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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第18回『雷鳥の目醒むる前』)

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今回の「ぶらり散歩」は、この頃ではよく知られるようになった「松本せせらぎ通り」の、「水車のある風景」です。





 「賀川豊彦」のぶらり散歩
   


               ―作品の序文など―

   
                 第18回


               雷鳥の目醒むる前

   
           大正12年4月1日 改造社 392頁



追加




 前回取り上げた賀川の第3作目の小説『空中征服』に続いて、同じく改造社で出版された本書の半分は「雷鳥の目醒むる前」(感想)という小品が入り、賀川にとっては『地殻を破って』『星より星への通路』に次ぐ随筆集(賀川は「散文詩」と呼んでいました)でもありますが、後半の「見えざる御手」(小説と戯曲)では、長編の戯曲「雲の柱」も収められています。

 この中の多くの作品は、賀川の個人雑誌である『雲の柱』に登場しているもので、賀川の「神戸時代」に書き上げた著作です。


 この作品は『全集』にも入っていますが、そこでの武藤氏の解説には「戯曲『雲の柱』は、他の作品のように世にもてはやされなかったが、賀川の文学的作品の中で、第一級に位するものである。三幕五場のこの芝居は上演したならば2時間以上かかるであろう。そしてこれが翻訳されて米、英、西独において上演されたなら、必ず成功するにちがいない」という。そして「先ず感心するのは、その演劇的構成のすぐれていることである。モーセに引きいられてシナイの荒野をさまようたイスラエル民族がパレスチナの国境カデシの町に近づいた時を取り上げ、出エジプト記及びヨシュア記の一部に出てくる様々な事件を配列して、各場に劇的盛り上がりを示し、観客にサスペンスをいだかせている。会話のやり取りもなだらかであり、インシデントに適度なセックスをまじえ、音響的、色彩的な効果を随所に出している」とも。先ずはご一読あれ。


               *     *
            

賀川は「神戸時代」から、眼病に犯されて苦しみましたが、この「序」は、治療のため入院治療中に、口述されたもののようです。



                  


 太陽の日足は静かに私の病室の軒端の瓦の上を歩く。私は鈍れる視力をその方に向ける。

 おお輝く光! 瓦の上にも春の甦りが見える。雪の日に病眼を閉じて、まだその眼の癒えぬ中に、病むことを知らざる太陽は、また冬を越えて、春に帰って来た。

 太陽は病むことを知らない。その太陽の下に人の子は病む。

 太陽よ! もう一度おまえの顔を見たいものが、此処にいる。

 その輝く七色の栄と紺碧の大空に、宇宙の眼のように光るおまえ、私はもう一度、おまえを正視したい。

 いや、たとい、おまえの顔が正視できなくとも、わが独り児の顔を正視し得るために、私はこの鈍れる視力を、もう一度回復したい。

 羽二重よりも美しい赤ん坊のほっぺたに、まさにほころびんとする薔薇の蕾にもにたる赤きその唇に、ああ私は神の芸術を見たい!

 しかし、それも今は許されない。病める眼は瞼の下に痛み、嘆ける魂は、静かに内なる生命の躍動の聲をきく。

 私は太陽の嬰児に告別して、暗闇の園へ神に招ぜられる。

 闇よ、そこでも、私は神と会う。私は何も見えない。私は十日も二十日も何も見えない。
 しかし、私は暗黒の中に、私の神と会う。

 暗黒に会うた私の神は、形をもっておらなかった。暗黒に会うた私の神は黙している。
 暗黒に会うた私の神は、闇に会うた私の恋人のごとく、私に三度の抱擁と接吻を与えてくれた。

 ああ、私の魂は温められ、私は見えざる眼に神を見る。
 魂よ、闇にも神はおまえを愛していたな。
 病弱も、苦悩も、悲嘆も、私が神に会う邪魔にはならない。

 私の神は静かに、闇の中に私を抱き上げてくれる。
 私は私の神を見るに、眼を必要としない。耳も鼻も、触覚も、官能も何もいらない。
 神は私の生命の内側から覗き込んでくれる。
 そこに私の永遠の目醒めがある。

 闇の中に雷鳥が目醒める。太陽がまだ昇らざる先に、魂の小鳥は快活に羽ばたきをする。
 飛べよ、魂の雷鳥よ、谷と峻坂が汝の進路を妨げざるために高く飛べよ。
 峰より峰への最も短き道は、渓谷を無視して一直線に飛ぶことにある。
 飛べよ、魂の小鳥よ、闇と、病弱を無視して、一直線に飛べよ!

 私は闇の中にも光明を見る。光は外からくるのではない。
 蛍烏賊が神経節を振るわせて発光するごとく、私の魂は羽ばたきして発光する。
 私は神を見るために、太陽の光線を必要としない。私は自ら発光する。
 発光せよ、闇に戦わざる魂よ、神はおまえの衷に躍動し給うではないか!

 闇に尾をひいて天空を横切る彗星のように、私の魂は羽ばたきして、天空を横切る。
 それはそれ自身一個の彗星である。
 
 闇と病弱を無視する魂よ、たとい地球が暗黒の底に捨てられたるものであるとも、おまえは地球のために発光器とならねばならぬ。
 太陽がおまえの前に墜落することがあるとも、おまえは、地球のために、天空より光を投げなければならぬ。光はおまえの衷にある。

 地球を抱け! 私の魂よ、おまえの羽根を差し延べよ! 
 地球もまた一種の卵ではないか! 孵卵すべき運命に置かれたる地球は、おまえの魂の温度によって孵化されるであろう。
 地球を取り巻く空気は、あまりに冷たい。太陽の熱もまた地球を孵化せしめることはできない。
 おまえの魂の熱でなければ、それは孵化しない。しっかり地球を抱いてやれ! 
 たとい、地球面上の闇が深くとも、おまえはその魂も熱度により、それを孵化せねばならない。

 私の眼から太陽も消えるがよい。いや、私の眼にすべての美と芸術が消え失せても、私は絶望しない。
 私は魂の奥底から億兆の太陽を掴み出して、また天空に蒔こう。
 神なるものも消え失せるがよい。私は真理と最高善にために、神になり変わって永遠に泥土にまみれる。 魂の途を守護しよう。

 峰の雷鳥の目醒むる前に、私の魂は充分目醒めた。私は苦悩を越えて、固く地球を抱擁する。
 地球よ、孵化せよ! 
 闇を無視する魂には、衷なる神が最高の熱度をもって沸騰する。

 静かに、静かに、魂の中に神が目醒めて行く。
 台風も、海嘯(つなみ)も、地辷りも、すべて神の目醒めの序曲である。
 やがて、地球の霊が地殻の中より躍り出るであろう。
 衷なる神よ進行せよ。峰の雷鳥も目醒めつつあるぞ。
 雪もアルプスに溶けかかった。老いたる太陽は、はや疲れの色を見せた。
 魂よ太陽の疲れざるうちに、門出を急ぐがよい。

   1923年3月13日

                              神戸貧民窟にて

                                    賀 川 豊 彦



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