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「母教会:倉吉教会記念誌寄稿<あの日々があればこそ>」(2000年3月)

前回は、私の母教会:山陰鳥取の「倉吉教会」における礼拝説教を収めました。続いて今回は、私の高校時代の頃のことの寄稿を求められて、2000年3月に書き記していたものをUPいたします。


その前に、今回も2枚の写真を取り出して置きます。
一枚目は、高校生の時、同志社大学神学部のサポートで「高校生献身キャンプ」という集いが、滋賀県琵琶湖畔の同志社唐崎ハウスであり、その折りのものです。全国から集う交流の場ですが、けっこう多い参加者ですね。一緒に神学部に入学してクラスメイトとなっていくた友人たちの顔がたくさん見えます。


もう一枚は、倉吉教会の高校生有志(もっと多くのメンバーがいました)が近くの日本海の由良の海岸に遊びに出掛けた時のものです。鎌谷牧師とW・エルダー宣教師のお顔も見えます。


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          2000年3月  私の母教会「倉吉教会記念誌」寄稿



                あの日々があればこそ
     


 嬉しいことに先年、本当に久方振りに、倉吉教会の皆さんと再会する機会が持て、変わらないご友誼を確かめることができました。


 そして今年(2000年)2月6日の創立111周年記念礼拝の鎌谷清子先生の説教を、せめて録音テープででも聴いてみたいという私の申し出におこたえいただき、わざわざ本日、中村博牧師がそれを送り届けてくださいました。ただ今、それを聴き終えたところです。


 私には、むかし高校生だった頃、清子先生の日曜学校での児童向け説教が、天下一品だったことが記憶に焼き付いていますが、今回の説教を聴きながら、それを彷彿されるものでしたので、たいへん満足をいたしました。


 そしてこの度は、古くから教会の中軸にあって仕えてこられた塩見章生さんから、近く教会の記念誌をつくるので、何か「高校生の頃の思い出」があれば書き送るようにと、暖かいことばを添えてご依頼を受けました。


 ところで、だれでもそうかも知れませんが、年を重ねる毎に(ナント私もいま還暦の60歳を迎えたばかりです!)、過ぎた青春の日々の諸経験が甦り、「あの日々があればこそ」と、昔を懐かしく想起するものです。


 幼いとき結核で父を失い、私も小児結核で小学時代は体操も禁じられていましたが、漸く中学になり野球部の球拾いに明け暮れ、そして高校生に入ってすぐ、何とも不思議なことに、倉吉教会との出合いが始まりました。1956(昭和31)年の頃です。


 1960年7月に作成された「倉吉教会会員名簿」が手元にあり、それをいま見ていますが、鎌谷幸一牧師夫妻が倉吉教会に赴任され「めぐみ保育園」を創設された後から、毎年5人ずつ程度の新しい受洗者が続いています。私は高校2年生の時に、現在大阪にいて活躍している絹見紀一君と一緒に洗礼を受け、倉吉教会のメンバーに加わらせていただきました。


 なぜか当時、教会には同世代の友たちが群れていました。絹見君も私も倉吉東高校でしたが、あの頃まだ女子高だった倉吉西高校からも、また他の高校や既に仕事についていた友人たちも加わって、休日などにはよくサイクリングにでかけたり、もちろん真面目な研修会などを企画したりして、活発にエンジョイしていました。


 中でもあの頃、W・エルダー先生が鳥取市の方で宣教師として働いておられ、毎月であったか隔月であったか私たち高校生の指導育成にあたっていただいていました。そして時には、高校生や青年会の「大会」のようなものもあって、鳥取教会や他の教会に、皆さんと一緒にノコノコと出掛けることもありました。


 私にとって高校生のあの多感な時期に、倉吉教会との出合いがあって、毎週日曜日の礼拝説教と週日の聖書研究と祈祷会などを通して、大切な真理・真実をタップリと学ぶことのできたことは、その後の人生を決定づけるものでした。中でも、鎌谷牧師夫妻ご一家の日々の暮らしぶりに親しく身近に接するなかで、私も許されることなら、先生のような生涯を送ってみたいという「夢」を抱くようになりました。


 高校3年生の時には、同志社の神学部関係の「高校生の献身キャンプ」というものがあって、その時すでに牧師志望が宿っていましたが、琵琶湖畔の唐崎ハウスでの集いに参加したりもしました。牧師になりたい願いはありましたが、母子家庭でしたから経済的なことを考えて農村伝道神学校にするか、それとも同志社にするか迷いました。結局先生のお薦めもあって、思い切って先生も学ばれた同志社神学部を受験し、進学することができました。


 入学に際しては、鎌谷先生やエルダー先生、そして当時貸本屋をしておられたご婦人の木下恵美子さんや共に教会で学び合った高校生の友たちなどから、学資の一部をお支え頂いたり致しました。私にとってあの経験は、大学生活のスタートに大きな大きな励ましでした。


 あの年は、同じく高校生だった八頭教会の草刈孝昭君と鳥取教会の宇山進君も揃って同志社神学部を受験して、3人揃って入学し、一緒に神学部の学生寮だった京都岩倉の「壮図寮」に入って、本格的な勉学を始めました。


 そしてその後のこと――学生時代の6年間のこと、卒業後の牧師生活、なかでも振り返って鎌谷牧師夫妻に負うところが大きかった高校生時代、倉吉教会で「賀川豊彦」についてのお話や著作に触れることができたご縁もあって、賀川先生が活躍された神戸の下町で歩み始めた「新しい生活」のこと――などは、また機会がありましたら、ゆっくりとご報告をさせていただくことにして、今回はとりあえず、ご依頼のあった昔むかしの「高校生のころ」のレポートを終わりにいたします。


 高校生の頃の「あの日々があればこそ」、現在までの、そして現在の、思いがけないひとつひとつの「生活の開け」が可能になっていることを思わされています。


 ここにあらためて、倉吉教会の皆様に、深く感謝の思いを表したく存じます。
中村博牧師をはじめ、皆々様の、主にあるご健勝をお祈りしています。
                          

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