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新連載「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第123回『人格社会主義の本質』)

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「景勝・布引の滝の散策」(本日の「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第123回


人格社会主義の本質


  昭和24年12月20日 清流社 371頁


 本書『人格社会主義の本質』は、賀川にとって、戦後最初の、そして生涯最後の社会思想に関するまとまった論文集で、「人格社会主義の本質」「唯物共産主義哲学の批判」「人格社会主義の運営」の三編で構成されています。

 此処では本書の表紙と賀川の「序」並びに武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部を取り出して置きます。




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                  人格社会主義の本質

                      


 どん底生活四十二年年間の苦い経験が、私にこの書をかかせた。貧民窟を救ふために出発した私は、労働組合の組織に没頭し、農民組合運動に着手し、これに平行して勤労者間の協同組合運動の畝作りに、骨を折った。そのお蔭で、裁判所で有罪の判決を四回も受け、警察の監房に二回、未決監に二回、憲兵隊の独房に一回収容せられ、資本生義経済の法律が、どんな形で運営せられてゐるかを詳かに知ることができた。

 私は明治三十七年頃から社会主義文献に親しみ、「新紀元」の思想に共鴫し、木下尚江や徳冨蘆花の演説を楽しみに開きに行ったものでふる。若い時から、マルクスや、エンゲルスを読んでゐたが、彼らの無産者解放に賛成しながらも、彼らの唯物思想に常に反撥を感じてきた。それは、どん底生活の長き経験によって、道徳生活の欠除が、如何に多くの窮迫者を作るかをあまりに眼のあたりに見せつけられたからであった。その当時の研究は大正三年(一九一四年)拙者「貧民心理の研究」に採録しておいた。その後「主観経済の原理」を著作し、唯物史観、唯物弁証法を基礎とするマルキシズム反対の社会主義を主張してきた。

 敗戦後、日本人の性癖を多少とも知ってゐた私は、左翼への転移かあることを予期して、色々と研究を進めてゐたが、敗戦後のどさくさに稿を纏め得ないでゐた。然しいつまでも捨ててをくことが出来ないので、この形にしてみた。実は「経済心理学概論」と云ったものを先に出し、その後にこの書を出したいと思ってゐたが、材料の整理が充分つかないので、この書を先に出版することにした。

 私は飽迄「経済」を「人間」の為めの「人間能力」の経済と考へてゐる。白然資源と云ふものも、人間と人間能力の補強的役割しか持ってゐないと私は考へてゐる。この人間中心に考へることが、始めから唯物弁証法的に問題を進めるマルクス的立場と異なった方向を私に指ざした。

 勿論、私はこの書で、私の云ひたいことの凡てを書きつくしてゐない。然し、私が日本と世界に向って、かくあって欲しいと云ふことを卒直にのべねぱならぬ任務を果したと思ってゐる。

 生命と、労働と、人格を連帯意識的に組立てて行く運動を社会主義と考へてゐるので、人間能力が高度に進むと共に、社会化の必要が深く、広くなると思ってゐる。

 日本の如きドン底に落ちた国を救ひ、文明の危機に立ってゐる世界を建直す方策は、私が此書に記述した方法の外に、絶対に無いことを確信するものである。「人格社会主義」と云ふ言葉を西洋ではどんな人が使用していつか、私は知らない。私は、東洋に於ける敗戦国民として、社会科学に新しき分野を開拓して、少しも差支へはないと考へてゐる。社会科学が百年前と同し方程式で行く必要はないと考える。だが、多くの叱正を待って、初めて完成し得ると思ふからら、あらゆる方面の厳正なる批判を仰ぎたく思つてゐる。

  一九四九・八・三一  颱風来襲の夕

                      賀 川 豊 彦
                               東京・松沢




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      武藤富男氏『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」の一部(232頁)

             『人格社会主義の本質』について


 本書は昭和二十目年十二月二十日、東京清流社から発行された。昭和二十四年は、敗戦の荒廃が底を突き、ようやく復興の兆が見え始めた年である。救国の情熱に燃える六十一才の予言者は『日本の如きドソ底に落ちた田を救い、文明の危機に立っている世界を建直す方策は私かこの書に記述した方法の外に、絶対にないことを確信するものである』との信念のもとにこの書をあらわした。

 これは三つの編から成っている。第一は本書の表題をなす『人格社会主義の本質』、第二は『唯物共産生義哲学の批判』、第三は「人格社会主義の運営」である。

 四六版三百七十一頁に及ぶ本書は賀川の大著の部に属するが、内容は新しいものではなく、従来の賀川哲学、賀川経済学を、人格主義という立場から編み直したものである。本書の持色は、むしろ唯物共産主義批判にある。それも決して新しいものではなく、貧民窟時代から賀川が折にふれて書き又は論じた共産主義批判をここでまとめたものである。但し『主観経済の原理』に現われた分析の鋭さと立論の精緻さは、この書では見出ししえない。前書においては、壮年学徒賀川はマルクスの学説を咀嚼し解明した後、唯心史観の立場から鋭くこれを批判しているが、本書においてはその鋭鋒が鈍っている。そこには生涯をかけて資本主義と闘い、唯物共産主義と戦い抜いた老学者の疲労の色がうかがわれる。

 賀川が本書の一篇を共産主義批判に向けたのは、本書著作当時の政治情勢に影響されたところがあると思われる。新憲法による第二回衆議院総選挙は昭和二十四年一月に行なわれ、日本共産党は衆議院において三四名、参議院において四名の議席を得た。この現象は人心に不安を与え、日本は共産党に支配されるのではないかという危惧をいだく者もあった。この情勢に対処して賀川に人格社会生義によって日本を救おうと志し、本書をあらわし、その百頁を共産主義批判に向けたのであろう。



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