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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第58回『十字架に就いての瞑想』)

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上の写真は今回も横山春一著『隣人愛の闘士・賀川豊彦先生』(昭和27年写真増補版)の中からの掲載です。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第58回


             字架に就いての瞑想

        昭和6年6月10日 教文館出版部 196頁


 1年前(昭和5年)に『神に就いての瞑想』を教文館出版部から出版した賀川は、続いてここに『十字架に就いての瞑想』を、いつものように講演筆記者の協力を得て刊行し、このときは何と初版2万部という大量印刷で、「10銭」の本を普及させました。手元のものは昭和7年1月の再版ですが、再販も2万部と記されています。

 今回も早速、本書の表紙に続いて、「序文」とそれに続く「著者より読者へ」も取り出して置きます。


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                十字架に就ての瞑想


                    


 私は見た、カルバリーの丘に、十字架を負ひつつ登ってゆく人の子のやつれ衰えた姿を。彼は十字架の重みに沈み切って遂に道の上に倒れた。その日の光景を見るために、道を急がせたルフの父シモンが、兵卒の命令で十字架をかつぐお手伝いをさせられた。田舎者のルフの父は、びっくりした顔をして、人の子の十字架を、ぶっぶっいひながら荷ふてゆく。

 イエスも亦十字架の分担を我々に要求してゐるのだ。三年の悪戦苦闘に、そして幾日か続いた徹夜の祈に、その上受難週の最後の目標の晩の、徹夜の責苦に頑強な労働者としてのイエスも、もう十字架をになふてゆく体力を残してゐなかった。

 彼は人を救ふて自らを救ひ得ない運命の道に、自らを導いた。彼は文字通り聖き受難の大道を歩むことを決心し、天父の大愛に生きるために、宗教に名をがる支配階級の搾取施設と、正面衝突することを辞せなかった。彼はその子羊を贖ふために、狼にくはれることをさへ、辞さなかった。彼ば無限の聖愛に生かるために、喜んで自分を十字架の上に捨てた。

 赤ん坊が成長して、花嫁になるまでに順序があるやうに、人類の成長にも歴史的階級がある。土に蒔かれた種は、茎をのばし、穂を出し、そして蕾が開いて、花が受精するやうに、人間の歴史に一つの大きなみのりの時があった。エデンの花園から追はれた夢の子等が、曙に目醒めて神の恩寵と贖いの愛に、全意識を霊に盛り得だのは、キリストに於て最初の実を発見する。彼は誠に神の独児であるといひ得る。

 噫人類の冬枯に、大愛の春が帰って来た。私達はイエスに於て、宇宙の大愛の結実を見る。イエスは人間として、宇宙の全体意識に目醒めた最初の人であり、罪人にすら責任を感じた最初の人間であった。花がみのって叉冬が来るやうに、イエスの胸に愛の花が咲いてから、叉人類の冬枯れが度々めぐって来た。そして未だにイエスのような愛を根本として、宇宙の花を咲かせてくれる集団は地上に現れない。

 おおそのために、私の胸はうづく。不甲斐ない人類生活と、見下げ果てた霊魂の弱さに、ただ私達はキリストを振りかへって見て今日の自己の姿に飽き飽きする。かうした気持でパウロも古き自分をキリストと共に十字架に曝したく思ったのであらう。かうして我々は、自分を一先十字架にかけて、自分を殺し、この後自分のためでなく、人のために死んでゆく宇宙の愛に目醒めたいものである。

 生命の世界は、水遠につきざる愛の世界である。愛と犠牲なくして、この驚くべき生命の殿堂は維持することが出来ない。それは昆虫の世界に於ても鳥類の世界に於ても、哺乳動物のうちにも変らない一つの法則である。然し科学者の指ざす世界は本能愛の世界である。キリストに於て我々は、本能より脱皮して、最初の自由なる贖罪愛が、人間として目醒めたことを発見する。この領域に於てのみ、神聖な社会は創造せられる。社会革命も、独裁政治もこの本能愛を脱皮した十字架意識に比して、影にもひとしいナンセンスとして、取扱はれる。十宇架愛の意識は、人類歴史にとつては霊の内部創造である。人類の此の意識に目醍めない前に、社会革命は絶対に不可能である。蛹になることを躊躇するものは蝶々になることは出来ない。十字架の道を通過せずして、社会創造は絶対に不可能である。然しこの道は人間の小細工て出来た道ではない。生命の噴火にほとぱしり出た血湖の軌道のそれである。生命本能を貰いて、天に迄伸びあがる最も勇しい愛の芸術である。それは最大の愛の冒険であり、宇宙がかつて見た最高の芸術である。これなくして地球の歴史は、虚無にも等しい。キリスト愛の運動は、十字架の一言にてつきる。十字架はキリストの凡てであり、愛の凡てである。十字架に於いて、神はその胸底に秘めた、愛の神秘を人間に物語ってくれた。血みどろの十字架を守ることを恐るものは、キリスト愛を知らざるものである。神の認識を倫理学で認識するのは、ギリシャ人まかせておけばよい。神の愛の認識は血みどろの十字架によってのみ認識せられる。愛なきものに、神の愛がわからう理由がない。人を愛せずして、象牙の塔にのみたてこもる偽非学者を書斎の中に捨てをけ。我等はキリストの脇腹より滴る十字架の血を浴みて、更に今日の愛の戦いを継続しなければならない。

 友よ、君の愛の砦は充分築れたか? 癩病院に肺病院に、身を殺して人に奉什する十字架の相続け充分出来たか? 台湾の蛮界に、オホツク海の氷磐に、十字架の進路は決定せられたか? 泣くな友よ! その十字架なくして勝利はない。人にピストルを擬する前に先づ自づ自己の霊を狙撃せよ。世界歴史を十字架の歴史たらしめよ。社会の上層建築が如何やうに変らうとも、十字架なくしで人類の高挙は不可能である。十字架よ、追撃せよ。人の罵倒と脅迫にひるまず、十字架をになふて進め、ビアドロロサの悲しき道に、パタリパタリ滴たるその血しほのうちに、やがて人類が更生すべき歴史はかかれるであらう。私はその血潮の聖痕をたどつて、よろめく足どりを前に進めよう。おお、今日も私の血潮はその聖痕の継承のために流れ出なければならぬ。

  一九三一・五・二五              
                                賀 川 豊 彦

                                 樺太豊原の旅の宿にて



                著者より読者へ


 この書は一九三〇年より三一年の春まで、日本各地で講演したものを同志吉本健子姉と黒田四郎氏の手によって筆記せられたものを、編輯したものであります。ここに改めて二氏に感謝します。何分にも忙しくて北海道樺太の旅行中に校正した為め、行屈かない点があらうけれども他日それを訂正したいと思ってゐます。

 此書を読んで質問のある方は、遠慮なく私宛にお送り下さい。私の住所は東京府荏原郡松澤村上北澤六〇三、東京市本所区東駒形町四丁目キリスト教産業青年會、大阪市此花区四貫島大通三丁目四貫島セツルメント、神戸市吾妻通五丁目四番地神戸イエス團、兵庫県武庫郡瓦木村字高木日本農民福音學校の五ケ所、何所でも結構です。もよりのおぼえやすい所へ書いて下さい。必ず返事を書きます。


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