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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第190回:林啓介著『炎は消えずー賀川豊彦・再発見』)

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「岩田健三郎版画展」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第190回


林啓介著『炎は消えず―賀川豊彦・再発見

  
 林啓介氏が昭和57年3月に井上書房より出版された標記の著書は、林氏の関係する「劇団徳島」によって演劇上演されるなどして、賀川生誕百年記念の諸行事とも重なり、大きく話題を呼びました。

 ここでは、林啓介氏の「はしがき」と「あとがき」を取り出して置きます。また、林氏の若き日の写真の入った奥付も「おまけ」にして・・。




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                   ま え が き


 賀川豊彦は涙もろい人だったといわれています。しかし、その涙は常に他の人々のために流す涙だったのです。未曽有の繁栄と平和を享受している現在の日本で、今なぜ賀川豊彦なのでしょうか。

 経済大国の発展に酔って、ともすれば私たちは、わが国の歴史がつい先頃まで貧窮と欠乏と混乱の長い歩みだったこと、そればかりか現に世界の多くの国々で生活や平和が脅かされていることを忘れてしまいそうになります。

 けれども、誰もこの繁栄がいつまでも続くとは思っていないはずです。八十年代に入って賀川精神の再発見が叫ばれる理由もこんなところにあるのではないでしょうか。

 彼が社会的に恵まれない弱者に捧げた涙と汗と祈りは、決して昔語りに終るものではないと思います。

 彼の偉大さについては評論家大宅壮一氏の
「明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、その中に必ず入るのが賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかも知れない。
 西郷隆盛、伊藤博文、原敬、乃木希典、夏目漱石、西田幾多郎、湯川秀樹などと云う名前を思いつくままにあげて見ても、この人達の仕事の範囲はそう広くない。そこへ行くと我が賀川豊彦は、その出発点であり、到達点である宗教の面はいうまでもなく、現在文化のあらゆる分野に、その影響が及んでいる。大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない……
 近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙し得る者を一人あげようと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物――それは賀川豊彦である」
 という言葉が、すべてを語り尽くしているように思われます。しかし一方で、その天才的で強烈な個性と社会改良の斬新な方式から、その人物像に多くの誤解や偏見を生んでいることも否定できないようです。

 そうした事情も絡んで、数多くの専門的、宗教的な研究書がおりながら、彼の人と業績を知る人が、意外に限定されてきたのかも知れません。

 キリスト教徒でもなければ、社会学者でもない、いねば平凡な一同郷人に過ぎない私が、あえてこの巨大な峰に挑んだ真意は、優れた先人の研究を紹介し、平易に要約して、賀川豊彦のひたむきな生涯とその開拓的役割を、多くの人々、とりわけ若い世代に中継ぎしたかったからであります。

 賀川豊彦が片時も郷土徳島を忘れず、毎年一月上旬の十日間を徳島伝道にあて、ふるさとの自然や人々との再会に限りない安らぎと喜びを見出していたという事実が、とどのつまりは、私の不遜な試みへのためらいをふり切らせることになったのであります。



                   あ と が き


 かねがね親しくお付き合いを願っている井上書房社長の井上涼男さんから、阿波文庫の一冊として賀川豊彦を取り上げたいというお話しがあった時、正直なところ私はためらいを覚えた。井上さんは阿波文庫シリーズの発行や阿波文化サロンの開設等を通じて、文化不毛ともいわれる阿波徳島の地にささやかながらも地方文化の灯をともそうと献身的な努力を続けておられ、私も常々心からその理念に敬意を抱いていた。

 しかし、賀川豊彦というこの巨大で伝説的な、それ故にまた評価をめぐってもさまざまな見解のある人物となると尻込みせざるを得なかった。私も多くの人々がそうであるように、賀川豊彦についての関心や知識をあまり持ち合わせていなかったのである。

 とにかく調べてみることを御約束してその場は別れたものの、同じ大麻町出身ということをのぞけば、賀川豊彦との縁は昭和二十三年旧徳島中学校の最後の生徒として、氏の講演を聴いたことが唯一度あるきりなのである。ともかくそれ以後私は彼の伝記や著作を集めて、暇を見つけては読み耽けるようになった。すると執筆ということを離れて、彼の生涯にわたる思想や言動に不思議な親近感と魅力を覚えるようになった。

 東京の本所賀川記念館、松沢記念館、神戸葺合の賀川記念館をけじめ、地元大麻町の古老や各地の賀川を知る人々をたすね歩いて、私は賀川豊彦がその主義主張、立場を超えて徳島が生んだ最大の人物であり、国際的に通用する数少ない日本の偉人であることを、深く信じるようになったのである。

 賀川豊彦に関しては全集二十四巻をはじめ、彼の身近かな宗教家による数々の専門的な伝記が出版されている。深く研究する人々にとって資料に不足はないはずである。しかし一般の読者に対しては、それ等をダイジェストし、平易に人間賀川を紹介する書物が必要である。それは決して屋上屋を重ねることにはならないだろう。私はそう考えることにした。それが井上さんから依頼を受けて二年後に、おこがましさをふり切って筆を取ることになった心境であった。

 くどくなるが本書は賀川研究書でなく、紹介書である。従って記述も新事実の発掘というよりは、先人の研究を要約、引用させてもらった部分か大半であることをおことわりしておきたい。とりわけ、一々言及しなかったけれども横山春一氏の「賀川豊彦伝」に負うところが大きい。その他武藤富男氏「評伝 賀川豊彦」黒田四郎氏「人間賀川豊彦」佃実夫氏「緋の十字架」隈谷三喜男氏「賀川豊彦」田中芳三編「神はわが牧者」からもかなり紹介させていただいた。

 また松沢資料館建設世話人代表の石田博英先生や地元鳴門市の谷市長から推薦のことばを、西田素康、。岩村武勇両氏から貴重な資料を、ご提供いただいたことにも厚く感謝申し上げたい。

 なおさし絵の長尾己画伯は賀川豊彦が師と仰いだ長尾巻牧師のご子息である。

 ところで昭和五十七年四月には、全国の有志から寄せられた浄財による賀川豊彦記念、松沢資料館が完成し、六年後には生誕百年行事が予定されている。全国的にも賀川豊彦を再評価する気運が高まっているといわれる。

 ゆかりの地わが徳島においても、資料館建設の声や私たちの同志「劇団徳島」による賀川豊彦劇上演の動きがでてきている。キリスト教徒でも、その道の研究家でもない平凡な一学徒のつたない解説書が一人でも多くの人に賀川豊彦とその精神を知っていただく道しるべともなれば幸いと思っている。

    昭和五十七年三月
                                 林  啓 介
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