スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第80回『農村更生と精神更生』)

1


今回も上の写真は『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



賀川豊彦」ぶらり散歩


―作品の序文など―

      第80回


  農村更生と精神更生


   昭和10年11月19 教文館出版部 210頁


 本書『農村更生と精神更生』は、日本農民福音学校や各地での講演を筆記してできた作品です。
 早速、表紙と賀川の「序」を収めます。そして、武藤氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」も。


2



                農村更生と精神更生

                      


 「心田を耕さざれば田を耕すことが出来ない」と、よくもまあ二宮尊徳先生が云ってくれたものだ。土を耕す場合に技術が要る。土の測定、土の改良、品種の統一、品種の改良、一つとして精神的努力にまたないものはない。土の仕事を唯物的なものだと思ってゐる
間は、大きな間違ひをする。況んや最近の土壌学の発足、発生学の進歩、肥料化学の進展等によって、農業は人間の意識的開発をまたなければ、不可能事となって了った。

 農業を唯物的にのみ考へる時代はもう過ぎ去った。生物化学としての農業は、生命の発展の方向に従って不思議な末末を持ってゐる。その不思議な未来の扉を開くものは、心の鍵による。魂を開墾することなくして、山野を開墾することは出来ない。印度のマヌー法典にも無神論者の田畑が荒れることが書いておると私は聞いた。古くの時代から唯物的になった民衆に、土を愛する者のみ、土はその感情を現す。土は人間の胎盤である。畏敬の念をもつで土に接近するだけでなく、愛の心を以って大自然に接しねばならぬ。私は唯に日本のためにこの書を書くのではない。世界列国凡ゆる民族に向っても、この書に盛られた真理は、永久の真理であると考へてゐる。そして将来如何なる農政学が現れるにしても、私かここで述べんとした真理以外に何等新しいものを加へることが出来ないであらう。

 キリストは「我父は農人なり」といはれた。全能者にして初めて農を善くすることが出来る。充分科学的であり得て、初めて土を完全に愛することが出来る。土を愛すると称しても、非科学的農民は郷土を蹂躙するものである。然し農業科学だけを知って社会科学を
知らざる者は、農産物が人間のために生産せられることを忘れてゐるのである。資本主義末期に立ってゐる我々は、農業科学を熟知すると共に社会科学をよく理解せねばならぬ。協同組合科学の必要はそこに生れる。

 然し、協同組合運動は、宇宙の神が我々に与へた良心運動を離れて成立するものではない。日本の危機は良心の危機である。道徳的廃顛は、産業組合運動にも潜り込んでゐる。どうしても精神更生を基礎としなければ、農村の更生はあり得ない。私はさきに小説「一
粒の麦」「幻の兵車」「乳と密の流るる郷」等を著して、小説体に農村更生の原理を書いたが、ここには如何なる山村の人にも手に入るやうにと、私の農村更生の原理を論文体にして発表した。私は国土を愛する青年のために敢てこの書を捧げたい。

  一九三五・一一・八 
                                賀 川 豊 彦
                                       武蔵野にて


 附記――この書は、主として日本農民福音学校及び各地に於ける講演筆記を纒めたもので、出版するに当たって、更にそれらに、私が加筆しました。吉本健子姉と黒田四郎氏の手を煩はしましたことを、茲に感謝いたします。農村更生及び信仰問題について質問或ひは指導を求めらるゝ方は、東京市世田谷区上北澤町二丁目六〇三 賀川宛手紙をお送り下さい。又、この書の精紳に依った農民福音學校が仝國各地にありますから、短期間の講習を受けたい人は、上記の場所へお問合せ下さい。私が返事出来なくとも、指導係の方が喜んで御返事致します。少しも御遠慮要りませぬ。



3


4





              『農村更生と精神更生』について

    武藤富男『賀川豊彦全集ダイジェスト』208頁~209頁


                     
 農民福音学校及び各地における賀川の講演筆記を吉本健子、黒田四郎がまとめ、賀川自身が加筆したもので、昭和十年十一月十九日、散文館から発行された。農村問題を精神面、宗教面からあつかっかものである。

 第一篇『農村の精神更生』第二篇『農村の経済更生』という編別になっており、経済復興の原動力を精神に求めたことにこの書の特質がある。

 第一篇においては土を愛する精神、土についての聖書の教訓、協同組合による農村の更生、神を愛する精神を扱っている。最も面白いのは土に関する聖書の教訓で、次のようである。

 モーセはイスラエル民族をひきいて荒野を放浪していた時、縁の中に焔の燃え立つのを見、近づいて行くと神の声が聞えた――ここは聖地なり、靴を脱ぎて裸足となるべしというのである。このように大地は素足をもって立つべき神聖な神の宝座である。

 創世記に記されたところによれば、人間は土から作られたもの、アダムとは赤き土という意である。エバを誘惑した蛇は平面農業を象徴する。エデンの園にあった生命の樹と知恵の樹は、それぞれ殼果のなる樹木と、嗜好果物――みかんやりんご――のなる樹木とをあらわす。蛋白質、澱粉、脂漿、ヴィタミンを多く含んでいる殼果を食べていれば、アダムとエバは労せずに生活ができたものを、栽培するのに労力を要する樹の実を食ったものだから、楽園を追放され、土を耕さねばならなくなった。人は平面農業ではいけない。立体農業に帰り、殼果を食うようにせよ。

 アペルとカインの物語は、アベルが酪農を行なって土地と家畜とを大切にしていたのに、カインは農耕だけを営み略奪農法(地力を奪って捨てて行く農法)を行なっていたので、神の怒りにふれ、その献物を受納されなかったのである。

 ノアの洪水はカイソの子孫が樹木を切ってしまったために起こったものである。アブラハムは羊と山羊とをつれて未開地に植民した。モーセは上地を神のものとし、五十年間に土地所有に変動があっても、五十年目毎に一度土地をもとの地主に返せという法律を作り、貧民が困らないようにした。

 また土地から生ずる産物を取り残した場合は、貧民のためにそれを残しておけという法律を作った。

 予言者時代においては、予言者は土地兼併に反対し、搾取階級と闘った。ミカ、アモス、エリヤ、イザヤ、エレミヤ皆然りである。

 キリストは「我が父は農夫なり」といい、農業に関する話をその教訓の喩えに用いた。黙示録に記された天のエルサレムは田園都市であり、川の流域は立体農業になっており、エデンの園で失われた生命の樹がもう一度かえってきている。

 以上が賀川の聖書教訓であるが、その結びとして、土は神のものだから『土地に肥料をやる時には、神の頭に毛生薬(けはえぐすり)を塗るつもりでやれ、かくすれば労働は芸術と化する』といっているところは、すこぶるユーモラスである。

 第四章は協同組合による農村の更生を概説したもので、その詳説は第二篇に出てくる。第五章においては『神を愛する精神』として農村における宗教生活を語り、良心宗教に目ざめ、開拓精神をもち、宇宙の本質たる愛を体得し、人格的なる神を信ぜよという。

 第二篇の第一章、第二章においては日本農村の再建策が論ぜられている。協力運動、生物科学の利用、精神復興、機械化、電化、農産物加工、金融などの問題が取り上げられ、最後に一個の化学工場としての農村の経営が提唱されている。協同組合を発達せしめて、農村を一個の化学工場とするというわけである。(これは外から強いられたコルホーズではなく、内から盛り上がって作られるコルホーズを意味するのであろう。)

 第三章乃至第六章は協同組合による農村の復興を論じたもので、『農村社会事業』において述べていることとほぼ同じである。ただし本書のほうが表現が容易で一般に分かり易い。

この書の結論は、農村は、先ず魂から甦らねばならぬ、土を愛し、神を愛し、隣を愛するという三愛主義に立ち、十分に科学的に、十分に宗教的に、完全な生命芸術として、人間を宇宙の神の栄光として地上に花咲かしめよというのである。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。