スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第45回『ジョン・ウェスレー信仰日誌』)

1


昨日の「ぶらり散歩」は「デュオドーム」で開催中の「神戸花物語」でした。本日で終わりです。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第45回

        ジョン・ウェスレー著・賀川豊彦・黒田四郎共訳
           

           ジョン・ウェスレー信仰日誌


         昭和4年5日28日 教文館出版部 575頁


 すぐあとで取り出します賀川豊彦の本書の「序」に書かれているように、賀川にとって「最も深い感化を受けた書物のひとつは、ウェスレーの信仰日誌」でした。

 賀川は「まだ二十歳過ぎて間もなく、ウェスレーの信仰日誌を手にした」といわれます。そして彼は「幾日かかかって、省略せられたる彼の信仰日誌を読み了へた。そして私は、新しい自分を発見したやうな気がした」というのです。

 本書は575頁にものぼる大著ですが、賀川が最初に手にして読んだというこの「省略せられたる信仰日誌」を、賀川は黒田四郎氏に翻訳を頼んだようです。

 黒田氏の『私の賀川豊彦研究』には「私が先生のグループに参加した時、先生は直ちにジョン・ウェスレーの『信仰日誌』の翻訳を勧めた。ウェスレーは八十八歳で世を去るまで毎日丹念に日誌を夏期続けたので、その量は膨大なものである。ベーツという人がその一部を編集したものを私は二ヶ月かかって訳し、翌1929(昭和4)年に賀川先生との共訳で出版した」(129頁~130頁)と書き残されています。

 本書には、訳された原著の記載はありませんが、この記述でベーツ編集のものであることだけは判ります。


*                 *


 ここでは、本書の表紙と口絵のウェスレーの写真に続けて、賀川豊彦の重要な「序」を取り出して置きます。そして最後に、原書のスキャンを収めます。


2


8



                    序

 私が最も深い感化を受けた書物の一つは、ウェスレーの信仰日誌である。私はまだ二十歳過ぎで間もなく。ウェスレーの信仰日誌を手にした。そして幾日かかかって、省略せられたる彼の信仰日誌を読み了へた。そして私は、新しい自分を発見しやうな気がした。

 ウェスレーがモレヴィアの兄弟達と太西洋を渡る不思議なる精進の記録、彼がまた、ジョウジヤ州の傅道旅行に雲の上で寝た話、彼の朝起、彼の規則だった生活振り、撓まざる努力、馬を友とする傅道族行、一日三度の聖書研究、孤児失業者の保護、馬上の読書、強烈なる傅道心、迫害に直面するその意圖、数へれば数限りもないが、十八世紀末の廃れきった宗教界に、祈と奉仕と、精進と聖潔と完成の福音をひっさげて、しびれ切った欧洲の宗教界に、一大波紋を投げ輿へた彼の貢献は、彼の日誌を見ることによっで、手に取るやうに頷かされる。    し

 アッシシのフランシスが、十三世紀に捲起した宗教運動のそれにも似て、クェスレーの宗敬運動は世界に波及した。フラソシスカンは中世紀的であったけれども、ウェスレーの運動は近世的であった。彼の運動は、中産以下の生活を改造した。自給傅道者の無数の群は、クェスレーの体験した福音を、工場に、農村に、さては貧民窟の裏長屋にまで、それを運び込んだ。英國で労働組合らしいものを作った最初の一因は、クェスレーに導かれた人達の群であった。農民組合を最初に組織したラグレス、労働党を最初に組織したケァハーディ、奴隷解放の先駆をなしたウィルヴァフォースは、みなウェスレーの感化を受けたものと私は記憶する。トーマス・カーライルが云ふた如く、クェスレーの精神運動は英國を暴力革命より救ふた。

 今に至るも、ウェスレーの感化は社会運動の裡に残ってゐる。欧洲大戦中の無任所大臣アーサー・ヘンデルソンもウェスレーの弟子であった。労働内閣の大蔵大臣でフィリップ・スノーデソもメソヂスト派の自給傅道者であったと私は聞かされてゐる。商工大臣に擬せられたランズベリーも同じ仲間であった。ブース大将が貧民窟に石炭箱を運んで行き、其處で説教する覚悟を起したのはウェスレーの感化に基づくことが多かった。

 実にウェスレーの運動は個人の魂を救ふたのみならず、社会の組織を救ふ力を持ってゐた。彼が宗教に對する熱愛と神學的決定論に反對して道徳的自由を高唱したことと、妥協なき規則的な生活と、愛と、精励と、絶えざる祈は、彼の秀れたる経営的手腕と相侯って、近代英國の産業革命を宗教的に救ふ一つの力となった。

 社會組織が人間の全部ではない。個人の精霊が高挙せられずして。社會の改造は不可能である。ウェスレーの執った道は、永久への道である。私は、彼の生涯を繰返し繰返し瞑想して、日本に於ける産業革命が、同じ方法を以て救はれねばならぬことを確信する。

 ウェスレーの周園を無数の信者が同志として取捲いてゐた。彼がその後を司らしめんとした田舎伝道師ジョン・フレッチャーは使徒ヨハネ以来、彼の如く愛に富める人は無いと尊敬せられた程の人であった。私は彼の静かなる信仰日誌に読み耽って、感激の涙を押へることが出来なかった。

 英國に着いたその翌日の午後、私はビショップス・ゲートに近きクェスレーの母教會を訪問し。その教会堂の入口に作られたるウェスレーの母スザンナの墓に敬意を表し、教會の裏に廻って、百敷十名の初代メンヂストの有志等の永遠の墓碑銘に額づいた。それらは教会の礎や。其處に建てられたる幾多の石の上に粗雑に刻み付けられてあった。ウェスレーの蓮動は一人の運動ではなかった。それは一團の同志の運動であった、そこにメソヂスト運動の面臼さがある。然しウェスレーの神による聖潔と、愛と情熱なくして、これ等の一團の青年等が一塊にはならなかったらう。

 前進せんとする者は、まづ過去の傾向を見究めなければならない。我々は、日本の産業革命に直面して、之を救はんが為に、最も新しき意味に於てウェスレーの生涯を省る必要がある。

 1ウェスレーを恵み給いし神、今日も彼の信仰日誌を読む者を祝福し、神の國樹立の祈願を彼の魂の衷に起し給はんことを。

 時は悪い。逆風は我々の破れたる帆と打つ。退潮だ! 早く船をやらなければ死に乗り上げる惧がある。あゝ日本の舟子よ。潮が凡て退かぬうちに、福音の大船を速かに前に進めよう! 日本にウェスレーの群は居らぬか? 田園は悩み、工場は煉ぶる。聖霊は我々の為に悶え。キりストは日本のために、今猶悲しみ給ふ。

 私は日本のために、さうだ日本の為に、もう一度ウェスレーの信仰日誌を読み直し、英國の産業革命を救ふたその精神が今日の日本の産業革命をも救び得んことを、ひたすらに祈るのである。

   一九二九・二・一九
                             摂津武庫川のほとりにて

                                      賀 川 豊 彦



3


4


5


6


7











スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。