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「歴史散歩:賀川豊彦と水平運動」(上)(1989年3月21日、神戸海員会館)

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上の作品は、神戸の画家・藤原昭三先生から頂いたものです。今回のお話では「賀川豊彦と水平運動」を取り上げていますが、全国水平社の立役者のお一人・阪本清一郎さんのお顔を描いていただきました。藤原先生の作品は、私のブログでたびたび収めさせていただいていますが、ご生前先生には親しくして貰い、先生との思い出は尽きません。拙いブログでご登場いただくのは、先生への感謝の思いを現すことでもありましが、実は、私の駄文よりも、藤原先生の作品の方をご覧頂きたい、という思いも強いのです。


ところで、1989年3月21日に神戸海員会館でお話をした「歴史散歩」という企画はのことは、すぐには思い起こせませんが、当時神戸の元町にあった私の仕事場(兵庫部落問題研究所)のすぐ近くの神戸海員会館を会場にした市民的な集いだったのでしょう。下書きが残っていましたので、これも一つの記録として3回に分けて収めて置きます。



                *             *




               歴史散歩:賀川豊彦と水平運動(上)


               1989年3月21日 神戸海員会館



               一 賀川豊彦生誕百年


1 今年は、神戸市も市政百年。先日、神戸市から賀川が神戸市の顧問をしていた期間と教育委員を務めた期間は何時から何時まででしょうか、との問い合わせがあった。
 

「顧問」という制度はどういうもので、ほかに誰が委嘱されていたのか知らないが、彼は昭和20年10月1日に中井一夫市長のときに委嘱されて、それ以後も21年4月1日、29年4月1日、30年10月1日と辞令が残されているようで、おそらく1960年に亡くなるまで神戸市の顧問であったのではないかと思われます。
そして、教育委員のほうも、昭和31年10月1日に原口市長のときに任命されて、これも亡くなるまで務めている。


2 もちろん、戦前から兵庫県の嘱託を引き受けたり、国のいろんな委員を委嘱されたりしており、尼崎も阪本市長の時代に顧問となり昭和32年4月25日に「尼崎市世界平和都市宣言」を議会で採択されたりする。
 

こうした、行政に関連し分野や平和運動に関わる活動も、彼の生涯のなかでは重要な活動分野であるが、そのほかに、今回特に「賀川と神戸」ということで取り上げられた「労働運動・農民運動」や「水平運動」、あるいは神戸で大きく発展した「生協運動」「社会福祉活動」「救援活動」「分筆活動」、そして彼の最も中核を成していた「宗教活動」など、非常に多彩な幅の広い足跡を残した。


3 昨年(一九八八年)七月一0日は、賀川豊彦生誕百年の記念日であった。ーー総合・平和・未来ーーテーマ「平和こそ最大の福祉である」。
 

数年前より記念の実行委員会(神戸では今井、緒方ー生協・YMCA・イエス団など)がつくられ、東京と関西を中心に講演会、シンポジューム、資料展示、さらには「劇団・徳島」の演劇公演や山田典吾監督の映画「死線を越えて」の試写上映(2月には大阪で劇場上映)など、多彩な取り組みが企画・実施され、テレビ・新聞などマスコミ(NHKテレビ)も大きく取り上げた。賀川に少なからず影響を受けて来られた方々には貴重な「想起の時」となったばかりでなく、彼を知らない世代の人々へもいくらかのインパクトを及ぼしたようである。


4 また実行委員会とは別に、全く自発的な形で、各地で記念の集いが持たれて来たが、わたしも小著『賀川豊彦と現代』を兵庫部落問題研究所で刊行したこともあって、公民館などの社会教育・同和教育関係や部落問題の研究集会、宗教団体や大学などで、拙い講演を強いられてもきた。なかでも特に印象的な自発的な集会は、昨年暮れ一二月三日に開かれた京都同志社の新島会館での「賀川豊彦生誕百年京都集会」である。
 

この集会は「新島会」の主催になるもので、萩原氏の仕掛けになるもの。第一部の記念の礼拝と第三部の発題は、昨年国内ばかりでなく米国各地でも記念講演をして帰国されたばかりの同志社大学神学部の深田未来生教授が、第二部の記念講演は賀川研究者のお一人でもある同志社の嶋田啓一郎名誉教授が、第三部の発題では、われわれの学生の頃(一九六0年代)の名講義と全く変わらない田畑忍名誉教授と、賀川と共に生協運動を盛り立て現在も活躍中の灘神戸生協名誉理事涌井安太郎氏と、そしてわたしとがそれぞれ受け持ち、新聞を見てかけつけられた方々も含めて、実に盛会な熱気を帯びた集いとなった。


大切に保存されている賀川の筆になる思い出の掛け軸や徳島中学時代のクラス写真(しかもあの「立木写真館」の!)などを持参される方もあったりして。  
 

この集会でのスピーチは、いずれも「賀川とその時代」を知るうえで重要な証言であるが、私がそのとき求められた発題は「水平運動と賀川豊彦」というもので、「消費組合運動と水平運動」ならびに「水平社の精神と賀川の思想」といったことを十五分ほど語らせていただいた。


そこで、以下「賀川豊彦と部落問題」と題して、彼があの時代に何を求め、どのような取り組みを行なったのかを、改めて新しく考えて見たいと思う。そして、キリスト教会の一部で問題となっている「賀川問題」のその後についても少し触れておくことにしたい。



             2 「賀川豊彦再発見」


5 今日では、賀川は多くの人々に忘れられた存在になっている。彼が一九六0年になくなったとき、社会評論家の大宅壮一が追悼の文集『神はわが牧者』の巻頭に「噫々賀川先生」と題して、次のように記したことは有名な話である。これは、三十年ほど前の日本の状況と今との隔たりを感じさせるものであるが、一時期の彼への評価がどのようなものであったかを知る一つの証言として引用しておきたい。


「明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、そのなかに必ず入るのは賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかもしれない。
西郷隆盛、伊藤博文、原敬、乃木希典、夏目漱石、西田幾多郎、湯川秀樹などと云う 名前を思いつくままに上げて見ても、この人達の仕事の範囲はそう広くない。
そこへ行くと我が賀川豊彦は、その出発点であり、到達点でもある宗教の面はいうまでもなく、現在文化のあらゆる分野に、その影響力が及んでいる。大衆の生活に即した 新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名 のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない。
私が初めて先生の門をくぐったのは今から四十数年前であるが、今の日本で、先生と 正反対のような立場に立っているものの間にも、かって先生の門をくぐったことのある 人が数え切れない程いる。
近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうるものを一人あげようということになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かっての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物ーー、それは賀川豊彦先生である。」


6 賀川の活動分野は、ここに大宅が上げているようなもの以外にも、例えば数多くの小説・詩などの文学活動や彼独特の科学を論じた作品、さらには幼児教育や社会教育の分野においても、生涯にわたって大きな足跡を残している。


神戸には、彼の活動の拠点でもあったかつての「葺合新川」に「賀川記念館」が作られ、東京にも「本所賀川記念館」ができており、各地に関連の福祉・医療、教育などの諸事業が受け継がれて、彼の精神が現代に生かされているのである。


そして、一九八二年には賀川の総合的な資料館が「賀川豊彦記念・松沢資料館」として完成し、膨大な資料が整理・保存され、ーー布川氏は度々ここを訪ねておられるーー一九八五年に設立された「賀川豊彦学会」(現在、磯村英一氏が代表理事に就いている)などの研究者等に役立てられている。


近くこの資料館で、賀川の全著作をはじめ関連の史資料を網羅した本格的な「書誌」が刊行される予定であり、同館発行の研究誌『雲の柱』(既刊八号)ーーこれの第7号では、布川氏が「賀川と労働組合」を執筆しているーーや本所賀川記念館の『賀川豊彦研究』(既刊一五号)などは、「賀川豊彦再発見」の重要な役割を担っている。


7 なお、最近地元の新聞各紙が大きく取り上げたようであるが、賀川が幼少年期を過ごし現在も賀川家の墓などがある鳴門市大麻町で、「賀川記念館」の建設の機運が高まっている。


昨年九月、当地の市会議員の田淵豊氏や全解連の人達をはじめ地元の関係者が集まって記念の講演会が開かれ、それに招かれたおりに、参加者の鳴門教育大学の田辺教授から「徳島にはモラエス記念館があるのに、賀川記念館がないのは不思議」と話されたのがきっかけになって、この運動が急速に動き始めている。


「劇団・徳島」の若い人たちや『炎は消えず・賀川豊彦再発見』の著者林啓介氏らも加わり、彼のふるさと徳島でも改めて賀川の足跡が注目されようとしている。
 

ーー「モラエス」のことは、詳しくは知らないが神戸とは深い関係がある。神戸新聞の今年3月9日の「ひょうご女の一世紀」で「モラエスと妻」が取り上げられている。彼は明治32年から神戸に来て芸者「およね」(福本よね)と出会い、彼は46才、よねは25才で結婚。山本通り3丁目に領事館。12年ほどの結婚生活でよねは病死、彼はよねの故郷徳島に移る。そしてよねの妹・斉藤ユキの娘・コハルと同棲して子供もできる。作品に「およねとコハル」。


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