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村島帰之の労働運動昔ばなし(第13回)

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村島帰之の労働運動昔ばなし(13)

『労働研究』(第137号)1959年7月号連載分


              第二回 川崎造船所と松方社長
          
(前回に続く)


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写真はその折の光景で、馬車の上に立つカンカン帽の黒服が鈴木会長(1)その隣のヘルメットは松岡駒吉大阪連合会主務(2)、その前のカンカン帽は久留弘三氏(3)と筆者(4)。御者台の上のカンカン帽の自服は濱田国太郎海員部長(5)で支局入口のイガ栗頭は岡崎支局長(6)である。なお左方、電柱の下に西尾末広氏(7)のカンカソ帽の横顔も見える。


               尾崎行雄と川崎職工


 岡崎支局長がわたしを本社から引きつれて来たのはもちろん、神戸の土地柄、労働問題で紙面に新風を吹き込もうというのだった。

 それで支局長はいろいろとわたしに注文を出した。一例を挙げると、わたしたちの赴任直後尾崎行雄氏が来神した。月並なスナップ写真では面白くないというので、菜っ葉(青い職工服)を着た一労働者がこの老政治家と握手しているシーンをとろうという注文で、わたしは友愛会の幹部で川崎の伍長だった灘重太郎氏を引フぱり出した。その写真は翌日の毎日新聞の神戸附録のトップに大きくのった。

 話は少し後になるが、友愛会々長鈴木文治氏がアメリカから帰ってすぐその足で来神し、友愛会神戸連合会が特に仕立てた二頭馬車に乗り、楽隊を先頭に三宮駅から市中行進をして、毎日新聞支局に立寄った際、新聞社の名で大きな花輪を送ったりした。労働組合長を歓迎して花輪を贈った新聞社は嘗てなかったし、また今後もおそらくはないだろう。

 また支局長の発意で本紙の社説に対抗し、兵庫県附録の論壇を特設し、労働問題をとりあげ、その特別寄稿家として賀川豊彦氏を依頼した。

 まだ「死線を越えて」も出ない頃で、氏の原稿の市場価値もなかったので一文の原稿料も支払わず、匿名の儘掲載したが、約束の日になると、同氏は木綿の着流しの上に着た羽織をヒモの代りにコヨリで結んで、下駄ばきのまま二階の編集室へあがって来た。そして「松方幸次郎氏は近代型親分である」といったような原稿を書いてくれた。

 わたしたちは「唯一の労働者の味方」といった自負と思いあがりをもって傍若無人に記事を書き、組合運動を煽った。

 そういえばその頃、三菱で友愛会の組合員が馘首されたことがあった。わたしは大いに憤りを発し「模範職工馘首さる」と書いたが翌朝の紙面にはそれが初号の大見出しでのった。本人も「模範職工」の肩書をもらってさぞ苦笑したことだろうが、当の記者もちとほめすぎたかなと苦笑したことを告白する。

 こうして大阪毎日神戸附録は、労働問題に力を注いだので、友愛会に属する組合員はもとより、神戸の労働大衆から非常な好感をもって迎えられた事は事実だった。

当時、地元の新聞の記者をしていた岸田氏は、その後、当時のことを述懐して「あの頃の大阪毎日新聞は全く労働者の唯一の味方といった感があった」と書いてくれている。

   (続く)

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