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村島帰之の労働運動昔ばなし(第7回)

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村島帰之の労働運動昔ばなし(7)

『労働研究』(第135号)1959年5月号連載開始分


            第一回 友愛会の神戸開拓
          
(前回のつつき)
               
                久留弘三氏の登場


 その頃、神戸聯合会傘下には神戸、兵庫支部のほかに葺合、尻池にも支部が出来ていた。葺合支部では、賀川氏の住む新川がその部内にあるだけに、余計に賀川氏に期待するところがあって、大正七年一月十三日新年幹部懇話会にも特に賀川氏の出席を求めた。

 茶話会は湊川実業補習学校で開かれた。湊川及び兵庫の実業補習学校には、川崎造船所から多くの熟練工が夜間就学していて基礎の技術教育を学んでいた。野倉万治氏や青柿善一郎氏など組合幹部でその通学生だった者が少くなかった。学校長の岸田軒造氏や寺崎九一郎氏は、組合運動の同情者で、弁士の少い折には演説会にも出演してくれさえした。

 茶話会で賀川氏は「英国における戦時労働組織について」約一時間に渉る雄弁を奮った。さらに山県憲一氏を喪い、近くは高山主務を失って寂しく思っていた神戸の労働者たちは、賀川氏の出現をどんなに喜んだ事だろう。

 この茶話会が済んで間もなく、詳しくいえば一月二十六日、高山主務の後任として久留弘三氏が来神した。久留氏はさきに記した如く、新設の関西出張所主任に新任されたもので、神戸主務はその兼務であった。

 賀川氏の出現と久留氏の赴任によって、神戸聯合会は俄然元気を盛り返して来た。そして賀川、久留両氏は善きコンビを作った。(翌八年には筆者が加わって、トリオができた)。

 久留弘三氏は大正五年の早大政治経済科の出身、大阪天王寺中学にいた頃は横綱大錦卯一郎や宇野浩二と同窓だった。岩橋武夫は下級生であったが、勿論、失明前で、その美少年振りに、久留氏等は善く追っかけたものだという。

 久留氏はその早大にある頃から労働運動に興味を持って、友愛会に出入していた。今は共産党の大立物である野坂参三氏も当時は慶応の学生で、久留氏と一緒に友愛会に出入していたもので、卒業と共に、二人はその儘、友愛会に這入った。

 久留氏は高山氏の如き基督教信者ではなかったけれども、後年、友愛会を去って基教界の変り種である斎藤信吉氏と共に、人格主義の上に立った独特の労働者文化運動を始めたぐらいの人。

 山県氏といい、高山氏といい、賀川氏、久留氏といい、神戸の開拓者がみな基督者であったことは奇遇といわねばならない。

     (つづく)

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