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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第216回:武内勝口述・村山盛嗣編『賀川豊彦とボランティア』)

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「神戸長田下町の地蔵盆」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第216回


武内勝口述・村山盛嗣編『賀川豊彦とボランティア

  
 本書は、さきに取り上げた『賀川豊彦とそのボランティア』の新版です。神戸新聞総合出版センターより出版され話題となりました。

 ここでは、今井鎮雄氏の「新版の序にかえて」を取り出して置きます。編者の村山氏の「あとがき」は前回記しましたが、村山氏より今回「新版あとがき」を書くように勧められて描きあげたものをここでは添えてみます。


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                  新版の序にかえて

                             今井鎮雄


 賀川豊彦獣身一〇〇年にあたる今年は、東京と神戸にプロジェクト事務局が置かれ、いま、賀川が生きていれば何を考えるであろうか、世界は、日本はこの方向を歩み続けてよいのであろうかとの反省を込め、賀川の祈りと願いを想起しながら、一年を通してプログラムが行われているところである。

 賀川は「神は教会の中にのみおられるのではなく、貧しく苦しんでいる人々とともに苦しまれている」と考え、その手伝いをするために一九〇九年、神学校の寮を出て当時スラムと呼ばれた神戸・新川に移り住んだ。神の愛と正義が活かされることこそ日本の、また世界の平和であると考えたのである。賀川はこのときの経験をもとに『死線を越えて』をはじめ自伝的小説を発表する。今年九月、賀川が一九四七年と四八年のノーベル文学賞候補であったことが新聞等で報じられたが、「命を創る作家」として、世界的に高い評価を得ていたことがうかがえる。賀川は、のちにノーベル平和賞の候補にも挙げられている。

 『死線を越えて』はベストセラーとなり、印税は賀川のその後の運動を支えることになる。労働運動、農民運動、共済組合運動、生活協同組合運動等々、当時の社会改良運動に身を捧げ、そのリーダーとなった。賀川の働きは、『死線を越えて』にも見られるように、貧しさの故に人々が失いつつある、生きることとは、幸福とは何か、を伝えるのに十分であった。

 この新川時代から賀川と共に働き、彼が亡くなるまでその信仰や運動の方向を支え、協力されたのが、武内勝氏である。晩年、多くの人に請われて、賀川の日常と周囲の人々の有様を克明に語ってくださった。それが一九七三年に出された『賀川豊彦とそのボランティア』である。

 そこには、賀川が贖罪愛に感激し、後の生き様を「最微者(いと小さきもの)」と共にと定めて行動した日々が、具体的に克明に記されている。天下に倫理を説き、信仰を説くもの、宗教の重要性を説くものは多いが、いと小さきものと共に生き、苦労を分かち合い、一生を貫いた賀川の行動に倣うものは、多くはない。

 時代は変わり、二十一世紀となって科学技術は進歩し、情報化社会へと変ずるとともに、人と人との関係は疎くなり、他者と共に生きるという思いが消え去ろうとしている。人間の幸福を願うために生まれた経済のシステムは、いつの間にか人間から離れ、金銭を産むことを経済の効用と考えるようになった。いまこそ、賀川が「いと小さき者」と共に歩んだ現実を思い返し、人間が豊かに生きることのできる社会へと変えなければならない。

 賀川の日々の生活を見聞きし、賀川のアメリカ留学時代にはその留守を立派に守られた武内勝氏の率直な語りの中に、私たちが見届けねばならない賀川が描かれている。人は誰も弱さを持ち、間違いをする。しかし、常に悔い改めの中で神の正義と愛を学ぼうとする努力こそ大切なものと、この書は私たちに教えてくれている。

           (現賀川豊彦獣身一〇〇年記念事業神戸プロジェクト実行委員会委員長、
            イエス団顧問、前社会福祉法人・学校法人イエス団理事長)



                  新版のあとがき


 今年は、賀川豊彦が「神戸葺合新川」の住民の一人として歩み始めて丁度一〇〇年という記念の年に当たり、幅広い関係者の参加のもとに「賀川豊彦獣身一〇〇年記念事業」の多彩な取り組みが展開されている。本書の刊行は、その記念事業のひとつである。

 本書の初版『賀川豊彦とそのボランティア』は、今から三十六年前(一九七四年)のものであるが、豊彦と共に生きた武内勝の、静かで飾らない、清冽な情熱を秘めたこの口述記録は、関係者や研究者のみならず、市民のあいだに長く愛読され続けてきた。しかし本書は私家版であったため読書界にはひろく流通しないまま、久しく絶版となり、再版が待たれていた作品である。

 武内の口述は、「おわりに」に記されているように、昭和三十一(一九五六)年時点のもので、しかもその内容は「創業当時の回想」という主題で、明治の終わりから大正初期の神戸における働きが語られている。この数年後、教会員の強い要望にこたえて武内は再度、連続十回の□述を試みており、その録音テープが最近発見された。これによって最晩年の武内の肉声にも出会うことが出来るのである。

 周知のとおり、賀川豊彦の没年(一九六〇年)を大きな節目にして、漸くにして地域の改良事業が全国的に前進した。神戸においてもあの阪神淡路大震災に遭遇する頃には、全市的に新しい街へと変貌をとげ、震災復興後は一層住みやすい地域へと進みつつある。

 賀川や武内の夢でもあった「共同住宅」の建設事業は、武内の口述の通り戦前すでに一部実現していたが、一九七〇年代以降の集中的な対策事業では、その「共同住宅」も姿を消し、住民の努力によって今では、高層住宅の建ち並ぶ住み良いまちがつくられてきている。

 したがって本書は、これらの急激な変貌を遂げる以前の、しかも半世紀以上も前に口述された歴史的ドキュメントであり、その時代性を踏まえて、読み進んで頂くことを願っている。

 このたびの新版では、表紙の装丁及び組版も一新し、書名も『賀川豊彦とボランティア』と改めた。そして「新版の序」を加え、写真も補充して全章に分散させた。また巻末の「賀川豊彦略年表」も補正し、短い「解説」も付すことができた。

 さらに新版には、口述者である「武内勝の人と生涯」に触れて頂くため、二つの玉稿『福祉の灯』所収の「武内勝」と生前武内を取材した毎日新聞記事「一粒の麦は生きている」を版元の許可を得て「付録」とさせていただいた。

 本書の作成には、初版編者の村出盛嗣が引き続いて新版発行の責任を担い、賀川豊彦献身一〇〇年記念事業神戸プロジェクト、西義人、高田裕之、山田洋一、岡山泰典、浜田直也、鳥飼慶陽などがこれに協力した。また出版元の神戸新聞総合出版センター出版部長・岡容子氏には、本づくりの貴重なアドバイスを頂くことができた。ここに改めて御礼を申し上げる。
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