蒲郡療養中の主人公を「なんと幸せな奴だ」と羨ましく思う気持ちは、豊彦独特のものであろう。療養中で何もできない主人公は、はたから見ると優雅に暮らしているようだが、志を持ちながらも死線を越えられるかどうかの不安や焦りがないわけがない。『小屋日記』に書かれていることを文字通り受け取っていいものかどうかは、余裕で生きている今のわたしにわかるはずもない。いずれにしても、弱き者であり、人に支えられた人生を、豊彦がどのように受けとめていたのかを探る貴重な記録が、三河の人たちの努力によって復刻されることを心より感謝するものです。

 膨大な社会貢献を果たしながらも、優性思想的な主張を戦後まで持ち続け、ハンセン病患者を隔離する側に立ち、差別文章を数多く残した豊彦を継承していくモノにとって、その歴史を検証し現在における自らの思想と立場を振り返り実践していくことこそ、与えられた道と思う。

 この『小屋日記』にも、いくつかの差別的な言い回わしがあり、編者に削除をお願いした。豊彦が犯した過ちを隠そうという意図ではない。削除せずに「原文ママ」などという処理が、差別されて今を生きている人にとっては、通用しないからである。

 それでもなお、わたしはプラスの部分とマイナスの部分を合わせ持つ、豊彦の存在を素直に喜びたい。それはマイナスの部分が、痛みのシェアの存在を常に問いかけ続けてくれるからだ。





連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第35回)

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    賀川豊彦の著作―序文など

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                   第35回


           残されたる刺―逆境への福音

 賀川の作品を日曜世界社が手がけたのは、大正11年3月に『聖書社会学の研究』以来のことですが、本書『残されたる刺―逆境への福音』は、賀川にとっては特別の意味合い含まれていたようです。

 そのことは、賀川の「初版の序」とそれに続けて収められた西阪の「再版発行について」の文章にふれられていますので、先ずそれを並べて取り出して置きます。

             *             *


        初版の序

 この書は、吉田源治郎氏、村島帰之氏、及び今井よね姉が筆記して下さった私の宗教講演を纏めたものであります。西阪氏が多年の宿痾に苦しまれつつ尚努力しておられることを見て、私は感激の思いをもって、同氏にこの宗教講演集一冊を捧げるものであります。

 この書は、私が講演して、私の親しい友人がそれを筆記してくれ、我らの尊敬する同志である太田又七氏が手づからそれを印刷に附し、全然経済問題を離れて、西阪氏慰問の目的をもって、我々の労働を捧げたものであります。そして、西阪氏は確かに、我々のこの心持ちを受け取られるべき価値ある人だと思います。

 イエスの弟子パウロは病躯をささげつつも、それを残されたる刺として感謝しつつ奮闘した人であります。私は自らの生涯において、いつも残されたる刺を経験しております。ただ感謝して受けることによって、すべてが恩寵であることをいつも考えております。

    1926・12・7
                賀 川 豊 彦

                 武庫川のほとりにて



              *         *



       再版発行について

 本書初版二千部は賀川氏が序文の記されていますように、全く友情の結晶でありまして、小生の療養費をつぐなうためにご寄贈されたものであります。小生は、言い難き感激をもってその篤き友情を拝受いたしました。

 しかして本書の出来上がったのは、昭和二年十二月二十五日で、いよいよ売り出しましたのは昭和2年一月一日でありましたが、旬日ならずして第一版二千部を売りつくしました。しかも尚続々とご注文を受けておりますので、ここに初版の誤字を訂正し、装丁を新たにし、更に再版二千部を発行し、初版の特価をもってお求めに応ずることにいたしました。幸いに多数のご使用賜るならば小生の本懐これに過ぎませぬ。

  昭和二年一月二十五日
                  西 阪 保 治





 また、賀川は本書について、『雲の柱』昭和2年2月号「武庫川のほとりより」で、次のような言葉を残しています。(『賀川豊彦全集』第24巻76頁)。

 △近頃西阪保治氏慰問の目的を以て出版した拙者「残されたる刺」は僅か二十銭ではあるけれども、私の会心の書物である。
 その中でも、村島帰之氏が筆記して下すつた「三つの紛失物」は、あれ程私の講演を心持ちよくユーモラスにしつくり筆記して呉れたものは無いやうに思うふ。速記でもこれだけ心持ちよく出ないのを、さすがは老練な新開記者だけあると思って、村島氏に敬服してゐる処である。是非諸兄姉が広く日本の同志諸君に頒布せられるやうに祈りたいものである。

 △私は思ひ切って今年から私のイエスに関する宗教書類を全部三十五銭で普及版にして出すことに決心した。即ち「イエスの宗教と其真理」を初めとして「イエスと人類愛の内容」、「イエスと自然の黙示」、「イエスと日常生活」、「イエスの内部生活」等は、今年中に全部三十五銭で普及版にすることに決めた。之は私か百万人伝道をする為にどうしてもさうしなければキリスト教が普及しないと思ふからである。


          *            *


 前後しましたが、手元には本書の昭和2年3月の第3版と「奉仕版」として出されていた昭和14年11月発行の17版です。


連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第34回)

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「神戸文学館」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

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                    第34回


          魂の彫刻―宗教教育の実際

          大正15年10日27日 文化生活研究会 269頁

 先に賀川の大著『愛の科学』を出版した「文化生活研究会」から2冊目の書物となったこの『魂の彫刻―宗教教育の実際』は、本書の「例言」にも記されているように、山路英世・吉本健子両氏の筆記によって完成された作品です。
 まず、その「例言」を挙げておきます。



              例  言

 去年の九月九日、オートバイの顛覆で負傷してから満一年、外傷と、宿痾の眼病に、私は一年間の大部分を病床で暮した。そして私にこの書を病床の中で考へたのであつた。この書は全く私の創作であって、他り書物を參考に用ひなかつた。

 この書を書く様になった最初の動機は、アメリカの書物を読んでからである。私は、コウ教授の『宗教々育の社会学説』と、ハッチンス氏の『社会奉仕の級別組織』等の書物に剌戟せられて、この書物の内容を考へ出したのてあった。

 眼が見えなかった為に、私は山路英世、吉本健子の両君に全部筆記して、貰った。私は二人の援助がなければ、この書が出来なかったことを此処で感謝して置く。

 私が冥想的になればなる程、魂の彫刻に就いて考へることが多くなつた。私は出来るなら此次に自然の聖書について書いて見ようと思つてゐゐ。私はそれに就いて今、冥想を続けてゐる。

 この書に就いて私の足りなく思つてゐことは、理論的方面が多く書けなかったことである。それは別に宗教々育の原理として稿を改めて、書き起したいと思っている。既に口述したものを、親友村島帰之兄が、部分的に纏めてくれたが、なほ不満の点が多いので、今少し冥想を続けて行きたいと思っている。

 私はこの書を読まれる諸兄姉に希望したい。それは人を教える為にこの書を読まないで、私がこの書に書いたメソードは、結局は自分の魂か浄化して行くメソードでもあることを考へて、自分本位で読んで頂きたいことである。

 此の書を書いた後、米国にも遊戯を通じて愛を教えたいと思って居る人があることを知った。それをもう少し深く、研究して、第八章を先に行って訂正しよう。

              *             *

 大正15年10月に箱入りの上製本として刊行されていますが、手元のものは昭和7年10月に「復活版」として出たものです。装丁・本体ともに同じものが「復活」しているようです。それでは今回も、本書の「武庫川のほとりにて」書かれた「序」を取り出して置きます。 ここでもブログ用に改行をしてUPしてみます。



              序

 都會の輝きと、黄金の魅力とが、多くの魂を眩惑する。機械文明に引付けられた若き魂は、それが何を意味してゐるかも深く考へないで、その日その日の労苦に喘いでゐる。

 労働者は忙しく生産に営しみ、その労苦を酒によって忘れんとし、酒で儲けた成金は女狂ひに忙しく、芸者屋と遊廓はそれらの為に繁昌する。

 淫蕩に蝕まれた民衆は、骨まで腐らす毒素に襲はれて、足繁く病院に通ふ。医者と病院はその為に忙しい。人の災厄によって富を積んだ医者は、贅沢品を買ふに忙しく、贅沢品を生産する労働者は、労働の永きに、酒の魔酔力を借る。 

 斯うして、理想なき社会性の循環は、輪の廻るが如く忙しく廻る。そして何等の進歩もなく、向上もない、文明は悲しみの種であり、救はれない因業の輪廻である。

 斯うした文化を凝硯めてゐて、内に目醒めた人間が、黙って居れるだらうか。

 私は、人とその霊魂の運命に就いて深く考へる。

 私は生きたい。そして勝ちたい。

 病気に、無智に、醜悪に、不徳に、不虔に克って行きたい。

 私は充分目醒めたい。私の目醒めることは、人類の目醒めることであり、人類の目醒めることは、宇宙の 目醒めることである。

 宇宙は私に目的を持って居る。宇宙は私の衷に目醒め、私は宇宙の心の一機能として目醒める。

 私の衷に魂を彫刻することは、宇宙に拡がる神殿の奥の院に御開帳の扉を徐々に開いて行くことである。

 『私』を通して神が見えるのだ。『私』は、神に向って開かれる神殿の窓だ。

 魂を彫刻することは、窓を開いて室内に光線を導き入れる様なものだ。

 さうすることによって、電動力よりも不可思議な生命の力を、充分我々が吸収し、そして機械的と見えるこのひからびた分明に、栄光の輝きを見せしめ、それに向かって廷び上る力が輿へられるのだ。

 私は、もう四十歳に近くなった。そして、今如何にかして吾子の胸に、私が胎んだ神の姿を植ゑ付けたいと苦心して居る。

 私は自分の子供に経験したことを、他人にも及しだいと思ってゐる。

 然し結局、自分の子の胸に魂の彫刻することは、自分の魂に、新しく神の姿を彫刻することなのだ。

 魂の彫刻は人の為ではない。凡て自分の為だ。

 彫刻師が、木や石に向って精進する様に、私は生きた霊魂に向って精進する。

 彫刻家が、自分以上のものを木や石の上に、よう彫刻しないと同じ様に、私もまた、自分以上のものを生 きた霊魂の上に彫刻し得ないことを考へて、表現せられた凡ての彫刻が、自画像であることを考える時に、厳粛にならざるを得ない。

 私は自分の手、自分の鑿を凝視めて、ゾッとする。いつまで経てばこの自分の霊魂以上に出られない、哀れな彫刻家が、この領域を脱して、神の彫刻に乗移ることが出来るであらうか?                             
 幸にして私には先達がある。

 彼は御殿の扉を引ちぎって、神の姿を自分の肉体の上に鋳抜いた。

 その鋳抜かれた型は今日人間の中に最も悲惨な死刑囚の型として我々の間に授って居る。

 彼は、死を賭して、その御殿の扉を打破ったのであった。

 彼以後、我々は労せすして、神の光を身に浴びることが出来る様になった。

 恥ずかしい私も、その死刑囚の残してくれた神の鋳型によって、真正の彫刻が何を意味するかを學び得た。

 死を蹂躙することによって、愛が死よりも強いことを我々は學んだ。

 その愛が我々の全生命の上に舞踏する時に、森と、太陽と、小鳥と、稲の穂が、神の天啓として我々に帰って来る。

 自分乍らに棄ててしまった暗い私に、自然と良心が、内と外とから、私に迫って来る。自然は私にとって、花婿の如く、良心は私にとっては花嫁の様なものである。

 神と結婚もせざるに私は、それらを通じて神を胎むことが出来る。

 それは私にとっては喜びである。

 魂の彫刻は神を胎むことである。労せざるに何時しか、私の胎内に、神の子が成長する。それは私にも似、神の顔にも似てゐる。

 我が懐にある子よ、大きくなれ、神は斯うして安々と良き子を与えてくれた。

 彼に對する魂の彫刻は、この子を肥立ちよく育てて行くことにある。

 神の愛にほだされて私は、私が胎んだ神の子を、隨喜の涙に暮れつつ、育てて行かう。

 私にとっては、電燈も、ラヂオも、ガソリンエンヂンも、到底私のこの神の子の肥立ちを見る以上に悦びを輿へてくれない。

 肥立ちよく育ってくれよ、吾が子、私が私の魂の衷に胎んだ神の子よ、我が霊よ!

   一九二六・一〇・一四

                賀 川 豊 彦

                 摂津武庫川のほとりにて

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第33回)

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「神戸文学館企画展<時実新子展>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作―序文など

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                   第33回


           神による解放

            大正15年7月25日 警醒社書店 221頁

 賀川は大正14年7月に世界一周旅行を終えて帰国し、イエスの友を中心に「百万人救霊運動」を8月より開始しました。「賀川豊彦献身100年オフィシャルサイト」で「吉田源治郎」の足跡を詳しく辿った時には、賀川のこの世界旅行の折りに米国に留学中だった吉田と意気投合して、新しく大阪で「四貫島セツルメント」を始動させる夢を抱いていった経緯に触れましたが、本書『神による解放』は、吉田源治郎が責任者となり、大正14年10月にその「セツルメント」を開始する中で、賀川が四貫島や堺などで行った講演を吉田が筆記して完成させることになった作品です。

 既にとりあげましたが、賀川の講演記録を書物にまで仕上げて来た吉田源治郎は、再び四貫島セツルメントと農民福音学校を拠点として、次々と賀川の作品を世に出していきます。

 本書も初版は警醒社書店による箱入りの上製本として刊行されていますが、賀川の著書としてははじめて「序」の後に「著者より読者へ」という頁を設けています。

 そして「1円50銭」のこの「特製版」とは別に「35銭」という廉価な「普及版」も揃えて、広く読者に提供しています。

 ここでも、本書の「序」を取り出してみます。これまでのように、勝手に改行をしてUPしますので、原書とは違います。




            序

おゝ、私は待ちこがれて居る。神の旋風を。

旋風よ来い。南より来い。西より起これ。

私は、旱天の日に雲を待つ様に、私は旋風を待って居る。

それはとても、旋風でなければ動かない、この閉じ込めた、

混濁の世界を一気に吹き払うのでなければ、二百十の来る前に、多くの人達は窒息して仕舞うだろう。

神の二百十日よ起これ、愛の旋風よ襲え! 

我々がキリスト愛の浸潤を待っていることは余りに久しい。

愛の焔よ、一気に日本の南から北まで吹きまくって呉れ。

日本には、二百十日のあるものを、なぜ神の世界には二百十日がないだろうか。

否、有る有る。それ二百十日の嵐の予報が、南から来るではないか。

香港では、真南から、長崎では西南から、本島では西南西から、低気圧が進行して居ることを、

測候所が報ずる。

低気圧の足音が、軽々地上に触れた時に、水は天上に舞ひあがり、船舶は木の葉の如く揺れる。

神の旋風もその如く来い! 

凡ての罪悪の櫓を打こぼち、地獄の焔を吹き消して呉れ。

五百四十箇所の遊郭を空中に巻き上げ、これを一晩の中に掃除して呉れ。

無風帯の世界に棲む日も、あまりに永過ぎる、日本は神の旋風を待っている。

日本の天空に、神の響を聴かして呉れ。

日本に続く、無道徳時代があまりに永すぎる。

黄海の水を開き、ヨルダンの真中より、エリヤの火の車を天上に吸い上げた、救いの旋風よ起これ。

日本には二百十日のあるものを、なぜ神に旋風がないと云うか。

大地を揺るがせ、波涛をたたせ、一日の中に日本の北より南に走り得る、旋風よ来い。

この民は、あまりに長く無風帯に棲む為に、足を持って立つことを知らず、

手を動かして、よじ登ることを忘れた。

あまりに長く、美しき島に安座し、北に南に伸びることを知らない。

台風よ起これ、旋風よ来い。

桜花の下に惰眠を貪る、我らをゆり起こして呉れ。

此の民は琵琶湖に満つる丈の酒を呑み干し、富士の頂きにも着くほど、

肺結核患者の死骸を積み上げて居る。

神の旋風よ起これ、これ等の不吉を皆吹き払って呉れ。

夏に、二百十日のあるものを、

なぜ魂の世界に二百十日ばないと云うのか。

魂の二百十日が来る。それは必ず来る。

稲の穂は出揃って、白い花が、その穂の間から覗いて居る。

稲の実る前に、二百十日が来て呉れればよい。

風は花粉を、南から北に吹き送り、稲の根は硬くせられ、やがて六千万石のお米が取れる。

聖霊の二百十日よ来い。一つ大きく吹いて呉れ。

日本の米はそれで実るだろう。

魂にだって季節風(モンスーン)は要るよ。

神の旋風よ来い。私の魂を天上まで巻上げて呉れ。

否、六千万の日本人が、誠に神がある事を知る為に、その旋風を一日も早く、近づけて呉れ。

籾殻は吹き飛ばされ、実は倉に入れられる様に、私は神の旋風を待つ。

私が微風をきらうから、こう云うのではない。

軟風の日が、あまりに長く続き過ぎる。

私は旋風の来る日を待っている。

夜更けに来るか、真昼に来るか、

戸の揺らぐ度ごとに、私は神の旋風の動くのを待っている。

      1926・6

                    賀 川 豊 彦

                       武蔵野の小屋にて

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第32回)

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「ベランダからの夕陽」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作―序文など

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                  第32回

    
            雲水遍路

            大正15年4月20日 改造社 514頁

 前回の『賀川豊彦氏大講演集』の出版された同じ月に、今度は改造社がまた500頁を超える立派な総布表紙の箱入り上製本を仕上げました。

 この旅行記は、大正13年11月26日に横浜を春洋丸で出港して、翌14年7月22日に熱田丸で神戸に帰港した時の、2回目の外遊を欧米印象記として纏めたもので、読ませる作品のひとつです。

 この8ヶ月に及ぶ外遊には、専属のカメラマンがついていたのか、本書には、口絵の外にも数多くの貴重な写真が収められています。(その写真は既にこのブログで公開すみ)

 では、今回も賀川の「序」を取り出します。賀川の文章は、どれも詩のような書き方ですので、ここでも勝手に、改行を多くして、読みやすくしてUPいたします。



             序

 雲水の心は無執着の心である。

 風に雨に、私は自ら楽しむことを知っている。

 世界の心は、私の心である。

 雲は私であり、私は雲である。

 雲水の遍歴は、一生の旅路である。

 世界を廻っただけが、私の遍路ではない。

 私の旅路は、上へ向いた旅路であらねばならぬ。

 それは、心の旅路である。

 心の遍路は、世界の旅に出なくても、貧民窟の二畳敷で、辿ることは出来る。

 いや、寧ろ、その方が、遥かに尊いものである。

 私は直径七千四百哩の球体を廻って、地理的旅行の必ずしも有意味でないことを、深く感じた。

 只私の深き望みは、此の地上に住める人類が、一日も早く、心の旅路のために、

 愛の国を作り上げてくれることである。

 私は永遠の行路病人である。

 新しきエルサレムへの旅路は、まだ長い。

 私は死ぬまで、雲水遍路を書き続けるつもりだ。

 私は世界を廻って居るうちに、ハワイでも、アメリカでも、イギリスでも、

 世界至る處で、日本の兄弟達の親切に浴した。

 殊にロス・アンゼルスとニューヨークでは、言葉で尽くされない程、同胞の御世話になった。

 そして今もなほその二ヶ所の兄弟達は、私を援けてくれてゐる。

 それに對して、私の感謝の言葉は足りないと思って居る。

 ここに更めて、その人達に心よりの敬意を捧げる。

 此の書は私の宿痾の眼病のために、出版が遅れて、今日漸く、日本に帰って来てから、

 八ヶ月目に稿を綴ることになった。

 そして五分の四まで書いて来て、また眼病のために寝込んでしまった。

 それで後は、病床で口述したものを、筆記して貰った。

 その為めに、意の尽せない處もあるかも知れないが、赦して貰ぴ度い、と思って居る。

 私は、世界を廻つてゐる中に、感想録を詩の形にして、地圖の裏や、手帳の中に書き込んで、

 日本に持って帰った。

 それを私は、昨冬、詩集「永遠の乳房」の一部分に収め、発表して置いた。

 この書と合せて読んで貰へるなら、どんなに私にとって、幸福か知れない。

   一九二六・三・廿八

                  賀 川 豊 彦

                  松沢村のアンペラ小屋にて

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第31回)

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「柘榴とメジロ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

         我が家の書斎の中から

               第31回

          賀川豊彦氏大講演集

          大正15年4月10 大日本雄弁会講談社 384頁

 大正15年4月に「大日本雄弁会講談社」から初めての出版となった本書『賀川豊彦氏大講演集』は、「序」にあるように、大正7年より14年夏までの講演を集めたものです。収められている18の講演のうち6つほどが神戸時代のものが選ばれています。全集にも入っていますが、重要な文献のひとつです。

 この「大日本雄弁会講談社」は、本書の刊行を手がけたあと、ベストセラーとなった賀川のあの名著『一粒の麦』などの出版でも知られています。

            *              * 

 これも箱入り上製本として出版されて、手元にあるものは、大正15年4月の初版から7ヶ月後の11月発行の13版です。扉には、2葉の賀川の写真が収められています。
 それでは、今回も本書の「序」を取り出してみます。



              序

 この講演集は、大正七年より同十四年夏までの、私の講演のあるものを集めたものである。

 私は廿一歳の時に蓄膿症の手術を受けて、鼻腔に穴を穿ち、大正十一年二月悪漢に門歯二枚を歯根まで打折られて以来、講演をするに、いつも生理的の不楡快を感じてゐる。それで、演説はどちらかと云へば嫌ひである。たヾ要求せられる儘に、やむを得ずしてして来た。

 講演と云ひ、座談と云ひ、群衆心理を加味したものであるから、普通の著作と違って、民衆の動きかたを知るには、実に善き材料である。この意味から云へば、私のつまらない講演集も、大正時代の民衆を研究する少しの資料になるかも知れない。

 私は、今日まで、民衆におもねるようなことは少しも云ふて来たことはない。私はいつも民衆の人道的精紳に訴へて来た。

 それで時には痛罵の的になったこともある。然し、私は、わが日本を愛するが故に、民衆を諌止することを敢てする場合がある。民衆は前に進めることは比較的容易であるが「止れ」を命ずることと「反省せしむること」は、実に困難である。私は今日まで主として、民衆の反省と、人道的向上を説いて来た。この点に於て、私の講演は、一種の私の良心運動の一部分をなしてゐろと云ふて善い。

 私の書物を読んでくれる人は多くあるであらう。然し、私が「良心運動」の一兵卒として、良心それ目らを叫ばしめて居る言葉を聞いてくれる人も、私に取っては善き友人である。

 この講演集の凡ては速記か、筆記によったもので、私自身が書いたものは一つも無い。私は、それが面白いと思ふてゐる。

 そのまた速記者なり、筆記者の数も二三人ぢゃない。大勢である。

 然し、そこに群成的時代精神を知るに面白い糸口があると思ふ。聴衆は永遠に生きてゐる。そして、私は日本の聴衆が日一日、良心の発芽に敏感であって欲しく思ってゐる。

 それは、それ自身、政治であり、経済であり、教育であり、科學である。

 人間は人間の為めに生きてゐるのだ。そして人間は、良心の為め生きてゐるのだ。

 良心は人間の最後の芸術であり、最後の政治である。

 私の講演集は、その為めに産れ出づるのである。

 その言葉は拙ないであらう。その響きは非芸術的であらう。然し私はどうかして、この國を、聖浄の輝く國にしたい一念より、私の魂を火にして、叫んでゐることだけを、この書の友人に知って貰ひたいのである。

 日本よ、高まれよ、叡智と、聖浄の為めに高まれよ! 

 五百五十ケ所の遊郭を葬り、十五億円の酒を断ち、百万の窮民を救ひ、二百四十万の労働者と二千万の小作人を解放する日よ、一日も近づけ! 

 これが、私がこの書を世に送り出す唯一つの望であり、祈りである。

  1926年1月30日

            東京府下松澤村アンペラ小屋にて

                   賀  川  豊  彦

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第30回)

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「自然真野っ子池」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作ー序文など

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                  第30回
  

         詩集・永遠の乳房

          大正14年12月12 福永書店 411頁

 前著『神の懐にあるもの』とほぼ同時に出版された本書『詩集・永遠の乳房』は、大正9年に『地殻を破ってー散文詩』を出した福永書店が手がけています。その前には『主観経済の原理』と賀川の処女詩集『貧民窟詩集・涙の二等分』の出版元でもあります。

 賀川のこの第二詩集は『涙の二等分』のようなポケット版とは違って、四六版総布製上製本で箱入りとなっています。そして、詩集の巻頭となかぼどには、2葉の写真が収められています。この写真には「エジプトのスフィンクスと私」と説明書きがあります。

 同時進行の別のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ で、村島帰之著『預言詩人・賀川豊彦』を長期連載を済ませていますが、そこではこの『詩集・永遠の乳房』の作品の多くを、できるだけ完全なかたちで補充してUPしています。お時間があれば、そちらにも立ち寄っていただければ、有益と存じます。

 今回も、賀川豊彦の「序」を取り出して置きます。



           序

 凡てを、私は、凡てを、神にかけた。

 恰も、博徒が、賭場でするやうに。私は、生命も、財産も、書物も、言論も、自由も、行動も、凡てを、神の賭場にはつた。そこに私の詩の全部がある。

 私は、神戸葺合新川の貧民窟で、賭博打がしてゐることを見た。

 「走り」が走る。高利貸が財布を開く。若者は袢纏を脱ぐ。彼等は最後の点まで――褌(ふんどし)一つになるまで、射利の為めに賭(は)って行く。

 あゝ、それだけの勇気が、私にも欲しい。私は、神と、真愛の為めに、凡てを拠つ勇気が欲しい。そこに、私の詩があらねばならぬ。

 真夜中に、人家に穴を穿つものがある。彼等は高塀を越え、巡査を恐れず、徹宵して、悪の為めに努力する。私にも、その勇気が欲しい。善いことの為めに。さうだ、善いことの為めに。そこに、私の詩があらねばならぬ。

 蠶(かいこ)は一眠、二眠、三眠をねむり、肉体はやがて、透明体に変る。私にもその透徹する魂の詩が欲しい。

 私の詩は、私の生活である。私の生活は、私の詩である。言葉は、私の詩のいと小さい一部分にしか過ぎたい。

 「涙の二等分」以後、私は、多くの散文詩を書いて来た。「地殻を破って」「星より星への通路」「雷鳥の目醒むる前」「地球を墳墓として」の四冊には部分的であるが、私の生活を通じて見たる散文詩が出てゐる。

 その外に、私は過去七年間に、自由詩の形のものを百数十篇書いた。今ここに一纒めになったものは、それを集めたものである。それは私の作った詩の凡てではない。然し発散したものの凡てである。中には数篇ずっと旧いものがある。

 私は、欧洲を廻って、たゞ幾十篇かの詩だけをノートに書きつけて来た。

 私は詩の外に書けない男であるかも知れぬ。私はそれが上手、下手と云ふことを離れて、私の胸の渦巻に、さうした旋律の外、感ずることが出来ないのである。

 私に取っては、科学も、哲学も、宗教も、経験も、生活も、凡てが、詩になる。内なるものは内なるものの生命の詩となり、外なるものは、表象の詩となる。

 私は、これから、もう少し多く詩を書くであらう。私の眼が悪くなると共に、「詩」がミルトンの耳朶に囁いた如く、「詩」も私に多く物語る。私はそれを待つことなくしで書き附けておけば善いのである。

 私は詩に支配せられてゐる。ただ不幸にして、私は詩をよう支配せぬ。私はただ魂と愛と真勇と十字架を歌ひたいのだ。私はその為めに、囚はれた。

 十二月の太陽が、本所のバラックの硝子障子をポカポカ照らす、一昨日秋田市から帰って来た、私には南の太陽がうれしい。保育所の子供等は足調子面白く「マーチ」につれて踊を続けてゐる。

 私は本所の「愛の集團」にこの上なき喜悦を感じて居る。そこには、輝かしい顔の持主である今井さんが居るし、律義な働き手の木立さんが居る、忠実な黒川さんが美しい顔をして、こまめに働いでくれる。

 ゲルションは泥中の蓮のように、苦海から伸び上って、私等を上に引き上げでくれる。イエスの群の幾十人か、幾百人かは、みなうれしい「魂の芸術家」として、みな輝く顔を持ち寄る。そこには勿論貧しい人々の予供等の天の使いの顔もあり、地殻を刻む創作家としでの労働者の顔もある。

 地震の為めに出て来た私は、本所で幸福な私を発見した。神戸の悲しみは、全く癒された。それで、私はまた西に帰って行く。そして、また嘆きの子とならう。それもまた、私の芸術であらねばならぬ。             ‘

  一九二五・一二・三

               賀  川  豊  彦

                 本所松倉町バラックにて
  

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第29回)

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「こうべ花時計とトーテム・ポール」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



    賀川豊彦の著作ー序文など

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                  第29回
  

           神の懐にあるもの

             大正14年12月5日 警醒社書店 187頁

 前回取り出した『神との対座』と同じく小型ポケット版の箱入り上製本で仕上げられた本書『神の懐にあるもの』の手元にあるのは、昭和2年9月に再販されたものを、昭和50年11月に「賀川事業団雲柱社」で復刻されたものです。表紙には「賀川資料室:雲の柱No202」と書かれています。

 そして『神との対座』と同じく、賀川は次のような短い「はしがき」をしるしています。


          *           *


             は し が き

 この書はイエスの弟子ヨハネの宗教思想を味ひつヽ私の宗数的経験を述べたものである。私はヨハネの宗数的雰囲気に浸ることをこの上なく光栄に思ふ。私はそこに神の姿なるキリストを偲び奉るのだ。そこに私のイエスの繋がる理由がある。

 この書は、親友村島帰之兄が、私の数回の講演を筆記してくれたものを整理したものであゐ。それに就ては、同兄に心より感謝せざるを得ない。

 私は憂鬱な東洋に、神の懐の開かれてゐることを紹介するを喜びとする。一つでも多くの魂が、そこを発見することは、私に取って大きな望みであり、喜びである。

  一九二五・一〇・二二

             賀  川  豊  彦

               ――北澤の小屋にて――




 今回も本書の最初に収められている序章にあたる作品を取り出して置きます。

 「永遠の乳房」と題するものですが、このタイトルは、次回に取り上げる賀川の第二詩集『詩集・永遠の乳房』に採用されているものです。




          一  永遠の乳房


            1

 前は闇である。周囲は暗い。いつこの闇が晴れるか わからない。

 あゝ それでも 私は衷なるものゝ力を強く握って進む。

     わが行く途 何時如何に

     なる可きかは 露知らねど

     主はみ心なし給はん

 温い涙が頬を傅ふて流れる。今迄導いてきて下さったのだもの、この後、どんなことがあっても救はれないことは無い筈である。

     備へ給ふ 主の途を

     ふみて行かん、一筋に

 凡ては備へられてあるのだ。苦痛に、貧乏に、迫害に、悪罵に、凡ては備へられてある。天の父は凡てを知ってゐて下さる。ただまかし奉らふ。

           2

 何にも苦労がない。別に努力をしてゐるわけでもない。それは恰も風のように自在に、自由に、あるが儘に 私は歩いて行く。

 東が白む、私は起きる。紫水晶のような空に、金箔をぬすくりつけたような曙が、私の前に開展する。私は静かに、今日の曙に就て神に感謝する。

 妻が私を朝飯に呼んでくれる。私は食卓の前に坐る。そして私は感謝をもで、玉葱の這入った味喰汁と、麦の這入った半白の飯を感謝する。

 急がしければ、私は走る。眼が悪ければ、考へ込む。金が無くなれば仕事を止める。金が少しあれば、仕事をする。

 夜が来れば、睡むるし、祈りたければ、森に這入る。私は風のように生きて、風のように暮してゐる。私は無理のない生活に、生命なる神の聖き交通を保つことを努力してゐる。

 一つとして、歓びで無いことがない。寝る時も、醒める時も、食う時も、走る時も、病む時も、語る時も、「私」のようで、「私」のものでない。凡てに無理のない風通しの善い心の持ち方をしていると、神は心のこの窓から入って来てくれて、心のあの窓から出て行ってくれる。

 私は、神の前に無理がない。私は神の前に、とっくの昔に落城したのである。私は、私の私ではない。私は風の私である。土の私である。本の私である。金の私である。火の私である。血の私である。私は私の分子をして、凡てに物語らしめる。私は、血の私である。情熱の私である。地震と噴火の私である。

 私の胸は噴火口である。ナザレのイエスの赤い血は、私の胸に吐け口を求め、私は、その血の為めに、胸のうづくのを覚える。それでも、私は至極平静で居れる。

 吹き披けよ、赤き血よ、人類の凡て汚れたる血を贖はんとする赤き血よ、私の胸を吹き抜けよ! 血の台風よ、私の胸に湧き立つが善い、竜巻よ、起れ、私の胸は低気圧の中心になってゐるのだ。私は、神の嘆きを胸底に感じ、神のうめきを、魂のバロメーターに読む!

 どうして、私だけが、安閑として居れようか、主、わが神が、この悲しき人類の混沌に泣き給ふ程に。

 東風は、私の魂のこの窓から入れ! 北風は次の窓から。南風よ、競へ! 西風よ咆えよ! 私の魂は、今台風の中心だ!

 私の魂の寒暖計が急激に上下する。バロメーターの水銀は漸次に高まる。高まるだけ高まれよ! それも、御計劃の一つではないか!

 私の胸底は、神が占領し給ふたのだ。神は風の如く 自在に、私の胸底に吹き廻り また鎮まる日に、鎮まり給ふ。

 『神さま、御自由に、御自由に。あなたは既に、私を捕へ給ふたのですから、私はあなたの捕縄に満足し、あなたが 私の肉体の上に踊り給ふとも、私は満足します。神さまよ、勇躍して下さい、私の肉体を踏み台として………それは、 あまりに光栄です。光栄です。』 

            3

 何と言う、光栄であろう。穢れ果てたこの虫くうた魂をも、神――わが神が占領したまふとは。懺悔の日、まだ尽きざる中に、悔恨の涙まだ乾かざる中に、神は、私を踏み台としてもの言ひ給ふ。

 さらば、私の魂よ、おまへほど幸福なものはないではないか! 懺悔の日に、み神は光栄の姿をもて、おまへに近づき、わななく手を捕へて、固く握り〆め給ふ。

 そは、誠に、恋人に似ては居ないか! それは、現(うつつ)の眼では見られない光栄である。み神は新婚の新夫の如く、輝きの姿で、私を御胸近く引き寄せ給ふ。何と云ふ感激だらう。

 私は『恥かしいですから、お赦し下さい、あなたにお目に懸かるには、私は、あまりに穢れて居ります。アダムにつく、私は、とても、永生の御姿でゐられる、あなたを拝し奉ることは出来ません。どうか、私を、あなたの前より隠させて下さい』かう申上げても、わが神は、お赦しにはならない。

 『功なくして娶るその愛を恵みと云ふのだ。罪の身をも猶愛せんとするのを贖いと云ふのだ。私はおまえを罪の奴隷より贖ひ、神の子の花嫁として娶る――』

 こんな馨が、かすかに、私の魂の耳底に聞える。そして私はわななく腕を支えられ、震ひ上つてゐる五体を抱き上げられ、太陽よりも、輝しく、オリオンよりも眩ゆい光栄に移される。

 『それは、あまりに充分です。それはあまりに光栄です――この土塊に等しい私を、生きながら、その光栄に移し給うことは、私に取っては、無限の光栄です。私はこの光栄を御辞退申上げます。』

 かう云った言葉も、神はお聞き上げにならないで、神は、私をその懐に近く引き寄せ給ふ。

 神は 今迄の罪咎を忘れ、全くの感激に、云ひつくせぬ光輝に酔ふ!

 さらば、私は之から、神に出発して、肉体の旅を続けよう。然し今迄の肉体はあまりに恥かしい! 乙女マリアが孕んでゐてくれたなら、かうした間違はなかったらうが、私は娼婦の子として産れ、産れ乍らにして、罪の子である。

 再び産れかはる秘術もあらばと思ひ煩つてゐる私は、ただ感激に溢れて、すすり泣きをしながら、神の懐の中に、わななくのであつた。

 おゝ 恵みよ、溢れ出づる恵みよ、父なるみ神の懐に、暫しの程やすらうことさへ 光栄であるに、この土塊を末ながく、はゞくみ給ふ御恵みは凡ての言葉を超える。魂よ、感激と云ふことを知つたか? それなら、おまへは、新しき出発を急ぐが善い!

 前は暗い! 後は闇だ! 然し、神の懐はいつもお前を待つてゐる! 疲れたらすぐそこに帰って行くが善い。永遼の乳房がおまへを待つてゐる!

 おゝ、永遠の乳房! 永遠の乳房!

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第28回)

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「新湊川公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

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                  第28回
  

        神との対座

          大正14年8月18日 警醒社書店 192頁

 『神との対座』という賀川らしいユニークな題名を付けた本書は、小型ポケット版で箱入り上製本で仕上げられていて、前著と同じく書物本体は、彼の袋文字で表紙も背文字なども書き上げています。
そして、巻頭の短い「はしがき」には次のように記されています。



            は し が き

 この小冊子は、親友村島帰之兄の好意で出来上ったものであります。友人吉田源治郎兄は私の講演を筆記する序に、私の祈をも筆記して取って置いて下さったのです。それに習って、村島兄も私の講演後の祈を筆記して取って置いて下さったのであります。それを此度纏めて出して下さることになったのであります。

 私は人が迷信とも考へる所か絶えず続けて居るものであります。それで、此の小冊子を私の祈の友達に捧げると共に、それか信ぜざる人々の批判を充分に受けたいと思ひます。

 改めて私は此書の為めに努力して下さいました、村島帰之兄に心よりの感謝の意を表します。

  一九二五・七・二九 

                賀 川 豊 彦

                  ―武蔵野の小屋にて





 賀川の祈祷は、膨大な数にのぼる講演記録の著作のなかに数多く収められていますが、彼の祈祷のみを集めて祈祷書として仕上げたのは本書が最初です。

 この作品は『全集』に入りましたが、後に(昭和7年)に黒田四郎・吉本健子両氏によって第2の祈祷書『神に跪くーその日その日の祈り』が上梓されており、それは『全集』には省かれています。

 なお『神との対座』の巻末には「主の祈に就て」の解説が、新たに書き添えられています。ただし、本書に入っているいくつかの作品は、既刊の随筆集などで発表済みのものがあります。

           *              *

 今回は特に本書の巻頭にある「神との対座」の一文をここに取り出して置きます。



             神との對座

 尽きざる恵みの油壷に、汲めども、汲めども猶油は底から涌いて来ます。その秘術はあなただけが御存知です、父様-―

 もう行詰つたか、もう押し潰されたかと思ふことが幾十回であつたか知れませんでした。然しあなたは、その凡てに尽きざる恵の油壷を、私の為めにお備へ下さいました。(列王紀略下四章)

 神戸の貧民窟に、東京のバラックの軒下に、あなたは、エリシャの時代にもおとらない奇蹟をおみせ下さいました。私は、あなたのお顔を拝んだことは一度もありませぬ、然し、あなたの御手の指先はよく拝することが出来ます。何一つとして、とりえの無い私に、かくまでお恵をお注ぎ下さることは全く、私に取っては、今の世の奇蹟で御座います。

 もう凡てが奇蹟の奇蹟であります。私の生きてゐること、動くこと、食事の為めに坐ること、寝ること、山のあること、草木の生えてゐること、花の咲くこと、そして、病気のあること、それが、また治ること、………………「死」のあること、然しそれでも人間の数の減らぬこと、奇蹟です、奇蹟です、これほど不思議なことは、私には想像もつきませぬ。

 自然法というふもの、そのものが第一の奇蹟です。その自然法の組合せによって出来上った世界に、目的のある人間が別段大きな衝突もなく生きて行けると云うこと、それに良心のあること、まあ、何と云ふ大きな奇蹟でせう。その上に、祈りたい心持ちのあること。

 父なる神さま、私は、あなたに絶えす祈って居ります。そして嘗てあなたの御聲を人間の聲のような音響として聞いたことはありませぬ。

 然し、あなたが、私の祈り以上に、お答へ下さったと云ふことを信じないではおけませぬ。

 あなたの御聲は人間の聲とは違ひます。それは歴史を通じて物語って下さいます。それは良心の最高善としてお語りになります。人は私の良心の最高善を笑ひます。『そんな、ぼんやりしたものが、祈りの對象になるものか?』と云って。

 然し、その最高善に延び上りたい為めに、私は、いつも祈り続けて居ります。

 最高善にまで延び上ることは、私に對しても、喜びであり、あなたに取っても、御満足なことであると思ふからであります。

 私は、聲なきあなたの御聲を常に聞いて居ります――それは自然に、歴史に、良心に――その御聲は、常に『延び上れよ、要求せよ、最高善に進めよ、神の芸術の為めに、凡てをきよめよ』と宣ってゐられます。

 また、『おまへの途は、私の途だ、神の為めに、最高善の要求をせよ、祈れよ、祈れよ』と。

 他所から見て居ると何だか、ひとり聲を出して、對手も何にも見え無い時に、祈ることは、発狂してゐるかのようにも見えると思びます。然し、祈りの形は一つの表象であります。あなたは、その祈りの表象を必しもお咎めにはならないと思ひます。

 悲しい時に、淋しい時に、生え上らんとする時に、ひとりぼっちで居る時に、私はあなたと對座いたします。そして、今日までどんなにか、お恵みを戴いたことでせう。

 獄中に、病床に、貧民窟に、裁判廷に、示威運勁の行列の先頭に、大演説會の舞台裏に、借金で困ってゐる日に、罵○○謗の真唯中に、あなたは常に、私の前と後に立って居で下さいます。あなたこそ観音力の観音力、何人も浸す能はざる銅(あかがね)の垣で居らしやいます。

 私は小さい世界の、小さい表象を以つてあなたに話しかけます。そしてあなたは、大きな世界に、大きな仕組で、聲なくしで、聲ある不思議な開展を以って、私にお答へになります。

 私は或紳秘主義者のように、あなたから即座にお答を聞かうとは致しませぬ。

 昔の神秘主義者は、即座のお答をあなたから戴くことに速急でした。そしてあなたも亦、それらの人々に色々な不思議を通して、人間らしいお答をなさったようでした。

 然し、今日の私どもは、あなたのお聲を昔の預言者のように、人間的聲としてお聞き申さうとはして居りませぬ。あなたのお聲はあまたのお聲として、萬有の中にお聞き申したいと存じて居ります。そして、私はその萬有の進行を通じて、人間の祈りの聞かれるものなるを固く信じてゐるのであります。

 私は最高の要求(祈りの出発)と最高の努力(祈り進行)によって、あなたのお答が宇宙の各方面から響いてくることを信じて居ります――或時は友人の親切を通じ、或時は家畜の温順を通じ、更に我等を環る自然の変化を通じて、あなたのお答は完全であります。

 私は、凡てをあなたにお委せして居ります。私の計企に落度の多いことはいつものことであります。その時に於てすら、あなたは私をお救ひ下さいまして、再生の思ひに立ち到らしめて下さることをいつも乍ら感謝いたして居ります。

 私は無一物になることが少しも悲しくありませぬ。元来が無一物から出発したものでありますから、無一物の日の歓喜をよく存じて居ります。ただあなたからお預りした色々の材料や能力や人材を出来るだけ、み栄の為めに生かしたいと思ひまして苦心いたして居ります。

 星暗き闇夜に人里遠き野原を逍遥する時、どんなにか、あなたの御手の恵深い事を思ふて感激することでせう。密室に、過去のみ恵を思ひ起すと、私は感激の涙で机を蔽ふことは幾十度か存じませぬ。

 私の不覚、私のふつつか、私の生意気、私の無知、それらに対しても、あなたの御愛の至大なることを思ふて、あなたが誠に救の父であられることを、いつも考へて居ります。

 私の知人、友人の中にも隨分失敗するものが多く御座ります。然し、その罪をもあなたがお赦し下さるのだと思ふと、あなたの博大な愛に怖ろしくなります。誠に十字架を通して、お語りになりました、特赦の福音こそ私共には全く不可解な、然し、誠に有難いお覚召と存じまして、固く信じさせて頂きます。

 この千九百年前の特赦の福音、新生の福音を、私は今更ながら、新しく味び直して居ります。

 赦して頂く道理の無い時に、赦して頂くことは全く人間の進化の道程に取つては超自然的のことでござります。而もその超自然のお力が人間の良心とその努力を通じて、常に新しく加へられて居ることを知りまして、うれしくてなりませぬ。

 常に新しい父なる神様、今日も私はあなたを前にして労作を続けます。そして恵の日をまた一日加へさせて頂きます。誠に(アーメン)。誠に(アーメン)。

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第27回)

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「わがまちの<金楽寺>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

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                 第27回
  

        福音書に現れたるイエスの姿

         大正14年1月20日 警醒社書店 99頁

 『死線を越えて』三部作を完成させた翌年(大正14年)の初めに刊行したこの著作は、賀川としては珍しく100頁にも満たない小著であり、簡易なつくりになっています。

 表紙は、前回『死線を越えて』の下巻『壁の聲きく時』の資料としてUPした賀川の表紙原稿がそうでしたが、書名と著者名を得意の袋文字を手書きしたものが、そのまま用いられています。(扉をあけて目に止まる題字は表紙の題とは異なり「四福音書に現れたるイエスの姿」と活字印刷されているのもご愛嬌というところでしょうか。)

 そしていつもの「例言」で、賀川は次のように書き記しています。これを見ても、前に取り上げた『イエスの日常生活』と『イエスの内部生活』は、本書と共に村島帰之氏による筆記であることがわかります。
 『イエスの日常生活』と同様に本書も全集には収まりませんでした。

               *      *

                 例  言

 一、本書は、イエスの姿を、浮彫の如く、人々の胸の中に刻まうとして、ものしたもので、既に公けにした「イエスの日常生活」及び「イエスの内部生活」と併せ読まるゝならば、イエスの姿はハッキリと、読者の胸に甦って来るであらう。

 二、本書は東京麹町教会において説教したのを友人村島帰之氏が筆記してくれられたものである。

              *        *

 本書の巻頭の「魂の彫刻」と題される「序編」は「私の魂にイエスの姿を産み付けよ」という副題をつけたもので、おそらくこれは、賀川が自ら筆を取って書き上げたものだと思われます。

 以下に、この「序編」を文字にしてみます。なお、「魂の彫刻」という表現は、のちに(翌年)完成した有名な著書『魂の彫刻』の書名となっています。




        魂の彫刻
        ―私の魂にイエスの姿を産み付けよ

 厳ならず、軟弱ならず、勇敢にして、愛あるもの、強くして、弱きに友なるもの、人間の摸表、師父の師父、永遠に若く、永遠に輝くもの、イエス・キリスト! 私は胸に誕生した彼の姿を憶(しの)ぶ。

 彼は幼くして鋸(のこぎり)と鑿(のみ)を友とし、建設者としていつも、新しき木の香に染まった。彼はレバンの森と、バシャンの林に就いて多くを聞いたであろう。彼は父ヨセフの去りし後その細腕で、ヤコブ、ユダを首(はじめ)とする弟の一群を母マリアと共に養わねばならなかった。然し彼は何の不平もなくそれに従事した。その間に、アケラオは国は追われ、アンチパスはガリラやの湖畔に白亜の宮殿を造営した。

 タイベリアスに近いナザレに閉じ籠っていたイエスは、風の便りに宮廷の出来事を詳しく聞いたであろう。アンチパスが、妻なるモアブの王アレタスが娘に対するユダヤの王の処置を憤り、国境に軍隊を送ったと言うことも、彼は道具棚の側で聴いたであろう。

 そして遂に、洗礼者ヨハネが、ヨルダンの河辺に罪の悔改めを国民に勧め、幾千の群衆が、彼に群がり行くと言うことも、そこで聞いたに違いない。

 イエスは静かに、大工部屋を歩み出した。そしてヨルダンの片ほとりに急いだ。イエスもまたヨハネの運動に参加したのであった。

 その後、イエスには静かなる一年があった。彼はヨハネと共に黙想した。彼は荒野に、河辺に、静思を続けた。ヨハネが北方のアイノムの水多き所に移った時も、イエスは猶、ユダの野に残っていたらしい。

 ヨハネが捕われて、イエスは遂に意を決して国民の更改に就いて、ヨハネの運動を継続する為に。北方ガリラヤに行った。彼はエルサレムの官憲と正面衝突することを二年間先に延ばしたのである。

 ガリラやの湖畔、森と畑と湖水の相連なるところで、彼はあの美しい空の鳥との野の百合の譬喩(たとえ)を物語られた。彼は家に、途に、野に、街に、群がり来る病者の望むが儘に、その愛の手を彼等の上におき、凡ての病を癒した。誠に彼は神の癒者(ゆしゃ)であった。

 彼は人間の魂の傷に膏を塗り、それにガーゼを巻いた。何十人か、何百人か、彼の手によって魂を癒された。アレキサンドリアの娼婦も、カぺナウムの高利貸しも、乞食のバルテマイもみなイエスの手に癒しを求めた。

 アダム以来、曲り来ったその性格的遺産に、貪りと、痴乱と、殺人と、不慈なる焔は燃え上がる。その消えざる火に人間がとまどう。イエスはその狂火に対する救いの源である。

 イエスは私の魂の髄に侵入する。彼の姿を私の胸に焼きつけてくれ、おお聖霊よ、自らの魂の醜き仕上げに、我ながら愛想をつかせているのだ。私の魂の彫刻に、私は何の慰むべきものを発見しない。それに対し七万人の罵倒を甘受する、実際私はそれほど醜いのだ。

 イエスが、ガリラヤの山地を捨てて、死地に自ら勇む、その英雄心を見よ! 弟子達を後にして、彼は一人エルサレムに急行する。多感なる彼には、空の鳥の譬喩はもう出なくなった。野の百合の物語も隠れて了った。迷える羊を求むる牧夫と,蕩児の帰還を待つ慈父の譬喩が、彼の口より漏れる。

 その静かなる口調に聞き入れよ、私の魂よ、彼は永遠の言葉を語っているのだ。

 エルサレムに突喊(とっかん)する彼は、祭司長千年の誇りを足下に蹂躙した。彼はエルサレム神殿の第一の冒涜者として、そこから鳩売の商人を追い出した。

 彼は沸騰せる魂の強き歩みをみよ。巨人の足跡に懐胎する女ありと聞く、彼の勇敢なる歩みに、私の魂も、彼の強きを懐胎せよ。

 死と十字架に直面して凱歌を挙ぐる千古不動の大決定、たとい、北極星がまた二十三度半後還りすることがありとも、イエスの決定は動かない。

 ー-人類を贖わんとする意志! 人の尻拭いに、身を抛(な)げ擲(う)たんとする大精進! そは神の大御心(おおみこころ)として、イエスの浄き胸にのみ啓示せられたのだ。

 私に残っているのは、ただ祈りである、神となる前に、イエスになる祈りである。

 たとい、全能なる神になり得なくとも、魂の世界にイエスの如く優者になりたい。

 否、彼の如く優者になる為に、弱者の為に屈(たわ)むものになりおうせたい。惰(なま)けたる天使の生活に入る前に民衆の為に労苦する贖罪者の雄姿に似通いたい!

 何人が、贖罪を拒絶するのだ! このアダム以来の性格的破綻の遺産を積み重ねている大地に対して。

 私にイエスの姿を産みつけてくれ! 蠶紙(さんし)の卵は温室に孵化する! 私の為にもい一度福音書を読んできかせてくれ! 何時、私の胸に、イエスは孵化するか? 蠶紙はすでに廻ったか? 温室の用意は整うたか? 桑の手入れは出来たが? 蓆(むしろ)は買入れたか? もう燕は南から返って来るぞ! 然し私の魂の彫刻の為に、何等の準備は出来て居ないか?

 私の為に、もう一度、福音書を読み直してくれ! わしが民衆の贖罪の為に、逃げ支度する日に、死の恐怖にたぢろぐ時に、自然の慈愛を疑う時に、わたしの為に、もう一度福音書を、読みきかせてくれ! 私の魂に隙間を作り、その隙間よりイエスを忍び込ましめよ――彼が閉ざされたるエルサレム高楼に忍び入りし如く!

 私は、福音書をも一度、、読み直す。そして、もしも、イエスが私の魂に充分孵化する可能性があるか、否かを考える――ー

 私は神になる前に、先ずイエスになろう、贖罪を完成せぬ前にアダム以来の産破宣告を取り消さぬ前に、私は神になることは出来ぬ。私の魂の彫刻の為に、イエスの姿を、私の胸に産み付ける!

 蠶室の準備は出来たか? 藁は整うたか? 棚は出来たか? 南の燕が還って来ぬ前に、私は凡ての準備を整えねばならぬ。魂の彫刻の為に、イエスが私の胸の厩(うまや)に産まるる為に―――

   1924年10月29日

                松澤村の小屋にて

                    賀 川 豊 彦

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第26回)

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「賀川記念館でのハンセン病問題学習会」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

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                 第26回
  

      死線を越えて 下巻 壁の聲きく時

          大正13年12月1日 改造社 510頁

 賀川豊彦の代表作である小説『死線を越えて』は大正9年10月に改造社から出版され、大ベストセラーとなったこともあって、その続編がおよそ1年後の大正10年11月に『太陽を射るもの』と題して「中巻」として刊行されました。

 「下巻」はその2年後、大正13年12月に『壁の聲きく時』を完結させ、「賀川の神戸時代」を書き切りました。

 手元にあるものはその初版本ですが、1968年春に神戸の下町で在家労働牧師を目指して新しい歩みを始めてまもないときに、ゴム工場の近くにあった長田区内の小さな古本屋さんで見つけたものでした。

 本の背や本体もずいぶん痛んでいますが、私にとっては、ゴム労働の修行中によみ通した想い出深い本でもあります。

 本書には上巻・中巻いずれにもなかった「序」にあたる一文が入っています。

 そして、どうして私の手元にあるのか失念していますが、松沢資料館所蔵資料のコピーが3枚――『死線を越えて下巻壁の声きく時』の原稿――があります。

 なお、この「下巻」も「上巻」「中巻」とともに昭和2年に「縮刷版」が出ています。なぜかこの「縮刷版」では「下巻」にあった大切な「序」が省かれています。そして本書は、昭和58年には社会思想社の現代教養文庫に『壁の声きく時―続々・死線を越えて』も刊行されました。ふつう『死線を越えて』といえば、上巻をさすかのように最近の復刻版は出回っていますが、改めて強調するまでもなく、上中下の三部作で完結した大作です。

 それでは、ここでは、この巻の冒頭に1頁分加えられている一文を、つぎに取り出しておきます。




 静かに壁が私に囁きます。前途を遮る障壁はいつも私には獣示です。

 静かに壁が私に聲をかけてくれます―――『己を見捨てないものは捨てられない』と。

 壁の聲をお聞きなさい! 璧の聲を! あなたの行手を遮る障壁は無生の物ではありません。恐慌に泣くものも、震災に悩むものも壁の聲をお聞きなさい! 静かに壁があなたに聲をかけます―――『已を捨てないものは捨てられない』と。障壁は私の魂の害にはなりません。私の魂が寸延びれば、障壁は私の前にI寸退きます。私は自分を見捨てません。恐慌よリ猶怖いものがあります。それは自己冒涜です。震災より猶恐ろしいものがあります。それは自己の放棄です。自分が前に押進む日に、障壁はあなたの前に退きます。
怯(ひる)まないで下さい、私の愛する日出づる國の人々、仕事は之からです……

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第25回)

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「但馬牛」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

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                  第25回
  

         イエスの内部生活

           大正13年7月5日日 警醒社書店 281頁

 本書『イエスの内部生活』は、ほぼ1年前になる賀川の神戸時代の作品『イエスの日常生活』の「例言」に「『イエスの日常生活』は『イエスの内部生活』と合わせて読んで戴きたいと思います」と書かれていました。

 ですから、この作品は『イエスの日常生活』が「神戸イエス団に於ける聖書講演を、村島帰之氏が筆記して下さったもの」ですので、本書には「例言」はありませんが、これも同時期に「神戸イエス団に於ける聖書講演」で村島の手によって仕上げられていたものであることが、考えられます。そのことを裏付けるように、本書に収められたものは、ほとんどが『雲の柱』の大正12年3月から5月の号に掲載されているのです。

            *          *

 本書を一読されるとおわかりのように、「神戸イエス団に於ける聖書講演」のどの講演をとってみても準備周到な内容であり、賀川の聖書講演は、多くの場合、謄写印刷の数枚の資料も準備されて、丁寧に行われていた事も、残されていた資料で確かめることができます。こうした一連の連続講演が、すぐ2冊の書物となって仕上がっていくのですから、驚きです。

            *       *

 ところで、手元にある原書は大正13年のものではなく、昭和13年4月に装丁を代えて出版されたものです。もちろん、本文は初版と全く変わらないもののようです。

 本書の「序」は、1924年6月12日付けで「バラックにて」記された「イエスと魂の会話」という小品です。




           
                 序

             ――イェスと魂の会話――

 私『イエスよ―― あたかが悶えた 人類の欠点と失敗は また私達の悶えになって居ります。いっになれば いやな人種争闘の声と、階級戦争の叫びが鎮まるのでありませうか? 救主よ、わたくし達の立場を不欄とは お思ひになりませんか? 私は悶えて   居ります。凡てがアルコホールと梅毒の仕業のやうにも考へられますが、そうではないでせうか? 罪人の友、悩むものの慰め手、どうか、この悲しむ魂に光を与へて下さい』

 イエス『おまへは そんなに いらだたしくしてはならない。私を信じ また神を信じまた神を信じなさい。私の使命は、飽迄罪人の支え柱、貧しきものの友として努力することにあります。それが神の御心です。神とは救こんとする意志と云ふことです。それを固く信じて、あまり悲しまないで居て下さい』

 私『それはよく知って居るのです。然し、その救の手の延びることが あまり遅いぢやありませんか?』
 
 イエス『それは心配しないで、私をお信じなさい。見ずして信ずるものは幸ひです。』

 私『みなのものは あなたを拝めば救はれると云ふてゐるのは ほんとでせうか?』

 イエス『私を拝んではなりません、『父』は私より偉大です。私は偶像ではありません。拝む可きものは父です。神です。私はただ『父』の救ひを見て来た儘に知らせるだけです。私は救そのものです。私は愛です。救です。生命です。真理です。拝むべきものではなく、生く可きものです。』

 私『よくわかりました。ではあなたの如く生きれば善いのですね』

 イエス『わたくしの魂の内側に住み込んでくれると善いのです。そうす札ば、私もあなたの魂の中に住みまず。つまりあなたが私になれば善いのです。私を信ずるものは 私のする位のことは出来ます。いや、仕事の上に於ては 私より大きなことが出来ませう。』

 私『まア 何と云ふ謙遜な!』

 イエス『謙遜ではありません、それほど 私の説く途は安易な道です。だから重荷を負ふてゐるものは 私を途にして私を踏み付けて進むのが最も善いのです。』

 私『有難う御座います、何だか あなたが普く理解されて来たやうに思へてなりません。あなたの博大な愛を伺ひますと、ことりでに涙が流れて来ます。悪に傾むく人の多い世の中に、あなたのやうな人が善くあったものですね。』

 イエス『もう一つ あなたに注意して置きます。私を理解する人達は互いに可愛がり合ひをしなさいね、可愛がり合ひをすることによって、世の中の人が、あなた達が、私の弟子たることを知るのです。この意味がよくわかりましたか?』

 私『それではなんですね…ただ信仰一点張りで我執を張らないで 愛の中に一つになれと云ふことなのですね』

 イエス『そうです、私か天の父に愛せられてゐる如くに あなた達も互いに相愛す可きです。それが救であり、生命であり、途であるのです』

 私『何と云ふ尊いお言葉でせう。あなたは儒仰の神秘を全く愛と云ふ賤しめられた言葉でお示しになるのですね。そんなに信仰と云ふものが単純なものであるとは 私も今日まで気がっきませんでした。』

 イエス『父は愛の神です。愛あるが故に、救はんとする意志をお持ちなのです。救とは愛と云ふことです。愛が救ひなのです。その愛を信ずることを信仰と云ふのです。』

 私『ありがたう御座います。よくわかりました。私もその心持で進みませう。私は日米問題の八釜敷い今日、労資階級戦争の激しい今日、飽迄もあなたの御精神で進みたく存じます。どうかお導き下さいませ。私はあなたが十字架の途をおとりになったこともよく理解が出来るやうに思はれます。私は恐れ多いことですが、あなたを踏み付けて進ませていただきます。そして私もまた 後に来るものに 踏まれませう。アーメソ』

      (一九二四・六・一二  バラツクにて)

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第24回)

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「布引の滝」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作ー序文など

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                 第24回
  

        地球を墳墓として

          大正13年6月21日 アテネ書院 446頁

 前著『愛の科学』が出版されて一ヶ月も経たない6月21日に本書は出版されています。
 大正13年の3冊目の著作として、「アテネ書院」という新たな出版社でした。『愛の科学』と同じく450頁に近い大著で、もちろんこれも箱入り上製本です。

 手元の原書は、6月23日に出た第6版となっていますが、よく見ると三日目に6版というのは間違いではないかと思われるほどの、これまたモウレツな読まれ方です。また、奥付の著者印も、前回に続いて「串」印になっています。

            *       *

 本書の「序」の末尾には、「1924・6・11」「東京本所松倉町バラックにて」と記されていますが、本文に収められている作品の執筆の日付を見ると、半分ほどは「神戸時代」の作品が含まれています。特に本書の中の注目すべき論文「法華経を読むー法華経とイエスの福音」は、関東大震災の起きた当日、「1923年9月1日」に書き上げられています。

 なお、本書は前掲『雷鳥の目醒むる前』に続く「散文詩」「感想」「随筆」を収録した名品ですが、これの「改版」や「新版」の形跡はないようです。

                 *     *



            地殻を破って

              序

 わたしの魂よ、強く生きよ。善と美に対して強く生きよ。春先に麦の芽が黒土の地殻を破って萌え出づる如く強く生きよ。混乱を越え、争闘と、怨恨と、暴行と、脅迫と、病弱を越えて強く生きよ。

 わたしの魂よ、正しくあれ! 常に張り詰めで居れ。雪崩れが落ちて来ても、強くあれよ。わたしの魂よ、穽に陥れられてもおそれるな。凡てを破って成長せよ。

 おまへは一人居つてはならぬ。痛める魂を労はり、傷つけるものに膏を塗れ。おまへは病児の友、敗者の助け手、盲者の手引き、白血球の仕事をせよ。強くあれ、私の魂よ、民衆は土耳古犬の様に吠えたぐつて、階級闘争を叫ぶ時に、おまへは忘れられても、傷つける霊の為めに静かこ解放を説いて来い。

 おまへは代議士になってはならぬ。おまへにもう幸にして官吏にはなれぬ……前科が二犯出来たから。牧師にも向かない。専門学校の先生にも駄目だ。おまへは新聞記者にもなれぬ。おまへは一生辻の乞食と淫売婦を女達として送れ! おまへは一生貧民窟を出てはならぬ。おまへは一生辻に立て! 路傍説教をやめるな! おまえには教会が無いから辻の石の上に立って、解放と罪のゆるしの福音を説け!

 わたしの魂よ、神戸に貧民窟が無くなつたなら大阪に移れ! 目本に貧民窟 が無くなったなら支那に移れ!

 おまへの魂は一生貧民窟に縛りつけられて居るのだ。

 雪崩のあつた後に空か真青に澄むやうに、私の魂の上に空か晴れる。私は地殻を破って甦る!

 魂よ、マッチ箱生活を理想とする安住の子の魂よ、おまへは落付いて内なるものの爆発する声を聞け! 神は内なるものである。

 魂よ、内なるものがおまへに力附ける。おまへは強いものだ! 人間の子の小使として充分労働にに耐え得る。ナザレの大工のやうにおまへも地上を廻っで善と労働をして来い。妥協のなき愛に生きて来い。

 私の魂は強く生きる。噴火口の烟の如く如く海洋の潮の如く、強く生きる。私の霊は自殺することが出来ない。死も棺桶も蓋をめくって廻る。死を飛び越えた私の魂は墓地を廻って棺桶の蓋をめくつて廻る!

 出て来い、凡百の魂よ、死の床より起きで来い! 地殻を踏み破って立ち上って来い! 起床の喇叭が鴫るでは無いか! 永き眠より醒めよ! 罪と憂鬱の虜より解放せられよ! 因循と、麻酔と、善に対する虚弱より醒めよ!

 私は道徳に酔ふ! 外側の道徳は振り捨てて了った。内側で発酵した善が私を酔はしてくれる。酒も飲まないのに私はほろよい機嫌だ! 神と道徳の耽溺者は墓場から、地獄にあいそう愛憎つかされて、神に酔払って此世に迷い出て来た!

 棺桶の中に安眠するものよ出て来い! 繭よ、蛹よ、墓地を噛み破れ! 発明せよ! 爆発せよ! 死の扉を打砕け!

 魂よ、白日を仰いで、昇天せよ!

 百万の太陽を浴びつつ、翼なくして空中にで踊れ!

 内なるものが爆発して居るではないか!

                賀 川 豊 彦

                   神戸貧民窟にて
プロフィール

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Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

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