スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「部落問題の解決と賀川豊彦ー神戸における今日的課題に触れて」(上)(賀川記念館研究会、1994年6月24日)

1


今回は標記のとおり、賀川記念館の研究会に招かれて、短いお話をさせていただいたものです。神戸の大震災のまえですね。三木市にあるコープこうべの協同学苑で進められていた賀川豊彦研究会にも足を運んでいました。


短いものですが、今回は2回に分けてUPします。これも資料整理のひとつとして。



                 *        *



             部落問題の解決と賀川豊彦(上)

             神戸における今日的課題に触れて


            賀川記念館研究会・1994年6月24日



                    


それぞれ仕事を終えて、御苦労様です。こんな機会を与えていただき感謝しています。懐かしい方もおられますが、初めてお出会いする方のほうが多くおられますね。


むかし1966年から2年間、ふたりの子供をつれて、この場所でお世話になりました。当時私は26才、青春時代です。それ以後もご縁は切れたわけでなく、むしろ色々お世話になって、関係は深くなっているようにも思います。
 

あの頃は、この記念館の道を挟んで向かいにはストリップ劇場があって、夜になると、トランペットが聞こえて参ります。そのへんは、村山先生がおくわしいのではないかとおもいますが・・・。


この地域も、当時は、今からとても想像もできないほど、生活環境はひどい状態のままでした。記念館は出来て間もないときで大変立派なものでしたが、この周辺は、とても厳しい状態のままでした。
 

教会でも、「家の教会」などを勉強しながら、信徒の方々の家を開放してもらって、地区集会がもたれていました。この記念館のある吾妻地区にも集まりがあって、話していますと南京虫が寄ってきて、話もそこそこといった感じもありましたね。この記念館の中で住んでいましたが、そこにも毎晩南京虫が出没して、大いに悩まされました。大きな南京虫が夢にまで出てくるのですから。


しかし、これも、賀川先生などがここで生活を始められたころは、本当に想像を越えた状態ではなかったでしょうか。先生が、ここで歩み始められてから、すでに85年ばかりが経過しました。
 
 
南京虫を知らない世代の、若い新しい方々が、ここで現在責任を担って、新しい感覚で頑張っておられますから、頼もしいことですが、私のような昔のものが話をしても、あまりお役に立たないかもそれませんが、しばらくお話をさせて頂きたいと思います。

 
ところで、今晩は、先日「協同学宛」での賀川研究会で報告させていただいた同じものを報告するようにご依頼をうけました。テーマだけは同じにして、時間まで自由にお話をさせていただくことに致します。


当日資料を多く用意しましたが、今晩はひとつだけ準備していただきました。あまり資料を使わないでいたしますので、さらに関心をたれる方は、そのときの資料は、記念館の宮本さんがもっておられますので、御覧頂ければ有難いと思います。

 
それで今晩は、短い時間ですので、レジュメにしたがって「部落問題の解決」との関連で、賀川先生のお仕事を振り返りながら、ご一緒に考えてみたいと思います。
                                      
 
それではじめに、私自身ここでの生活のあと、現在の長田区の番町地域で生活を始めたこともあって、直接的に部落問題の解決に取り組むことになって、いろいろ経験をさせていただきましたので、1では、「部落問題解決の到達段階」といったことをお話し、そして、賀川記念館のなかで、それぞれお仕事をされているので、あらためて賀川先生のことを取り上げるのもどうかともおもいますが、部落問題の解決との関連で、2では、賀川先生の活動からいくつかを取り上げて、お話をさせていただき、最後に3では、今日の課題について、此の頃実際に関わっていることなどにも触れて、これからのことをご一緒に考えてみたいと思います。



           1 「部落問題の解決」について

 
昨年、布川先生が『神戸における都市下層社会の形成と構造』という研究本を、私の研究所で発刊されました。これまでこれだけのまとまった本格的な研究はありませんでした。
 

御存じのように、この地域の形成過程は、実に特異な位置を占めています。
「部落問題」というのは、もともと日本の封建的な身分制度の残り物という性格をもつものですから、その起源は普通、近世にさかのぼります。ところがここは、封建的な身分制度が、実に不十分なかたちで撤廃されて「明治維新」を迎え、明治以降の都市形成のなかで、急速に膨張した典型的な都市の中に出来てきたスラムでした。布川先生は、その形成過程を詳しくたどっておられましが、この地域は、いわゆる被差別部落とみなされるよりはスラム、「貧民窟」と呼ばれてきたわけです。

 
しかし、部落問題との関連では、特にこの地域は、明治17年に屠畜場が新生田川尻へ移転したことなどもあって、以後も仕事をもとめて部落の人々が移り住む場所ともなり、大正11年の水平運動もここで取り組まれたりいたしますし、同和対策として行政施策が展開される場合は、属地主義といって地域を指定してかかりますから、この道の浜側が同和地区として行政的に指定して、改善事業が行なわれていきます。そして、それは現在まで引き継がれてきています。
地域の歴史研究は、少しづつ進んでいるようですが、機会がありましたら、布川先生のお話を聞かれたら、大変有益ではないかと思います。

 
ところで「部落問題」は、基本的には日本の封建的な身分制度の残り物であって、それが明治以降も残され、戦後にまで残されてきた問題であるといわれます。もちろん、戦前の状態と戦後のそれとは大きな基本的な状況の変化がありますが、「部落問題」は実態的にも、また人々の意識のなかでもこの4半世紀まえまでは、はっきりと誰の目にも見える形で残されていた問題でした。そして或る意味では、そうした差別が、当り前のようになっていたわけです。
 

そしてようやくこの問題の解決のために、国民的な課題として、また国の責任として、総合的な取り組みが始められるのが1969年(昭和44年)以降のことですね。問題解決のために、地域の環境整備を中心として、福祉・教育・就労など、総合的な集中的な問題解決の取り組もが全国的に始まり、神戸市内のおいても同様の歴史を刻んでまいりました。
 

私たちが長田区の番町地区で生活を始めたのは丁度その法律が出来る1年前でしたから、この問題の解決のための取り組みが、まさに本格的に開始されようとする前夜のようなときでした。この特別措置法は当初、10年の法律であったものが、現在まで名称は変更されつつ継続されあと3年足らずで、同和対策は完了するところまできました。そのあとは、いわゆる同和対策ではない、一般対策の充実で、最終的な解決を計っていくというのが、神戸市の基本的な方向になっています。多くの人々の努力で、ここまで来たわけですね。

 
この生田川地区も、いわゆる環境改善の物的事業といわれるものは、ほぼ完了して、これからさらに長期にわたって住宅改善事業が取り組まれているところです。これは、同和対策ではなく全市的な住宅改善をにらんだ一般対策として進められています。
 
 
生田川地域の実態調査は、大正時代から度々実施されていますが、69年以降この総合的な取り組みが進められる過程でも、1971年、1981年、そして1991年と実施されてきました。
詳しいことは、すでに昨年、現在同和対策室におられる吉岡さんから聞かれたようですので、あまり立ち入りませんが、神戸市の場合、1971年段階の問題状況を踏まえて、1973年(昭和48年)には本格的な「長期計画」を策定して、総合的に取り組まれてきました。20年間の変化は、やはり大きな変化です。住宅建設もそうですが、仕事の変化、教育の変化、そして、住民意識の変化も出てきています。

 
先日5月13日には、総務庁の長官が神戸に見えて、懇談を致しました。住宅建設だけみましても、神戸では、あと番町で300戸、そして遅れましたが都賀地域の建設で、同和対策の事業は終るところまで来ました。あとは、一般対策で進められることになります。

 
むしろ現在では、住宅環境や生活の貧困度などは、同和地域よりもむしろ、ほかの地域のほうが深刻な実態が残されていることが、問題になっています。
そのことは、おそらくここで仕事をされていて、住民の方々の声としても聞こえてくることではないかと思います。これは、法的な限界でもありますが、特定の地域を限定して、特別対策がおこなわれましたから、十分に周辺地域との一体的な事業が展開できにくいものでした。ですからこれまで、多くの矛盾をうんできました。

 
いずれにしても、問題は、同和地区の問題の枠を越えて、共通の問題を解決していく段階に来たわけです。

 
そうしたことから、現在では、地域のなかでは、高齢者の住み続けられる町をどうつくっていくのかが、大きな関心事になっています。そして、住民の自立、同和行政に依存する傾向からどのように自立していくのか、が大きな課題となって、文化会館などのあり方などの検討や、新しい町づくりの運動が、どことも進められつつあるところです。


そして、同和対策の個人施策が見直され、奨学資金制度も変更措置がすすめられたり、住宅家賃なども値上げを行なって適正化が計られてきています。

 
「部落問題の今日的課題」と申しますのは、こうした、いわば緊急避難的な特別措置で、特に物的な改善事業がこの4半世紀のあいだ集中的に取り組まれて、一定進捗してきた現在の段階で、残された問題を解決していくためには、住民の側から言えば、これまでのような「特別対策」を自ら早急に返上して、「自立」と「融合」を実現させることが、本当の問題解決につながるのだ、という認識が自覚的になって来ているわけですね。


神戸市でも西区の方の地域では、もう何年もまえに「完了宣言」をされて、新しい「まちづくり協議会」をつくって、取り組んでおられますし、神戸にはかつて30ばかりの地域があって、多くは郊外に存在していますが、いわゆる同和事業はすでに100%完了して居るわけです。兵庫県下でも事実上は、この20数年間の取り組みで、特別対策としての課題はなくなってきているのが実情ですね。
 

ですから、地元もそうですが、行政も同和対策を終結完了させていく、そして現在はそれにともなって同和教育も見直していく、さらに同和啓発も根本的に見直すことが、現在論じあわれているわけです。

 
つまり、考え方のうえで、「同和」という枠組での取り組みをしないということです。
そんな中で、いま、私達神戸の地域のなかで、あとで触れるような、「自立と協同」「まちづくり」「福祉・教育」といった新しい協同組合的な住民運動が模索されて、一定の成果を生みつつあるわけです。


そしてそれは個人的に思うことですが、実は賀川先生の生涯の課題とされてきたものに、密接に呼応するものであることを思わせられるわけですね。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。