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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第117回『自然美と土の宗教』)

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「相楽園のツツジ」(本日のブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩   

―作品の序文など―

      第117回


自然美と土の宗教


  昭和23年8月26日 新光社 114頁


本書『自然美と土の宗教』は、戦中を含む戦前に書かれた随筆集です。編集に当たった人のことは記されていませんが、賀川自ら編集してなったものかもしれません。

ここでは表紙と賀川の1948年7月13日付けの「序」と、これは賀川全集に収められているので、武藤富男氏の「解説」も収めて置きます。



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『自然美と土の宗教』




 どんなに自然が怒っても、私が自然の子である事は間違ひない。地震も揺れよう、颱風も日本を苦しめるであらう。しかし、私はそのすべてを通して、神の摂理を悟る。自然に偽りはない。自然の怒りはすぐ解ける。我々が罪を犯さなければ、自然を通して神の暖い手は我々の心の傷を癒して余がある。

 私は幼い頃、農家に育ち、貧民窟の仕事をしてゐる間も、貧しい子供たちを自然に帰してやりたいといふ事ばかりを考へて来た。土と自由に憧れて、農民運動を始めたけれども、日本の農民運動が唯物主義と無神論に傾く悲しさをしみじみ味っだ。この書は土の本然に帰る私の宗教的情熱を綴ったものである。貧しきものに奉仕する者ほど、自然の恩恵を受ける。

 アシジのフランシスは小島と狼の友だちであった。都會の雑音が我々を苦しめるほど、私たちは自然を通して、神の懐に復帰したい。「土を耕して、自然の美しさを知らだい農民がゐる」と、クロポトキンがこぼしてゐるが、日本の農民が物欲の迷ひより覚めて、自然と神と隣人への愛に早く復帰してくれる事を私は祈るものである。叉都會の人々も自然と良心に復帰しなければ、神を発見する事は困難である。かうした心持でこの小さい書を日本再建の同志に贈る。
                                    
一九四八年七月十三日

賀  川  豊  彦





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武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』の解説より

『自然美と土の宗教』について


 『自然美と土の宗教』は昭和二十三年八月二十六日東京の新光社から発行された。これは賀川の随筆集であり、自然への讃歌であり、土の宗教詩であり、自然美論である。ここには自然と産業との調和が論ぜられ、自然美と農村との関連が取りあげられ、土の心、草木の心が探究され、茶道の奥義が語られ、土質が食物の味覚に及ぼす影響が論ぜられ、小鳥のさえずりが聞かれ、美の祭壇に、肉体を油壷とし霊魂を油として、天よりの火を点ずることがすすめられる。

 第十四章と第十五章は、昭和十五年十月巣鴨の刑務所を出て瀬戸内海豊島に潜んで自然を相手として農耕に従っていた時の記録で、自叙伝の一齣をなす貴重な文献である。豊島における生活がくわしく語られ瀬戸内海の風物が美しくえがかれており、失意のうちにある賀川の姿が読む者をほほえましめるものかある。それは賀川がこの隠棲を享楽していたことを示す。




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