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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第199回:河島幸夫著『賀川豊彦の生涯と思想』)

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「夕涼み:神戸総合運動公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第199回


河島幸夫著『賀川豊彦の生涯と思想

  
 福岡・中川書店より賀川豊彦生誕百年の1988年に出版された標記の著作は、「社会運動家としての賀川豊彦」と「平和活動家としての賀川豊彦」の二部構成の研究的な作品です。

 ここでは、本書の成り立ちなどを記した著者の「はじめに」と「あとがき」を取り出して置きます。




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                    はじめに


 一九八四年版の『キリスト教年鑑』によれば、一九八三年現在の日本におけるキリスト者の総数は約一二七万人(プロテスタント約八四万人、カトリック約四一万人、正教会約二万人)である。これは国民総人口の約一パーセント強にすぎない。ところで、キリスト教のうち、カトリシズムは一五四九年にわが国に伝えられ、プロテスタンティズムは一八五九年に日本の宣教を開始した。十九世紀の後半に渡来した多くのプロテスタント宣教師は、主としてアメリカの改革派(カルヴァン派)を中心とするピューリタン(清教徒)の人びとであった。

 日本が明治維新(一八六八年)による近代国家へのスタートを切って以来、キリスト教信仰は、旧武土層や知識人を中心とする小市民・中産階級の中に受け入れられていった。しかし労働者や農民のキリスト者は少なかった。そして日本人のキリスト教信仰は、はしめから個人主義的・私的信仰の色彩を強くもつようになったのである。とりわけ一八六八年から一九四五年までの日本は、天皇を現人神とする絶対主義的な憲法体制によって支配されており、信教の自由もまた、そうした国家体制の枠内においてのみ許容されるにすぎなかったから、当時は真の信教の自由は存在しえなかったのである。その中で、キリスト教会は困難な道を歩まねばならず、またしばしば天皇制の支配体制に順応することを余儀なくされた。こうした天皇制と資本主義との結合した社会体制の下では、キリスト教は、社会主義と同じように、長らく世間の人びとから白眼視される存在であった。

 ところで、社会主義運動とキリスト教会との関係を見ると、キリスト教会自身は、一定の社会事業、慈善事業を推進したけれども、労働運動や社会主義運動に対しては、単純な福音信仰第一主義の口実のもとに、概して冷淡な態度をとり続けた。その結果、日本のキリスト教会は労働者や農民の中に宣教の基盤を見出すことができなかった。しかし、興味深いことに、初期の社会運動、労働運動の指導者や活動家の中には少なからぬ注目すべきキリスト者を見出すことができる。たとえば日本最初の社会主義政党である《社会民主党》 (一九〇一年)の創立者たちは、大部分がキリスト者(木下尚江、安部磯雄ら)であり、また一九一二年に創設された日本最初の労働者の全国組織である《友愛会》の創立者・鈴木文治もまた、キリスト者であった。しかし、彼らの運動が日本のキリスト教会そのものによって暖く支援されるということは、なかった。そうした困難な状況の中で、牧師と社会運動家と平和活動家という三つのものを兼ね備えるなどということは、キリスト教社会主義者の中でもきわめてまれであった。こうした賀川の思想と行動は、キリスト者と非キリスト者との双方の中に、一方では熱烈な支持者をつくり出すとともに、他方では少なからぬ批判者をもつくり出した。本書においては、そうした賀川に対する様々の評価をひとつひとつ全面的に点検する余裕はない。むしろここでは、賀川の社会運動家としての側面と、平和活動家としての側面とを中心にして、彼の生涯と思想とを、私なりに概観して見たいと思う。



                   あとがき


 私が賀川豊彦という人物を再認識するきっかけとなったのは、一九七一~七三年にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として西ドイツに留学中、シュトゥットガルトで開催
された「ヴィヘルン・シンポジウム」の際に、幾人かのドイツ人から《日本の偉大なキリスト教社会運動家カガワ》について語りかけられた時であった。これに対して、日本人である私が、恥ずかしながら、賀川についてほとんど何も知らなかったのである。もともと、ドイツの政治と宗教、とくに「ドイツのキリスト教社会主義」を主な研究テーマにしていた私にとって、日本のキリスト教社会運動家は、専門的な興味の対象外だったからである。しかし、これでは、外国の人びととの対話や交流も、十分には成立しえない。そこで、それ以来、私は、自分の専門研究のかたわら、賀川豊彦のことも少し調べてみようと思うようになった。

 そうした折、在独中にドイツのプロテスタント系の社会福祉事業の連合体である《ディアコニー事業団》の求めに応じて、” Johann Hinrich Wichern und Toyohiko Kagawa. Zur sozialen Aufgabe des Protestantismus in Japan”と題する小論文を、同事業団の学術誌『内国伝道』(Die lnnere Mission,Jg.64,3./4.1974)のために寄稿した。これは、ドイツのプロテスタント系キリスト教社会事業(かつては《内国伝道》、こんにちでは《ディアコニー》と総称されている)の先駆者ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヘルン(一八〇八~一八八一)と日本の賀川豊彦とを、比較して論じたものである。このドイツ語論文は、のちに大幅に補充して日本語に書きなおし、「ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヘルンと賀川豊彦」と題して、拙著『信仰と政治思想』(創言社、一九八五年)の中に収められている。

 その後、私は、恩師の宮田光雄教授(東北大学法学部)のおすすめにより、賀川豊彦の没後二五年を記念して、“Toyohiko Kagawa.Christlicher Sozialreformer und Friendenspraktiker” と題する小論文を、東ドイツの教会誌『時のしるし』(Die Zeichen der Zeit,Jg.39,April 1985)のために寄稿した。これが、本書に収録されているドイツ語論文である。このドイツ語論文を日本語になおし、大幅に加筆したものを、「賀川豊彦――キリスト者・社会運動家・平和活動家」と題して、『西南学院大学法学論集』(第一八巻一号、一九八五年八月)に発表した。これが本書のもとになった論文であるが、賀川豊彦の生涯・思想・活動を総合的に把握し、分析・解説しようとしたものである。具体的には、賀川の生涯を貫く内面的支柱としてのキリスト教信仰と社会問題(貧困問題、労働運動、農民運動、生協運動)との関わりをIの「社会運動家としての貿川豊彦」において論じ、次に、彼の信仰と戦争・平和の問題との関わりをⅡの「平和活動家としての賀川豊彦」において論じつつ、彼の生涯の歩みを辿った。

 さいわい、この小論文は、発表以来、お読みいただいた方々から予想外の好評を得ることができた(たとえば、大谷恒彦「賀川豊彦をめぐって」『九州大学新聞』一九八七年一月二五日号)。そこで、このたび賀川豊彦の生誕一〇〇年にあたり、この小論文に若干の加筆をし、より多くの旁々にお読みいただけるよう、中川書店の中川信介氏のお力添えによって、ささやかな小冊子として公刊するはこびとなったわけである。すでに賀川豊彦については何冊もの伝記や書物が出版されているけれども、彼の生涯・思想・活動を全体としてコンパクトにまとめ、総合的に評価した書物は、案外少ないのではないだろうか。そうした意味で、この小冊子が、不十分ながら、読者の方々にとって、賀川豊彦の全体像を、より正確に理解するための手がかりとなってくれるならば、本書の刊行目的は達せられたと言えるであろう。

 末筆ながら、賀川豊彦の写真の掲載を快く許可して下さった御子息の賀川純基氏(賀川
豊彦記念松沢資料館長)に、心からお礼申しあげるしだいである。

     一九八八年七月二五日
                       福岡にて    河島幸夫
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