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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第210回:雨宮栄一著『暗い谷間の賀川豊彦』)

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「夕涼み:長田・鉄人ビアガーデン」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



「賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―文字色

      第210回


雨宮栄一著『暗い谷間の賀川豊彦

  
 本書は、前々回と取り出した雨宮氏の作品の三部作の最終巻です。ここでも、著者による「あとがき」を取り出して置きます。



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                    あとがき

 二〇〇三年、新教出版社から出版した『青春の賀川豊彦』の続編になる『貧しい人々と賀川豊彦』を刊行したのは昨二〇〇五年であった。この『暗い谷間の賀川豊彦』はさらにその続編になる。従って、ここに賀川の評伝として、貧しいものながら三部作が一応完成したことになる。晩年になり三部作を思いつき、構想した筆者としては、病を抱えたまま書き続けてきた道を振りかえり、いくらか肩の荷をおろしたような、ある種の安堵感にひたっているというのが偽らないところである。

 賀川豊彦の評伝と言っても、三部作目のこの書物、大正デモクラシーの終わりより、日本敗戦の時までの賀川の歩みまでである。まさに暗い谷間の時代の、賀川の苦闘に満ちた歩みについて記したものである。その後の敗戦後については、ほとんど触れていない。別に興味がないからと言うわけではない。敗戦前後から、その召天に至るまでの賀川の歩みも、また一つのテーマであろう。しかし、それについては若い研究者に委ねたい。誰かが書くものと期待している。私は書けない。戦後の賀川については、歴史的評伝を古くに必要な、対象への時間的間隔・距離感を私は持っていない。考えてみると、近代日本のキリスト教史において、賀川豊彦ほど毀誉褒貶の激しい人物も珍しい。ある者は、賀川を聖人の如く崇め、ある者は、賀川を差別主義者として激しく弾劾する。スケールの大きな人物にしばしば見られる現象であるが、確かにそのように評価される両面を内蔵している。しかし、いずれもその一面でしかない。一面を見て、そのすべてであるように断定することも、確かに歴史的な判断かもしれないが、私はそのような手法を取らなかった。なしうる限り資料にあたり、歴史的な正確さを追及し、それぞれの時代における賀川の歩みを実践的に、また思想的に、内面史的に明らかにするために努力したつもりである。つまりひとりの人物の全体像を明らかにする努力をした。それが何処まで可能にされているかは分らない。もはや、読者の判断に任せざるをえない。

 ただ言いうることは、この書物もそうであるが、すべて資料に即して書いたものであり、ここには在来の賀川の伝記によく見られたフィクションの類のようなものは全くない。疑わしいものは、すべて避けた。より具体的に言うと、賀川には多くの自伝的小説がある。いくら自伝的といっても、多くのフィクションがある。小説である限り当然であろう。もちろん目を通したが、資料としては注意深くほとんど用いていない。

 私の願うところは、賀川豊彦を聖人化することでもなく、単に批判し去ることでもなく、ともかく明治から大正、昭和にかけて、怒涛のように波打つ歴史の只中で、贖罪愛を掲げて、懸命に生きたひとりのキリスト教伝道者の歩みを、客観的に描いて見ることであった。そしてそこから必然的に生まれてくる今日の教会への問いに、静かに耳を傾けてみることであった。それ以外の何ものでもない。

 この三部作を終わるに際して、多くの方に感謝を捧げねばならない。出版事情の厳しいこのときに、この三部作を刊行した新教出版社に、とりわけ校正のみならず、注意深く読んでくださった秋山憲兄、また森岡巌、社長の小林望さん達、また貴重な資料を提供してくださった賀川豊彦記念松沢資料館の加山久夫館長、杉浦秀典学芸員、雲柱社財団理事長斉藤宏牧師、東駒形教会の戒能信生牧師にはお世話になった。

 また私の責任になる校正を、個人的に、今は亡き広瀬泉造牧師の夫人、広瀬智恵子さんの助力を頂いた。感謝している。

 さらに今までの第一部、第二部の二巻を熟読して、幾つかの注意点を指摘してくださった明治学院人學歴史資料室の方々、賀川と中国の関係で貴重な示唆を示してくれた浜田直也氏、京都在住の松岡正樹氏、その他多くの方に感謝する。またこれらの書を今日、賀川ゆかりの施設で働いている職貝たちに、賀川の精神的遺産を継承するために読むことを奨励するだけでなく、読書会、研究会、発表会を開いてくださった雲柱社の社会福祉法人理事長の服部栄さん、本所賀川記念館の常務理事の鵜沢匡子さん、関西のイエス団の理事の方々にも感謝する。鳴門の賀川記念館の方々にもお世話になった。書けば切りがないのでやめるが、おもわない形で多くの方の励ましを、執筆中頂いた。感謝する。

 しかしこの書物の執筆に際して、資料を探すのに最も世話になったのは「国会図書館」である。ここにはまた通いつめた。パソコンで資料を探して見出し、時にはマイクロフイルムで読み、コピーして、満足しながらお堀端の道を帰るのが常であった。

 このつたない賀川研究に関する三部作が、これから若い人たちの賀川研究の捨石になることを願っている。批判克服されれば望外の喜びとなるであろう。

   二〇〇六年四月
               越中島にて     雨 宮 栄 一
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