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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第29回『神の懐にあるもの』)

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前回のぶらり散歩は「能福寺」の境内にある「平清盛公墓所」です。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   
               ―作品の序文など―

            第29回

               神の懐にあるもの

             大正14年12月5日 警醒社書店 187頁


 前回取り出した『神との対座』と同じく小型ポケット版の箱入り上製本で仕上げられた本書『神の懐にあるもの』の手元にあるのは、昭和2年9月に再販されたものを、昭和50年11月に「賀川事業団雲柱社」で復刻されたものです。表紙には「賀川資料室:雲の柱No202」と書かれています。


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 そして『神との対座』と同じく、賀川は次のような短い「はしがき」をしるしています。


          *           *

              
                は し が き

 この書はイエスの弟子ヨハネの宗教思想を味ひつヽ私の宗数的経験を述べたものである。私はヨハネの宗数的雰囲気に浸ることをこの上なく光栄に思ふ。私はそこに神の姿なるキリストを偲び奉るのだ。そこに私のイエスの繋がる理由がある。

 この書は、親友村島帰之兄が、私の数回の講演を筆記してくれたものを整理したものであゐ。それに就ては、同兄に心より感謝せざるを得ない。

 私は憂鬱な東洋に、神の懐の開かれてゐることを紹介するを喜びとする。一つでも多くの魂が、そこを発見することは、私に取って大きな望みであり、喜びである。

  一九二五・一〇・二二
                                     賀  川  豊  彦
                                      ――北澤の小屋にて――



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              *        *


 今回も本書の最初に収められている序章にあたる作品を取り出して置きます。
 「永遠の乳房」と題するものですが、このタイトルは、次回に取り上げる賀川の第二詩集『詩集・永遠の乳房』に採用されているものです。




                 一 永遠の乳房


                  1

 前は闇である。周囲は暗い。いつこの闇が晴れるか わからない。
 あゝ それでも 私は衷なるものゝ力を強く握って進む。

     わが行く途 何時如何に
     なる可きかは 露知らねど
     主はみ心なし給はん

 温い涙が頬を傅ふて流れる。今迄導いてきて下さったのだもの、この後、どんなことがあっても救はれないことは無い筈である。

     備へ給ふ 主の途を
     ふみて行かん、一筋に

 凡ては備へられてあるのだ。苦痛に、貧乏に、迫害に、悪罵に、凡ては備へられてある。天の父は凡てを知ってゐて下さる。ただまかし奉らふ。


                    2

 何にも苦労がない。別に努力をしてゐるわけでもない。それは恰も風のように自在に、自由に、あるが儘に 私は歩いて行く。

 東が白む、私は起きる。紫水晶のような空に、金箔をぬすくりつけたような曙が、私の前に開展する。私は静かに、今日の曙に就て神に感謝する。

 妻が私を朝飯に呼んでくれる。私は食卓の前に坐る。そして私は感謝をもで、玉葱の這入った味喰汁と、麦の這入った半白の飯を感謝する。

 急がしければ、私は走る。眼が悪ければ、考へ込む。金が無くなれば仕事を止める。金が少しあれば、仕事をする。

 夜が来れば、睡むるし、祈りたければ、森に這入る。私は風のように生きて、風のように暮してゐる。私は無理のない生活に、生命なる神の聖き交通を保つことを努力してゐる。

 一つとして、歓びで無いことがない。寝る時も、醒める時も、食う時も、走る時も、病む時も、語る時も、「私」のようで、「私」のものでない。凡てに無理のない風通しの善い心の持ち方をしていると、神は心のこの窓から入って来てくれて、心のあの窓から出て行ってくれる。

 私は、神の前に無理がない。私は神の前に、とっくの昔に落城したのである。私は、私の私ではない。私は風の私である。土の私である。本の私である。金の私である。火の私である。血の私である。私は私の分子をして、凡てに物語らしめる。私は、血の私である。情熱の私である。地震と噴火の私である。

 私の胸は噴火口である。ナザレのイエスの赤い血は、私の胸に吐け口を求め、私は、その血の為めに、胸のうづくのを覚える。それでも、私は至極平静で居れる。

 吹き披けよ、赤き血よ、人類の凡て汚れたる血を贖はんとする赤き血よ、私の胸を吹き抜けよ! 血の台風よ、私の胸に湧き立つが善い、竜巻よ、起れ、私の胸は低気圧の中心になってゐるのだ。私は、神の嘆きを胸底に感じ、神のうめきを、魂のバロメーターに読む!

 どうして、私だけが、安閑として居れようか、主、わが神が、この悲しき人類の混沌に泣き給ふ程に。

 東風は、私の魂のこの窓から入れ! 北風は次の窓から。南風よ、競へ! 西風よ咆えよ! 私の魂は、今台風の中心だ!

 私の魂の寒暖計が急激に上下する。バロメーターの水銀は漸次に高まる。高まるだけ高まれよ! それも、御計劃の一つではないか!

 私の胸底は、神が占領し給ふたのだ。神は風の如く 自在に、私の胸底に吹き廻り また鎮まる日に、鎮まり給ふ。

 『神さま、御自由に、御自由に。あなたは既に、私を捕へ給ふたのですから、私はあなたの捕縄に満足し、あなたが 私の肉体の上に踊り給ふとも、私は満足します。神さまよ、勇躍して下さい、私の肉体を踏み台として………それは、 あまりに光栄です。光栄です。』 

                
                     3

 何と言う、光栄であろう。穢れ果てたこの虫くうた魂をも、神――わが神が占領したまふとは。懺悔の日、まだ尽きざる中に、悔恨の涙まだ乾かざる中に、神は、私を踏み台としてもの言ひ給ふ。

 さらば、私の魂よ、おまへほど幸福なものはないではないか! 懺悔の日に、み神は光栄の姿をもて、おまへに近づき、わななく手を捕へて、固く握り〆め給ふ。

 そは、誠に、恋人に似ては居ないか! それは、現(うつつ)の眼では見られない光栄である。み神は新婚の新夫の如く、輝きの姿で、私を御胸近く引き寄せ給ふ。何と云ふ感激だらう。

 私は『恥かしいですから、お赦し下さい、あなたにお目に懸かるには、私は、あまりに穢れて居ります。アダムにつく、私は、とても、永生の御姿でゐられる、あなたを拝し奉ることは出来ません。どうか、私を、あなたの前より隠させて下さい』かう申上げても、わが神は、お赦しにはならない。

 『功なくして娶るその愛を恵みと云ふのだ。罪の身をも猶愛せんとするのを贖いと云ふのだ。私はおまえを罪の奴隷より贖ひ、神の子の花嫁として娶る――』

 こんな馨が、かすかに、私の魂の耳底に聞える。そして私はわななく腕を支えられ、震ひ上つてゐる五体を抱き上げられ、太陽よりも、輝しく、オリオンよりも眩ゆい光栄に移される。

 『それは、あまりに充分です。それはあまりに光栄です――この土塊に等しい私を、生きながら、その光栄に移し給うことは、私に取っては、無限の光栄です。私はこの光栄を御辞退申上げます。』

 かう云った言葉も、神はお聞き上げにならないで、神は、私をその懐に近く引き寄せ給ふ。

 神は 今迄の罪咎を忘れ、全くの感激に、云ひつくせぬ光輝に酔ふ!

 さらば、私は之から、神に出発して、肉体の旅を続けよう。然し今迄の肉体はあまりに恥かしい! 乙女マリアが孕んでゐてくれたなら、かうした間違はなかったらうが、私は娼婦の子として産れ、産れ乍らにして、罪の子である。

 再び産れかはる秘術もあらばと思ひ煩つてゐる私は、ただ感激に溢れて、すすり泣きをしながら、神の懐の中に、わななくのであつた。

 おゝ 恵みよ、溢れ出づる恵みよ、父なるみ神の懐に、暫しの程やすらうことさへ 光栄であるに、この土塊を末ながく、はゞくみ給ふ御恵みは凡ての言葉を超える。魂よ、感激と云ふことを知つたか? それなら、おまへは、新しき出発を急ぐが善い!

 前は暗い! 後は闇だ! 然し、神の懐はいつもお前を待つてゐる! 疲れたらすぐそこに帰って行くが善い。永遼の乳房がおまへを待つてゐる!

 おゝ、永遠の乳房! 永遠の乳房!



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