スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第198回:米沢和一郎編『人物書誌大系25:賀川豊彦』)

1


「夕涼み:神戸総合運動公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第198回


米沢和一郎編『人物書誌大系25:賀川豊彦

  
 1992年7月に刊行された本書は、当時賀川豊彦記念松沢資料館研究員として在任中の大きな仕事として完成にこぎつけた大著で、賀川豊彦の「著作目録」「参考文献目録」、そして「年譜」が整理されていて、賀川愛好家としては、これまで大変便利な道案内として、座右に置いてきたものです。

 ここでは、米沢氏の「まえがき」のみを取り出して置きます。




2


3


4


5



                   ま え が き


 私がキリスト教社会運動家賀川豊彦を知ったのは大学時代であった。ちょうど大学在学の頃に賀川豊彦旧蔵書の仮目録が発行されたのを記憶している。その後大学図書館員の道を歩んだ私は近代史の資料に接しながら賀川の名を目にすることが多かった。そうした中で私に賀川のことを深く知るキッカケを与えてくれたのは、愛知県豊田市に住んでいた大伯父Kであった。賀川の熱烈なシンパで片腕でもあった精神科医の兄の影響を受けて、Kも兄に劣らぬカガワイヤン(賀川宗徒)を自任していた。ともに医者であったこのK兄弟を通じて、賀川の人と仕事の一端を知らされたことが、賀川の個人書誌を手がける上で有形・無形の財産となった。その財産のひとつ<秋田医療組合運動史>の資料編集で、日本の医療組合運動の揺藍期に模範とされた組合運動史をまとめた時、若きKが石田友治の兄謹吾医師や鈴本真洲雄秋田医療組合長等の賀川ゆかりの同志達と行動を共にしたことを知った。この秋田と密接不可分な兄弟の如き関係で進められた<東京医療組合運動>では、Kの兄が石田友治牧師と共に賀川の両腕となって活動していた。この二つの医療組合運動が賀川と深く絡みながら行われたことと、この運動の指導者達が私にとって幼い頃から知っていたなじみの人々であったことが、ライブラリアンとしての私の心をつき動かして資料編集をすることになったのである。

 Kは医師会の反対にあい難航していた東京医療組合病院長の職を待ちきれずに、結局賀川の命を受け秋田医療組合病院長として赴任した。熱血漢であったKは獅子奮迅の働きをしたが、秋田県医師会の反発を食らい医療過誤訴訟(結果は全て無罪)を起こされ、責めを一身に負う形で秋田を去った。この時Kを慕って秋田の病院に来た甥が生涯会う事のなかった父であり、医療過誤裁判でKの弁護人を引き受けたのが母の父であった。この血族としての思い出を語ったKは、賀川の期待に答えられなかったことを悔いていた。そのことを心の糧としてその後の人生を歩んだKから、賀川のためにできることは私の代わりにやってくれと言われていた。“私(K)の秋田行きがなければ、お前の出生もなかった。その意味において賀川のために一肌脱ぐのはお前の義務である”この言葉は今も私の思い出の中に聞こえてくるKの遺言である。東京医療組合でKをよく知る黒川泰一氏から、<賀川豊彦書誌>の話を聞かされたのは、秋田医療組合運動史の編集を終えた頃であった。黒川氏の中野総合病院の一室で、『東京医療組合50年史』編集の話を断ったいきさつもあり、黒川氏には心の借りがあった。氏は新しくできた賀川豊彦記念・松沢資料館に、明治学院大学図書館から賀川豊彦文庫が移管されたこと、そこで賀川豊彦の書誌を作りたい意向があることを話してくれた。それから少しして黒川氏は召天された。こうした私的経過を辿りながら、昭和62年から賀川豊彦記念・松沢資料館館長賀川純基氏の依嘱により書誌編集を開始した。翌年の賀川生誕百年の諸行事を含めて、賀川豊彦記念・松沢資料館の通常業務と並行して編集を進めてきた。その間、賀川の主要な論稿が収録されている新聞・雑誌他を網羅して、『賀川豊彦関係史料双書』(緑蔭書房)を監修復刻した。こうした双書の発行は、書誌の発行と絡めた形で、沈滞気味であった賀川研究の質的活性化を狙ったものである。従来の研究で、賀川の一部取り巻きによる評価の信用性に疑義をはさむ研究者が多いことも考慮して、主観的切り捨てをせず清濁併せ飲む形でデータの網羅的収録を心がけた。ために収録量がかさみ、日外アソシェーツ社に多大の労力を煩わしたが、ようやく出版できる運びとなった。こうした考えに基づいて収録した先行研究に見られる<光と影>の膠着した評価に、あらたなデータ(明治38年一平成4年3月収録)を提供できたと信じたい。だが賀川の著作・新聞・雑誌への執筆は、全幅の信頼を置いていた<カガワの万年筆>を自称した数人の秘書達により筆記されたこともあって、その<ペンの福音>は膨大な量に及ぶ。さらに行動的牧師としての伝道活動や、広範な社会運動への物心両面にわたる援助行為もある。こうしたカガワ・ワークと称される運動及び事業は、<ペンの福音>による印税などの<筆債>によってあがなわれていた。この書誌が、こうしたペンと行動の全容を明らかにする一助となれば幸いである。

 終わりに、書誌編集を始める以前から私の賀川に関するデータは少なくなかったが、始め出してその量の多さに改めて苦闘の連続であった。このあしかけ5年間の生みの苦しみを支えてくれたのは、書誌作成にあたって御世話になった多くの方々の御助力であった。ここで厚く御礼申し上げたい。それとこの間編集者を影で支え、書誌の発行のために協力してくれた賀川事業団 雲柱社(田中英夫・小礒満・小川真登文)及び賀川豊彦記念・松沢資料館(倉田良美・鹿野美保子)の方々にも心から感謝の念を捧げたい。末筆になったが、賀川豊彦の長男賀川純基・長女冨沢千代子・次女籾井梅子諸氏の熱意に対し深甚の敬意を表したい。賀川家の方々の協力がなければ、この書誌が世に出ることもなかったであろう。

   平成4年6月1日
                             米沢和一郎
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。