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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第139回『賀川豊彦全集21』第2回配本「月報2」)

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「ドクダミ茶」(本日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第139回


『賀川豊彦全集21』(第2回配本「月報2」)


  
 『賀川豊彦全集』の第2回配本は、予定通り昭和37年10月10日に「文学作品」として分類されている第21巻が刊行されました。

 今回の「月報2」には、「賀川豊彦の神学」と題して桑田秀延氏が、「やめておき給え」と題して難波紋吉氏の寄稿があります。

いずれも、貴重な文章ですので、前回と同じく箱表紙と本体の扉と写真と共に、月報の二つを取り出して置きます。

 特に、私にとって桑田秀延氏は、高校生のときに初めてキリスト教会に出向き、牧師館にあった神学書をお借りした著書が『キリスト教神学概論』という桑田氏の大著でした。桑田氏は賀川豊彦や吉田源治郎と明治学院の同窓だttことなどは、後に知ることになりました。



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           『賀川豊彦全集21』第2回配本「月報2」

                 賀川豊彦の神学

                  桑田 秀延


 これが私に与えられた題だが、賀川はいわゆる神学者であるよりも、より多く伝道者・詩人・社会運動家であったと思う。たしかに彼はたぐいまれな博識者であり、天才肌の先駆的指導者であった。思想家でもあったが、普通に神学者とよばれるような狭い型でなく、もっとひろい視野をもった思想家であった。

 処女作「基督伝諭争史」は大正二年(一九一三)に出版されたが、これはアルバート・シュワイツァーのイエス伝研究史と、イエス伝研究に潜在意識をとりいれだウィリアム・サンデーの説との学問的な紹介であって、当時の曰本にあっては、新約聖書の学問のまさに尖端をいったものであったろう。シュワイツァーという人とその学問上の主著を日本に初めて紹介したのは賀川であった。大正三年に出た「貧民心理の研究」は、神戸新川における賀川の生活体験を資料とした独創的な科学的研究である。二十才代の賀川が天才そのもので、このような学問的な労作を残していることを私は高く評価したい。しかしその後の賀川は、労働運動にたずさわり、雑誌改造に論文をかき、「死線を越えて」によって一躍時の人となり、その活動の領域が社会的に大きくひろがっていったので、学問に沈潜することを許されなかった。

 徳島中学の時代、賀川は南長老派の宣教師ローガンやマヤスに導かれて、キリスト教に入信した。私は招かれて今秋南長老派の外国伝道協議会へ出席の予定であり、この派の日本伝道の一大成果が賀川豊彦を信仰に導いたことではないかと考えている者であるが、南長老派の神学はウェストミンスター標準に拠った甚だ保守的なものであるのに、賀川の神学思想がむしろリベラルなものであるのを不思議に思っている。

 賀川の神学思想乃至キリスト教理解について、二つの点を述べたい。その一は彼の方法論である。賀川の学問と思想には、自然科学の知識が極めて豊富に駆使されている。ファブルの毘虫記やダーウィンの種の起原は神学生時代に読んだそうだが、その後も物理学や生化学等科学関係の本をずうっと読んだようだ。最後の著作「宇宙の目的」がこのことをよく実証している。自然科学と同様社会科学への関心も早くから示された。後になって、聖書とともに資本論をよめ、と青年にすすめたのは賀川であった。もちろん科学だけでなく、哲学もある。賀川の哲学は精神的な世界観でありまたテレオロジーである。

 さて賀川の方法は、キリスト教の説明にあたって、キリスト教独特な方法(たとえば啓示に基く神学的方法)を用いず、むしろ科学や哲学の知識を自由に援用することであった。賀川にとっては、科学も哲学もキリスト教も、それが真理である以上どこかで相通じ統一されていると直観され、学問的領域の上での越境など問題とならず、キリスト教の解説に科学や哲学を援用した。

 次に賀川のキリスト教の内容乃至思想的特色はいかなるものであったか。大正十年に出た「イエスの宗教とその真理にはこの目的のためにはとくに注目されてよい本であろう。賀川にはもちろん神の経験、祈祷、救の経験といった倫理以上の宗教体験があり、従って神学がある。しかし賀川の神学は、神学的な神学というよりも、倫理的特色の強い神学であったところに、彼のキリスト教の思想的基調があると私はみている。

 彼は宣教師の人格に生きている信仰にうたれて入信したが、そこにある倫理的な清潔さと貧しいものに対する愛と同情とにとくに心を打たれたようで、これは新川の生活とその後の社会活動とに一貰している。トルストイと同様賀川も、イエスの山上の説教に強く感物している。もちろん賀川は、単なる倫理主義者ではなく、人一倍人間の弱さと罪とを知り、イエスを信じ、彼の十字架のみが人間と世界の救であることを信じている。しかし賀川の宗教は、世ばなれした神秘主義には強く抵抗して、神を愛することが隣人を愛し世を愛することと結びつくことを要求した。

 新川の賀川はアッシジのブランチェスコの近代版であり、その後の社会活動も同じ特色から出ている。ピリー・グラームとラインホート・ニーバーに現れているように、大衆伝道と社会思想運動とは両立しないものだが、賀川の場合にはこれが統一されでいる。この点ウェスレーに以ている。賀川は神学者バルトによりも伝道者ウェスレーに近い。     (昭和三十七年七月)        
                           〔くわた・ひでのぶ=東京神学大学学長〕




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                 “いやめておき給え”

                   難波 紋吉


 賀川先生は、私が最も敬愛する教師であった。私との関係は、同志社在学中に始り、先生の御永眠のころまで続いたのである。

 一九二五年のことである。私はコロンビア大学社会学部の大学院で学び、ギディングス教授に師事して社会学を専攻していた。この当時、社会学は、わか国においては、かけだしの若い学問であり、学者の数は少なく、体系も未熟であった。米国においても、社会学は、主として理諭社会学が旺んであり、必ずしも魅力的なものではなかった。社会学を講じていない大学もかなりの数にのぼっていた。

 たまたまこの当時、賀川先生が紐育に来られて、数回の熱烈な講演をされたことがある。それは、先生の貧民窟の生活や社会運動を通じて得られたところの生きた体験談であったが、同時にキリスト教の信仰によって貫かれた力強いものであった。とりわけ、青年への呼かけは、年若く血の気の多かった私を魅了し、私をして異常な感激にひたらしめた。私はその晩、一睡も出来なかった。早朝、早速、先生のところへかけこんで個人面接を申込んだ。お目にかかったのは、多分、紐育の第七街の百二十三丁目あたりにあった日本人教会の一室ではなかったかと思う。そして、私は憶面もなく言った。

 「先生!! 私は今、コロンビア大学で社会学の研究をしておりますが、コロンビアでM、A、をとれば同志社に帰り、教壇に立つことになっております。しかし、先生の御話を聞いていて、私の人生観は根底からゆり動かされました。どうか私を、先生のやっていらっしゃるキリスト教的社会運動に参加させて下さい。如何でしょうか。私は真剣に考えているのです。」

 先生は、しばらく目を閉ぢて黙想しておられたが、やがて目をお開らきになり、極めて率直に、しかも冷静に、「やめておき給え。君は同志社大学へ帰ることを約東されている以上、同志社へ帰り給え。その方が君のためによいと思う。」と、言われたのである。私は一言一句も言葉を返すことが出来なかった。ただ、うつむいで沈黙してしまった。しばらくして、先生は、御自身の写真をとり出して署名し、私に渡された。見ると、

  わが狂るは神の為
  心儙なるは汝等の為

 と認めてあった。闘士としての先生の心情と面目が躍如しているではないか。写真をいただいて、私は深い失望と感激に満たされて下宿へ走った。私は先生から社会運動家としての面接試験を受けて、直ちに落第したのだと失望した。同時に、先生が菲才にも拘らず、私に進むべき方向を示し、学究への決意を新にして下さったことに感激した。この瞬間に、私が将来辿るべき運命が決定附られたといってよいのである。この後も、同志社においで、或いは教会や消費組合等の会合において屡々先生に御目にかかる機会があったが、しかし、私の一身上の問題について話すことは全くなかった。

 今から十年前、私は神戸女学院へ来たが、二、三度先生をお招きしで、学生のために講演をしていただいた。一九五八年十一月十二日の講演は、神戸女学院における最後のものとなった。この頃、先生は御病気勝ちであったためか、お声は小さく、往年のような発刺さは感せられなかったが、解脱した禅僧の説教から受けるような、今までになかった深さと広さとしぶさが感ぜられた。私が紐育で先生からいただいた、片目を繃帯しておられる写真をお見せしたところ「若いな!」と言われた。そしてこの写真の裏に、

  晴に曇りに
   主と共に
  歩むその日は
   輝きの
  正道うれし
   神の国

 と認められた。秘書が色紙を持って来たら、また同じ詩を書かれた。その後、一年数か月にしてごの詩を思い出す毎に、私は先生のお姿と、その生涯がありありと限前に浮ぶのである。(一九六二・七・一六)                                  〔文学博士・神戸女学院院畏〕




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