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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第200回:河島幸夫著『賀川豊彦と大平洋戦争ー戦争・平和・罪責告白』)

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「夕涼み」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第200回


河島幸夫著『賀川豊彦と太平洋戦争―戦争・平和・罪責告白

  
 河島幸夫氏は、前回取り出した著書に続いて標記のタイトルの作品を、前著同様に福岡・中川書店より1991年に刊行しています。

 ここでも、前回と同じく「はじめに」と「むすび」を取り出して置きます。



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                    はじめに

 一九八八(昭和六三)年は、世界的に有名な日本のキリスト者賀川豊彦が生まれて百年目に当たる。そのため同年には、一連の賀川豊彦生誕百年記念行事が東京と関西を中心にして大規模に開催され、彼の生涯を描いた映画『死線を越えて』(彼のベストセラー小説と同名)も製作された。今日の若い世代には賀川豊彦の名を知る人はきわめて少ない。しかしこの映画を見て、はじめて賀川を知った人びとの大部分は、深い感銘を受けたようである。賀川についてかなりのことを調べているつもりの私も例外ではなかった。ただし、わずか二時間余という上映時間の制約もあったせいか、賀川の太平洋戦争中の生き方が充分には描かれていない。この映画だけでしか賀川を知らない人は、南京大虐殺の生フィルムを背景とする賀川の東京・松沢教会における説教と逮捕、尋問のシーンだけから判断して、賀川を生涯一貫した反戦・平和の信念の人としてのみ受けとったことであろう。

 しかし実際には、賀川は、太平洋戦争が深まるにつれて、従来の平和主義的な姿勢から日本の戦争行為を支持する方向へと転換したのであった。こうした姿勢の変化は内外の賀川崇拝者たちに少なからぬ衝撃や失望を与えることにもなる。それではこうした賀川の変化はなぜ生じたのであろうか。われわれは、その原因を探ることを通じて、賀川のみならずわれわれ日本人の心の奥底にも潜んでいる共通の問題点に迫りたいと思う。

 さらに、賀川豊彦がそのような変化を経て日本の敗戦(八・一五)を迎えた時、それにどのように対応したのか、とくに戦争責任の問題をどのように受けとめて戦後の時代を生きようとしたのかについても、触れることにしたい。こうした作業を通じて、現在と将来に生きるわれわれ日本人が何らかの教訓を引き出すことができれば幸いである。


                    あとがき

 この小冊子の基礎となった論文は、「賀川豊彦と八・一五」と題して『福音と世界』新教出版社・第四五巻九号(特集 八・一五解放一日韓キリスト教の新視角)一九九〇年八月の六六~七五頁に発表したものである。このたび、単行本として出版するにあたり、本文を大幅に増補し、また新たに注をつけ加えた。本文および注の中の〔……〕は、河島が説明のために挿入したものである。

 もともと私は、かつてドイツ留学中(一九七一~七三年)にかの地の人びとから賀川豊彦という人物の重要性について教えられて以来、自分の専門(ドイツの政治と宗教)研究以外に、少しずつ賀川のことについても調べ続けてきた。そのささやかな成果の一つが、賀川豊彦生誕一〇〇年を記念して一九八八年に中川書店から出版した『賀川豊彦の生涯と思想』である。そこでは、「社会運動家としての賀川豊彦」と並べて「平和活動家としての賀川豊彦」について論じている。

 このたびの小冊子『賀川豊彦と太平洋戦争』は、前著の発行以後に新たに発見した賀川豊彦の平和思想・平和運動のいくつかの側面を書き加え、賀川の生涯における《戦争・平和・罪責告白》の問題を、太平洋戦争期を中心にまとめてみた。その際に私の心をとらえたのは、まず第一に、あれほど戦争に反対し続けていた賀川がなぜ太平洋戦争における日本の戦争行為を支持するようになってしまったのか、その原因・理由はいったい何なのかということであり、第二に、そうした挫折を体験した賀川が日本の戦争責任や自己の《転向》を、戦後になってどのように受けとめ、再出発したのかということであった。こうした点を念頭に置きながら、このたびの小冊子では、前著で触れなかったガンディーとの出会いや李承晩・韓国大統領への罪責告白の公開書簡などをとりあげたしだいである。

 もちろん、この小冊子の場合にも、《賀川豊彦における戦争と平和》の問題を充分に考察したとは言い難い。とくに前著『賀川豊彦の生涯と思想』ですでに論じた部分については、今回はできるだけ重複を避けようとしたから、それだけこの小冊子の内容が舌足らずに終わった感じもないわけではない。それゆえ、読者の方々は、できるだけこの小冊子と前著との双方をつき合わせながら読んで頂ければ幸いである。そして、これら二つの小著が補いあって、賀川豊彦の全体像への理解を深めるうえで少しでも役立ってくれれば、著者にとって大きな喜びである。

 末筆ながら、このたびもまた資料の問い合わせと複写サービスに快く応じ、また賀川豊彦の写真掲載を許可して下さった賀川豊彦記念・松沢資料館(賀川純基館長)、初出論文の転載を了解して下さった『福音と世界』誌の新教出版社(森岡巌社長)、それに今回も前著に引き続いて出版を引き受けて下さった中川書店(中川信介氏)に心から感謝申しあげたいと思う。

一九九一年七月三〇日
福岡にて  河 島 幸 夫
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