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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第202回:辻川忠隆著『友愛てなんや・私だけの賀川論』)

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「Cafe FREUNDLIEB」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第202回


辻川忠隆著『友愛てなんや・私だけの賀川論

  
 本書は、「賀川豊彦記念松沢資料館 選書1」として、1996年4月に刊行されました。

 ここでは、本書の巻頭に記されている本所収録の發出に関する記述と、高村氏の「序文」並びに発行元の松沢資料館による「あとがき」を取り出して置きます。




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 本書に収録した二冊の初版は左記の出版になる。
 第一部 『友愛てなんや』
      社内講話記録 阪神友愛食品株式会社
                 社長辻川忠隆 一九九四(平成六)年三月二十日発行
 第二部 『私だけの賀川論』
                 辻川忠隆著二九九五(平成七)年十二月十六日)私家限定版

 いずれも非売品である。この度、阪神友愛食品株式会社社長中西紀雄氏と、辻川忠隆氏の版権譲渡の快諾を得て、二部構成として本書に収録することとした。

  一九九六(平成八)年二月二十八日



        序文  「生協経営と賀川の精神」

            高村勣


 奇しくも、私は今年賀川召天の年令に達したことを自覚して、賀川への想いしきりであった。昨年の賀川記念講座で「私と賀川」と題して話す機会が与えられ、また一九六一年のその第一回講演による隅谷三喜男博士の旧著の再刊を見だのは私にとって大きな喜びであった。そして同友辻川忠隆氏の「私だけの賀川論」を贈られ、ゆっくりと熟読の時間をもった。

 率直に言って今日賀川がどれだけ理解され評価されているのか、生協の世界でさえ疑問である。この半世紀は、この偉大なる人物について語るにはあまりにも騒々しい時代で、顧みる余裕もなかったといえよう。そしてそれにもまして、戦後の風潮の中では、あえて賀川を無視することを進歩的思想と見なす傾向が強くあったことも事実である。

 私は賀川が創立にかかわった生協コープこうべに半生を捧げ、また賀川が初代会長をつとめた日本生協連の第五代会長を経歴した。七〇才を期に現職を去り、今つくづく考えるのは、私の人生は賀川によって導かれ、私の生協歴は賀川なくしてはありえなかったということである。もとより賀川の学識を追う能力もなく、キリスト信徒としても熱心ではなかった。しかし地の上に神の国をという賀川の実践が私の生協人生の支えであったことはまぎれもない。賀川が生協運動を通じて実現しようとしたものを荷うのが生協経営者としての私の生涯の使命であることを自覚し努めてきた。

 私の生まれた年(一九二三)に関東大震災があり、賀川は被災者救援のため居を東京に移した。そしてそれから七二年目に神戸を大震災が直撃した。この地で古い生協の建物などの被害は甚大であったに拘らず、コープこうべはこの地域の被災者の救援に獅子奮迅の働きをした。全国の生協がこれを支援した。地域の人々の生活に密着した生協ならではの活動に「神戸に生協あり」の評価が全国に高まった。そしていま日本で一番古い生協コープこうべが、ICA一〇〇周年ステートメントに謳われているような二一世紀を拓く最も新しい社会的役割を果たすシステムヘと創造的復興の最先端に立っていると思う。賀川が神戸の地によみがえったのである。

 辻川さんは牧師を志しながら、生協という経済事業に身を転じた。それは恰も街頭伝道からスラムに身を移した賀川に似ている。貧民救済の事業は困難を極めたが、戦後の生協の事業もまた生やさしいものではなかった。しかし辻川さんは信仰とともに、賀川への信奉を支えに生協運動を賀川・理想に近づける実践に努め、自らは「小さな実践」と言われる大きな足蹟を残した。そしてこの「賀川論」を通じて賀川の本質に迫る論理を我々に提示いただいた。このような賀川研究が、コープこうべの中での研究会で継続して行われてきているが、この一石を通じて、生協運動の中での賀川復活の機縁になれば、大変嬉しいことである。

                        (現コープこうべ 名誉理事長)



            賀川豊彦の精神を伝える書 あとがき


 一九九六年一月 賀川豊彦記念・松沢資料館前館長賀川純基が、旧知の明石市在住で元コープこうべ勤務、前阪神友愛食品社長辻川忠隆氏より送付されてきた一冊の本を、資料館に持ってきた。『私だけの賀川論』と題された辻川氏執筆になる私家限定版の回想自伝は、以来、松沢資料館の経営母体である財団のみならず、創業者賀川豊彦の精神を継承する社会福祉・学校の三法人による雲柱社の中で、創業者の精神を伝える書として生かすことが話し合われてきた。それは難解な賀川の理論を自分なりにわかりやすく説いているばかりでなく、辻川氏の生き方の中に賀川の精神が色濃く投影され、実践された経験が綴られていたからである。

 昨年の賀川豊彦記念講座委員会で、S氏が「他の社会運動ではともかく、生協の関係者には賀川(の精神)が生きているようだから」という意味のことを述べられ、それがキッカケとなって「生協人による賀川論」を、前コープこうべ理事長高村勣氏に昨年一〇月の賀川豊彦記念講座で話して頂いた経過かある。同じ生協人として、辻川氏の私だけの賀川論は、そうしたS氏の指摘を裏書きしているように思える。

 賀川の理論は難解で、必ずしも実践向きとはいえない。辻川氏は敢えて賀川と向き合うことで、それらの矛盾を感じ、現場で賀川の精神を生かそうと努力された。世に熱烈な賀川ファンによって、自分だけの思い出を綴った回想書は多い。しかし自らの人生の中に、冷めた眼で賀川を論じつつ、指針とした実践書はどれ程あるだろうか。その意味においてこの書には、凡百の回想記より説得力がある。賀川に影響を受けた世代では稀有な賀川論は、そうした意味においても私的なものを越えているのではないだろうか。”賀川によって生かされた”(辻川氏)人によって記された賀川精神には、弱者の側に立つ経験則のみが持つ強みに満ちている。それが賀川への理解に貫かれた生き方の重みなのかも知れない。

 松沢資料館は色々なかたちで〈現代に賀川豊彦を伝えて行く〉使命を負っている。

 それは賀川自身が、難しい学術論文よりも、小説に社会啓発の目的を託したように、賀川が生きた時代の中に追い求めた精神をわかりやすく伝えるものであることが望ましい。その意味で、自らの言葉で回想された実践的賀川論は、大切にしたいと考えている。

 ここに辻川忠隆氏及び阪神友愛食品現社長中西紀雄氏の諒承を得て、より多くの方々に提供する目的で、二冊を合本し再版することにした。御二人及びコープこうべ竹本成徳理事長に記して感謝したい。

   一九九六(平成八)年四月一日           賀川豊彦記念・松沢資料館
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