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「賀川豊彦と現代ー生誕百年記念」(1988年、関西学院大学社会学部チャペル)

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今回は、賀川豊彦の生誕百年記念の年・1988年12月7日に関西学院大学社会学部の礼拝で語った短い説教です。どういうわけか社会学部では学生向けの礼拝の時だけではなく、何度も教授会の中での意見交換ということで、幅広く部落問題・人権問題に関わって出かける機会がありました。


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              賀川豊彦と現代―生誕百年記念


              関西学院大学社会学部チャペル


                1988年12月7日


「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどされようか。もはや、何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」(マタイ5:13)


 賀川豊彦は、1960年に72歳の生涯を閉じました。皆さんの多くはまだ生まれる前の人ですから、恐らく名前も知らない人も少なくないでしょう。神戸に生まれて、世界に羽ばたいた、誠に稀有な先達なのですけれども。


 ただし今年は「賀川豊彦生誕百年」という記念の年にあたります。今年は4月頃からずっと、国内では東京と神戸を中心に、外国でもアメリカを中心に、シンポジウムや学会、「死線を越えて」の記念の映画や演劇、或いはまた賀川関連の資料展など、数多くの実に多彩な記念行事が行われてきました。


 数日前も、京都の同志社大学新島会の主催による賀川生誕百年記念集会があって、大変な盛会ぶりでした。賀川没後すでに30年近くなるのに、まだまだ熱気がムンムン感じられるものでした。


 そうした多彩な催しは新聞やテレビなどで何度も報道いたしましたから、皆さんも賀川豊彦の働きに目にとめ、関心を持たれた方もあるかもしれません。


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 私は、今から30年前、高校生のときに賀川豊彦のことを知りました。横山春一という方がお書きになった『隣人愛の闘士―賀川豊彦先生』という本でした。写真がたくさん入った本でした。日本にこうした人物が存在していたことに、いたく驚かされました。


 それから不思議なことに、賀川豊彦が21歳のまだ学生のときに、神戸の「葺合新川」という当時の「貧民窟」と呼ばれた地域にひとり移り住んで、まさに彼のホームグラウンドとなった現在の神戸の賀川記念館、そのなかにある神戸イエス団教会という教会に招かれたのです。


この教会で2年間過ごして多くの経験をして、賀川豊彦の働きに強く触発されて、牧師としての、キリスト者としての、一人の人間としての、「新しい生き方」を求めて、現在に続く歩みをはじめて、いま20年になります。


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 賀川豊彦は、もちろん牧師でありましたが、教会の中だけの牧師ではありませんでした。凄い牧師であると同時に、本格的な社会運動家として活躍した人でもあります。


 その生涯のうちに没頭した社会活動は、最初の賀川流セツルメント―スラムのなかの病人の世話などから始まって、3年ほどのアメリカ留学後は、労働運動・消費組合運動・農民組合運動・水平運動、さらには幼児教育や社会教育運動、平和運動など、数え切れない多方面にわたる開拓的な取り組みを進めて行ったひとでした。そしてそれらの諸活動はその後もそのまま、或いは時代と共に形を変えて、多くの人々の手で受け継がれ今日に至っています。生協運動などは、益々活発に根を張った活動として注目を集めています。


 賀川は生前、300冊を越える本を出版したとも言われていますが、外国へも多く翻訳されて読まれ続け、日本全国津々浦々、外国にも何度も招かれて講演活動を行って、国際的にも高い評価を受けてきたわけです。


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 嬉しいことに現在、賀川豊彦に関連する歴史的な資料が、東京の松沢資料館に集中され、神戸の賀川記念館にも多くの貴重なドキュメントが保存されています。「賀川豊彦学会」が4年前につくられて、毎年学会の研究大会が活発に開催されています。


 そしていくつもの機関誌も発行され、この賀川生誕百年を節目にして今、彼の思想と行動を改めて学び直してみようとする「賀川再発見」の時を迎えているのです。来年には「賀川と社会正義」といった国際会議が京都で開催すべく準備中とも聞いています。最近『賀川豊彦―愛と正義の使徒』という英文の伝記が出たりしています。


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 先ほどはマタイ福音書の「山上の説教」のところ、皆さんよくご存知の「あなたがたは、地の塩である」という短い箇所を読んでいただきました。この言葉の次には「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることがない」とあります。


 賀川豊彦は確かに、「ドクター・カガワ」として、まさに「世の光」として同時代のシュバイツァーやガンジーと並んで、ひろく話題になった人でした。同時にまた彼はいつも、授かったいのちを「地の塩」として生きることに没頭して、冒険を続けました。いつも、隠れたところに目を注ぎ、どうすれば「貧しさ」や「病気」から、また「戦争や抑圧」から解き放たれるのか、宇宙的な視野で人権の回復のために、身を賭して、献身的な働きを続けた方でありました。


 賀川の小説で、文庫本にもなっている『一粒の麦』という作品があります。「一粒の麦」として「地に落ちて死ぬ」ことを潔しとして生きた方でした。


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 「塩」は形をなくして消えていきます。目立つことなくただ仕え、味付けするのです。賀川豊彦の言葉は、いかにも時代がかった言葉も多いのですが、彼は「下座奉仕」とか、わかりやすい言葉で「尻拭い」とか、いつも好んで用いました。


 聖書のイエスは、全く無条件に「あなたがたは、地の塩である」と言われます。「あなたがたは、そのままで、塩づけされた地の塩である」というのです。


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 私たちが賀川豊彦を記念するのは、その業績を称えることではありません。この人が、あの激動の時代のただ中で、何を求め何を見出し、何をバネにして、あのように自由に大胆な生き方ができたのか、その秘密を自分自身のこととして学ぶことにあるのです。


 人間の生涯には、もちろん間違いや限界も含まれています。それらを冷静に、あるがままに見ていく歴史的な目が必要です。


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 賀川豊彦は、神戸で生まれましたが、幼くして両親と死別し、兄弟姉妹別々に親戚に引き取られ、「妾の子」などといじめられ、引き取られた徳島の実家も倒産し、少年時代に当時は死にいたる病として恐れられていた結核に罹ります。


 時代と人生上の苦悩を人波に舐め尽した彼が、「絶望の暗いトンネル」から、どのようにして「死線を越えて」いったのか、その喜びの溢れと果敢な闘いの足跡のなかには、私たちの時代に受け継がれていくべき、豊かなお宝が隠されていると思えてならないのです。


 「大正時代の新人類」といわれ、「ユーモアとチャレンジの人」ともいわれるこのひとりの先達は、これからの新しい時代を生きる私たちにとって、本気で学んでみる価値のある大切な人だと言わねばなりません。

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 賀川豊彦自身、聖書のイエスから「あなたは地の塩である」と声をかけられ、そのイエスの声かけにまともに応えて、「地の塩」としての歩みを、喜んで生きた、とても面白い先達です。あの激動の歴史の中で、塩は解け、歴史を見事に味付けしていったのです。


 私達もなんの幸いか、無条件に「あなたがたは、地の塩である」と、いまも呼びかけられています。新しい時代を歩む皆さんの人生は、賀川豊彦とおなじように、この祝福を豊かに受けて、授かったこの命を存分に輝かせて、大胆に歩むことになるのです。ほんとうに、楽しみなことです。

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