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村島帰之の労働運動昔ばなし(第17回)

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「神戸・賀川記念館界隈」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.or.jp/40223/)




村島帰之の労働運動昔ばなし(17)

『労働研究』(第138号)1959年8月号連載分


              第三回 清野長太郎知事時代

^                第一次大戦の終わる頃


 友愛会が神戸へ進出した頃の労資の代表者の横顔を紹介したついでに、官庁側の代表者にも 触れておきたい。

 官庁側代表者といえば、もちろん、兵庫県知事である。大正十年の神戸大争議の際、軍隊の出動を要請した有吉知事はいろいろの意味で最も有名だが、友愛会の神戸開拓時代は有吉知事よりも一代前の清野長太郎氏が知事で、労働運動に対し、よき理解者であった。

 清野知事は小柄で、色の浅黒い、「官員さん」らしい威厳を示す鼻下のヒゲもない、大黒天のような庶民的な容貌の持主だった。(この点では現阪本知事は歴代知事中、一ばん美男だろう)

 しかし、清野知事はあたたかみがあって、いわゆる官僚風なところの少い知事さんだった。その上、大事なことは、その頃漸く台頭し来つつあった労働問題や社会問題に対し深い関心をもっていたことで、わたしたちのような馳出し記者の意見もよく聞いてくれた。

 清野知事は床次竹二郎系の人といわれ、兵庫県に赴任する前は、福岡県知事をしていて、筑豊炭坑や八幡製鉄所の事もよく知っていたので、兵庫県に来てからも、第一に労働問題に着目した。

 第一次世界大戦が既に峠を越して、やがて終戦と共に必然的に訪ずれるであろう労働不安に備え、為政者として予め対策を立てておく必要があったからである。

 そこで清野知事は兵庫県下の大工場主や労働団体の代表者を招いて双方の意見を聞いたり、また後に記すように、調査要項を示して労資双方の言い分を徴したりした。

 もちろん、今から四十年もの前のことだから、労働者側も今日のような階級闘争といった対立的な意識は持っては居らず、使用者側でも「工場の能率は工場主の温情に正比例する」といった温情主義的な考えの上に安住していたのだから、知事としても、労資の協調によって、労働問題の激化は十分防げると考えていたであろうことは容易に想像できる。

   (つづく)

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