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「21世紀に生きる賀川豊彦」(第2回)(イエス団研修会講演、2005年11月14日)

2005年11月14日、神戸市郊外の美しい研修施設「スペースアルファ神戸」でお話をしたこの講演は、たっぷりと時間を頂いていたこともありますが、長い枕詞が続きます。前回が第1回目でしたが、2回目の今回もそのつづきです。


ここで紹介している賀川豊彦について書いた『賀川豊彦と現代』と『賀川豊彦再発見』はいま絶版です。時々読みたいひともありますが、幸い今年始めたこのブログでは、それらは凡てネット上で、興味のある箇所を閲読いただけるようになっています。ありがたいですね。


2冊の表紙をUPして本文に進みます。


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              21世紀に生きる賀川豊彦(第2回)


              林啓介「賀川豊彦」と「イエス団憲章」に触れて


               2005年11月14日 イエス団研修会


   (はじめのご挨拶のつづき)


この「神戸イエス団教会」は、私にとって、とても刺激的で面白い教会でした。私は田舎育ちですから、教会は「地域に仕える教会」というイメージが強いのです。都会の教会は、「地域に仕える」という意識は大変希薄ですね。

しかし、神戸イエス団教会は、歴史的に「地域に仕える教会」として創立され、その志に共鳴する人達が、それこそ「セツラー」の自覚をもって、働いていて、「教会の働き」も、大変特徴のあるものでした。


教会の働きだけではなくて、神戸に来ました最初の年1966年に「牧師労働ゼミナール」といって、牧師仲間が合宿して共同生活をし、昼間は労働現場へ働きに出かけ、夜は聖書研究や経験交流をして、現代社会の現実に触れながら、「この時代の中で信じて生きるということは、どういうことであろうか」などと、相互に学びあう「ゼミナール」を実施いたしました。


「イエス団」とも関係のある尼崎教会を宿(どや)にして、20名近い牧師たちが集まりました。現在、豊島のナオミ荘の園長をしておられる小池基信牧師も、ご一緒でしたね。
これは2年継続しました。テーマは「ついてきたいとおもうなら」でしたかね。実に愉快なゼミナールでした。


2年間の「イエス団教会での修行」を終えて、私たちは1968年に相方共に、正式に「牧師」となると同時に、賀川先生の神戸におけるもう一つの活動拠点である長田区の番町地域に移り住み、実際に自ら労働する「労働牧師」に実験を始めました。


長田ではケミカルシューズの工場が多くあって、私は、職業安定所の紹介で「ゴム工場の雑役の仕事場で、毎日汗を流すことになりました。


「牧師が労働をして自活する」という生き方は、賀川先生のお勧めの一つだったようでもありますが、「自ら働いて、自活して、信じて生きることを学ぶのだ」とかいって、「6畳一間」の「文化アパート」を借りて、娘二人と夫婦の家族4人の新しい生活がスタートいたしました。


60年代の終わりごろは、ベトナム戦争が泥沼になり、アメリカではキング牧師が暗殺されたり、日本では大学闘争やキリスト教界での「教会闘争」などというものが、始まろうとしていた時代です。


私はそういう「教会闘争」とか「政治闘争」などには同伴しないで、ただただ「地下にもぐる」、日々長田のゴム工場の雑役で汗を流す暮らしに没頭していました。


そして、そこが日本でも有数の「都市の大規模の未解放部落」でしたから、この部落問題の解決の課題とも、日々直接かかわりを持つことになります。


本日は、ビデオを写せるということで、「賀川先生の映像」を少し入れたいと思っていますが、ここでちょっと、数分だけ、ゴム工場で労働するフィルムがありますので、御覧いただきましょうか。


この映像には岡林信康さんが登場いたします。最近「バンザイなこっちゃ」という面白い本を出版しましね。賀川先生と親しい交流のあったメレル・ボーリスのことばでもあったようですが、素晴らしいこと!という意味合いだそうですが・・・。


今回は「部落問題の解決と賀川豊彦」という主題ではありませんので、その問題については、必要最小限にとどめますが、私にとって、とても不思議なことですけれども、本日お話をさせていただく「賀川豊彦」という「人と生涯」が、「神戸イエス団教会」での2年間の経験を、大きなばねにして、それに促されて、「賀川豊彦」というお方が、とてもとても、身近なお方になってまいりました。

資料の「贈り物」の始めの方にも書いていますが、高校時代に、私はキリスト教会と縁があって、そこの牧師夫妻が、特に奥様の鎌谷清子先生が、賀川先生から洗礼を受けられ、献身して牧師になられた方でした。
このご夫妻から、キリスト教の魅力と共に賀川先生のことを学んでいました。


私は、生前の賀川先生とは一度もお出会いもしたこともないのですが、「先生の息吹」を受けて、村山牧師を始め、賀川先生と共に開拓してこられた方々や、賀川豊彦の作品そのものにも養われて、現在に至っております。


もちろん私自身は、改めて申し上げるまでもなく、研究者というのではありません。今回の案内文には「講義の課目を「賀川豊彦研究」とありますが、「部落差別問題の解決」という課題の中で没頭して現在まで来てしまっただけであります。その限りで、賀川豊彦の働きを学んできたに過ぎないのです。


ただ、その歩みの中で、部落問題の解決の見通しがはっきりと目に見えてきた1980年代になって、余りご存じないかも知れませんが、部落問題との関係で、特にキリスト教界の中で、乱暴な賀川批判が展開され始めました。それも私自身が所属する日本基督教団のなかに、教団を挙げての「賀川豊彦と現代教会」問題といわれるものが持ち上がってきたのです。


おとなしい私が、どうにも黙っておれなくなって、書き下ろしたのが「賀川豊彦と現代」でした。
以来、賀川先生についてお話をさせていただき機会があったり、私を「賀川豊彦研究家」などとお呼びいただくようなはめになって、恥ずかしいやら嬉しいやら・・・。


「賀川豊彦と現代」は絶版ですが、次の「賀川豊彦再発見」はまだ版元には在庫があるようです。ふたつの最近の論文―「賀川豊彦没後40余年」「部落問題の解決と賀川豊彦」―は事務局の方に少しお渡ししていますので、関心のあるかたは、読んでみてください。


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