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「賀川豊彦の贈りもの」(第3回)(賀川記念館主催「賀川豊彦講座」2008年3月6日)

今回の箇所は、琵琶湖畔にある滋賀県近江八幡市の郊外の「仁保(にぼ)教会」時代のことに触れていますので、その頃の写真を2枚収めて置きます。


1枚目は、周辺は広い田畑がある農村地帯でもあり、米の収穫のときは、幼いときから経験のある稲刈りなどもいたしましたが、その風景です。


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もう1枚は、仁保教会の前で、1963年8月に撮されたものです。古い住宅の一部を教会にした「家の教会」で、私には大変気に入った場所でした。写っている方々の詳しい説明をしたいところですが、ここでは写真のUPのみにいたします。


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              賀川豊彦の贈りもの(第3回)


      (前回につづく)


              滋賀県近江八幡市「仁保出合いの家』体験


ついでにもうひとつ、学生時代のことです。4回生のときでしたか、神学生の場合「夏期実習」というものがあります。わたしはそのとき、滋賀県の近江八幡市の郊外にある小さな農村教会に派遣されました。


ここは「近江ミッション」といって、建築などでも有名なウイリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)さんを中心に、市内に近江兄弟社というメンソレータムの会社をつくるなどして、ミッションスクールや病院、そして図書館なども建てて、牧師さんたちもチームを組んで、琵琶湖畔につぎつぎと教会をつくっていきました。


「湖畔の声」という月刊誌も出ていましたね。わたしが実習にでかけたころは、ヴォーリズさんは病気療養中でしたけれども、奥様の一柳満喜子さんはご健在でした。


ヴォーリズさんと賀川さんは同時代の人ですから、お互いに深い交流もあったようですし、ヴォーリズと歩みをともにした吉田悦蔵という方が書き残した「近江の兄弟ヴォーリズ等」(警醒社書店、1923年)に寄せた賀川の長い「跋」を読みますと、そのことがよく分かります。


将来農村の小さな教会の牧師になることが、わたしの夢でしたので、派遣された実習地の「仁保教会」は、田舎の民家の半分を買い取ってつくられた、文字どおりの「家の教会」で、とても気に入りました。美しい琵琶湖畔で経験した教会学校の夏季キャンプなども楽しいものでした。


牧師さんは安藤斎次先生といって、賀川先生とも非常に深いかかわりのある方でした。『百三人の賀川伝』にも寄稿したり、『賀川豊彦全集』のなかにも出てくる牧師さんでした。


ところが、夏期実習が終ってすぐに、その安藤牧師が忽然とお亡くなりになったのです。教会の方々も困られて、急遽わたしに、ここに住み込んで大学に通ってほしいという、思いもかけない申し出を受けてしまいました。それでやむなく、毎週の説教や日曜学校など、牧師の代役のようなことを、神学部の学生のときに引き受けることになったのです。


けっきょく大学院の2年間も、自炊しながらそこから京都の大学に通学し、修士論文もここで仕上げて、卒業のときも、正式にこの教会からの招聘を受けることになりました。


ですから、わたしたちの初めての任地はこの場所で、新婚生活のスタートの場所でもありました。何しろ農村の小さな教会でしたから、近江兄弟社学園の聖書科の教師などもやっておりました。


                 「出合い」と「対話」

学生のころからわたしには「出合い」と「対話」というふたつの大切なキーワードがありました。現在もつづいていますが、ドイツの戦後復興を担ってきたクリスチャン・アカデミーの「ターグング運動:出合いと話し合い運動」が、日本にも伝わってきておりました。「出合いと対話」を積み重ねて新しい社会形成と自己形成をうながす、面白いムーブメントで、密かにわたしは、この運動に関心を抱いていました。


そんななか、わたしたちの「小さな家の教会」は「出合いと対話」にはぴったりでした。仁保教会は10数人の礼拝でしたし、もうひとつの野洲伝道所は、となり町あって、民家の小さな離れを借りて、5人ほどの集まりをしておりました。


いずれもまさしく「家の教会」で、伝道所の方では、いつも車座になって礼拝をしていました。礼拝のなかで「出合いと対話」が生まれ、交わりのときをもつことができたのです。


仁保教会でも、みなさんと相談をして、教会の名前を愛称として「出合いの家」と呼んでみたり、玄関にはわたしの下手な詩のようなものを掲げたり、『現代における新しい礼拝のあり方』という自家製のパンフレットを作ったりして、楽しい駆け出しの新婚生活の2年間を過ごしました。若さをまるだしのような、危なっかしい試みをして、みなさんにはご迷惑をかけたのではないかと思います。


そして嬉しいことに、わたしたちに新しいいのちを授かり、そこで子育ても始めます。加えてつづけて、年子となる二人目のいのちが宿ることになりました。


じつはそのことがひきがねとなり、あまりに少ないメンバーで、これ以上の経済的負担はかけられないということから、わたしも人並みに悩みぬいて、ひとまず「出稼ぎ」に出るという決断をいたしました。


その「出稼ぎ」先が、この「神戸イエス団教会」だったわけですね。1966年の春のことでございます。



  (つづく)

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