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「部落問題の解決と賀川豊彦―神戸における今日的課題に触れて」(下)(賀川記念館研究会、1994年6月24日)

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1994年6月のお話の後半、お粗末な内容ですが・・・。それでも、このとき・この場所での記録として、私にとって大切なものです。



            *               *



             部落問題の解決と賀川豊彦(下)


             神戸における今日的課題に触れて


    (前回に続く)


             2 賀川豊彦とその仲間たちの活動から
 

・ 伝道、医療、教育
 

賀川先生とその仲間たちの、ここでの活動は、小さな家の教会からはじまりました。その活動を核にして、今日のことばでは福祉・医療活動と教育活動に力点をおかれました。そして、それらが大変有機的に関連をもったかたちで、困難ななかで推しすすめられました。
 

村山先生などの手でまとめられました『賀川豊彦とそのボランテア』は、皆さん既にお読みの作品ですが、賀川先生の一番のパートナーであった武内勝さんの貴重なこの口述筆記にも詳しく証言されていますように、この地域を愛しともに生きられた先輩たちの長い歴史が、私達の背後に横たわっています。


そしてそのうえに、私達はいまこの時代のなかで、その志を受け継いで、この記念館という拠点をもって、地域福祉、幼児保育、教会というそれぞれ独自な活動を通して連携しながら、新しい地域社会をつくるために、仕事を継続しておられるわけですね。

 
私はいま、詳しくお話は出来ませんが、最近少し長めの論文で『賀川豊彦の「協同・友愛」「まちづくり」』という、「創立期の水平運動と戦前の公営住宅建設」という副題をつけたものを仕上げて、本日用意しました。
 

これの基本となるところは『賀川豊彦と現代』で大まかに書き込んだものですが、その後の研究を加えてあた新しく書き上げました。詳しくは後で御覧頂くとして、ここでは簡単に、水平運動の創立期の賀川豊彦の影響の強さと生田川の共同住宅の建設に関連する「まちづくり」についてだけ、簡単に触れておきたいと思います。

 
まず賀川先生の水平運動の創立に関わった青年たちとの関係についてです。
この青年たちは、奈良県の200戸ほどの地域の青年たちで、西光さんや阪本さんなど、お聞きなったことのある名前でしょうが、「燕会」という親睦団体を大正9年5月につくっていました。彼らはすでに賀川の『貧民心理の研究』や『涙の二等分』などの作品やこの地域での働きについては知っていて、「改造」に載った小説『死線を越えて』を目にして、彼らは賀川を訪問するのです。
 

そのとき既に賀川は、大阪で「購買組合共益社」をつくり消費組合をはじめていましたから、その取り組みに刺激を受けて、この青年たちは地元で「低利の金融」「消費組合」「団体旅行」などを開始しています。この点の詳しい実証的な研究は、鈴木良先生の労作として次々と今発表されています。
 

賀川の手掛けた「共益社」や「神戸購買組合」はそう順調には進みませんでしたが、「燕会」は消費組合の事業水準としてはかなりのものだったようです。そのことは、京都の木村京太郎さんからも直接伺ったことがあります。
                             
 
彼らはそこから「水平社」創立へと向かい、賀川との関係も、賀川は「時の人」でしたから「水平社」の「総裁」候補のようにマスコミで見られたりするほどだったようですね。


創立のあと(大正11年12月19日)も、奈良県御所市で開かれた奈良県水平社の講演会に、日本農民組合の杉山元治郎らも出向き、翌日には賀川も佐野学らと水平社の講演会に出向いています。
 

ただ、残念なことに「燕会」の消費組合的な住民運動は、大正11年9月で途絶えてしまいます。そして長い間、水平運動だけが解放運動で、賀川先生のような、地道な協同組合的な住民運動は、融和運動として無視され、また否定されてしまう傾向が続いてきました。 解放運動の歴史にも、賀川の正当な位置づけは行なわれて来なかったわけです。


賀川豊彦は、全国水平社の運動からは距離を置くことになりますが、彼がずっと継続していった働きは、いわゆる「融和運動」の流れに位置付けられるものですね。解放運動と融和運動とはもちろん対立的な関係にありますが、今日ではそれらの全体的な関係を学び直す必要が出てきているように思っています。
 

特に、神戸の解放運動は、狭く特定の運動団体だけのものではなく、本当に広い住民運動が進められてきましたから、そういう見方がこれからますます大事なように思えますね。
 
 
実際、運動に責任をになった西光にしても阪本にしても、賀川の目指したような、人間の尊厳を基礎にした人格的な解放運動の精神は決して消えてしまったのではなく、このふたりの場合、生涯その晩年まで、賀川を尊敬し、運動が暴力的になっていく歯止めの役割をになおうとされました。西光さんは、賀川の熱烈なフアンであったことは知られていますし、賀川服を愛用して、演説することも彼の真似をしてやっていたといわれていますね。
 

阪本さんは、晩年は「暴力と利権」に転落する部落解放運動に抗して、神戸にもたびたび来られて、私達とともに「国民融合全国会議」の重要メンバーとして、ともに歩みをされました。

 
次に、賀川の「新川」を拠点とした「まちづくり」の夢と実現への苦労のあとについても概略まとめておきました。
 

先程もふれましたが、いわゆる「水平運動」はもっぱら「差別糾弾闘争」にあけくれて、賀川が最も大事にした住民の相互扶助、生活の自立、住宅を初めとした環境整備、幼児教育をはじめとした教育活動というところには、解放運動の担い手たちには十分目が行かなかったようなところがありました。その点では、ここでの賀川を中心とした活動はそれとして見直されて良いことですし、とりわけ先生の「不良住宅地区改良法」の制定の努力と、その最初の成果「生田川共同住宅」建設は、もっともっと注目されてよいことだと思います。詳しくは、あとで私の論文の方に目をとおして頂ければと思います。

 
実際のところ、水平運動が本当に「協同・友愛」の精神に裏打ちされた「消費組合」的な住民運動として追求され、地域内外の連帯を広げる運動論が展開されていたなら、どんなだったろうと考えさせられます。先生は、とにかく、この地域を愛し、ここで暮す人々を愛して、色んな試みを続けられました。

                                       
               3 今日的な小さな取り組み

 
ところで現在、神戸で同和問題が一定の解決を見ようとする今日、これまでの諸成果を踏まえて、賀川先生が目指そうとされていた「協同・友愛」「まちづくり」の実践が、さらに新しい一歩を踏み出そうとしていることを、お話ししておきたいと思います。


私たちの馴染みの深い「コープこうべ」はもちろんですが、いま私たちは「こうべワーカーズ・コープ」として、働くものの新しい協同組合を6年ほど前からスタートさせています。これは別名「高齢者福祉協同組合」「中高年企業組合」、そしてこの4月から神戸でも失業対策事業が収束を迎えることから、その受皿として百数十名の方々を受け入れて、新たに「高齢者事業団」を組織してまいりました。その拠点が不思議なことに、この生田川地域に事務所を設けているわけです。先日、しあわせの村で第7回定期総会を終えたばかりです。

 
これは、同和地区の住民運動というよりは、ひろく高齢者の仕事づくりから始まり、公園管理、ビルメン、遺跡発掘、ホ-ムヘルプ、放置自転車のリサイクルなどを積み重ねてきました。

 
そして現在、今日も午後ここにくるまで、老人給食・配食サービス(天隣給食センター)の実現のための打ち合わせ会をしてきましたが、いよいよこの夏から、賀川記念館のご好意で、番町の学童保育の場所を改造して、神戸では初めての、毎日型の配食サービスをはじめることになりました。それからいま、これも初めての試みですが、ホームヘルパーの養成講座の開催を準備しています。

 
また、神戸における部落解放運動から始められた運動として、ほかに「教育文化協同組合」の取り組みや「神戸・住宅まちづくり研究会」などもあります。8年前に私達の地域から「市街地に特別老人ホームを建設する会」をつくり、それも実現してまいりました。その延長が、「こまどり昼食会」と「こまどり宅老所」となって、面白い愉快な試みが継続されています。
 

こうした新しい住民運動は、おたがいに経験を交流しあって前進いたします。「まちづくり」運動も、かつての「同和地域」においても「まちづくり協議会」や「ふれあいまちづくり協議会」が作られてきています。これらは、旧来の同和対策の延長ではありません。また福祉の分野でも、いくつかの団体が共同してシンポジュウムを開いていくようになりました。いま、まちづくりと福祉と教育、それぞれの分野で新しいネットワークを作り出しながら、展開されつつありますね。

 
以上、神戸の私自身がいくらか関わっていることを申し上げましたが、実はその源は、この地域での長い活動と深く呼応していることを思わせられます。地域に根ざした活動で、しかも自主的な取り組みは、ここが一番の老舗(しにせ)ですからね。

 
地域の文化会館の運営のあり方を協議していましても、ここのような活動がモデルになります。賀川記念館は、時代の先端を担ってこられた歴史があります。「夜間保育」「老人給食」、保育内容についてもおそらく、条件の悪いなかで工夫をこらして実践されていることだと思います。
 

また、現在建設中の、皆さんの手で運営されることになった特別養護老人ホームやそれに関連する福祉事業で、さらに一回り大きく、新しい時代に向け活動が準備されていますね。 新しい、意欲的な働き手を迎えて、ここで更に大いに羽ばたいて頂きたいと、期待しています。

 
昔ここで働かせていただいていたとき、私は教会の仕事が主たる仕事でしたが、なぜ か、鮮やかに記憶に残っているのは、記念館のバザーやキャンプや古着市や吾妻小学校でのクリスマス、そしてなぜか保母さんたちとの交わりでした。

 
とにかくみんなして、この地域の中で福祉や教育や健康を大事にする、まちづくりのために教会も保育園も記念館も一体になって、心を通わせて、苦労は多いけれども愉快に楽しくやっていけるのが、素晴らしいことだと思います。

 
この春、仕事の関係で「神戸市同和教育関係年表」づくりで「生田川編」をやってみました。まだ不十分なものですし、この保育園の歴史などや記念館の資料が取り込めていませんが、教会の長い歴史も皆さんの手でおまとめになり、過去の遺産を深く学ばれて、新しい時代に、大胆な冒険を試みて頂けることを楽しみにしています。


以上、取り止めのないお話でした。後は時間の許す限り、色々と語り合いましょうか。




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