スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「賀川豊彦の贈りもの」第4回(賀川記念館主催「賀川豊彦講座」2008年3月6日)

今回の箇所に記している賀川記念館の「古着市」は、毎年賑わっていましたが、これは1966年12月8日の写真です。多くの方々が、衣類だけではなく、贈答品などの手持ちのものをいっぱい寄贈され、地域の皆さんに喜ばれました。おまつりのような賑わいでした。イエス団教会の皆さんも、もちろん総動員でした。


1




               賀川豊彦の贈りもの(第4回)


        (前回のつづき)



               「神戸イエス団教会」体験


お手元に、賀川記念館の機関誌である『ボランティア』のコピーがあると思います。
これは1989年発行の古いもので「四半世紀前のことなど」という題がついています。いまから数えますと四半世紀前どころか、42年も昔のことを書いた短い文章です。


ここに書き記しておいたことは、わたしには忘れることの出来ないことでしたので、こんどの『賀川豊彦の贈りもの』のなかにも、特別にこの古いものを収めておきました。


振り返りますと、とても不思議なことです。ひとまずの「出稼ぎ先」が、賀川先生のホームグラウンドである「神戸イエス団教会」だったわけですからね。生まれて初めて神戸に来て、村山牧師はじめ教会役員の方々との面接に臨んだのです。


まだ20代半ば過ぎの青春時代! 村山先生も、いまわたし同様に白髪を蓄えた好好爺?でいらっしゃいますが、当時はもちろんお若くて、その顔つきも精悍そのもので「いかつい親分」といった趣きがございました! じっさい先生は「親分!」で通っていました!現在もそれは変わりませんか?



                面接での武内勝さんのひとこと


ここに書きましたのは、賀川記念館3階の応接室における面接のことです。村山牧師ほか、緒方彰さんや武内勝さんなど、御歴々の面接を受けたのです。


わたしはそのとき、いつものように顔色も悪くて、風采のあがらない格好で面接にのぞんでいたのだと思います。そのときどんないきさつからか、わたしの健康状態について話題がすすみました。


面接の場で話すべきことではなかったのでしょうが、どういうわけか、つい口をすべらせて、父親が結核で若くして亡くなり、わたしは生まれたときには小児結核で、数カ月の命だと医者から宣告され、それでも幸い生き延びることができて、小学校を卒業するまでは、体操のときなど木陰の下で背を丸めて見ていたこと、さらにそれ以後も、あまり健康といえるからだではないことなど、心配になるような打ち明け話のようなことをしてしまいました。


ところがそのとき、即座にわたしの話のあと、役員の武内勝さんがわたしにおっしゃいました。「いくらからだが弱くても、ここで働いて見ようという気持ちさえあれば、それで十分だ。賀川先生は、弱いからだそのままで、ここで一緒に生きて下さったのだから、何も心配はいらない!」 武内さんはわたしをそういって励ましてくださったのです。


わたしは、この身にしみる言葉に、たいへん感激いたしました。わたしはその感激した熱いきもちをかかえて、岐路につきました。あのときのことが、いまでも鮮やかにわたしの記憶のなかに残っております。


ところがその面接の後すぐ、3月31日に武内勝さんは、突然にお亡くなりになったことを知らされました。わたしは4月1日にここに赴任しましが、最初の仕事が、悲しいことに、武内さんのご葬儀だったんですね。


                  楽しくて楽しくて


賀川記念館はいま新しく建て替えのときを迎えていますが、わたしが参りましたときは開館してまだ3年で、ピカピカの賀川記念館でした。記念館の周辺は、かつてのスラムの残滓が色濃く目に付くような状態でしたから、鉄筋立ての記念館は、耀いて見えたものです。


わたしたちの家族は2階の部屋にいて、3階には記念館の相談活動にあたっておられた加藤忍さんのご家族がおられました。そして管理人の国府さんご夫妻がわたしたちの部屋の前におられました。当時この地域は、まだいろんな問題をいっぱい抱えていましたから、記念館のおこなう毎日の「セツルメント活動」というのも、値打ちのあるものでした。


記念館の若いスタッフも、祐村明さんや加藤鉄三郎さん、そして宮本牧子さんや近藤孝子さんなどが陣取って、元気一杯で生き生きと活動されていました。わたしも記念館の行事にかかわれるのが、楽しくて楽しくてですね!


地域の人々にとっても、バザーとか古着市など、いつも楽しみにされていました。卓球部屋もできたりして、なぜかわたしに、卓球大会の優勝楯を頂いたことがありますよ!


毎日、記念館と友愛幼児園と教会とが、みんなが団子になって地域にかかわっていて、愉快なときを過ごさせていただきました。


賀川先生は、教会でも何でも、建物よりもひとりひとりが、生き生きと仕えあって生きることが面白いのだ、と書いたりしておられますが、この教会のみなさんは、ひとりひとり、育てられた教派的な背景もちがっていて、そのこともまたわたしには面白く感じられました。


あのころ、緒方さん夫妻、斎木さん夫妻、有川さん夫妻、諸冨さん夫妻、佐藤きよさんや武内雪さん、河野洋子さんや辻さん、住友さんや原田さん・・そのほかほんとうに多士済々でしたね。


元気な青年たちや高校生たちも群れていました。友愛幼児園の先生方も、近藤良子さんはじめ、何人もの先生のお名前とお顔を、すぐに思い起こすことが出来ます。


    (つづく)
   
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。