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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第97回『自伝小説・石の枕を立てて』)

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今回も上の写真は『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第97回

自伝小説 石の枕を立てて


  昭和14年3月20日 実業之日本社 310頁


 本書『自伝小説 石の枕を立てて』は、実業之日本社の雑誌『新女苑』昭和13年2月号より連載された『死線を越えて』第4巻として書き始められた作品です。大正12年以後3年ほどの自伝です。

 実業之日本社では『長編小説・東雲は瞬く』に続く作品で、『処世読本』『神と苦難の克服』なども出版しています。

 ここでは本書の表紙と口絵写真などを収め、賀川の「序」はありませんので、今回も武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」を取り出して置きます。



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        武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』335頁~337頁

              『石の枕を立てて』について


 これは大正十二年十月十九日、賀川が東京本所松倉町に基督教産業青年会を設立して、関東大震災救援のセッツルメント事業を始めてから満三ヶ年に亙る期間の自伝小説的記録である。『死線を越えて』の三部作を読み、『地球を墳墓として』『鳳凰は灰燼よりよみがえる』をひもとき、それから本書に及ぶならば、明治三十八年より大正十五年に至るまでの賀川の生活と事業とは、ほぼこれを理解することができる。

 本書が初めて発行されたのは、昭和十四年三月二十日であり、発行所は実業之日本社であるところから推察して、賀川は当時実業之目本社から『死線を越えて』の続篇のようなものを言いてくれと頼まれ、大震災後の生活を書きおろして、その頼みに応じたのであろう。従って書きおろしたのは、震災後十六年も経た後であり、当時の記憶をたどって、イソシデソト(事件)を描き出し、これを小説風にまとめようとしたものと思われる。

 このことは主人公の名を『死線を越えて』と同じく新見栄一とし、妹を笑子として登場させていることでわかる。この小説が『死線を越えて』のような爆発的売行きを示さず、版を重ねることがなかったのは、『死線を越えて』のように若き日の情熱を注がず、思いつくままに無雑作に筆を走らせ、小説としての構成についても筋の運びについても、作家的良心を働かせていないことによるのであろう。この頃の賀川はその名声の故に、作家として文の推敲を重ねることもできなかっただろうし、伝道と社会事業との多忙の故に、そうする暇もなかったようである。

 従って本書の価値は、小説あるいは文学たることよりも、賀川の伝記の一部たることにある。殊に失明の記録や、電車とオートバイとの接触により九死に一生を免れた記録の如きは貴重である。

 何よりも心を打たれるのは、賀川が絶えざる資金不足に苦悩し、資金を作ることに追われて、原稿を書いては、稿料をかせぎ、それをセッツルメント事業、協同組合事業にみつぎ、その上に個人の苦境を救うために金を与えている事実である。事業の種類と範囲とをひろげすぎ、これに奉仕して働く人材が十分でないため、運営上の資金不足や借財がかさみ、その尻拭いを賀川は絶えずしなければならなかった。そのため出版社、雑誌社から原稿を頼まれれば、これに応じて自ら書き、また口授して書かせて原稿料をかせぎ、これを事業にみつぐのであった。稼いでも稼いでも足らず、苦心惨僣する賀川の日常生活がこの書にはありありと描かれている。そして成るほど、賀川の壮年時代に出版された書物に推敲の足りないわけが、さこそとうなずかれるのである。

 殊に「家庭百科全書」出版が失敗したことから借金を負わされ、その尻拭いをするくだりを読むと、深い同情を賀川に寄せざるを得ない。

 世間的には華やかに見えた賀川の壮年時代の生活は、その内輪を見れば、人のための借金による『火の車』である。しかもこの『火の車』が賀川を駆って多くの著作をなさしめた。『苦難に対する態度』『愛の科学』『地球を墳墓として』『イエスの内部生活』『壁の声きく時』『福音書に現われたるイエスの姿』『神との対座』『神の懐にあるもの』『永遠の乳房』などはことごとく当時の『火の車』の所産である。

 本書に記されている事件のうちで、賀川の一身上の重大事件は、失明と輪禍である。彼は眼疾のため大正十二年の春にも失明し、六ヶ月の療養の後、奇蹟的に回復したが、大正十五年三月には腎臓炎のために両眼に雲がかかり、五本の指さえ見えなくなった。須田病院に入院した後は『尻尾に火をつけた野牛が、脳髄の中を駆けまわるような痛さ』が数日間つづいた。医師は視力の回復は絶望的であるといったが、賀川自身は回復を信じた。一週間失明がつづき、角膜か離脱した後十日たって右眼に視力がよみがえってきた。そして医師の驚きのうちに視力は元通りになったのであった。

 も一つは大正十四年九月九日に玉川電車の宮の坂踏切で、賀川の乗っていたオートバイが電車と衝突し、線路の傍にほうり出された事件である。

 『ブレーキをかけることを忘れた電車は、彼の顔の上を横切って、母体の車軸よりはみ出したところを彼に見せながら、するすると五六間すべって行った。その刹那、彼は彼の顴骨を横切って電車の車輪か通過したと思った。しかし次の瞬間に気がついて見ると彼は生きていた。』

と賀川は叙している。腰骨をひどく痛めたが、これも十日間の安静により回復してしまった。

 この二つの事件は、神がいかに賀川を用いようとして、その生命を守って下さったかを示している。第二の事件については賀川は次のように書いている。

 『いよいよ半身不髄の人間になってしまつたかと、少なからざる不安に襲われた。しかしその一瞬間、彼にとっては実によき教訓を受けた。彼は若い時、神に約束した神への誓いを離れて、地上の名誉や政治的権勢に走ることの危険を慎しむようにと、神から警告を受けたのだと信じた。それは丁度ユダヤ民族の師父ヤコブが神からの訓戒を受けて、一生跛とせられたようなものだと思った。』

 『石の枕を立てて』という表題は創世記三十八章十節以下にある。ヤコブが石の枕を立てて眠り、天に達する梯子に神の使の上り下りするのを見た物語から取ったものである。

 この作品のモデルは殆んど実在の人物であり、実名をその通り用いているところもある。差支えない限り下にこれを表記しよう。

  徳本久代   広本久代(通称ひもちゃん)
  有田夫人   有田すて
  木村     木立義道
  磯村ドクトル 馬島 澗
  今泉ちか子  今井よね
  吉田源治郎  (本名)
  山口英世   山路英世(逝去)
  吉本健子   (本名、賀川の万年筆といわれたがアメリカにて客死)
  三上千代子  (本名)
  深井種次  深田種嗣
  喜代子夫人はもちろん賀川春子夫人のことである。



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