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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第66回『宗教芸術にもとづく宗教教育』)

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今回も昭和27年刊行の横山春一著『隣人愛の闘士・賀川豊彦先生』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第66回


   宗教芸術にもとづく宗教教育(中村獅雄と共著


    6分冊:昭和7年10月25日(1)~昭和9年2月10日(6) 

        基督教出版社 6分冊計 174頁


 手元にある『宗教芸術にもとづく宗教教育』は、標記の6分冊です。

 昭和8年2月3月号の『雲の柱』の「武蔵野より」には「芸術を通しての宗教教育は、中村獅雄君と共同作業で日曜学校協会から今発表している。あれも将来教材化したいと祈っている」と記し、同年6月号の同誌でも「・・私は、軽井沢で幼稚園の保母さんに、自然教案の講習をしたいと思っている。8,9年ほど前に「魂の彫刻」を書いたが、その各分科を具体化して、芸術教案を中村獅雄氏と二人で書き、今、私は、自然教案をひとりで作っているのである。出来れば、松沢幼稚園の傍に、子供博物館を造りたいと思っている。私は、子供に教える前に、自分が学びたいと思うことの方が多い。それで、野の雑草、道端の小石、林の木、昆虫、星などについていつも子供のようになって勉強している」などと記しています。

 なお、この6分冊の共著は、昭和9年7月には、日本日曜学校協会編纂として『宗教芸術にもとづく宗教教育<基督教宗教教育講座>』が出版されています。

ここでは、6分冊の(一)(二)の表紙をスキャンして、「序」はありませんので、冒頭の「第一章 宗教教育と宗教芸術の関係」のみを取り出して置きます。


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              宗教芸術にもとづく宗教教育


             第一章 宗教々育と宗教芸術の関係


 宗致は常に二方面を持ってゐる。即ち神より人間に向ふ方面と、人間より神に向ふ方面とである。私がここで考へたい問題は、神より人間に向ふ方面が、美を通してどんなに表れ、また人間より神に向ふ方面が、美とどんな関係があるかといふことである。

 十九世紀の疑惑時代にさへ、ノヴアリスやシラーのやうなローマンチストは、理性を超越した美の方面から宗教に入らうとした。これは紀元二世紀頃のノスチツク時代に於ても同じ傾向が見える。日本に於るスペンサーやダーヴヰンの時代に、高山樗牛や姉崎嘲風が美的宗教を高調したのも、同じ傾向であるといへる。美のみから宗教に入ることは如何にも弱いことである。あるものは美のほかに宗教が認識出来ないやうに考へるものさへある。それは大きな誤謬であって、我々はカントのやうに、理性そのものに悲観はしない。然しカントが有限の世界の理性にのみ頼らないで、感情と意志の世界に、宗教生活の基礎を置かうとしたことは、必ずしも間違ったことではない。

 人間が無限と自在性の実在に憧れて行くとき、それは一つの生命の欲求として、たとひ理性が、物質の彼岸に理想の世界をよく発見しない時でも、生命の内に秘められた感情と意志はたかく理性のいふことを聞かない。それは生命の方が理性より長い経験を持ってゐるためでもあり、またより内なるものを持ってゐるためでもある。人間が今日のやうな感情を持つやうになったのは、理性を持つやうになった年代に較べて、遥かに長い。それで感情のうちに我々は生命力のある根強いものを発見する。そして我々はこの生命のは唯単に抽象的な概念ではなく、生き且生き給ふ神である。

 そこで理性は時によって疑惑的になっても、生命が爆発してゐる感情の世界に於て、我々は神を否定することは出来ない。殊に美の世界に於て、我々は理性ではわからない紳秘な宇宙目的の世界にぶつかる。確かに神は、宇宙に意匠を持ち、目的を持ち給ふことを美の世界に於て啓示されるのである。

 つまり美の世界に於ては、神と人間とが、一つの穴を両方から覗いてゐるのである。神はここに於て宇宙の完全なる姿を人間に見せ給ひ、人間はこの点に於て、神の完全なる恩寵に浴ずることが出来るのである。

 かく簡単に片付けてしまへば何でもないやうだが、我々が今までいってきたことを五つに分解することが出来る。

 (一)美の世界を通しての神の認識
 (二)理性を超越した美的目的世界の認識
 (三)理性と融和したる神秘的美的生活実現の可能性
 (四)宗教感情の芸術的方面の必要
 (五)宗教々育を宗教芸術的基礎に置く必要


               美による神の認識


 無神論者唯物論者は、字宙に於る目的の世界を否定せんとする。然し、内部的生命が既に実在である以上、生命が持ってゐる美の世界を否定することは出来ない。物的世界に於て目的の実在が否定されても、宇宙が包含する生命の世界に於て、美といふ目的の世界を否定することが出来ない。雲に包まれた富士山が全部見えなくとも、雲の上に少し頂上が見えれば、富士全体の山の実在を否定することは出来ない。それと同様に、生命の世界に示現する美的感受の実在そのものが、宇宙の根本実在にとっては一つの頂点であると考へることが出来る。その完全な美しい姿に、我々は他の凡てが雲に蔽はれて見えなくとも、神の実在とその完全さを認識する事が出来るのである。


                美と意匠の世界


 我々は生命の世界に内在的美の感覚が伏在するのみならす、また客観的にも――物質の世界にも美的宇宙の存在することを否定することは出来ない。たしかに萬物の凡てが美しいのではない。然し、醜いと見えるものが、ある角度を変へて見た場合、またある場所に於て見た場合、ある時間に於て見た場合、非常に美しくなることを我々は屡々経験する。そして単に無意味な世界であると考へた場合に、美しさが包蔵されてゐることを知って、我々は、生命の世界に於て、美といふ頂点を通して神を認識するばかりでなく、物質的自然的世界の美の存在によって、宇宙に美が偏在してゐることを発見するのである。即ち我々は、生命の世界のほかにも、雲を通し霧を通し、美的意匠の輪廓を窺ふことが出来るのである。然し理屈で、なぜ花が美しいか、なぜ木の葉が美しいか、それは解らない。然し兎に角花も美しければ、葉も、茎も、鳥も、みな美しいのである。それで我々はヴェールを蔽はれた神の面影を拝することが出来るのである。


                神秘的美的生活の可能性


 その上に我々は、日常の人間生活に、芸術的神秘を通して、神秘的な人生を実現することを、今日では科學的に知るやうになった。色彩の科學、音響の科學、リズムの科學によって、我々は目的の世界と調和した宇宙を、人間の努力によって実現し得ることを學び得たのである。即ち美の世界は、静的であるばかりでなしに、動的であることを我々は知り得た。即ち我々は、美の世界を通して神を認識するばかりでなく、美を実現することによって、より深く神の紳秘の奥殿に入って行かねばならぬことを學ぶのである。


               宗教感情の芸術化の必要               ゛

 美が一つの可能性を持つ以上、我々は人生を芸術化し、その芸術化を、人生に於て最も本然的な宗教感情の上に現し、いつまでも神の不思議な意匠の世界から、自ら遠ざからないやうに努力しなければならぬことを學ぶのである。宗教生活がいつとはなしに美的になるのは全くこのためである。


            宗教芸術にもとづく宗教々育の可能性


 かうした宗教感情を美化し、芸術家する必要上、宗教々育と宗教芸術の教育が、同じ軌道の上にあることは決して不思議なことではない。宗致は人間から神へ向って進む時に、一つの価値運動の形式をとる。教育も價値運動なら芸術も價値運動である。たゞ芸術が情緒の美的教育を基礎にするに反して、教育は全体的である。即ち人格全般の発展を経済的に(最少のエネルギーを使って最大の効果を収めんと努力している)價値を実現する處に、教育が一つの人生芸術であることにも我々は気付かねばならぬ。

 かういふと、宗教々育そのものが、完全な一つの宗教芸術であるともいへる。其の宗教芸術は、人間そのものを神の子の美しさに入れることである。宗教々育もそれを目的にしてゐるのであるから、そこに宗教々育と宗教芸術の目的が一致する。もしも強いてその差を求ぬるなら、宗教芸術は宗教感情の中の芸術的情緒そのものを引張り出そうとする部分的なものであり、宗教々育はたゞ芸術的情緒のみに限らす、理性も意志をも、絶對者の啓示に触れしめようとしてゐる處に全般的な努力がある。


                宗教芸術の特異性


 宗教芸術は、単なる物的客観芸術をも含んでゐるが、生命そのものの情緒に関連することが多い。それで、詩、音楽、踊、劇曲、絵画、彫刻、建築、小説等の芸術の中でも、宗教芸術として最も発達したものは、詩であり音楽であり、舞踏である。それがキリスト教のやうな人格宗教に於ては、一層時間的芸術即ち、より心霊的な詩や音楽が発達し、佛教のやうに偶像を許容するものは、彫刻や絵画の方面にも著しい発達の跡とを見ることが出来る。これはギリシヤ宗教に於ても同様である。それで私はまづ宗教芸術の事実そのものをよく調べて、それがどんな形で宗教教育に提供し得るかを研究したいと思ふ。宗教芸術の世界に於て、世界に神の愛を教へたキリスト教芸術は、心霊の芸術としては世界無比、驚くべきものを我々に與へた。それを私は概観的に調べてみよう。



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