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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第82回『人生読本ー春夏秋冬』)

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上の写真も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第82回

  人生読本―春夏秋冬


    昭和11年8月20 第一書房 446頁


 本書を編集したのは鑓田研一氏で、賀川の詩集『涙の二等分』『永遠の乳房』、随筆『地殻を破って』『星より星への通路』『雷鳥の目醒むる前』『地球を墳墓として』、そして『暗中隻語』『愛の科学』といった諸作品の中から抜粋して、1月から12月まで月ごとにおよそ20篇ずつほどに並べて完成させています。

 第一書房では、漱石や子規、藤村や菊池寛などの「文学読本」のシリーズをはじめ、「人生読本―春夏秋冬」のシリーズでも山本有三・萩原朔太郎・野口米次郎・井上哲次郎などの作品が続けて刊行していますが、賀川豊彦もその一冊に加えられました。

 ここでは、本書のカバーや本体の表紙、そして扉の写真、さらに「編者の言葉」がありますので、鑓田研一氏の文章を収めて置きます。

 そして最後に、本書が昭和15年2月に第3刷が出て、それが手元にありますので、その表紙もスキャンして置きます。



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                 『人生読本ー春夏秋冬』


                    編者の言葉


 賀川氏は世界を照らす太陽か何ぞのやうに偉大な存在である。かういふ人は、一世紀に一人か、二世紀に一人しかあらはれないだらうと思ふ。それほど、その生活ぶり、活動ぶり、人生の生き方、考へ方が特異性を持ってゐる。日本人の血統と日本の土壌の中から、かういふ特異な人がよくあらはれたことだと、不思議に感じられるくらゐである。

 傅道、貧民救済運動、労働運動、農民組合、消費組合、震災救護運動、医療組合、各種の社會事業、立体農業の実施、農民福音学校、看護婦や女子の指導、等々と、氏が過去三十年に亙ってやって来た仕事は実に廣汎であったし、これからも氏は、あの病気がちな、しかも頭丈で柔軟性に富んだ肉体が続く限り、精力的な活動を見せるでもらう。

 氏の學間は驚くほど多方面に亙ってゐる。明治學院在學中は、一切教室には出ないで、圖書室から、カソトや、ショーペンパウエルや、シュライェルマッヘルのものを引き出して、どんなに厖大なものでも、三四日で読破してしまひ、米國のプリソストン大學に入ってからは、神學や実験心理學や数学以外に、生物學、殊に比較解剖學、古生物學、遺伝発生學、胎生學を専政した。氏が神戸神學校の寄宿舎で書いた、明治四十二年、氏が二十二歳の時の日記を見ると、巻末に、その年に読んだ書物の名が列記してある。その中には、ロッツェの形而上學、プルターク傅、独歩の『欺かざるの記』前後二巻、クレオパトラ傅、頼朝、菩提達磨、クロムエル傅、ヘロドトス、スピノザ、マルクスの『資本論』、クレオパトラ伝、頼朝、菩提達磨、クロムエル伝、ヘロドトス、スピノザ、マルクスの『資本論』、クロポトキンの『パンの略取』、論語、禅學法話、菜根譚、二宮尊徳などがある。宗教、哲學、科學、経済學、社會學、歴史の諸部門の中で、氏が手を着けないものはほとんど無いと云っていい。最近は天体物理學、天文學の書を漁って、アマチュアの域を脱してゐるし、文學的素養だって、あれで氏は一人前以上のものを持ってゐるのである。氏の書いたものを理解するには、だから、本当を云へば、氏に劣らないくらゐの予備知識が必要である。だが幸ひ、氏は大衆の言葉を持つてゐる。氏の胸には大衆の血が流れてゐる。氏が言はうとする事、訴へようとする事は、犇々と誰の胸にも迫る。氏は永久に青年である。氏は水久に童心を失はない人である。それに、何より嬉しいのは、氏の言葉の一つ一つが、氏自身の生々しい体験から生れ出てゐることである。どんな言葉の切れ端にも、氏自身の心臓の鼓動が脈打ってゐる。

 氏の著書は既に九十冊からある。その中から必要な部分を抜粋して本書を編んだのだが、この仕事は、氏の側近者の一人となって十数年になる私にとってさへ、予想以上に困難であった。私は屡々自分の知識の浅いことを歎かざるを得なかった。従って、編輯を終へ、校正の朱筆を擱いた時にはほっとした。

 この書は、苦熱や貧困や病気で喘ぐ者に、魂の涼風を送るであらう。どのページを開いても、死線を越えて信仰と愛と希望に生きてゐる者の颯爽たる気魄と情熱が溢れてくいると私は信ずる。朝食前、叉は夕食後に、一家団欒して、一入が朗読するのをみんなで開くのも面白からう。そんな場合、朗読する方も、聞く方も、そっと顔を染めなければならないやうな文句は、この書には絶無である。再読し三読して、この書で満足できなくなったら、直接に賀川氏の九十冊の著書を読破したまへ。

 賀川氏は生れながらの詩人である。第一詩集『涙の二等分』が、与謝野晶子女史の序交附きで上梓されたのは、大正八年十一月のことである。私は思ひ出すが、その時氏は早速それを、常時私か席を置いてゐた大阪神學校の寄宿舎へ持って来て、あちらこちらを読んで聞かせてくれたものである。三十幾歳になっても、氏には青春のスリルがあった。氏にとっては記念すべき詩集であるから、この中からも私は数編抜粋した。

 第二詩集は『永遠の乳房』(大正十四年十二月刊)で、これももちろん見落すわけにゆかなかった。

 氏の出世作は自傅小説『死線を越えて』(大正九年十一月)である。あれが出た時、読書界に起ったセソヒイションは非常なもので、おそらく五十萬部から売れたであらう。今年十七八歳になる者が呱呱の聲を揚げた頃の事件である。それを思ふと、時が経つのが恐ろしいみたいだが、それから後も氏は十畿篇の長篇小説を書いた。とりわけ、『一粒の麦』は『死線を越えて』についでの売れ行きを示した。そして二つとも、今では幾っかの外國語に翻訳されてゐる。

 この書を編むに当たって、私はしかし、小説からは一切抜粋しなかった。といふのは、賀川氏の小説は、一節、一章を抜粋して、その技巧や表現を味わうべき性質のものではなく、全体を読んで初めて意義を持つべき性質のものだからである。それほど氏の小説は全体性を持ち、その全体性は芳醇な人生的價値から成り立ってゐるのである。

 散文詩の方で氏が特異な技量を持ってゐることを知ってゐる者は、小説家としての氏、宗教家、社会運動家としての氏の存在が華やかなだけに、わりに少ないのではないかと思はれる。それで、この書には、氏の散文詩の中でも、最もすぐれた部分をかなり沢山取り入れた。『地殻を破って』(大正九年十二月刊)や、『星より星への通路』(大正十一年五月刊)や、『雷鳥の目醒むる前』(大正十二年三月刊)や、『地球を墳墓として』(大正十三年六月刊)からの抜粋がそれである。そこには神と共に歩む者の朗かな歓喜と魂の香気が漲ってゐる。

 珠玉のやうな短文に充ちてゐる『暗中隻語』(昭和元年十二月刊)は、この書を編むのに一番役立った。英語にも支那語にも訳されて、世界中の人々に熱読されてゐる『愛の科學』は、この書の至る所に、高らかな調べと音楽的なリズムを輿へてくれた。

 この『愛の科學』が上梓されたのは、大正十三年五月のことで、大阪毎日の村島帰之氏と私とが、本所のバラックで、震災救護運動で寸暇もない賀川氏の横顔を目のあたり見ながら、十幾日かかって編輯と校正をやったものである。さういふ思ひ出のある書物が、今ここで再び使用されたことは、私にとっては二重の喜びである。

  昭和十一年八月九日                鑓  田  研  一




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