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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第78回『賀川豊彦童話・爪先の落書』)

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上の写真も賀川生誕百年記念の時に刊行された『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』の中のものです。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第78回

  賀川豊彦童話集―爪先の落書

     昭和9年9月15日 日曜世界社 188頁


 日曜世界社より出版された本書『賀川豊彦童話集―爪先の落書』は、戦後昭和22年12月にも日本教育出版社発行の「新日本少年少女文庫」の一冊として『つまさきの落書―宗教童話』が出ています。さらに昭和26年6月にも、今度は早川書房より『爪先の落書―賀川豊彦童話集』が新たな装いで読みつがれています。

 実はいずれにもそれらは私の手元にはなく、いまあるのは2010年3月に徳島県立文学書道館発行(発行者・瀬戸内寂聴)の「ことのは文庫」に収められた『童話・爪先の落書』があります。

 ここではその表紙と、早川書房版に収められた「カガワ・トヨヒコ」による「序」がありますので、それをここに取り出して置きます。そして最後に「ことのは文庫」版にある岡田建一氏による「解説」も参考までに入れさせていただきます。


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                 爪先の落書

                   


 野道を歩いている私を雨にぬれた萱がよびとめます。

 『いそがしそうね、あなたは! もう少しゆっくりなさいよ。時間をつくって、私の所に遊びに いらっしやいよ。ここには、あなたのお友達が 大勢 仲よくして暮しているんですよ。みみずさんも、アメーバも、かたつむりも、そして、私の葉の下には、忘れな草も、母子草も、芽を吹き出したばかりですのよ……まア みんな変っていておもしろいですよ。……』

 ひょろひょろ高い萱はまだ冬枯れの株から芽を吹いたばかりであった。

 私は、萱の芽に みせられて、小さい頃によく「つばな」を摘みに茅野を歩いた。

 ひとりぽっちで育っだ私は、野の鳥、畑の虫と仲よしになれた。それで 阿波の田舎で七年間の長い開 楽しい日を送った。そしておとぎばなしの本を満十歳の頃に二冊書いた。

 その時のことを思い出して、この本を書きました。みなさんで読んで下さい。

                            一九五一・五・五




               『爪先の落書』解 説

                                 岡田 健一


 私はこの「爪先の落書」には賀川の自然観・宇宙観がつまっているように思う。
 賀川が最初にこの「爪先の落書」を出版したときに、次のように書いている。

 「最近、大阪日曜世界社から童話集「爪先の落書」を出版することができた。大正十二年に書き出したものが、満十一年目、本になったので、ばんとに嬉しく思った。一冊の論文集を出すより、童話集を出す方が遥かにむっかしいと私は考へた。この童話集は、子供のためにのみならず、大人のためにも私は書いたのであった。是非みんなで、私の考へてゐるお伽噺の世界を味はって欲しいと思う。」
          (身辺祈記 昭和九年十一月号 「賀川豊彦全集」。二十四 キリスト新聞社)

 このように、この本を出すために非常に苦労したことがわかる。そしてこの本は子供だけでなく大人にも読んで欲しいと書いている。賀川の多くの作品に比ベ十一年という長い時間この作品に力を注いだことがわかる。どうしてこのように苦労してまで出版したのであろうか。

 賀川は子供を大切に育てなくてはならないことをいろいろな場で力説している。そして子供の教育に関する著作も多く出している。それは「未来は子供達のもの」、「子供が次の時代を作る」と考えるからである。命のつながりによって人の歴史が出来る。それも次の時代がより成長・進化したものを求めてゆかねばならないとしている。そのことが人の生きがいでもある。それは宇宙のすべてのものに進化する力が与えられているから可能であるといっている。そこに次の時代をつくる子供たちへの期待がある。それを助けるのが大人としての務めでもある。そのように子供の成長をうながすために子供に伝えておかねばならないことがあると考えたのである。

 賀川の教育の中でもっとも特色のあるのは、自然教育である。「賀川は自然を与えない教育は絶対に成功しない」ことを体験したとして、「自然教案」というものを考案した。子供達が幼児の時代からその成長に合わせ、「自然から」何を、どのようにして、学ぶかということを具体的に述べている。そしてそれに必要な「自然教案」モデルも作っている。これは当時の教育において画期的な教育法の提案であったといえよう。
 「自然教案」のことについて賀川は次のように述べている。

 「私は今、幼児白然教案の編集に熱中してゐる。どうして幼稚園の子供等に自然の神秘を教へやうかと、いろいろ苦労してゐるのである。どれだけ成功するかわからないけれども、兎に角一生懸命にやっていることだけを買って貰ひたい。小石に、雑草に、小動物に、昆虫に、神の秘め給ふ心理は絶大である。今日までの日本の教育が、これらを唯物的に教へてきたから、間違ったのである。これを目的論的に神の意匠として教へやうとする所に、私が苦心してゐる所があるのだ。幼稚科の教案を早く書き上げて、すぐ少年科に移りたいと私は思ってゐる。しかし子供等に教へることが結局私自身に教へることであり、子供に教へることを我々が知らないことを払は恥しく思ふ。」
            (身辺雑記 昭和八年八月号 「賀川豊彦全集」二十四 キリスト新聞社)

 普段何気なしに見過ごしている自然物がいかに奥深いものであるかに気づかせようとした。つまり「自然の中にいながらも実は自然を知らない」ことに気づかせようとする。そしてこの自然そのものが実は子供に適しており、子供は自然の子であり、子供は自然が無ければ発育しないと賀川は自然教育の重要性を力説する。

 賀川はこの自然教案を次々と生み出している時期に、この「爪先の落書」を作り上げたのである。そして賀川は次のように書いている。

 「私は「爪先の落書」といふお伽噺を書いたが、これは自然教案をそのままお伽噺にしてみた。つまり子供は、自然のうちに這入ってゆきたいし、大人は脇から眺める傾向がある。つまり子供は自然と同化したい気があるのだから、そこまで子供を引張ってゆきたいものである。で、私は自然教案を遊戯化したいと思う。」
                    (幼児自然教案 「賀川豊彦全集」六 キリスト新聞社)

 賀川は子供を如何に自然に同化させるかに工夫を重ねているのである。そして自然そのものが子供のおもちゃとなるのである。自然は自然を楽しむもののみにその姿を現わすと賀川は言っている。

 ところで、「爪先の落書」を読んで、いかにも夢のような話でありながら、実は非常に科学的な事実に基づいていることがわかるであろう。これがこの作品の特徴でもある。説明されて始めて「なるほど」と感心するところとか、「へえ―そういうことだったのか」と驚かされる箇所に出合われたことと思う。その筒所については後から読まれる方もおられると思うので敢えて例を上げない。

 賀川は自然を楽しむためには自然研究をしなければならないといっているが、まさに賀川は自然研究によって、どこにでもあるような自然がいかに奇跡的であるかを感じたのである。賀川が感じたこの感動を皆に味わってもらいたいのだと思う。

 ただこの感動は単に科学的事実のみからでたのではなく、自然全体で上手く演出されていることを感じたからであろう。その仕組みの巧妙さに感動する。つまりそれぞれのものがばらばらでなく、深く結びついていることによることを示した。それぞれがそれぞれの役割を果たしながら、全体で目的を果たそうとしているその面白さ、その意義深さを知ってもらいたかった。そこから自然現象が偶然で出来ているのではなく、宇宙の意志を感じさせる。普通の目では見えないが存在するものがあることを確信したのである。

 賀川は「もうれつ」と友達から呼ばれるほど、猛烈に勉強をしたことで知られているが、それは勉強することがいかに楽しかったことといえよう。そしてこのことが後の賀川の多彩な活動の基となっているのである。猛勉強の始点は士五歳のときであり、「自然」の持つ意味の重要さに目覚め、自然の裏にあるもの「自然の意志」を追い求める研究に入ったときである。賀川はこのときを自分の「人間革命」のときだと言っている。このような賀川の人間革命の経験を他のものにも経験してもらうことを期待したのであろう。そこで苦労しながらも子供向けにこのような作品を仕上げたと思う。

 この解説では「爪先の落書」の筋書きとか個々の解説は述べなかった。この作品を多くの人に読んで欲しいと思って私は解説を書いた。この読んでもらいたいという思いは非常に強い。私は、この作品は賀川のライフワークと言われる「宇宙の目的」の子供版のような気がする。賀川の世界は奥深く、私の賀川理解は薄っぺらなものかもしれない。しかし賀川の作品をいくつか読んでみた中で、最初にも述べたように、この作品には賀川の大事な自然観・宇宙観がつまっているように思う。子供も大人も、一味違う賀川の世界を味わっていただきたい。
                          (NPO法人賀川豊彦記念・鳴門友愛会理事)



補記

徳島県立文学書道館の「ことのは文庫」には、この『童話・爪先の落書』と同時出版で、『モラエスの日本随想記・徳島の盆踊り』の岡村多希子氏の名訳が出ています。昨年はその盆踊りを初体験いたしましたが、この著作も逸品です。




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