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村島帰之の労働運動昔ばなし(第4回)

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村島帰之の労働運動昔ばなし(4)

『労働研究』(第135号)1959年5月号連載開始分


             第一回 友愛会の神戸開拓
          
(前回のつつき)
            
       神戸聯合会主務高山豊三氏

 世間には高山豊三氏を、高山義三氏と混同する人が少くない。たった一宇違いだが、全くの別人である。豊三も義三もともに基督教信者であり、同じ友愛会のリーダーであったが、前者は神戸の主務、後者は京都の支部長であった。(義三氏は現在は京都市長であるが、当時はまだ京大の一学生であった。)

 友愛会は前記のように教会の一室から生れたものだけに、その支持者を、また鈴木氏の事務の手伝いをしてくれた者もみな信者だった。最初、暫くの間ではあったが、当時、統一教会の伝道師であった加藤一夫氏が、鈴木氏の手伝いをしてくれた。(加藤氏は人も知るごとく一頃は大杉栄氏等と共に無政府主義陣営にあった思想家だが、終戦の少し前、永眠した。氏の横浜の旧居は本文の筆者が譲り受けた。)

 高山氏はその頃、神学校を出たばかりだったが、加藤氏の紹介で友愛会入りをして、約半歳、鈴木氏を扶け、創業時代の友愛会を守り立てているうち、牧師として静岡県小山町に赴任する事となり、友愛会を去った。氏の赴任した小山には有名な紡績工場があって、早くから友愛会の支部が設立されていた。氏は牧師の仕事の傍ら小山支部の顧問として、その面倒を見た。氏ばかりではない。氏の夫人も、支部に属している女工さん達のよき姉となっていろいろと面倒を見た。

 或る朝、高山夫人が町の風呂へ出かけたところ、徹夜明けの女工が、まるで雪の中から出て来たかのように、真ツ白な綿ぼこりを頭にかぶっているのに胸を打たれ、さらに、流し場で洗っていると、子供づれの女工さん(通勤女工の中には多くの母親がいた。)が、わが子の背中を流しながら、徹夜仕事の疲れからであろう、われ知らず居眠りをし、とんでもないところを洗って子供に泣き出され、ハッと眼をさます有様を見、言い知れぬ感情に襲われ、それ以来、夫君を扶けて、一生懸命に女工さん達の世話をしたという。

 高山豊三氏が神戸に主務となった日から三月だって、賀川氏はアメリカから颯爽として帰朝した。久しく神戸支部長として指導してくれていた山県憲一氏の死去で一沫の寂しさを覚えていた神戸の友愛会は大いに気を強くし、会員もふえて行った。そこで鈴木会長は大正七年一月、大阪、神戸両聯合会の上に関西出張所を開設し、その主任として本部副主事久留弘三氏を任命し、神戸の高山、大阪の松岡駒古両主務と協力して関西全体に亘って拡張運動を推進させる事となった。

 (続く)

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