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「賀川豊彦」のぶらり散歩―作品の序文など(第196回:鳥飼慶陽著『賀川豊彦と現代』)

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「昨夜のみなとこうべ花火大会」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第196回


鳥飼慶陽著『賀川豊彦と現代


本書については、ここで特に記すことは控えますが、既にこのブログで全文テキスト化して読むことが可能です。以下に、「はしがき」の一部を取り出して置きます。



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                 は し が き


               I 生誕百年と「賀川問題」


 ことし(一九八八年)は、賀川豊彦・ハル夫妻生誕百年の記念の年を迎えます。日本の近現代史に残した賀川の大きな足跡に学び、その大いなる遺産をさらに継承・発展させるべく、社会事業関係者をはじめ学校・生協・宗教者など、ひろく市民的ひろがりをもつ人びとの手によってすでに、生誕百年の諸行事や諸事業がすすめられています。これには、東京と神戸を中心とした取り組みにとどまらず、日米両国をまたぐ国際的なプログラムが企画準備中と言われます。


 しかし、そうした流れとはべつに、「賀川豊彦と部落問題」とか「『賀川豊彦と現代教会』問題」とか言われる、新しい問題が提起され、とくにキリスト教界において複雑で不透明な状況が継続していることも事実です。


 すでにご存知のように、近年部落問題をめぐって、日本の宗教界は大きく揺れ動いています。とりわけ、一九七九(昭和五四)年の第三回世界宗教者平和会議における曹洞宗宗務総長(当時)の、いわゆる「町田発言」問題(注1)と言われるものや、以前から知られていた「差別戒名(法名)」問題(注2)などに対するはげしい「確認・糾弾」行為がつづき、これにこたえて宗教界はついに、一九八一(昭和五六)年三月「同和問題に取りくむ宗教教団連帯会議」(略称「同宗連」)とよばれる組織をつくって、特定の運動団体(部落解放同盟)との「連帯」行動をすすめてきました。


 宗教界のこうした動向に対しては、すでに宗教教団内部から深い憂慮と不信の声がわき起こってきておりますし、研究者の間でも『宗教と部落問題』(部落問題研究所、一九八三年)などで、率直な批判的見解が公表されています。こうした新たな取り組みが現在各地で目立ちはじめていますが、宗教界の多くは今なお旧態依然とした状況がつづいていることも否めません。


 そこで、以上のような実情をふまえて、宗教および宗教者の課題と方法を積極的にさぐり、幅広い自由な討議を促していくために、主として仏教界を中心に龍谷大学の加藤西郷氏(注3)が、キリスト教界を中心にわたしが、それぞれ分担してまとめる企画が兵庫部落問題研究所において立てられました。しかし、わたしに与えられた「キリスト教と部落問題」については、とりあえず旧著『部落解放の基調―宗教と部落問題』(創言社、一九八四年)でいくらか、その問題の所在並びに解き方の吟味を加える機会が与えられましたので、ここでのわたしの課題はむしろ、先にもあげた今日のキリスト教界が直面している大きな問題のひとつである「賀川豊彦と部落問題」に照準を合わせ、「差別者・賀川」などと一方的に断罪されている問題に、正面から取り組むことにいたしました。


(注1)「町田発言」


 「人権と人種及び民族グループ」の報告書を作成する過程で、「日本の部落問題というのは、今は有りません。だが、これを理由にして、何か騒ごうとしている一部の人達はあるようですが、日本の国の中で差別待遇ということは全くありません。だから、これは(報告書の中から)取り除いて欲しい。日本の名誉のためにも、と思います。」として削除させた発言。


(注2)「差別戒名(法名)」
 戒名(法名)をつける習慣は、一七世紀に封建制が確立し身分的、宗教的支配が強化されるなかで定着してきた。命名には死者の生前の身分が反映し、穢多身分には畜門・畜女など差別的位号を付加する場合があった。


(注3)加藤西郷(一九二七-)
 長崎生まれ。龍谷大学助教授。同大学同和問題委員として和歌山県吉備町の『トーン計画』を調査し、「宗教の役割と意義」を解明して注目される。


                2 賀川豊彦研究


 ところで今日、「賀川豊彦」といっても、とくに若い人々の間では、その名前さえ知らない人の方が多いのではないでしょうか。まして、名前ぐらいは知っていても、彼の部落問題との関わりがどうであり、今日のキリスト教界における「賀川問題」とは何なのか――となると、多くの方々にとってははじめて耳にされることであるかも知れません。その意味では逆に、改めてここで「賀川豊彦」を取り上げ、歴史的にその全体像を浮き彫りにしつつ、部落問題との関係をも少しなりとも明確にすることの意義は、それなりに大きいと言うべきでしょう。


 先に、賀川の名も知らない世代のことにふれましたが、日本の近現代、「明治」「大正」「昭和」の、とくに第二次世界大戦をはさむ激動期を生き抜いてこられた多くの人々にとって、賀川豊彦のドラマティックな、まさに冒険的な人生の一端に、何等かの関心を示さなかったひとは、おそらくないと言ってよいでしょう。賀川が全力を傾けて奮闘したフィールドは、社会活動だけとってみても実に広大無辺であり、その行動範囲は日本全国津々浦々におよび、さらに欧米・アジアにも度々でかけ、その名は世界に知れ渡りました。


 先般、惜しくも早逝された石田真一氏(注1)の遺稿『部落の子ども記・青春記』(部落問題研究所、一九八六年)のなかにも、氏が高等小学校のころ、賀川の小説「乳と蜜の流るる郷」が連載されていた『家の光』を毎号むさぼり読み、さらに農学校に入学のあとにもこれを再読し、「農村のゆくえを考え、自分のこれからの進路に深い関心をもち悩みはじめていた」と述懐しています。あとで立ち入って述べることになりますが、全国水平社(注2)の創立者たちと賀川の関係も、限られた期間とはいえ、きわめて親密なものがあったことは、少しずつ知られるようになっています。


 そうして幸いなことに、近年「賀川豊彦研究」が急速に活発化しつつあります。神戸には「賀川記念館」が、東京には「雲柱社」がそれぞれつくられ、地道な研究活動もつづけられてきていますが、一九八二 (昭和五七)年には、賀川に関する総合的な資料館が「賀川豊彦記念・松沢資料館」として東京にオープンしています。そして、同年五月には『雲の柱』と『賀川豊彦研究』がそれぞれ創刊され、一九八五(昭和六〇)年には「賀川豊彦学会」が設立されるといった動きもみられます。


 そうした中で、『賀川豊彦伝』(キリスト新聞社、一九五一年)の著者・横山春一氏は、新しい伝記の完成を目指して執筆中とも言われます。ここ数年の間でも、賀川に関する注目すべき評伝が次々と出版され、人々の関心を集めています(本書末尾に、入手可能な主な参考図書をあげておきます)。そしてさらに、賀川夫妻の生誕百年を記念する『写真集』や『書誌』の刊行と共に、映画制作・演劇公演など、ことしはとくに「賀川年」の観を呈しつつあるようです。


(注1)石田真一(一九二一~一九八六)
 京都府亀岡市生まれ。全国同和教育研究協議会副委員長、京都府立高校校長、京都大学・神戸大学などで非常勤講師、部落問題研究所常務理事、国民融合全国会議常任幹事など歴任。


(注2)全国水平社
 一九一一二年三月三日、京都の岡崎公会堂で結成された部落解放運動の最初の全国組織。この創立大会で採択された「水平社宣言」は、わが国最初の人権宣言とも言われる。


   
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