スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第163回武藤富男著『評伝 賀川豊彦』)

1


「住宅の庭に咲くムクゲ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第163回


武藤富男著『評伝 賀川豊彦


  
 前回の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の著者・武藤富男氏には、賀川に関しては『使徒パウロと賀川豊彦』『賀川豊彦の六面』といった小品もありますが、キリスト新聞に長期連載されたものを纏めて、1981年に出版した『評伝 賀川豊彦』(キリスト新聞社)があります。

 なお、この連載でも紹介しましたように、武藤氏に最晩年?、賀川の初期資料を扱った貴重な作品『溢恩記注』を書き残しています。

 ここでは、本書の「序」とグラビア頁のところを取り出して置きます。




2


3




              武藤富男『評伝 賀川豊彦』

                  まえがき


 青年時代に私はキリストに捉えられた。壮年以後、幾度もその捉えから逃れようとしたが、キリストの握力は私の霊性の深みにまで達しており、逃れることができなかった。

 賀川豊彦先生に出会ったのは私の後半生の始まる頃であった。先生は、私へのキリストの把握を外側から囲んで、この世から私を隔離するかのようであった。

 一九四六年四月、『キリスト新聞』第一号が発行されるや、先生は「これをあなたの新聞と思ってやって下さい」と言われた。これは私有の意味ではなく、「全責任をもて」との意であると私は解した。私はこれに従って三十五年問、新聞の責任を担って今日に至った。

 このようなわけで、先生と私との後半生の交わりは深かった。先生の傍に坐ることによって、先生のお心が伝わってくる思いがした。先生が私を叱責するのは、新聞に欠けているものを補うために、財的に助けようとする意思表示であった。私を励ますことにより先生は私に未来への展望と使命とを与えて下さった。

 新約聖書口語訳に当たりコリント第二の手紙を、原文に忠実で、しかも原文のニュアンスをかなり通俗な日本語で表わした時、先生はこれを一読して、私の室に入られるや否や、「武藤さん、パウロが尻をまくった、パウロが尻をまくった」と歓声をあげられた。

 世を去られる三年前、先生の脚のもつれに気づいた私は、伝道旅行を以後やめるようにと忠告した。その時、先生は「武藤さん、こうなりゃやけくそ伝道だ」といわれた。このやけくそこそ神のためのやけくそで、これが死を決してスラムに入られた時の心境であった。

 評伝賀川豊彦を書くには、戦後の先生を描いたぼうが、私にとっては容易であるが、先生生涯のハイライトは、スラム伝道と労働運動にあるので、ます一九〇九牛のクリスマスーイブに先生がスラム入りをなさった時から一九二三年の関東大震災罹災者救済に乗り出すまでの十四年間を前篇として『キリスト新開』に連載し、これを本書にまとめて世に送ることとした。

 巻末には「賀川豊彦前史」として誕生からスラムに入るまでの生涯の概略を加えた。
 本書の著述に当たっては、横山春一氏著『賀川豊彦伝』、隅谷三喜男氏著『賀川豊彦』、及び村山盛嗣氏編『賀川豊彦とそのボランティア』の内容を採用し、あるいは参考にさせて頂いたところが多かった。ここに深く謝意を表わす次第である。

 なお巻頭には、『キリスト新聞』に連載された際、長尾己画伯が百六回にわたリ描いて下さった挿絵のうち、傑作と思われるもの数葉を選んで掲げた。賀川先生を最もよく知っておられる八十七歳の老大家の作である。

  一九八〇年 クリスマス
                                 武 藤 富 男




4


5


6



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。