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「賀川豊彦」のぶらり散歩ー作品の序文など(第217回:ロバート・シルジェン著・賀川豊彦記念松沢資料館監訳『賀川豊彦―愛と社会正義を追い求めた生涯』

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「お菓子の姫路城」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



賀川豊彦」のぶらり散歩
   

―作品の序文など―

      第217回


ロバート・シルジェン著・賀川豊彦記念松沢資料館監訳『賀川豊彦―愛と社会正義を追い求めた生涯

  
 本書は、2007年5月、新教出版社より出版されました。難航していた翻訳作業は、幸いにも加山久夫氏の全面的協力があって仕上げられた好著です。

 間もなく(2012年9月)、シルジェン氏を迎えた講演会も開催されます。ここでは、古屋氏の「まえがき」と著者の「日本語版への序文」を取り出して置きます。

 (本書の第6章「農民と被差別部落民」の部分は、翻訳の時点で著者の同意のもとに110行ほど削除措置がとられている。私見では、やはり全文翻訳の上、必要な場合にその箇所についてコメントを付すのがベターな措置であったと思われますが、その点惜しまれます。)

 

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                    まえがき

                            古屋安雄


 本書は、賀川豊彦(一八八八-一九六〇)の生誕百年の年にあたる一九八八年にアメリカで出版された、ロバート・シルジェン『賀川豊彦 愛と社会正義の使徒』(Robert Schildgen, Toyohiko Kagawa.Apostle of Love and Social Justice, Centenary Books,1988)の邦訳である。

 いまでこそ著者は、全国的な環境雑誌Sieraの編集局長(一九九八-二〇〇五)として有名であるが、執筆当時の著者は、カリフォルニア州の生活協同組合の週刊誌Co-op News1の編集長であり、むしろ無名の自由作家であった。しかし、彼は、賀川について予断のない立場から、かえって見事な賀川についての伝記を書いたのであった。

 まだ日本人全体の共通理解にはなっていないか、近代日本社会の人間化に賀川ほどの貢献をした人物はほかにあまり居ないであろう。ところが、日本では彼がその牧師であったキリスト教会においても高く評価されていなかった。けれども賀川ほど、特に戦前であるが、世界に知られた日本人は居なかったのである。本書の序で著者が述べるように、戦前の世界の聖人の一人が賀川であったからである。

 しかし、それゆえに戦時中の賀川は微妙な立場に立たされて、大変な苦労をしたのであった。そして、戦後はアメリカにおけるかつての名声ゆえに、戦時中の言動を厳しく批判された。また、遂にその名声のゆえに、進駐軍にそして戦後の日本の方向に大きな影響を及ぼしたのであった。賀川ほど死後も毀誉褒貶が激しい日本人は、日本のみならず外国にも居なかったであろう。

 したがって、賀川の生涯と業績を「客観的」に描くことは、決して容易なことではない。いずれは、包括的な伝記が日本人によって書かれねばならないであろう。けれども、そのためには、生前は日本でよりも外国でよく知られていた賀川像を知る必要がある。その意味で本書の価値はきわめて高いものがある。本書はまだヨーロッパとアジアの諸国にまで視野は及んではいないが、『クリスチャン・センチュリー』誌をはじめ、アメリカのマスコミには目をとおしているからである。それに、著者が本書のために研究調査をしているときに、たまたまアメリカで牧師をしていた賀川の次女籾井梅子をインタビューして、ほかでは得られない賀川像にも触れているからである。

 我が国でも、やっと本格的な賀川研究か始まったときに、本書の邦訳が出版されることの意義は大きい。これによって、賀川自身への関心が深まり、さらに賀川の主要関心事であった愛と社会正義、そしてその基本にあった信仰への研究調査が進められることを願って止まない。とくに現在の日本基督教団を分裂させている「教会派」と「社会派」を克服する道は、賀川豊彦の愛と社会正義が、そこから由来した「神の国」信仰ではなかろうか、と考えるからである。
   
  二〇〇六年二月十八日
              (賀川豊彦学会会長・聖学院大学大学院教授・国際基督教大学名誉教授)



                  日本語版への序

                            ロバートーシルジェン


 いかにして階級、宗教、人種、国家の対立をのり超え、兄弟姉妹として共に生きかつ働くか、そのことを言葉と行為をもって人びとにさし示すために、賀川豊彦はその生涯をささげました。賀川が最初に世界の注目を集めたのは、日本におげる最も貧しい人びとに救済の手をさしのべる、自己犠牲を伴った、彼の教えでありました。彼は、米国や他の国々を長期間訪問しては、兄弟愛、平和、正義、協同組合運動などを世界に訴えたのでした。

 戦争や貧困の恐るべき結果をよく知っていた賀川は、日本や世界で争いを惹き起こす原因を少なくするために、働きつづけました。彼は争いがどれほど容易に友愛を失せさせるかを理解し、暴力が、階級、人種、宗教、国家を利用してエスカレートする危険性について警告しました。二十世紀の未曾有の戦争や大量殺戮は、国際平和への彼の訴えがいかに緊急のことであるかを示すことになります。人類は平和な戦後の再建、貿易、条約、組織などをとおして、国際的調和を創造するための、いくらかの評価すべき努力をしてきましたが、わたしたちぱ今なお暴力的な世界に生きています。わたしの国は、過去半世紀、しばしば対外政策の手段として、戦争や暴力による威嚇を選び、他の多くの国々同様に悲惨な結果を味わってきました。それゆえ、賀川の平和のメッセージは、彼が十代の若者として日露戦争に反対した百年前と同様、今日でも重要なのです。戦後目本の「平和憲法」に対する心からの支持は、若き日の、軍国主義反対の、成熟した表現にほかなりませんでした。

 賀川は、ガンジーのように、西洋の理念の影響を受けたアジアの国際主義者であり、ガンジーのように、これらの理念が西洋において有していた影響力を獲得するために、それらを新しい形に変えました。(わたしたちは、ガンジーが米国公民権運動の指導者マルティン・ルーサー・キングに与えた大きな影響を想起します。)賀川の国際主義には、アメリカ経験から得た多くの撚り糸が見られます。例えば、彼は在米中、日本人労働者を支援するために、彼らを組織したが、その経験を日本に持ち帰り、労働運動の指導者となりました。彼はまた、ジェーン・アダムスが米国諸都市の貧困者に援助の手をさしのべたことから学んで、日本において貧しい人びとのための住宅や診療所をつくるために彼女の方法を用いています。賀川はキリスト教に入信し、キリスト教を日本的状況に適用したが、このことにより、彼は西洋のキリスト者たちに、彼らの宗教理解についての新たな見方を提供しました。例えば、彼は善意とユーモアをもって、日本的視点から、米国における多くの教派の必要性や教派間の不一致について、問いかけています。彼はまた、キリスト教的視点から、米国キリスト者らの人種主義を批判し、これほど豊かな国がどうして富の公平な分配をこの程度にしか実現できないのか、問いかけました。

 賀川の国際主義は協同組合運動への終生にわたる惜しみない支持にもっともよく表れています。賀川は、十九世紀初頭の英国における社会改革に根をおろした協同組合運動に触発され、日本に生活協同組合を組織しました。さらに、彼は著書や多くの講演をとおして、一九三〇年代、米国の生協指導者たちに大きな影響を与えたのでした。

 興味深いことに、わたしがこの伝記を執筆することのできた背後には、このような国際的な友好や生協運動がありました。そのことを少しく述べておきたいと思います。

 現代の協同組合運動は一八八〇年代、英国、口ツチデールで生まれました。ロッチデールで提唱された原則の多くは今日に至るまで世界のほとんどの協同組合によって堅持されてきています。協同組合の最も重要な原則のひとつは、「協同組合は、性別による、あるいは社会的・人種的・政治的・宗教的な差別を行わない」ということです。英国には、長年、政治的・宗教的対立の血なまぐさい歴史がしばしば繰り返されてきたので、ロッチデールの組合創設者たちは、もし分派的であったり、信条により人びとを排除するようなことがあれば、彼らの組織は成功しないであるうと考えました。

 バークレー生協はこれらの原則と真剣に取り組みました。大恐慌のとき、新たな経済の仕組みをもとめたフィンランド系アメリカ人、学生、地域住民らによって一九三〇年代に創設されたこの組合は、誰もが参加できるオープンな会員組織としました。その初期の指導者のなかのある人びとは賀川の講演を聴き、あるいは個人的に会い、経済的、社会的問題と取り組む方法としての協同組合に関する彼の主張からインスパイアされ、会員のみならずスタッフの雇用についてもオープンにし、まだ人種差別の強かったこの時代にアフリカ系アメリカ人や日系アメリカ人を雇いました。このような実践は彼らから歓迎され、日系アメリカ人とコープの絆を強固なものとしました。

 日本人との重要な結びつきはほかにもありました。第二次世界大戦下、日系アメリカ人への人種差別はもっとも過酷なものとなり、十万人以上の西海岸の日系人は政府がつくった収容施設に送られたのでした。徴兵を拒否し、その代わりに奉仕活動をするために収容所に送られていた白人アメリカ人たちがいましたが、ある日本人たちは彼らと親しくなり、収容所内に協同組合をつくり、戦後、アメリカの生協運動の指導者となりました。

 そのなかのある方々が、一九八八年賀川豊彦生誕百年に際して、賀川への敬意から、伝記の出版を計画したのでした。バークレー生協の指導者であった日系アメリカ人ジョージ・ヤスコウチぱ私に賀川伝を執筆するよう要請し、そのための財政的支援を賀川生誕百年記念委員会からいただけるようにしてくださいました。

 本書執筆は私にとって素晴らしい経験となり、賀川の働きや思想との深い出会いのときともなりました。それはまた、日本とその歴史を学ぶ機会、賀川関係の人々との恵まれた出会いを提供してくれました。読者の皆様が私か執筆者として得たのと同様に多くのものを読者として本書から得てくださいますよう、そして、さまざまの形で、賀川の平和と正義のための働きを継承してくださいますよう、心から願っています。
   
   二〇〇六年十一月



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