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村島帰之の労働運動昔ばなし(第11回)

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村島帰之の労働運動昔ばなし(11)

『労働研究』(第137号)1959年7月号連載分


               第二回 川崎造船所と松方社長
          
(前回に続く)

                  職工問題の取材


 わたしは毎日新聞で始めは経済部記者として棉花綿糸紡績を担当していた。が、翌年には地方課に転じ、遊軍となった。遊軍というのは特別の受持ちを持たず、本人の気儘に新分野を開拓して行くもので、わたしは経済記者時代に紡績連合会や紡績会社にも出入して労務管理、特に女工の処遇問題なども記事にしていた経験があるので、地方課の遊軍となってからもその方面の取材をした。

 鐘紡の女工寄宿舎を見に行って、長い廊下の陽の当る側の窓ぎわに鏡をならべて結髪所に充てているのや、帝国製麻で女工が終業後も機械音が耳につき直ぐには眠れないので、神経をしずめるため就寝前五分間静かに針仕事をさせていることなどを記事にしたり、女工の賃銀や女工募集にからむ問題も書いた。

 そうした職工問題――当時はまだ労働問題という言葉は一般には使われなかった――を扱っているうち、鈴木文治を会長とする友愛会という労働組合が阪神地方に手をのばしたことを知り、また堂前孫三郎氏や坂本孝三郎、西尾末広氏等により職工組合期成同志会というのが小規模ではあるが大阪で誕生したことを知ってデカデカと紙上に紹介した。大正五年から六年へかけてのことで、労働組合はまだ一般に知られてはいず、新聞記者でも組合の存在を知る者は殆んどなかった。

 西尾氏と相知ったのもこの頃で、お互に二十五才の同じ年であった。わたしは同志会の顧問格で演説会に出たり機関誌の「工場生活」に「労働問題の大意」という啓蒙的な続き物を書いたりしていた。西尾氏は組合の仲間でも「理くつ屋」で通っていたが、その後同志会にあきたらず友愛会に転じた。その頃いっぱしの友愛会幹部を以て自任していたわたしとの親交が深まって行った。

 西尾氏は友愛会に入ってもすぐ頭角をあらわし、久留弘三氏が神戸へ移った後をうけて大阪連合会主務となった。先輩たちはこれを快しとせず、現に支部長某はわたしに向って「西尾はオイラと同じ職工じゃありませんか」と不平を訴えた。労働組合のリーダーはインテリでなければならないものと、労働組合の有力の連中までが考えていたのである。そういったまだ知識階級尊重時代だったので、わたしのようなものでも組合の演説会などにはしじゅう引っぱり出され、大阪ばかりか神戸や京都へも出かけて行った。

    (続く)

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