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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第92回『神と贖罪愛の感激』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第92回

 神と贖罪愛の感激

  昭和13年5月23日 日曜世界社 148頁


 本書『神と贖罪愛の感激』は、これまで多くの「普及版」「奉仕版」を出してきた日曜世界社の出版物です。ここでも表紙とともに賀川の「序」を取り出して置きます。そして武藤富男氏が『賀川豊彦全集ダイジェスト』に短く書いている「解説」も収めます。



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                神と贖罪愛への感激

                    


 反逆、反逆、神への反逆は地に満ちた。人類は道徳的に発狂し、善の標準を見失ひ、悪を善といひ、邪を正といふ時代が来た。

 道徳は階級付けられ、階級の道徳は他の階級に通用しなくなってしまった。一国民の道徳は、他国民への道徳でなくなり、分裂対立は日常茶飯事となり、真理のための真理が蔽われてしまふ時代が来た。

 それが紀元一世紀のろおま羅馬帝国の実状であった。その時にすら神はなほ人類にあいそをつかさず、神と人類の仲なほりのために贖罪愛の道を開いで下さった。

 神への反逆は売国奴以上の刑罰に値すべき筈だ。それにも拘らず神はこの戦慄すべき罪人に、特赦令を発布廿られて、恩赦の道を開き給うた。

 しかし、これは神がただ盲目的愛の持主だからではなかった。キリストは自らの血を代償として支払ひ、我々を神にひつ付けで下さつたのだ。

 聖なる父は義と愛の二つの端のある指揮棒を持って居られるのだ。神は愛するが故に不義を許し給はない。

 不義を捨て置くことを愛とはいはない。不義を賠償して正義に立ち帰らしめることを贖罪愛といふのだ。そして義なる天の父は贖罪愛を通して、その正義を完成し給うた。

 その正義のための犠牲としで、イエスは自らを十字架の上に曝した。彼は自らを反逆者の型として、自我を十字架の上に傑殺した。

 イエスは自我を完全に克服することが、神の厳罰を甘受することであり、その死によって罪よりの解放が可能であると信じた。醜い人間の自我の完全な葬式だ。そして、この毒瓦斯を包蔵する醜い自我の袋が潰れるまで、永遠に神への反逆はつづく。

 で、イエスが十字架の上に自己を死刑に処したことは、完全なる神への謝罪であり、神に丈払ふべき代価を完全に支払ったことになったのだ。

 さうだ! その代価は命を俸に振っだ贖罪そのものだ。死を賭した贖罪愛に、義と愛の二重奏がかなでられたのだ。自己を滅却したことによって、神の厳罰を甘受し、それによって義の代価を支払ひ、かく人類を愛する贖罪愛の行為によって、愛の代価を支払ったのだ。

 罪の代価を丈払っただけで、人類は復活しない。義の代価と愛の第かを支払い得たことによって、人類に神と和解するただひとつの道が開かれたのだ。

 あゝ、反逆者に赦免の布告が発せられた。身代りに立ったイエスの血を見で、創造主は人類再生の道を開き給うた。おお、獄窓に悩む死刑囚も、このカルバリの丘に流された血を浴びて罪を赦されるがよい。信ぜよ、信ぜよ、お前の罪は完全に、イエスの身代りによ
って赦されたのだ。

 闇に泣く淫婦の群よ、人知れず懺悔の涙に暮れる時、十字架の上に曝されたイエスの顔を見上げて、贖罪愛の歓喜に、再生の希望を見出すがよい。勝利だ、勝利だ、イエスは贖罪愛を完全に我々に示すことによって、地獄を蹂躙し、死を完全に征服した。罪に泣く私
の魂よ、知れ! キリストの贈罪愛にこそ、全能者の最後の言葉が発せられたのだ。それは究極に於て『神は愛だ』と我々に物語ってをられるのだ。

 御恵みの主よ、憎しみと、憎しみに参与する凡ゆる行為によって、死刑に値すべき我々をなほかくまで愛し給ふあなたの御慈愛に鎚りたてまつり、ただ信じ、ただ望み、この後は戦ける霊としてではなくあなたの子として進みたいと思ひます。我々に潔めの霊を授けて下さい、贖罪愛の血が空しく流れないやうに私を先づ潔めて下さい。まことに、まことに。

  昭和13年5月1日

                                賀 川 豊 彦




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         武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』67頁

             『神と贖罪愛への感激』


 晩年の賀川は自然科学に心酔した感があり、その宗教講演も自然科学の知識についての引用が多すぎ、しばしば批判を受けたが、昭和初期の賀川の講演は、彼自身の体験と証しに満ち、また彼自身の経験した事件や交わった人物を引用し、福音の真髄を伝えようとしたため、彼の名声によって引きよせられた超満員の聴衆に深い感銘を与えるのが常であった。

 本書は前四書において賀川が説いている贖罪愛を、以上のような体験と証しとによって、語った講演集であり、賀川講演集中の逸品である。信徒にとっては、信仰をつちかう書であるし、未信者にとっては恰好の入門書である。

 これは昭和十三年五月、大阪の日曜世界社から発行され、二万部が売られ、更に昭和二十四年二月、キリスト新聞社から出版され、一万部が売られた。



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