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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第32回『神による解放』)

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賀川豊彦が若き日大きな影響を受け、自ら翻訳・紹介をかさねてきたラスキンの著書は、何度も改訳が行われ、既に5年ほど前になりますが「中公クラシックス」の一冊に入った「この最後の者にも・ごまとゆり」は書店で求めることができます。岩波文庫の「胡麻と百合」は古書で見つけることができるかもしれません。




              賀川豊彦」のぶらり散歩
   

                ―作品の序文など―

         第32回

                 神による解放

            大正15年7月25日 警醒社書店 221頁


 賀川は大正14年7月に世界一周旅行を終えて帰国し、イエスの友を中心に「百万人救霊運動」を8月より開始しました。「賀川豊彦献身100年オフィシャルサイト」で「吉田源治郎」の足跡を詳しく辿った時には、賀川のこの世界旅行の折りに米国に留学中だった吉田と意気投合して、新しく大阪で「四貫島セツルメント」を始動させる夢を抱いていった経緯に触れましたが、本書『神による解放』は、吉田源治郎が責任者となり、大正14年10月にその「セツルメント」を開始する中で、賀川が四貫島や堺などで行った講演を吉田が筆記して完成させることになった作品です。


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 既にとりあげましたが、賀川の講演記録を書物にまで仕上げて来た吉田源治郎は、再び四貫島セツルメントと農民福音学校を拠点として、次々と賀川の作品を世に出していきます。

 本書も初版は警醒社書店による箱入りの上製本として刊行されていますが、賀川の著書としてははじめて「序」の後に「著者より読者へ」という頁を設けています。


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 そして「1円50銭」のこの「特製版」とは別に「35銭」という廉価な「普及版」も揃えて、広く読者に提供しています。下はその「普及版」です。


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            *              *


ここでも、本書の「序」を取り出してみます。これまでのように、勝手に改行をして、ブログようにUPしますので、原書とは違います。これのあとに、原書をスキャンして掲載います。



                 


   おゝ、私は待ちこがれて居る。神の旋風を。
   旋風よ来い。南より来い。西より起これ。
   私は、旱天の日に雲を待つ様に、私は旋風を待って居る。
   それはとても、旋風でなければ動かない、この閉じ込めた、
   混濁の世界を一気に吹き払うのでなければ、二百十の来る前に、
   多くの人達は窒息して仕舞うだろう。

   神の二百十日よ起これ、愛の旋風よ襲え! 
   我々がキリスト愛の浸潤を待っていることは余りに久しい。
   愛の焔よ、一気に日本の南から北まで吹きまくって呉れ。
   日本には、二百十日のあるものを、なぜ神の世界には二百十日がないだろうか。
   否、有る有る。それ二百十日の嵐の予報が、南から来るではないか。
   香港では、真南から、長崎では西南から、本島では西南西から、
   低気圧が進行して居ることを、測候所が報ずる。
   低気圧の足音が、軽々地上に触れた時に、水は天上に舞ひあがり、船舶は木の葉の如く揺れる。
   神の旋風もその如く来い! 
   凡ての罪悪の櫓を打こぼち、地獄の焔を吹き消して呉れ。

   五百四十箇所の遊郭を空中に巻き上げ、これを一晩の中に掃除して呉れ。
   無風帯の世界に棲む日も、あまりに永過ぎる、日本は神の旋風を待っている。
   日本の天空に、神の響を聴かして呉れ。
   日本に続く、無道徳時代があまりに永すぎる。

   黄海の水を開き、ヨルダンの真中より、エリヤの火の車を天上に吸い上げた、救いの旋風よ起これ。
   日本には二百十日のあるものを、なぜ神に旋風がないと云うか。
   大地を揺るがせ、波涛をたたせ、一日の中に日本の北より南に走り得る、旋風よ来い。

   この民は、あまりに長く無風帯に棲む為に、足を持って立つことを知らず、
   手を動かして、よじ登ることを忘れた。
   あまりに長く、美しき島に安座し、北に南に伸びることを知らない。

   台風よ起これ、旋風よ来い。
   桜花の下に惰眠を貪る、我らをゆり起こして呉れ。
   此の民は琵琶湖に満つる丈の酒を呑み干し、富士の頂きにも着くほど、
   肺結核患者の死骸を積み上げて居る。

   神の旋風よ起これ、これ等の不吉を皆吹き払って呉れ。
   夏に、二百十日のあるものを、
   なぜ魂の世界に二百十日ばないと云うのか。
   魂の二百十日が来る。それは必ず来る。
   稲の穂は出揃って、白い花が、その穂の間から覗いて居る。
   稲の実る前に、二百十日が来て呉れればよい。
   風は花粉を、南から北に吹き送り、稲の根は硬くせられ、やがて六千万石のお米が取れる。

   聖霊の二百十日よ来い。一つ大きく吹いて呉れ。
   日本の米はそれで実るだろう。
   魂にだって季節風(モンスーン)は要るよ。

   神の旋風よ来い。私の魂を天上まで巻上げて呉れ。
   否、六千万の日本人が、誠に神がある事を知る為に、その旋風を一日も早く、近づけて呉れ。
   籾殻は吹き飛ばされ、実は倉に入れられる様に、私は神の旋風を待つ。
   私が微風をきらうから、こう云うのではない。
   軟風の日が、あまりに長く続き過ぎる。

   私は旋風の来る日を待っている。
   夜更けに来るか、真昼に来るか、
   戸の揺らぐ度ごとに、私は神の旋風の動くのを待っている。

      1926・6
                                   賀 川 豊 彦
                                     武蔵野の小屋にて



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