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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第175回:三浦清一著『世界は愛に飢えている』)

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「昨夜の神戸大学グリークラブ・コンサート」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第175回


三浦清一著『世界は愛に飢えている―賀川豊彦の詩と思想

  
 標記の著者・三浦清一氏は「詩人」として知られていますが、本書の「跋」で阪本勝氏も記しているように、本書は詩人・三浦清一でなければ書けない作品として逸品です。

 明治28(1895)年に生まれ、昭和37(1962)年になくなっているが、本書は亡くなる5年前(昭和32年)に射場書房より出版されています。

 此処では、三浦氏の序文と阪本氏の「跋」を取り出して置きます。

 なお、三浦氏の妻「三浦光子」は、石川啄木の妹ですが、夫・清一氏の没後に理論社より『兄啄木の思い出』という作品を発表しています。




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 詩人はいつも社会運動の先駆に立つものである。中世紀に於ても、近世紀に於ても、目醒めた先駆者となったものは、みな詩人であった。ダンテはあまりに古いとしても、バイロン、シェレー、ゴドウヰン等、決して我らから遠いところに立っているのではない。彼らは詩人であった。同時に新しい時代への先駆者であった。アイルランドの独立運動にも詩人が加わっていた。イタリーの国民運動には、詩人ダヌンチオが、第一線に立っていた。

 特に一九二七年ロシヤ革命勃発以来、全世界にわたって捲起された革命と解放と自由の嵐は、数うることのできない程、多くの詩人をおこした。アールスキーの「闘いの歌」を読むとき、我らは革命の嵐に包まれたロシヤを忘れてはならぬ。一九二一年以降、ドイツに於てはナチスが党の結成に成功し、イタリーに於てはファシストと共産党とが深刻な闘争を展開し、引きつづいて或はトルコの革命となり、或は日本における第一次共産党事件が生じ、或はレーニンの死等、次から次に歴史的の事件が現出した時、ロビンソンの「詩人」が世におくられ、ジョンソンの「アメリカ黒人の詩」が活字となり、エリオットの「荒地」が世に問われ、郭沫若、将光慈の「上海的清晨」「中国労働歌」があらわれた意味を忘れてはならぬ。

 日本においてプロレタリア詩運動が漸やく活発となつたのは、一九二八年頃からだと思うが、その歴史的背後に、三・一五事件、世界経済恐慌、スペイン革命、ヴェトナム共産党結成等があつたことを記憶せねばならぬ。

 マクリーシュぱ現代の激動を敏感に把握した「恐慌」を発表し、スルコーフは[戦線ノート」に由つてスターリン賞を受け、パルタはチェコに於て処刑され、アラゴンは「異国の中の祖国にて」をまとめ、エリュアールは「時は溢れる」を出し、続いて「政治詩集」を出し、ネルーダ、ヒクメッ卜は世界平和文学賞を受け、林和の「英雄伝」は若人の血をわかせた。

 そしてその間に、世界は大きく転回し、植民地制は大崩壊を始め、民族解放の闘いはいよいよ熾烈化してきた。

 日本解放の歴史を見ても、我らはそこに多くの詩人が、先駆的役割をはたして来た事実を取上げることができる。しかし残念なことには、近代の日本は、たとえばドイツのハイネやフライリッヒラートのような、またロシヤのデカプリストやネクラーソフのような、革命的な解放詩人の、思想的にも芸術的にも、高い詩強い伝統をもっていないのである。このことは日本の解放闘争が、いわゆる自由民権運動の挫折によって、一時停滞したことと密接な関係があるのであるが、しかしそのような伝統は、日本においても弱いながら、明治以来詩壇の底流として流れており、これが時にたとえば児玉花外や、輿諭野晶子の「君死にたまうことなかれ」や、石川啄木の詩や短歌となってあらわれ、特にデモクラシーの運動、プロレタリアの自覚に伴なうて、烈しい奔流の如くに、ほとばしり出たのである。そして、それが強い大きな流れとなって、戦後のわが国の、新しい民主主義への叫声となりつつある。

 わたくしがこの小著を以て世に問わんとする賀川豊彦の詩も、この流れの中から生れ出たものである。賀川豊彦を詩人とすることについては、或はいろいろと意見もあるであろうが、しかし私はなんら躊躇の色だに示さず彼を詩人――社会詩人とするものである。読者は次の詩を知っているであろうか。

      悲しき日よ
      街に出て
      号外くばりに
      会ったばかりに
      凡ての努力が
      無効であると知った――

      今井博士が
      落ちた――
      声を嗄らして
      叫んだ幾十日
      凡てそれが
      無効であつたのだ――

      貧民と
      労働者は
      救はれない!

      乾き切った
      貧民窟の街路に
      無意味に下駄が鳴るよ――

      私は大阪を呪ふ
      日本を……
   
      大阪に
      煙はあがっても
      自由は
      あがらない!
   
      あゝ 暗い
      日本は暗い!

      太陽の煙は
      無意味に立ちのぼる

 普選の幕が切って落された時、無産運動の先駆者今井嘉幸博士は落選したのであった。そのとき賀川は「選挙の後」と題してこの短かい詩を発表した。これで充分ではなかろうか、彼が詩人――社会詩人たるの名を受くるには!

 詩人が社会的使命を持つことについて、賀川は次のようなことを、「聖書の社会運動」.の中に述べている。第一には、詩人は鋭い感覚の所有者であるということ。それは彼らは普通人の気のつかないものを嗅ぎ出すからである。第二に、彼らは、鋭いセンスからして、すぐれた良心を持つこと。バイロンが自由を称え、ギリシヤの独立運動に参加したこと、法王の堕落に奮起したダンテの如き、何れも鋭い良心から起された運動である。そして第三の理由として、詩人たちは、より近く神を見んとする努力を有つことを挙げている。「彼らは自己の魂の外に飛ぶ。彼らはその深刻な宗教的観念からして、痛々しい魂が自ずからに神の方に向くのである。こういった理由が詩人をして先駆者たらしめ、そして詩人の叫びは我々を目ざめしめるのである。」

 これは彼が、詩人が社会的使命を持つに至る理由として述べた大要であるが、私はこれらの言葉をそのまま、彼自身に呈すべきであると信じている。賀川に師事して三十年、私は彼から多くのものを得たが、最も大いなる影響を与えられたのは、「詩」に対する感激と、「社会」に対する深い関心とであつた。結局私に於ても、「詩」と「社会」とは、絶対に切り離すことのできないものとなった。

 この小著は、その大部分は、太平洋戦争たけなわの日に筆を執ったものである。その時私の心は闇く、前途に希望を見出すことは困難であった。ややもすれば、魂の祭壇の上にかかげた燈火は、吹き消されそうであった。しかし賀川の詩のなに深く沈潜し、そこに湛えられてある「いのち」に触れたとき、もうI度私にも「強く生きよう」というひとすじの光が射し込んで来た。その感激がこの小さな仕事となつたのである。爾来十年間、古新聞紙に包まれたまま匡底深くしまいこまれていた原稿は、漸やく陽の目を見ることになった。脱稿十年の今日、ふたたび原稿を読み直してみるとき、その思索において、その表現において、幾多足らざるところを見出すのであるが、敢てこれに筆を加えず、そのまま梓に上すことにした。鉄窓生活七百日、キリスト教会に捨てられ、多くの友人に捨てられ、米塩の資得るに術なく、妻をかかえ児を擁して、まったく前途の光明を失ったとき、わがために家をそなえ、わがために読書の機会を与え、三つの生命をして飢えざらしめた賀川豊彦の愛情を思うとき、その深刻なる記念のためにも、なまなか筆を加うることは、わたくしの感情がこれを許さなかったのである。

 いまやこの書を世におくるに当り、敗戦十余年にして未だ行くべき道を見出すこと能わず、不安と疑惑の中にたたずんでいる多くの同胞が、この民衆詩人より、何ものかを得、何ものかを発見し、何ものかを把握し、何ものかを直覚して、新しき明日への糧とされんことを望むものである。兵庫県知事阪本勝君はこの書のために跋を書いてくれた。神戸合同労働組合の田巻米子君は原稿の浄写をひとりでやってくれた。心から両人に感謝する。

  一九五七年三月余寒ややゆるみたる日に

                    霙の音を聞きながら
                             三浦社会問題研究所にて
                                 
                                 三 浦 清 一 




                    巻 末 に

                     阪 本  勝


 賀川豊彦……それは一つの宇宙である。
 三浦清一……この天文学者は、その宇宙の解説を試みようとする。
 賀川と三浦の魂がここに交響し、竹林のうぐいすが鳴きかうように、春の野にときめきわたる。

 けさ、私は朝の新聞のきれぎれのニュースを眺めていたが、ふと小さな記事に眼がとまつた。フランスの老政治家、エドアール・エリオ氏の訃を伝えた外電である。混沌を極める欧州の政界の中で、誇り高いボン・サンスの一つといわれるフランス急進社会党の統率者、八十四歳の老エリオの死は、朝のひととき、私の心をしばし静かな思いに沈潜させた。その瞬間ふと私は思い出した。「世界は愛に飢えている」という三浦君のさけびである。

 世界は愛に飢えている……その飢えたるものの幸福のために戦いつづけたエリオの闘争の生涯を私は思った。そして、三たび宰相の印綬を帯びたこの高名な政治家の魂に思いをはせた。エリオは、政治家である前に詩人だった。文学者だった。アカデミー・フランセーズの会員であり、文学博士である。第二次大戦のレジスタンス運動を指導して、ナチスの牢獄に捕えられた彼の激しい精神を支えたものは、何よりもまず彼の詩魂であったに相違ない。

 賀川さんはその詩魂の持主である。非類まれなる持主である。いや天才である。
 詩人三浦がそれを解説する。
 けだし壮観だ。

 放浪の美少女、エスメラルダを創造した詩人、ヴィクトル・ユーゴーも政治に魂を燃焼した。ラマルチーヌも詩魂の情熱を政治にたたきつけた。社会党のレオン・ブルムも詩人だった。そしてエリオだ。

 社会革命のプレリュードは、つねに詩人の情熱の歌によって奏でられる……。私もはっきりとそう思う。詩人三浦清一が、愛に飢えた世界を提訴する。天に冲する爆発だ。彼はこの一書に魂を寄せて、賀川豊彦と組み打ちする。賀川の腸をつかみとった彼の掌は聖者の血にまみれ、むせかえるような薫香をあたりいっぱいまきちらす。賀川豊彦の詩に合わす合唱がこだましてははねかえる。

 ああ、賀川先生。

 詩集「涙の二等分」を読んで涙を二等分したのは、三十余年の昔。風霜ここに年あり。先生壮にしてかっ健。よろこび何ものかこれにすぎんや。

 いま三浦は大賀川の伴奏をする。

 かつて三浦は、詩集「ただひとり立つ人間」を世に問うた。それは彼の壮絶を極める孤高のソロだった。悲愁大地に雨ち、義憤一世を払う粛殺の独奏たった。だがこのたび彼は伴奏者として立つ。詩人賀川豊彦に従横からライトをあて、メスをふるい、ピアノのキイをたたきまくり、躍りあがつて歌っている。見事な伴奏、美しい合唱、壮烈なデュエットである。

 詩のある政治、愛のある政治、彼はそれをもとめて歌っている。ほえている。泣いている。

 三浦よ。賀川というピアノを思い存分たたいて、歌え、泣け、ほえろ。

 世界中でこの役は君以外にないはずだ。

 私もまた、双手をさしのべ、声をはりあげて、このコーラスに参加しよう。

 ああ、世界は愛に飢えている。世界に愛をとりもどそう。この書をひしと胸に抱いて。




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