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「21世紀を生きる賀川豊彦」(第1回)(イエス団研修会講演、2005年11月14日)

このブログで掲載し続けているものは、どれもこれも公開するには失礼なよう作品群ですが、その折々に精一杯書いたり語ったりしたドキュメントですので、資料整理として進めている個人的な作業ですので、このまま継続してまいります。


今回からUPする「21世紀に生きる賀川豊彦」という講演は、2005年11月14日、「スペースアルファ神戸」という神戸郊外の美しい会場で、イエス団の施設長の皆さんなどが一泊どまりで研修される集いの初日、後の講演者の方々の前座として、自由に語らせもらったものです。今回もブログの関係っで、少しずつ分けて掲載していきます。


その前に1枚、1966年に神戸イエス団教会に招かれた頃の、教会学校の生徒たちと写したものがありますので、UPいたします。


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                *       *




             21世紀に生きる賀川豊彦(第1回)


             林啓介『賀川豊彦』:「イエス団憲章」に触れて


              イエス団研修会講演 2005年11月14日




                序 ご挨拶「賀川豊彦と私」



今回初めてお出会いできた方々が多くおられます。ご紹介いただいた鳥飼慶陽と申します。先日夜遅く、昔の映像に現在をかさねて新しく製作された番組「新日本紀行ふたたび」を見ていましたら、「かすりの似合う町・倉吉」という、私のふるさとが映されていました。


私のふるさとは、山間部の関金町という「静かな山のいで湯・関金温泉」です。今年春、倉吉市に合併しました。「鳥飼旅館」という旧い宿屋がありますが、遠い遠い親戚だとか。鳥取県(とりとり県)の「鳥飼」です。

幼いときから、生活のために、豚ややぎ、羊や鶏など飼っていました。もちろん「鳥飼」ですから、冬場には仕掛けをしてとりをとったり、当時のことですから、めじろとりをして何羽もかったり、カナリアを飼ったり・・・。今も、家に小鳥を20羽ほど、育てています。なにしろ「鳥飼」ですから。


随筆家の「内田百閒」の作品に「阿呆の鳥飼」という名作があります。文庫にもなっています。以前「阿呆の鳥飼」という本が、本屋さんに山積みされていて、大変驚いたことがあります。内田百間は、芥川龍之介などと共に、夏目漱石門下生の一人ですが、・・。彼は「阿呆の鳥飼」と自分で言うように当時、ふくろうなど、40羽も家で飼って、楽しんでいたそうです。


本日、夜の懇親会まで、ご一緒に私も学びたいと思います。よろしくお願いいたします。このたびの研修会は、びっしりとお話が続くプログラムが組まれています。わたしは後お二人のお話の前座ということです。


ただ今、開会礼拝のお話をされたイエス団理事長の木村先生のことは、お名前はもちろん以前から存知あげていますが、先生のお話が聞けたのは、今日初めてのことです。お会いしたのも2度目です。先ほど紹介をしていただきましたように、この前から「イエス団」の評議員に加わらせていただきました。私は、まだイエス団では「ぴかぴかの1年生」です。


ただ私は昔、今から40年ほど前になりますが、1966年から2年間、神戸の賀川記念館の中に住ませて頂いて、神戸イエス団教会の伝道師として、村山牧師のもとで、働らかせていただきました。まだ20台の「青春時代」です。先生は本日の研修会にもご参加で、全く驚いています。「やさしく・きびしく」ご指導を頂きました!


この村山牧師から、有無を言わせず、今日のお役目を「押し付け」られました。大変光栄なことですし、私にとって嬉しい、ありがたい機会でございます。
 

また本日は、石田先生(愛称「コロちゃん」。なぜですかね?)お顔も見えて、これまたびっくりデス。同志社で学んでいた頃から、先生のスピーチは何度も聞いて、よく存じ上げています、
 

さらに、有村明園長もこの場におられます。それこそ村山牧師と同じく、1966年以来のトモダチです。私がここでこういうお話をするのは、場違いな感じがしてきます。「まな板の鯉」ということで・・


お手元に、沢山のコピーをお願いしました。その中に「賀川豊彦の「贈り物」(21世紀へ受け継ぐ宝庫)という1枚のコピーを添えました。
これは、2001年5月に「神戸新聞総合出版センター」で出版された「神戸と聖書」(神戸・阪神間の450年の歩み)の中に収められた、短いものです。村山先生や今井先生のご寄稿も、もちろん入っています。


ここにも少し触れましたが、私が神戸にまいりました1966年といえば、賀川先生が波乱の生涯を終えられたのが1960年ですから、「賀川没後6年」のときです。神戸に現在の「賀川記念館」がオープンするのは1963年ですから、「賀川没後3年」のときです。


賀川先生の活動拠点であるあの吾妻通り界隈は、かつてのスラムの傷跡を、まだ色濃く残していました。バラックのような住宅が多く残り、新築の賀川記念館の一室で生活していましたが、その中にまで「南京虫」が襲ってくるような実態が残されておりました。


賀川先生の努力で、戦前に建設された有名な鉄筋の共同住宅が、戦災でもかろうじて残り、老朽化して「屋上屋」を重ねた住環境が、まだ存在していました。そこに、立派な賀川記念館が建てられて、意欲的にセツルメント活動や友愛幼児園、そして教会活動が行われておりました。










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このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

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