スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

村島帰之の労働運動昔ばなし(第20回)

1


「沈む太陽」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.or.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(20)

『労働研究』(第138号)1959年8月号連載分


                第三回 清野長太郎知事時代

    (前回のつづき)

                   県営口入屋の構想


 清野知事は市営や私営ではなく、まだ全国に先例のなかった県営の職業紹介所を設置しようという考えを持っていた。しかしその仕事を担当する人間が見つからぬので当惑しているところだった。

 口人屋上りではもちろんいけないし、融通の利かぬ役人が口入屋のおやじになることは六かしく、第一そんな物好きは兵庫県庁内には見当らなかった。

 清野知事はこの事を話して「適任者は居ないでしょうか」と聞いた。すると、打てば響くように賀川氏は「適任者がありますよ」と答えた。

 賀川氏の話によると、その男は永らく中学校の教師をしていたが、。キリスト教の伝道と貧民救済の召命を感じて教壇を去り、東京日暮里の貧民窟に住んで、賀川氏と同じように、貧しい人たちの友となり、独力でささやかながら隣保事業をやっているというのだ。

 清野知事は賀川氏の弟分のようなその人が果して県営の口入屋のおやじをひきうけてくれるだろうか――と危ぶんだが、賀川氏は「わたしから話せばきっと来てくれると思います」と自信をもって答えた。

 清野知事の腹案の「県営」口入れ屋はその後、多分県会方面からであろう反対があって、兵庫県救済協会経営ということになって、賀川氏の住む葺合新川の貧民窟に近い日暮通りに「生田川口入所」という看板が新らしく掲げられた。そしてその口入所の主任として賀川氏推せんのその人が座った。遊佐敏彦氏である。


                 ヒゲの送別会


 此処で一つおもしろい挿話を書き添えておきたい。

 公営口入屋のおやじとなった遊佐氏は東北出身の誠実そのもののようなクリスチャンだったが、彼は清野知事と同じように小柄で色も浅黒い男だった。ただ違うのは知事にはヒゲがなかったのに反し、この口入屋のおやじの鼻の下には美しい?ヒゲがめった。

 知事は遊佐氏のほかの点ではことごとく満足したが、そのヒゲだけは気に入らなかった。自分にヒゲがないので卑下したのだといっては駄じゃれになるが、知事には知事としての言い分があったのだ。知事は 遊佐氏のヒゲをまじまじと眺めながらいった。

 「口入所の主任になって頂くからは、前垂掛けの気持でやってもらわぬと困ります。それですから、求職者に威圧を感じさせるようなヒゲは…」

 遊佐氏は清野知事の言葉の終らぬうちに、

 「同感です。さっそくヒゲはそることにいたします」

 そういうと、清野知事はさも満足そうに大口をあけて笑った。遊佐氏も一しょに笑った。そして県庁を出ると遊佐氏はその足で髪床へ行って、何の未練もなくヒゲをそりおとして、賀川氏のもとへ報告に来た。

 賀川氏は急にヒゲかなくなって人相が変った遊佐氏を見て「どうしたんだ?」と聞いた。そして、いちぶしじゅうを聞くと大いに痛快がって、

 「では今夜は遊佐君のヒゲの送別会をやることにしよう」

 そういって、その夜は有志と一しよに、ささやかな、しかし前古未曽有の「ヒゲの送別会」がたのしく催された。

 遊佐氏はその後、中央にひきぬかれ、中央職業紹介事務局長となり、三井報恩会の社会事業課長ともなったが、神戸でそりおとしたヒゲはついに二度と生やしてはいない。

 ヒゲの話はこれぐらいにして本論に帰り、清野知事と労働問題の関係について話をつづけよう。

     (続く)


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。