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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第105回『詩集 天空と黒土を縫合せて』)

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上の写真は今回も『賀川豊彦写真集・KAGAWA TOYOHIKO』より。




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第105回


詩集 天空と黒土を縫合せて


  昭和18年5月20日 日独書院 234頁


 本書『詩集 天空と黒土を縫合せて』は、『涙の二等分』『永遠の乳房』に続く賀川の詩集作品です。ここに収録された作品は、主として海外伝道(オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・北米・インドなど)に出かけたときのものです。

 ここには、表紙と2枚の写真、そして賀川の「序」を収めます。加えて、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』にある当該箇所の「解説」も入れて置きます。



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               『天空と黒土を縫合せて』

                    


 南海の龍巻は、千萬噸の海水を、天に送る! 熱帯の太陽は、スコールの彼方に光り、永の柱は、天と地をつなぎ、天界は、沃雲に閉さる。

 不義の低気圧に、正義の火柱は立ち、民衆の血潮は、天空に向つて、龍倦の如く、たぎり立つ!

 ルーズベルトの國民のみが、自由を持ち、アジアの民族のみが奴隷にならねばならぬと云ふ不思議なる論理に、太陽も嘲ふ。

 太平洋の海鱸も、北氷洋の飛魚も、不可解な、ルーズベルトの独善主義に、迷惑をしてゐる。彼がもし、アメタカ大陸に、モンロー主義を布き、アジアをも、その領域に含まんとするならば、太平洋の海鱸と、北洋の飛魚は、何處に引越すれば善いのだ! 海鱸はルーズベルトの為めに、安眠を失ぴ、飛魚は寝床を奪はれてしまつた。太平洋の水は、永遠に青く残されたものを、アジアを保護國の如く考ヘたチャーチルとルーズベルトは、遂に血を以つて、太平洋を永遠に赤く染めた。

 血潮の龍巻は起つた! 真珠湾の勇士等の血潮に、ソロモン列島の尽忠烈士の熱血に、義憤の血潮は、天に向つてたぎり立つた。

 「---大君のへにこそ死なめ、省みはせじ―-」私心を打忘れ、生死を超越し、ただ皇國にのみ仕へんとするその赤心に、暁の明星も、黎明の近さを悟り得た。

 ただ、私慾のみで、血潮を天には送り得無い! 血潮が、天に達するには、深き理由がある。日本民族は、楠正成の血と、幡隨院長兵衛の血を持つ。

 カルフォルニアに土地問題が起り、排日運動が勃発しでも、日本人の血は、龍巻とはならなかった。移民法の制定となり、日本人が北米に移民出来ねことになつでも、まだ龍巻は起らなかった。ルーズベルトはこの忍耐深き日本國民の寛容を打忘れて、日本民族一億の民衆に煮湯を呑ませた時に、日本民族の血は沸騰した。

 あゝ、血潮は沸騰して、天に冲した。歴史を貫いて指を運び給ふ全能者は、この血潮の龍巻を通して、人類解放の新しき頁を書き給ふ。
 
 嗚呼、アジアは目醒めた! 印度は解放を叫び、中華民國は米英に向つて呪の声をあげた! 天空と黒土を縫ひ合せて、新しき歴史は綴られて行ぐ。全能者は前進し給ふ。前進し給へ、全能者よ、汝の外に、驕れる者を低くし、曲れるを直くし給ふものはないのだ!  汝は創造し、汝は修繕し給ふ! 涙もて、黒土をこね恩讐をかこつ幾年が続くとも、全能者よ、汝のみは、歴史を支配し給ふ。されば、私は、新しき詩篇を綴りて、汝を讃美し、汝のみが、新しき黎明の彼方に立ち給ふを告白しよう。
         ‘
 大和民族の血潮は龍巻として、天に冲する。されば、全能者よ、我等の血を以て新しき歴史を書き給ヘ!

 天に連るもののみ永遠を獲得する! 血潮の持主よ! 天まで上れ!

  昭和十八年一月十日
                              賀 川 豊゛彦



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       武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』344頁~346頁

          『天空と黒土を縫合せて』について


 この詩集は昭和十八年五月廿日、日独書院株式会社から発行された。二千部と記されている。昭和十八年五月はアッツ島陥落イタリー降伏の時であり、太平洋戦争の敗色が濃くなってきた頃である。政府による出版統制は強化され、当局の承認する著作でないと紙がもらえなかった時代である。

 賀川自身にとって昭和十八年は受難の時であった。この年五月十八日には、反戦思想の故をもって神戸相生讐察署に留置され、十一月三日には反戦論的行為ありとの理由で、東京憲兵隊本部の取調べを受け、以来公的な宗教運動が困難となってきたのであった。

 ところが本書の序文を読むならば、驚くべきことが書いてあることを知る。当時の時流迎合者がこれを書いたならば、別に怪しむに足りないが、賀川がこれを書いたことは驚異に値するのである。

 『不義の低気圧に正義の火柱は立ち、民衆の血潮は天空に向って竜巻の如くたぎり立つ!  ルーズベルトの国民のみが自由を持ち、アジアの民族のみが奴隷にならねばならぬという不思議なる論理に太陽も嘲ふ………「大君のへにこそ死なめ省みはせじ――」私心を打忘れ、生死を超越し、ただ皇国にのみ仕へんとするその赤心に、暁の明星も黎明の近きを悟り得た……大和民族の血潮は竜巻として天に冲する。されば全能者よ、我らの血をもって新しい歴史を書き給ヘ!』

 この序文を読む時、平和主義者賀川が太平洋戦争に加担したことは明らかである。官憲には反戦主義者として睨まれつつ、なお彼が民族主義とキリスト款とをこの序文において結びつけ、アメリカに対して挑戦的言辞を吐いたのは何故であったか? 権力者におもねったのか? 時代の風潮に押し流されたのか? アメリカの不義を憤つたのか? 然り、このいずれをも否定し得ない。しかし賀川は明治の子であり、愛国者であった。愛国とキリスト教とは、戦争のさ中においてしばしば結びつく。それは歴史の示すところである。そしてそこに人間の弱さが潜んでいることを知る。この点において賀川も亦弱き人の子であった。

 序文がこのように激越なのに、本書の内容はすこぶる穏かで、これを読む者は嵐の後の静けさを感得する。第一篇の冒頭にある『太陽の子だ、私は』には、『桜の子だ私は、日本人だ、正成、義貞、親房の血をうけついだ神の子だ!』というような民族主義的表現があるが、後に進むに従って、民族主義の色調は褪せて、信仰的になり、また国際的になる。

 本書の標題をなす『大空と黒土とを縫合せて』は一九三九年一月に作ったインド訪問の時の詩である。第一篇には、このほかにインドの詩、シャトルの詩、沖繩の詩、童謡の外に、武蔵野に住む徳富健次郎を歌ったものが収められている。

 第二編『鱗雲』は一九三四年、オーストラリヤ、ニュージラソド訪問の際作った詩を収め、第三編『大陽に接吻する』には一九三六年北米訪間の際の詩、一九四一年、平和使節として訪米し、資金凍結令により竜田丸が抑留され、船を修道院として、船室に閉じこもり雲と水との接吻する様を眺めている詩、ヨーロッパ訪問の時の詩、フィリッピンのバギオにおいて作った『蘭の咲く庭』などが収められている。

 第四篇『大空を歩む』には、一九四一年平和使節として渡米した時の詩を主とし、その前に作った歌を配してある。『大空を歩む』は『戦争の噂』『宣伝の憎しみ』を起句としており、『太陽と共に大空を歩む』心境を歌ったものである。『徹夜の祈り』は、昭和十六年十二月一目、スタソレージョンズから、日米会談がまとまって平和が訪れるよう、ワシントンの教会では一週間徹夜の祈祷会が行なわれているとの電報に接し、賀川がイエスの友会の同志とともに徹夜の祈祷会をもった時、詠んだ歌であり時は一九四一年十二月三日と記されている。この祈祷会が終った時、真珠湾攻撃の報がもたされた。

 『海のかなだ、祈の友もまた、嘆きつつ曙を待つ』

とは、スタンレー・ジョーンズとその同志を指しているのであろう。











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