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村島帰之の労働運動昔ばなし(第22回)

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「高松・玉藻公園の月見櫓より」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.or.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(22)

『労働研究』(第138号)1959年8月号連載分


                第三回 清野長太郎知事時代

    (前回のつづき)
              
                  知事の挟別の言葉


 労働者側の意見書は、別に工場主側から徴した意見書と一しょに、清野知事が携えて上京し、中央政府に提出した。これが直接の効果は判らないが、あるいは渋沢栄一氏らの労資協調会の誕生とも何らかの関係があったのかも知れない。

 その頃の友愛会神戸連合会はまだこれという争議もしていなかったためでもあるが、清野知事は極めて友好的で、あとで記すように、友愛会の示威行列が兵庫県庁を訪れるかも知れないとわたしが告げた。ところ

 「それなら、わたしはバルコニーに出て敬意を払うことにしましょう」

 と答えたので、そのまま新聞に書いた。

 その記事を見た一部の県議が、知事は赤だ、怪しからんと抗議をし、知事は大いに困ったということを聞いた。そしてそのすぐあと大正八年四月、清野知事は神奈川県知事に栄転して行った。

 清野氏が三宮駅から乗車して、新任地へ向う日、友愛会の幹部有志は会旗を携えて駅頭に見送った。清野氏はそれほど労働者にとっては「ええ知事サン」だったのである。

 その折、清野氏は見送人の中にまじっていたわたしを見つけて車窓から手招きするので、近ずいて行くと、氏はいった。

 「どうか、労働者諸君がエキセントリックな行き方をしないように、くれぐれもおたのみします」
      ’        `    ’
 もし「過激になるな」といわれたら、まだ二十代だったわたしはきっと反撥を感じたに違いないのだが、「エキセントリックにならぬように」と英語で言われたことが、妙に真実がこもっているように耳にひびいたことを今思い返してもふしぎに思うのである。

 わたしは時々、大正十年の大争議の時まで清野知事が留任していたら――と思うこともあるが、しかし、その時はその時の風が中央から吹いてきて、同じ結果になったようにも思える。

              入会式と左手の握手

 兵庫県を去るに臨んで清野知事が県下の労働組合員にのこした「エキセントリックにならぬように」という忠言は、少くとも、当時の組合員には「心配無用」の言葉であった。

 当時の労働組合――といっても友愛会一つしかなかったが――友愛会の運動方針は穏健そのものであった。何しろ友愛会はその綱領にも、

 一、われらほ互に親睦し一致協力して相愛扶助の目的を貫徹せんことを期す。
 二、われらは公共の理想に従い識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩を図らんことを期す。
 三、われらは共同の力により着実なる方法をもってわれらの地位の改善を図らんことを期す。

 と掲げているほどで、今日のような闘争的なところは全くなく、着実穏健な方法で労働者の地位の改善を図ろうとし、その上「相愛扶助」や、「徳性の涵養」を謳ったりしてむしろ、宗教的でさえあったからだ。
    
 おもしろいことにはその頃、友愛会には入会式というものがあった。入会式はその都度行わず、会長の西下した時など、とりまとめて行うもので、新入会組合員は一人一人進み出て鈴木友愛会の丸々と太った手をしっかりと握り、今後、組合員として努力する(戦うなんていわない)ことを誓ったものだ。事によるとこれは鈴木会長がキリスト教の洗礼式からヒントを得たのではないかと思う。

 ところが、この人会式にしばしば異様なしかも痛ましい光景が見出された。それは、通例右手をさし出して握手する慣わしだのに、もじもじとして左手を出す組合員があったことだ。右手を出すことを知らなかったのではない。実は右手の指の何本かが失われてなかったため気遅れしてつい左の手を出したのである。いうまでもない。工場で作業中、あるいは歯車にはさまれ、あるいいは截断機で大切な指を切られたのである。

 当時の友愛会神戸連合会長颯波(さっぱ)光三氏も右手の人差指が中途から失われていて、左手で握手をした組だった。工場法の実施の前後のこととて、如何に工場の危険防止設備が不十分であったか、そして工場生活というものが、如何に危険多いものであったかが窺われよう。

 その頃、鉄道院の調査では鉄道関係の工場内の一年間の負傷率は千人について千五百五十一人だったから、一人は必ず一年に一度以上のケガをしたことになる。従って神戸の友愛会関係でも業務上死亡する者が少くなく、その葬式には、喪章をつけた友愛会の会旗を先頭に組合員が会葬した。これも組合の仕事の一つだったが、組合に好感を持たぬ人たちは「お葬式組合」といって冷笑した。


   (つづく)
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