スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第22回『苦難に対する態度』)

1


今回のぶらり散歩は、観光客でにぎわう「清盛塚」です。http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ 参照



            賀川豊彦」のぶらり散歩
   
               
               ―作品の序文など―

   
                 第22回

            
               苦難に対する態度


         大正13年2月25日 警醒社書店 187頁


 本書は、大正12年9月1日に起こった関東大震災の救援活動を契機にして、賀川が東京に活動拠点を移した後、最初に出版された作品です。手元にある原書は第5版ですが、2月25日に出版されて3月10日に5版ですから、本書の読まれ方も猛烈なものです。

 この作品の成立については、村島帰之氏の貴重な証言が残されていますので、まずそれをここにUPして置きます。それは、戦後昭和27年10月5日発行の「火の柱」に寄稿した「あのころのことー歴史的賀川講演「ヨブ記」・第1回イエスの友修養会のこと」です。不正確な箇所もあるかもしれませんが、打ち込んで置きます。

              *       *



            昭和二十七年十月五日 「火の柱」

        
          あのころのこと 歴史的賀川講演「ヨブ記
       

             第1回イエスの友修養会のこと

              
                 村島帰之
 

 発足以来二年、満を持して動かなかつたイエスの友会を、街頭に押し出そうとして、神は大なまずに命じ、そのしっぽをひとふりふらしめ給うた。大正十二年九月の関東大地震がそれである。しかし当のイエスの友もまた統帥・賀川豊彦先生も、この神の遠大なる計画を知る由なく、御手に導かるゝまゝ、神の準備せられた集結地、富士の霊峰の下、風清き御殿場の東山湖畔に三々五々集合したのは、震災に先立つわすか七日の八月二十五日のことだつた。そしてこの集いにおいて、イエスの友の面々は、賀川先生の声涙共にくだる大説教を通じ、神の決死隊としての心構えを身につけたのである。顧れば茫々既に三十年前の昔語りになろうとしている。わたしは「あのころのこと」の最初にその日の感激を語りたい。

 わたしにその頃まだ基督信者となっていなかつた。ただ賀川先生からの依頼で、関西学院教授の新明正道(現東北大教授)松澤兼人(前代議士)両氏と共に、社会問題の講義をするため出席したのだが、これが自分の一生を左右する分岐点になろうとは、神ならぬ身の知るよしもなかつた。当時、わたしは三十歳、まだ独り身で、大阪毎日新聞の学芸部記者だった。

 会場の東山荘は御殿場駅から東方約二十町の高原の中にあつた。大阪から遥々来て記者から吐き出されたわたしは、駅頭で偶然邂逅した柳つる子姉らと一つ自動車で町はすれの杉並木を東山荘へ運ばれた。見ればびろうどの手触りを思わせる翠の丘の中腹に、学校のような粗末なハラックの二階建、それが東山荘だつた。
 
 自動車が止つた時、建物の中から急霰の拍手、何事かと下り立つと、それはわたしたちを歓迎する賀川先生らの拍手で、先生のほか先着の友と、春子夫人も赤ン坊の純基ちやんを抱いて出迎えてくれられているのだつた。「よく来たね」「早やかつたですね」といいつゝ、先生らの釘抜きのような堅い握手。そして幹事の面々の紹介。「これはパウロ後藤安太郎君、こちらはナタナエル馬淵康彦君、いすれも一騎当千のイエスの友です」と。パウロもナタナエルもまだ二十歳前後、パウロは鉄道省の詰襟服だが、襟章は彼がこの若さで既に判任官であることを語っていた。
 
 宿舎は建物の両翼に分れていて右翼の洋風の板問、カンバスベットのある方が私たち講師の宿舎、左翼の畳敷が会員の宿舎だという。

 会員は次々到着した。自動車の警笛が杉木立の中から聞える毎にみんなは急いで窓から顔を出して拍手で迎えた。そして開会時間までに赤穂浪士ではないが四十七名の顔が揃つた。その中には後に賀川グループの中心人物となった木立義通、杉山健一郎、菊池千歳(現在佐竹)、矢崎ぎやう(現在後藤)、浅野春子、吉本健子、今井よね、水戸晤郎、小林光雄、多田篤一、それに賀川夫人令妹芝八重、伊藤傳氏らの顔も見えた。今、五十代の老人も、まだ二十代の青年であつた。
 
 かくて二十五日午後四時、裏山のひぐらしを聞きつゝ石田友治氏司会の下にまず祈祷会が開かれた。賀川先生の祈りに次で熱のある祈りがつゞいた。九州の八幡孫一氏のごとき、天にも聞えよとばかり大聲で「自分に信仰の火をもやし下さい。それでなけれ、きれいさっばりと首をちよんぎって下さい」と祈って劈頭息づまるような雰囲気がたゞよう。
 
 夕食がすんで休憩していると、早くも講義の時間となって、第一講は「生存競争の研究」と題する先生の講義。
 宇宙の根源に自然淘汰や生存競争のあるのは事実だが、それだけが宇宙を支配するものではない。一方に神の摂理があって。内側から善の方へ導く力のあることを忘れこはならぬ。これが良心宗教となって、生存競争をすら修正する。この修正の力こそ、イエスの贖罪愛である。これこそ人類の世界が持つ使命であり、人間の菩薩であり、神の子たらんとする意識であると先生は力強く述べられた。
 
 終わって「イエスの友の時間」第一夜だというので各自が自己紹介をすることゝなつたが、私の動議で「他己紹介」をも併用することゝなつた。婦人は専門学校の学生が多く、男子は社会に出で働いている人が多かつた。
 
 翌れば二十六日、五時半から日曜礼拝をもつ。讃美と聖書朗読の後、先生は静かに祈られた。
 「腐り行く生命に新しき霊を輿え給え。生活の敬虔を輿え給え。新日本に、新精神をわれ等を通じて吹きこみ給え。凡べてに感謝し、凡べてに懺悔いたします。そして凡ベてに強くあらんことを祈ります。私どもがこうしている時も、この聖日に労働を強いられ、長屋の下、燃ゆる瓦の下に生活の煩悶に苦しむ兄弟があります。父よ、彼等を顧み給え。私どもの我儘心を取り去り、自らを十字架につける決心を輿え給え。大自然の物語がたましいに○霊と浸み入ります。この拙き霊に光を輿え給え。今もバルテマの戸をあけ、霊の窓をひらいて、あなたの御来光あらんことを祈り生す…… アーメン」 
 先生の熱祈が会衆のたましいをゆすぶる。
 
 礼拝をおえると、夜まで、引っきりなしの日課で、食事の時間を除いては講演のぶっ通しである。
 この日、朝からの日本晴で、富士の姿が会場の窓一杯に仰がれて、一同は講演を聞きながらその美しい景観をも見る特権を輿えられていたが、何としたことか、午後から急に空模様が変わって、午後四時祈祷会を開こうとした頃には、天地をくつがえさんばかりの大雷雨。電燈も消えてしまった。あすの先生の講演に預定されている「ヨブ記」の中の一節「電光をもてその両手を包み、その電光に命じて敵を撃たしめ給う」というその電光の閃めきの中に、一同は静かに祈った。特に労働者、失業者のために――。

 けれども豪雨はなかなかにやまず、電燈もつかない。そこで七時からの新明正道氏の「社会学における宗教的見解」は蟻燭の灯の中で口述された。ところが、講演もイエスの友の時間も終わって一同眠につこうとした頃、雷もおさまり、雨もやみ、あまつさえ十五夜の月がみずみずしい光を裾野の天地に投げるではないか。庭後の杉木立が風にざわめき、部屋に投ぜられた杉の梢の影が月光の中にゆらいで、まるで川の流れのように美しい。夜更けだというのに、外には青年の口笛さえ聞こえる。月にさそわれて起きでたのであろう。

 翌けて二十七日、第三日、朝五時半から先生の「ヨハネの宗教的経験」があり、八時から私が「売笑婦問題」を話す。私はわが国に今なお五萬の娼妓とそれ以上の私娼が居る事、彼女たちは家の貧しいために人肉の市に売られるのだが前借金は大部分五百圓から千圓で、これを皆済するためには長い者は十年も稼かせられていること、私娼には十六歳末満の者さえあり、前身は半数まで女工である事などを述べた。私が着席すると石田友治氏が立上った。見れば氏の頬には熱涙が伝わっている。
 
「神さま、私たちは今私たちの姉妹が非人道な苔の下に虐げられているという怖しい事実を眼前に突きつけられてじっとしてはいられないのです。どうかこの人たちを救う方法とそしてそれを敢行する力とを与えてください。」

 二三の女性も、「虐げられた同性のために、私のからだを役立たせて下さい」と祈った。この日、特に富士に面した離れの図書室に移された小さな会場には、ただ、すすり泣きの聲のみが聞こえた。多くの青年の熱烈な祈りについで、先生が立ち上がった。
 「あまりセンチメンタルになってはならない」とみんなを制した後、「私は卑怯考です。なぜもっとこうした社会悪に向かって勇敢に突進できないのしょう」
 
 短刀のような鋭い言葉だ。そして見よ! 先生の面には涙が伝わっているではないか。
 何という感激! 私は労働組合の集会には出つけているが、こうした宗教的な浄き昂奮は始めての経験である。私はいう事を知らなかった。しかし、この感激は、まだ序の口にしか過ぎなかつた。果然十時から始められた賀川先生の、「ヨブ記」の研究は、ついに感激の引火点まで、一同を引っ張って行った。

 ヨブは五つの大きな災厄をうけながら、なおその苦痛を乗り越えて神を信じた。彼は本質的悪を説く友の言葉に反対して、あくまで道徳善を主張した。神はヨブにさゝやき給うた。腰ひっからげてますらおのごとくなれよ!と。強くなることだ。神によって、強くなることだ。悪の解決も、神それ自身の中にある。

 オイッケンは「神こそほ悪に打ち克つ勝利の福音だ」といつたそうだ。悪に打ち克つには、神によって、丈夫のごとく強く緊張するより外に方法はない。悪を怖るゝな。丈夫のごとく悪に対抗せよ。瞑想的煩悶を離れ、大胆に、丈夫のごとく行動せよ。悪に勝つのは思想ではなく、行動である。世を善くするための行動の前に悪は解決する。世は暗闇であっても、善に向かって突進せよ。善は悪に打ち克つ工夫である。ヨブは神により立てられ、友のために贖いをさせられた。悪の解決はついた。我らもヨブのごとく、悪に向かって猛進撃を続けねばならぬ。怖れず、まどわず、丈夫のごとく勇ましく・・・。

 みんなの胸にほ行動の宗教ということが、しみじぐと感ぜられるのだつた。
 夕拝はひぐらしの囁く背後の丘の上で行われたが、みなの胸には、ヨブ記が烙印されていて、主題の「世界平和」を中心に、熱祷がさゝげられた。

 二十八日、第四日、朝はいつものように瞬間の雨と、ひぐらしの聲に明けた。この日は時間のすきを利用して、会員の感話がなされた。わけても伊藤傳氏の語る東京の水上生活者の子女二萬が義務教育から閑却されている事実と、氏の水上学校長としての苦心談はみなの心を惹いた。夜の送別会は隠し芸が披露され、先生の鶏の鳴き声は拍手喝采であつた。私は「弁士注意」というのをした。これは中西伊之助氏からの直伝の秘芸であった。

 ついに最終日、二十九日は来た。先生は朝の五時半から十一時半まで立ちつゞけて、ヨハネ黙示録、聖書社会学及びヨプ記の三講演をつゞけられたが、ヨブ記の最終講演にいてって一同は感激の絶頂に追い上げられた。先生は力強く叫ばれた。

 「平然として地殻の上を悪に打ち克って行け」 これがヨブ記の解決である。この自然の大宇宙の構造の大の中に、悪もその一つの機能としてその存在を許すがいゝ。神の力を得る事によって、悪は毫も怖るるに足りないからだ。われ等はこの信仰をもって、腰ひっからげて、ますらおのごとく進もうではないか! 」

 ヨブの信仰は一同に大きな衝撃を輿えずにいなかつた。ヨブのごとく、確かな信仰をもって生きよう、神の力が加われば、苦難が何だ! われ等は敢然と、十字架の大佩をかざして悪に向って抗戦しよう。そして世の中を少しでも善くしよう。行動の神だ。教会の門は街頭に向って開かれねばならぬ――こう考えると、私どもの心には早くも進軍喇叭が鳴りひゞくのであつた。

 しかし、私たちは誰一人、大震災が後三日に控えていて、友の蹶起を要求していようとは夢にも考えず、たゞ感激に胸をおどらせつつ、五日間の修養会を終り、「しっかりやろうぜ」と互に肩をたゝきながら、東に西に袂を別ったのであった。


              *          *


 本書の箱の表紙は、次のような賀川の文字と絵が踊っています。そして本体の表紙も背表紙も、さらに扉にも自筆の文字が書かれています。


2


3


4


 本書も「普及版」が昭和3年2月に刊行されて広く読みつがれていきました。


5


              *        *

 以下に「序」をスキャンします。なお、本書には「例言」はありませんが、この「ヨブ記」の講演筆記をして著作にまで仕上げた人物は、前著『イエスの日常生活』(賀川のイエス団での説教記録)に続いて村島帰之によるものだと思われます。


6


7


8


9


10


11


12


13


14


15



補記(2012年3月4日)

「序」をここに取り出して置きます。



                    序


 山と盛りあげられた白骨の前に立ちて、私は言葉も無く、涙ぐむ。焼け潰れた安田邸が、旧主の亡霊を偲ばしめるやうな形をして立ってゐる。

 まだ、そこここに注意して見ると人間の骨片が出てくる。三万四千人が一度に焼き殺されたと云ふその惨状を思ひ浮べて、私は云ひ現はす可き言葉も無い。

 その日に人間の身体に火がついて、消さうとしても消え無かったと、人は云ふ。倒れたものはみな口から血を吐いて倒れたと云ふ。

 三万四千の生霊か、黒板のチョーク画を拭き消す如くに地上より消え失せて了った。

 考へてみると痛ましいことである。人間は松火のやうに燃え上り、火焔の旋風に巻き上げられ、火玉となって、遠くまで飛んで行った。痛いとか、苦しいとか云ふことはもう過ぎ去った事実であった。凡てが超越的の出来事のやうに見える。

 私はそれに就てわからぬことが多くある。然し私はかく信じたい。

 神は、この苦痛を以ってしても猶、愛であると―-

 苦難は私共に取っては善き賜である。死さへ、神の御心である。神の懐にて凡てが溶解せられてゐる。私は凡ての苦難を持ってしても猶、神を疑ふことが出来ない。私は変転の凡てを甘受する。

 万能の中には苦難の出現をすら可能とする。私が神となる日、私は喜びの反対である苦痛をも造るであらう。私が神であれば、生の反対である死を創造するであらう。

 万能の意味は、苦難の創造に対しても制限が無いと云ふことである。全能の意味には生と共に死をも創り得ると云ふことが含まれてゐる。

 無から有を、苦難より喜悦を、死より生を創造し得るものは、有より無を、喜悦より苦難を、生より死をも創造し得るものでなければならぬ。

 神の為めに制限の墻壁を結び、『何故なればおまへは、悪を作り、苦難を撰び-』と問ひ得やうぞ?

 全能者に制限は無い。神の為めには、凡てを許容せねばならぬ。全能者の手に陥るものは苦難と死の賜を甘受せねばならぬ。それが創造の秘義である。悲しむものが幸福であり、餓え餌くものが幸福であり得る生活はただ全能者の手に陥り、創造の秘義より出発して、神の全能なる芸術に参与するもののみそれを味ひ得るのである。

 苦難は芸術の終点に立つ。全能者のみこの芸術を味ひ得るのである。苦難はそれのみが終点ではない。生命の芸術に於て、変転の可能性を信ずるものが、之を受取り得るのである。

 苦難を創造するものは神であることを信じ得るもののみがそれを芸術とし受取る。

 十字架の芸術はそこにある。神の芸術は苦難を蒔いて生命を苅り取ることにある。一粒の麦を地に落して万粒を苅り入ることにある。

 苦難の籤をひくものは、神の籤をひくものと考える必要がある。苦難のみを思ひつめるものはそれに打勝つことを知らない。然し、神の為めに苦難を忍ぶものは、苦痛を芸術化する。

 苦痛が美と変るのはその心持ちから出発する。誰しも十字架は悲しいこと、いやなこと、むごつけ無いことである。然し大工イエスに於ては十字架が反って法悦の輝きであったと云ふことは、苦難をすら聖化し甘受し得るものは、他に余す可き聖化が無いからである。

 苦難の聖化は、神の最後の芸術である。苦難にすら打捷つものは、他の凡ての喜悦に打捷ち得るにきまってゐる。

 見よ、苦難は最高の芸術では無いか? 世界苦を除き得るものは、他に残す可き悪が無いではないか?

 苦難は相対の世界に立つものには永遠に残る。相対よりよう脱却し得無いものは、苫難に捷つ可き道を知らない。絶対の秘義に這入り得るもののみ、それに打捷つ可き秘義を知る。絶対なるものは生命の外には無い。

 延び上り、打砕き、苦難の中に飛び込んで行く、生命は苦難に怖ぢない。苦痛は生命に取っては、実在の本質では無くして、その附録であり、装飾である。

 苦痛が生命の装飾であることに感付くものは、苦痛を怖ぢ無い。生命に対する幕間は暗黒に見えても、それで苦痛の総量を計算することは出来ない。生命は苦痛よりも強い。被服廠跡にまた青草が萌え出で、バラックの中に人間か群がる。生命は火焔より強い。

 地球が、太陽系の一角に植えられてから幾兆万年経つか私は知ら無い。火の海を冷えさまさせて、大地を海の中から生え出ださしめ、地震と、噴火と、暴風と 洪水の激しき変動を越えて、アミバーを人間にまで造り上げた宇宙の内なる神は幾百萬年の変動を貫いて、退化の道をお取りにはならなかった。

 神から云へば、折には悲観したことも有ったかも知れ無い。その中でも、神は凡ての苦難を貫いて、人間創造にまで成功したのである。或時にはあまりに打続く大爆発と大噴火の為めに炭酸瓦斯が地殻の表面を蔽ふて、高尚な動物らしいものが創れなかった時代もあったらう。大とかげが地上をのそのそと歩き廻り、有肺魚が、その醜い姿で地上を探険に出かけたこともあったのだ。その後また炭酸瓦斯が凡て水に溶けおとされ大とかげが一度に瀕死せねばならぬやうなこともあった。然しそれでも、神は失望しなかった。

 神は生物進化の道程の手をゆるめ無かった。失望するなよ、若き魂よ、神は嘗て失望したことが無いではないか? 苦難は彼に取っては完全な芸術である。

 ナザレのイエスは死を彼の芸術の一種と考へた。彼はそれに対して何等臆する処が無かった。殉教者に対して苦難は光栄の極致である。

 そうした場合に、苦痛は苦痛としての本質を全く失って了ってゐるのである。悦んで受け得る苦痛は苦痛の苦痛では無い。それは光栄の一種類である。

 光栄の苦難に参与せよ、神に忠なる若者よ、神に生くるものには、苦難の流血は宝石にも勝る。たとひそれか平凡時の平凡なる苦難であるにしても、苦難は勝利によって呑み亡ぼさるべきものである。苦味は陶酔者の口舌にはこの上なき芸術である。

 苦き杯を逃げるな、友よ、「み心の儘に」を神に告げよ! 苦杯を盛られる日に真実の芸術があり得る。強くあれ、神の如く強きものには、苦痛は北斗星の如く、良心の芸術として好愛せらるる。苦痛によって愛が密着する。之れを受難の真理と云ふ。苦難を通過せざる愛は、愛の真実を持た無い。愛が錬はれる為めには苦難の鍛練が必要である。

 神の打ち下ろす苦難の鎚にひるむな、苦難の火花は芸術の最後の至聖所である。此処に入るものは選ばれたる至高の魂である。

 受難によって、仲保者になるが善い。受難の芸術は人を神に造り換へる唯一の道である。苦痛は、神とその子等のみが負ひ得る光栄である。苦難を甘受するものは、最後の階段に登る。そこにて、神は直接その魂に囁く。

    一九二三、一二・一四 
                                   賀 川 豊 彦    
                                    本所松倉町バラックにて









スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

フジテレビ抗議+αまとめwiki 検索 ←これが、一番最初なんです。じっくり見て下さい。
ミコスマ 検索
韓流ビギナーの部屋 検索
韓国人の世界 検索
フジテレビが責められる11の理由 検索

ここで、政治ネタ韓国ネタが多いのには理由があります。最近減りましたがネトウヨなんて工作員の流行らせた言葉を使って、色眼鏡で見ていると大変な事になります。調べてみてから判断してください。ご自身で考えて下さい。


教師、マスコミ、政治家、医師、弁護士、役所、警察、日本の企業の役員など
日本のあらゆる重要各所に朝鮮人が入り込んで権力や地位で歴史や事実を捻じ曲げています。
また宗教の教祖なども見えない力や神の名前を使い信じ込ませ金儲けや
日本人を洗脳しコントロールしています。

日本売国 】¨野田独裁政権¨【 絶対阻止 】
 
 ・人権救済機関設置法案 
 ・外国人住民基本法 
 ・外国人参政権 
 ・重国籍法
 ・コンピューター監視法案
 ・朝鮮学校無償化
 ・移民1000万人受け入れ

【 TPP + 増税 + 悪法 】⇒【 日本乗っ取り 】⇒【 日本人奴隷化 】

●麻原彰晃  在日朝鮮人 オウム教祖
●少年A→。山口県光市母子強カン殺害
●畠山鈴香→在日朝鮮人。秋田県児童サツ害
●三宅正信→在日朝鮮人。ペッパーランチ強カン 創価大学卒
●宅間守 →朝鮮部落出身。大阪? 附属池田小学校児童サツ傷 両親も創価学会員
●少年A →元在日朝鮮人。酒鬼薔薇聖斗 神戸のクビ切り小僧
●林真須美 →帰化人。和歌山毒入りカレー事件 4人毒サツ 63人が負傷
↑通名報道は必要か?
民潭の統計調査によると在日朝鮮人約64万人中、約46万人が『無職』である。つまり4分の3が無職である。年計2兆3千億円が­「日本人ですらない在日朝鮮人の生活保護費」になっている。
そんな在日を日本国民が血税を支払って養っているのである。
在日は「そんな特権は存在しない!」などと嘘をつくが、騙されてはならない。在日朝鮮人は仕事もしないで生活保護で年間600万­円も貰って優雅に生活し、子供も朝鮮人学校に通わせて更に補助金を貰う。
また、これは失業保険とは違うので仕事をしても給付対象からはずれることはない。
これで、もし『外国人参政権』などが認められた日には文字通り"日本が朝鮮人のものになるのは時間の問題であろう。 
プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。