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村島帰之の労働運動昔ばなし(第5回)

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村島帰之の労働運動昔ばなし(5)

『労働研究』(第135号)1959年5月号連載開始分


            第一回 友愛会の神戸開拓
          
(前回のつつき)
            
                 賀川豊彦氏の印象

 今でもハッキリ覚えているのは、久留氏が大阪へ赴任した時、鈴木会長の紹介状を携えて、大阪郊外に住む筆者を訪ねて来た事である。勿論、初対面であった。

 「時に、賀川豊彦さんを御存じでしょうか。鈴木会長から、賀川さんにいろいろ御指導を仰ぐようにと、言いつかって来ているのですが。」
 「ええ、知ってますとも、去年の五月、アメリカから戻って来て、神戸の貧民窟で貧民の世話をして居る人です。」

 筆者が賀川氏を始めて知ったのは大正六年七月十四日の午後の事だ。かくまで正確に言えるのは、私の記憶が確かだからではなく、その日、氏が試みた講演の大要を筆煮が書いて載せた大阪毎日新聞の切抜か残っているからである。場所は大阪堂島田簑橋々畔の大阪府知事官邸、大阪府救済事業研究会の月並例会の席上であった。

 六年七月といえば、賀川氏がアメリカから帰ってまだ二ヵ月経つか経たぬかの時である。その日の筆者の印象は、いかにもアメリカ戻りらしい瀟洒な青年学者で、非常に謙遜な、愛嬌のある、人触りの百パーセントに善い人―-というのだった。確か、白い麻の夏服を着ていたが、その上衣の極めて短いのが大変にその人をスマートに見せた。

 筆者は小河滋次郎博士に紹介されて名刺を出した。すると氏は

 「おお村島さんですか。僕はあなたが毎日新聞に連載された『ドン底生活』を図書館で面白く拝見しましたよ。大変参考になりました」

 あだかも十年の知己のように、堅く筆者の手を握った。今もそうであるように、人をそらさない氏のアットホームなその態度に、筆者はすっかりチャームされた。思えば、これが筆者を氏に結びつけて、労働運動に、労働者教育に、社会事業に、宗教運動に、同志として、協力者として、信者として、読者として四十五年を倶に在らしめたそもそもの始めだった。

    (続く)


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